第39話 ウマ
ウマという動物が古代、有用な家畜としてたくさん飼われていたことをトーマは知っていた。ウマに乗った金属鎧の男が人間同士殺しあう、そんな『戦争画』を見たこともある。
しかし『マナ大氾濫』によって世界の環境が一変し、魔物が跋扈し平原を森が侵食すると、ウマの生きる場所はほとんどなくなってしまった。
『魂の器』を持ち、十分に階梯を上げた人間はウマに乗らなくても移動手段に困らないし、重い荷物も運べる。『器持ちの』常人離れした働きはマナの恩恵によってもたらされるもので、食事の量が増えたりはしない。だが、ウマを飼うには大量の餌が要ることだろう。おそらく羊の何倍もの量が。
同じように草を食んで生きるウシも状況は似ていたが、乳を出し、力仕事も得意なウシは人間に保護され続けた。ワッセニー西側の街、畜産が盛んなターハイムにもウシは多い。
ロバという小さいウマのような家畜も居たが、乗馬できるような本物のウマは人間社会から姿を消したとトーマは思っていた。
休憩も無しにまた走ることになったユリーは足がもつれそうだ。
丘を下り終えて速度が多少落ちたようだが、それでも今のユリーよりは乗馬した人間たちの方が速い。
「アンドレイ! 逃げても追いつかれる!」
トーマは叫んだ。アンドレイには分からないだろうが、追ってくる8人のうち『器持ち』は中央の3人だけだ。まだ遠すぎて力量の程もわからないが、『器持ち』の数ならこちらが上だ。
「新手だ!」
イヴァンが叫んだ。街道の左側。北の方角数百メルテに6人、乗馬して並走している。新手もトーマたちより速度が速く、このままだと行く手を阻まれる。
アンドレイは走るのを止めた。息を整えるようにユリーに言う。トーマは背負っていた荷物を草はらに投げ出した。イヴァンも背負い鞄を下ろして放り、鞘を外した横刃槍を一振りして大きく息をついた。
南からの8人が数メルテの距離、4人を囲むように広がった。ウマに乗った人間を目の前にすると圧迫感がすごい。毛皮の上下を着て、帽子や兜を被っている。
中央の3人。
大きな槍先のついた木柄の長槍の男。約22階梯【槍士】。
腰に剣を佩き大弓を左手に持った男。約27階梯。種別、不明。
鉄仗を肩に担いだ、細身の若い男。約15階梯。【纏気】という『魂の器』。
己の肉体でも武器でも、どちらでもマナの防御層を纏わせることができる。応用の利く能力だが階梯が低いので脅威ではない。
「何の用だ!」
アンドレイが問うても8人は返事をしない。若い者は何か戸惑っているようにも見える。顔の造りなどは自分たちと特に変わらないように見えるが、言葉が通じていないようなので異民族というやつかもしれない。
トーマは右手に握られたナラの枯れ枝を見た。意思疎通できない相手にいきなり致命的な攻撃を放つのはやりすぎだろうか。
北側の6人が30メルテの距離まで近づいて、そこでウマの足を止めた。6人中4人が『器持ち』。女と見える者も一人いる。乗馬したまま一人が近づいて来た。
金の装飾の付いた兜を被って、背中に大剣を背負っている。約35階梯の【勇者】保有者だ。
『魂の器』・【勇者】の持つ異能は≪下限緩和≫に性質が近い。「魔眼」で見ると性質が近いと感じられる、という話で、実際の効果はむしろ真逆だ。
自分の階梯より高い階梯相当格の魔石を食った場合、得られる成長素はどんどん増えていく。一つ格が高くなるだびに一割ずつ増えると考えてよい。10階梯の『器持ち』15階梯相当格の魔石を食えば5割増しの成長素が摂れる。
だがそこから増加割合は急激に減少する。9階梯相当格上の魔石で約7割増しになってそれが上限。それ以上どんなに格の高い魔石を食っても一度に得られる成長素は大きくならない。
結果として、一つの魔石から採れる成長素は最大でも階梯上昇必要量の三割四分に留まり、階梯を一つ上げるためには最少でも3つ魔石を摂取する必要があるという事になる。
なぜそんなことになるのか原理は不明だ。未熟な『魂の器』では大きな成長素を受け止める力が無いという事かもしれない。
つまり、弱すぎる魔物を倒しても成長できないが、強すぎる魔物に挑んでも見返りは少ないのだ。
だが【勇者】保有者は違う。喰らう魔石の格が高ければ高いほど多く成長素を摂れる。10階梯の勇者が20階梯相当格の魔石を食えば、得られる成長素は2倍。30なら3倍だ。
