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第1話 師の家にて

「トーマ、お前も、もう40になったのでしょう」

「いいえ、まだ28歳です。肌だってぴちぴちだし」


 両手のひらで自分の頬をむにむにと揉みながらトーマが答えると、空気を切り裂く音とともに頭頂部に手刀が直撃した。

 高速の手刀を繰り出したのは、トーマの師匠。女賢者ラケーレ。

 胡坐(あぐら)をかいて座った姿勢のまま、上半身の重心の操作によってそれを成すのはさすがと言える。


 やせっぽちのチビと言われることも多いトーマ。同じような体型のラケーレは、来年で60歳になるらしい。年齢のわりにかくしゃくとしているのは、常人(つねびと)ではないので当然といえた。


「階梯の話をしているんです。40階梯ともなれば、世間ではお前を大賢者様と、敬って呼ぶのですよ」

「呼ばせておけばいいじゃないですか。頭が痛いので帰っていいですか」


 人の太腿くらい太さのある丸太でも、ラケーレの手刀なら平気でぶち折れるだろう。そんなものを手加減も無しで頭部に食らったのなら、『魂の器』を持たない常人はまず即死である。

 『魂の器』を持ち、なおかつ階梯を40まで上げているトーマだから耐えられるのだ。

 なかなかひかない痛みに顔をしかめながら、トーマは自分の頭を撫でさすった。


 二人が座っている敷物は、植物の細い茎を織って作られていた。一辺が1メルテ半くらいの正方形の敷物。板張りの床に一枚敷かれて、その上に直接あぐらをかいている。

 敷いている意味あるのか? と思うくらい薄い敷物だが、香りは良い。

 刈り取ったばかりの牧草のにおいに似ていた。


 このラケーレの屋敷で家事の手伝いをしている少女がお茶を運んできた。

 屋敷の主が一口飲む。橙色の渋くて食べられない果実を生らせる木。その葉で作られたラケーレ手製のお茶である。修業時代、トーマはいつも飲まされていた。


「トーマ、お前を一人前にするのに私は10年近く付きっきりでした」

「一人前じゃないです。まだ助けてもらいたいです」

「鼻を殴りますよ。聞きなさい。お前の階梯を上げるために、あまたの殺生を繰り返し、お前にも繰り返させました。たとえ相手は魔物と言えど、私たちの力は命の犠牲の上に成り立っている」




 修業時代はラケーレに連れられて大陸各地の都市国家を訪れる旅をした。魔物に襲われることは、魔境をつらぬいてのびる街道では日常茶飯事である。

 子攫(こさら)いイヌや(つの)ザルのような、並のけだものとそう変わらない脅威度のものから、大クロジシや、果てはウマ喰いアギトのような大物まで。

 トーマとラケーレを「具合の良い餌」だと勘違いした捕食者たちは、よだれを垂らしてとびかかってくる。だがラケーレの複合精霊魔法『雷光(イカヅチ)』の直撃を耐えられた魔物は一匹もいなかった。しばしの痙攣の後、息の止まった魔物はトーマの階梯上昇の糧と、食肉に変わった。


 ラケーレの言う「付きっきりの期間」を終えてからは、雇った護衛と共に大陸を巡る旅をした。危険な魔物を自ら求めて魔境の奥地に潜り、獲物を狩り殺してはその魔石を喰らった。




「旅から帰ったお前を見たときはうれしかった。ついに私の弟子が至ったのだ。一門の恩に報いることができた。一人前の賢者を育て上げたのだと」

「……あなたへの感謝を、忘れたことは無い。ラケーレ」

「役目を果たしなさい。私の『七賢』の席は、お前が継ぐのです」

「……」


 人間にマナを恩恵を与える『魂の器』。

 それを得た者は能力が増強され、魔法を行使することも可能になる。そして『階梯』を上げるほど能力増強はさらに大きくなる。

 KJ暦紀元前300年ごろ、世界を覆った厄災『マナ大氾濫』。

 マナの影響を受けた異形の生き物、『魔物』の群れが古代文明を食い破り、人類は絶滅寸前に追い込まれた。今こうして復興の希望を胸に抱いて人々が生きていられるのは、『魂の器』のおかげだ。


