ブルーゲルス王国の朝
翌朝、ハサン王太子は大聖堂に来ていた。自分の随行員だけでなく、護衛と名付けられた監視役のブルーゲルス王国の騎士達に守られての参拝である。
朝早い時間なのに、礼拝堂の一角に長い列ができていた。
人々が膝をつき礼をしているのが気になって、ハサンはその列に並んだ。
列の先にあるのは、ガラスの棺。添えられた花は萎れ始めていたが、棺の中の人物は、豊かな銀の髪、今にも閉じている瞳が開くのではないかと思わせる薄い桃色の頬。
ハサンの警護の騎士が説明する。
「こちらの夫人は、我が国の伯爵であらせられます。9年前に亡くなり、今も当時のままのお姿で、このたび、大聖堂に安置されました」
「亡くなったのが9年前!?」
あまりのことに、ハサンは声を荒げてしまう。こんなことで偽りを言う必要もないと分かっているが、棺の中の夫人は眠っているようにしか見えない。
供えられている花が|萎しお》れかけているのを見て、最低でも花が萎れるほどの時間、ここにあるのに朽ちていないのだと察することができた。
人々が参拝に訪れ、列が絶えないのも納得ができる。
アジレランド王国にも、ユーラニア伯爵家のことは情報が届いている。
これが、奇跡と言われた遺体なのだろう。
夫に殺された無念だけで、朽ちないはずがない。この国の教会の聖水だけに力があるのと、関係しているのは明らかだ。
ランボルグ侯爵邸には、ギルバードとグイントが訪問していた。
会議が続いている為に、会議前の早朝に来ているのだ。
アイリスは包帯をしているものの、順調に回復していて顔色がいい。
反対に、ギルモンドとグイントが演奏会の後始末に追われ、その後のアレジランド王国からの件でろくに眠る時間もなく疲労がたまっている。
それは、シェルとアイリスにも分かったようで、朝早過ぎると追い返すことはしなかった。
「朝食がまだなら、一緒にどうかな?」
アイリスが誘うと、嬉しそうにグイントが返事をする。
さすがに弟のダミーを同じ席につかせるわけにはいかないから、学院のランチのように4人だけの朝食を別室に用意させる。
「殿下、傷はどうですか?」
シェルが尋ねるのを、ギルモンドが腕を回して大丈夫だと見せる。
「気がついていたのか?」
フランクに斬られたことは秘密にしていたし、演奏会の時も何も言われなかったから気がつかれていないと思っていた。
「はい」
答えたのはアイリスである。アイリスが気がついて、シェルに教えたということだろう。
「僕も自分のケガで精一杯でしたので、あの時は言えませんでした」
アイリスが食事の手を止め、ギルモンドとグイントを見る。
「こんな早くに来たのは、何か重要なお話があるのですよね?」
「ああ。僕とグイントは、明日、アジレランド王国に向かう。そこにフランクとエシェル・ユーラニアがいる」
ギルモンドの言葉は、シェルもアイリスも想像もしていないことだ。
アジレランド王国がブルーゲルス王国と国交を開いておらず、交戦の可能性のある危険な国であることは誰もが知っている。
「どうして、王太子である殿下が行く必要があるの?」
シェルは席を立ち、ギルモンドに詰め寄る。シェルもアイリスも、アジレランド王国から使者が来ている事など知らない。
「僕が王太子だからだ」
「なら、私も行くわ。エシェル・ユーラニアがいるなら、私が行く必要がある」
シェルが絶対に怯まないと、瞳に力を籠める。
これには、ギルモンド、グイント、アイリスも引き留めるが、シェルの意志は固い。
連れて行かねば、一人でも行くだろう。
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