大きなアゴをもつ二足歩行の大トカゲ、ウマ喰いアギトは50階梯相当格の魔物であるが、10階梯の勇者ならその魔石を一つ食うだけで階梯が上がることだろう。
異能の名は≪下限緩和≫ならぬ≪上限突破≫。
危険を冒し、分不相応な大物に挑むほど強くなれる「勇ましき者」。それがこの『魂の器』の名称の由来だ。
階梯相当格で10以上差が付いていたら逃げると決めている安定志向のトーマは、この≪上限突破≫が一番要らない異能だと思っている。
魔眼で『魂の器』を看破する場合、ある程度近く無ければ詳細は分からない。30メルテの距離でわかるのは相手の『魂の器』の力量、つまり階梯くらいである。
新手の方の『器持ち』は【勇者】以外の者も階梯が30前後ある。南から迫ってきた方より実力が高いという事。
人数をかけて追い詰め、実力者がとどめを刺す。狩人が獣を狩るようなやり方だとトーマは感じた。
「武器ヲ納めてほしい。まずは話ヲしたい」
【勇者】の男はトーマと同じくらいの年頃。30歳手前だろうか。
曲刀を抜き放ったアンドレイや横刃槍を構えるイヴァンではなく、トーマに向かって話しかけてきた。少し訛りがあるが、タルガットよりも流暢な共通語だ。
彼我の人数差はともかく、この場において一番階梯が高いのはトーマである。二番目は39階梯のアンドレイだ。
そして向こうには弱点がある。半分が『器持ち』ではない。常人が7人もいることだ。下手に出ると決めるにはまだ早い。トーマは背後の8人を指で示しながら怒気を込めて言った。
「武器を納めるのはそっちだろ。こういう真似をされてはいそうですか、とこちらだけ武装解除する道理があるか。やるなら半分死ぬと思えよ」
ユリーがぎょっとした顔をしているが、実際殺し合いになれば概ねそういう結果だろう。トーマたちは全滅の可能性が高いが。
あるいは人質をとって交渉する手もある。新手6人のうち常人の一人は小柄な少年に見える。他の者と違いモコモコとしたキツネ系の毛皮の外套を着ていて、ウマの装具も豪華だ。身分のあるものではないか。
「シナシャーウィ! オー…… ロッソ グージョ!」
【勇者】の男が叫んだ。トーマたちを取り囲んでいた8人がウマを操り少し離れた。抜剣していた一人は剣を納め、弓を持った者二人も肩にかけたが、鉄杖や長槍を持つ者は戸惑って顔を見合わせている。収納できるような武器ではないので仕方がなかった。
30メルテの距離に留まっていた新手の方。女がこちらにウマを走らせてきた。なにか言っているが向こうの言葉なのでわからない。勇者の男は手振りで女を宥めた。
「名乗ろう。ワタシの名はディオだ。竜の戦士、オマエの名前ヲ教えてくれ」
竜の戦士とはトーマのことか。背負子の荷物にはライマーン以来、竜の羽根が出しっぱなしだ。
トーマがアンドレイに目をやると、「まかせる」というような表情で細かく頷いた。
「トーマだ。用件は何だ。俺たちはここを通りたいだけだ」
「長い話になる。落ち着イテ座って話さないか?」
「今、短く話せ」
「簡単に言うなら、共闘だ。六つ足オオカミヲ退治したい」
トーマたち4人は顔を見合わせた。彼らは敵対したいわけでは無いのか? それならなぜ追い込むような真似をしたのか。まだ油断はできない。
「なぜ俺たちがそんなことをしなければならない」
「オマエたち! ここカッテに通った! ここワタシたちの土地!」
金切り声を上げたのはディオの横の女である。29階梯の【鞭士】だ。鞭や鎖、ひも状の物体にマナを流して意思の通りに動かし操ることができるという。
「そういう話ではない」と、共通語を使ってディオが女を窘めた。
女はまた向こうの言葉で2、3言わめいたが、鼻から息を吹き出すとトーマを睨みつけた。薄っすらそばかすのある美人。まるで女児のように左右に褐色の長い髪を結って垂らしている。年齢はディオと同じくらいに見えるのだが。
「竜の戦士トーマ。六つ足オオカミのキョウイはそちらにも関係のある話だ。むこうにある廃虚。あれは元々われわれの集落だった。六つ足オオカミに滅ぼされた」
「俺たちは姿も見ていない。出くわしても六つ足くらい俺たちは倒せる」
「50頭の群れでもか?」
50頭とは。オオカミの類は血族で群れを作り、それが10頭を超えることはあまり無い。
だが魔物である六つ足オオカミは一つの血族が変異して強くなり、他の群れを統率した場合に「軍団」と呼ばれる大集団を作ることがある。50頭はその最大級といっていいだろう。