 いくつもの種類がある『魂の器』の中で、もっとも希少、かつもっとも偉大なもの。

 それがトーマとラケーレがもつ【賢者】である。

 【賢者】は他者に『魂の器』を与える異能を行使できる。そのことから『根本の器』とも呼ばれる。

 【賢者】が居なくとも、ときおり自然発生的に『魂の器』に目覚める者もいるのだが、まれだ。

 人口が5千人いる街なら自然に目覚めた者が一人くらい居るだろうか、という程度だろう。



「……役目なら果たしてると思います。今日も二人魂起(たまお)こしをしてきました」


 此処、オテカリアの人口は定住している者だけで3万以上。デュオニア共和国の首都であるこの街は『マナ大氾濫』以前から存在している。

 魔物に対してなすすべを持たなかった時代でも、強固な街壁と、偉大な政治指導者たちの「血を吐くような決断」によって、数千人の人口を維持し続けた。

 KJ暦460年現在、世界最大の文明都市だといって間違いない。


 トーマはこの一年ほど、オカテリアの路地裏に下宿しながら、毎日訪れる希望者に『魂起(たまお)こしの()』を施して収入を得ていた。

 一度で大銀貨2枚。40階梯の今なら一日3人は目覚めさせられる。家族が居ても十分豊かな生活が送れるだけの収入がある。結婚は一度もしたことがないが。


「魂起こしは賢者たる者すべてに与えられた役割。私が言っている役目とは『書庫の賢者』としての義務。後継者としての資格を得る、という話です。もう何度も言いましたね?」


 【賢者】に与えられた異能は他者の『魂の器』に働きかけるもののほかに、もう一つ、≪書庫≫と呼ばれる能力がある。≪書庫≫を重要視する賢者の一門、それが『書庫の賢者』である。

 その幹部である『七賢』の1人、『雷光のラケーレ』の唯一の弟子でありながら、トーマはこの≪書庫≫を使う事が苦手だった。


「……別に殺さなくてもいいのでしょう? 書庫の整理に協力すると、約束させればそれで」


 トーマが出会った頃のラケーレは、黒い髪をしていて白髪は数えるほどしか生えていなかった。

 今は白黒の比率が逆転している。ほとんど白くなった髪は後頭部で丸めるように結われ、銀で控えめに装飾された木製の髪留めがそのだんごの根元に刺してあった。

 ほつれて顔にかかる数本の髪を左手の指で右の耳にかけながら、ラケーレは目を閉じ溜息をついた。


「彼らの問題はそういうことでは解決しない」



 ラケーレは着心地の良い綿の上下を着て、その上から「肩革」を身に着けている。右肩から斜めにかかった革は前後に垂れて、腰帯で固定されて膝までの長さがある。季節にもよるが、デュオニア共和国で生活に困っていない者が身に着ける一般的な服装だ。

 トーマも同じような装いであるが、トーマが黒い毛皮を左掛けにしているのに対し、ラケーレは脱毛処理された革を右掛けにしている。

 よく(なめ)されて柔らかそうな、その赤茶色の肩革で隠れた右腕は、肘から先が存在しない。

 トーマが14歳で、ラケーレが45歳。出会った時にはすでに失われていた。


「実際に会ってみればわかります。我々と彼らは相容れない」

「……考えてみます」


 木の葉のお茶はぬるくなっていた。




 窓から差し込む光はうっすら赤みをもち、もう師の家を辞すべき刻だとトーマに教えている。どこからか流れてくる香ばしい匂いは夕食の支度だろうか。

 最後に思いついてトーマは聞いてみる。


「ところで師匠、この敷物は悪くないですね。どこに行けば買えます?」

「これはゴザムシロというものです。書庫に埋もれていた知識を伝えて、家のものが織りました」

「書庫ですか……」

「お前の分も織らせましょうか?」

「あー……大丈夫です。絨毯も部屋にありますし。古い物ですけど……」



 頭を軽く下げ、別れの挨拶をしてから立ち上がる。石壁でかこまれ、隅に文机があるだけの師匠の居室。戸のはまっていない出入口に向かうトーマの背中にラケーレは不吉な言葉を吐いた。


「私もいつまでもは生きていないのですよ? 肌もかさかさですしね」 


(さっきのが死にかけの人間の腕力なわけないだろうが……)


 もう一度頭をさする。

 トーマの頭頂の痛みは今やっと半分ほど癒えたところだ。

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