出立の時
ハサン王太子は、ギルモンドが婚約者を同行することにいい顔をしなかった。
ましてやその婚約者が美しい侍女を同伴となれば、遊びに行くのか、と怒りが湧いてくる。
シェルとアイリスも、アジレランドの王太子が来ていると知らされたのは、出立のために王宮に訪れたときだから、驚くのも無理はない。
それでも危険を承知で書状を持って来た王太子には、最大の敬意をもって礼をする。
「今回は無理を言って、同行の許可をいただけたことにお礼申し上げます」
ハサンも胸の内は隠して、王族らしい態度で接する。
「美しい令嬢の勇気に敬意を表します」
急ぐ道中は野営もあることを勇気と例えたが、その裏には、両国は仮想敵国であって観光ではないんだ、と侮蔑を含んでいる。
ピク、と侍女の眉が動いて、ハサンは侍女が意味を悟ったのだと、ニヤリを笑みを浮かべる。
「アイリス」
シェルが侍女を制するのを、ハサンは興味深く見つめる。
ほう、婚約者も気がついたか。
ふいにシェルが目をそらして、馬車に聖水運んでいる方に顔を向けた。
「あれは・・」
遠目に見るには、荷物を運んでいるようにしか見えない。
ハサンは必要なら婚約者の王太子が言うだろうと、聖水を運んでいることは言わない。
この聖水は両国の国交を開く可能性があるのだ。
謁見できるかもわからないブルーゲルス王国に、ハサンは命がけで来たのだ。
策略と勘繰られて殺されることもありえるのが、国交のない国に行く使者だ。
それをブルーゲルス王は受けいれ、聖水の供与まで約束して実行している。
この大きな借りに比べれば、王太子が婚約者を連れて行くことに文句など言えない。
「ハサン王太子、そろそろ出発の時間になります」
まるで従者のように、ギルモンドがハサンを呼びに来た。ギルモンドに帯同していたグイントは、アイリスの姿を見ると駆け寄って行く。
「よく似合っている」
グイントが褒めたつもりでも、アイリスには嬉しくない言葉だ。
「本気で言っているの?」
女性にしては低い声の侍女だな、とハサンはブルーゲルス王太子の側近の動向が気になる。
「シェルは僕が守るから、グイント様は使節団のお仕事がんばって」
僕!? しかも王太子の側近を追い返しにかかっている。侍女姿のアイリスが気になりだして、ハサンはギルモンドと話をしながら、聞き耳をたてている。
もちろん、気付かれるようなへまはしない。
「では、途中のこの街で休憩になります」
ギルモンドが地図のポイントを指すのを、ハサンが頷いて会話が終了する。
ハサンは馬で来たが、帰りは聖水の運搬もあるので馬車に乗る。
後ろの馬車を見ると、ギルモンド王太子の婚約者と侍女は馬車に乗り込み、侍女に言い寄っている側近は馬で馬車を伴走するようだ。
「アジレランドの王太子殿下は、僕達が同行するのを歓迎してないようだね。まぁ、普通はそうだよね。
きっと、ブルーゲルスの王太子の婚約者がワガママを言っていると思っているのだろうな。僕がその立場でも同じことを思うよ」
馬車に乗った途端、アイリスが言う。
「その通りだもの、私がワガママを通したのだから」
危険だからと反対するギルモンドとグイントを、シェルは頑固に言い張って同行を認めさせたのである。自覚のあるシェルは、それがどうしたと図太い。
軍用の馬車は、スピード重視で大きく揺れながら進む。
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