闇に沈むエシェルと、周りから愛されるシェル
残酷な表現があります。気を付けてお読みください。
「お母様、絶対にあの二人に負けたくない」
エシェルがあげた名前は、アリア・ハインツシュレフ男爵令嬢、ベルビディ・レッグオン伯爵令嬢。
二人は学院で、ピアノの名手として有名だ。今回の音楽祭にも出演する。
「きっと、主様が願いを聞いてくださるわ」
ユーラニア伯爵夫人は笑顔を浮かべると、引き出しから鍵を取り出した。
カチャン。
小さな音がして、テーブルの引き出しが開く。
銀のナイフを取り出し、鳥かごから小鳥を掴んで机の上に押さえつけ、呪文を唱えた。
ピィ、ピィ、苦し気に鳴いて暴れる小鳥の首元にナイフを突き刺すと、夫人の動きが止まる。
「こんなんじゃ足りない。もっと大きな贄を捧げないと叶えられない」
エシェルも呪文を唱えながら、贄が小さいと言う。
二人が音楽祭で喝采を浴びる姿が見えるようで、エシェルは首を横に振る。
「大丈夫よ、任せなさい」
夫人がナイフに力を入れて動かすと、小鳥の首がゴロンと転がった。
ランボルグ侯爵邸ではギルモンドとグイントが、シェルとアイリスを止めていた。
「放してください殿下」
掴まれた腕を振り払おうと、シェルが藻掻く。
「ランボルグ侯爵には許可を取ってある。ひどい顔色なんだ」
ギルモンドは、羽交い絞めするようにしてシェルの動きを止める。
シェルは母親を演じる事で、レオルド・ユーラニアを精神的に追い詰めていたが、シェル自身も尋常ではない疲れを感じていた。シェルは、まるでロクサーヌが乗り移ったかのように演じるのだ。
「あの動きは15歳の君じゃない、ロクサーヌ夫人を知らない僕達でさえ、ロクサーヌ夫人に見えた。
その度に、君が弱って行くのが痛々しいんだ。
ユーラニア伯爵は処刑から逃れる事はない。現夫人もだ」
「あの人を殺すだけなら、いつでもできた!
それじゃ、満足できない! 絶望して、苦しんで、後悔させたい!」
シェルが、絶望して、苦しんで、後悔したということだろう。もしかしたら、ロクサーヌ夫人も同じでシンクロしているのかもしれない。
「9年前に戻って、君を助けにいきたい」
それは、ギルモンドの本心である。9年前、ギルモンドも絶望したのだ。だが、シェルが生きているかもしれない、という細い可能性だけが希望だった。
「シェル、殿下が心配するのも尤もだと思う。
このところ、シェルの顔色が悪いんだ。今夜は休んだ方がいいと思う」
アイリスが、シェルの前に片膝ついて呼びかける。毎晩のように、ユーラニア伯爵邸に忍び込んで、伯爵に亡霊を見せた。
シェルが母親を演じている時は、母親の声をまねているつもりだろうが、アイリスやギルモンドからみれば、シェルの声ではなかった。
シェルの身体の衰弱がひどいのだ、回復が追い付いていない。学院に通学はしているが、ふらつく時もある。
シェルは自分を抱きしめるギルモンドの腕に手を添えた。
確かに最近は身体がだるかった。周りには、そう見えていたのか。
だから、ランボルグ侯爵も王太子の提案を受けたのだろう。
「そうだった、この復讐が終わったら、ランボルグ侯爵令嬢として生きるんだった」
そう言って笑おうとして、シェルの身体は崩れ落ちた。
ギルモンドに抱き締められているので、床に落ちる事はないが意識を失くしていた。
「シェル!」
「シェル!」
アイリスとギルモンドの声は、シェルには届かない。
グイントが部屋を飛び出して、ランボルグ侯爵夫妻を呼びに向かった。
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