力の自覚
早めに登校すると、教室には誰もいなかった。
エシェル・ユーラニアは、エシェル・ランボルグの机の中に呪符を忍ばす。
「そこで、何をしているんですか?」
誰もいないと思っていた教室に登校してきた女子生徒がいたのだ。
「そこは、ランボルグ侯爵令嬢の机ですよね?」
訝しげに、エシェル・ユーラニアを見つめている。
エシェル・ユーラニアは駆け寄ると女子生徒の手を両手でにぎりしめた。
「何もしてないわ。同じ名前だから気になっただけ」
女子生徒の動きが止まったように感じたのは、一瞬のことだった。
「エシェル様、ご心配になることはございませんわ。
同じ名前でも、エシェル様は王妃になられる方ですから」
女子生徒が|恭《うやうや>しく首を下げる。
エシェル・ユーラニアは女生徒から手を離して、自分の手を見る。
『接触が多い方がいい』
母の言葉が、エシェルの中で思い出される。
手を握ったから、私の思い通りに動いている?
エシェル・ユーラニアは、登校してくる生徒に理由を付けては手を握った。
明らかに好意的になる態度に、母の言うことが正しかったと確信する。
生け贄をもっと多く捧げたら、もっと力を持てるのだろうか?
ギルモンド様に触れなくても、想いを伝えられるかもしれない。
教室の入り口が騒々しくなり、エシェル・ランボルグ侯爵令嬢が登校してくる。
兄のアイリスが送ってきたのは昨日と同じだが、今日はグイント公子とギルモンド王太子も教室に入って来た。
「シェルちゃんの机はどこ?」
グイントが先に歩いて場所を確認しようとしたのを、エシェル・ランボルグが服を後ろから掴んで動きを止める。
「気持ち悪い」
震えるエシェルの後ろから、ギルモンドが支えるようにして前に出て来る。
「シェル、体調が悪いなら帰ろう」
すっかり愛称が定着している。馬車寄せからここに来るまでも、ギルモンドが何度も呼ぶから、エシェル自身も慣れてしまった。
エシェルは震える手で、自分の机を指さすと、ギルモンドは察したようだ。
ギルモンドはエシェルをアイリスに任すと、懐から小さな小瓶を取り出してグイントに渡した。
「教会の聖水だ」
ギルモンドの言葉に、グイントは頷くと小瓶の蓋を開け、エシェルの机に振りまいた。
じゅうぅう・・・
擬音をたてて机から煙が上がる。
クラス中の視線が集まる中、机の中から黒く焦げた紙が舞い落ちたが、それが何かはエシェル・ユーラニア以外は知らない。
グイントがさらに呪符に聖水をかけても反応はなく、威力はなくなっているようだ。
「殿下」
どこからか数名の騎士が現われた。ギルモンドの護衛か、密かにつけたエシェルの護衛だろう。
「あれを教会の司祭に届けてくれ」
ギルモンドが指示をすると、騎士はハンカチで呪符を拾い袋につめる。
「君達も教会で洗礼を受けて来るように」
呪符を運ぶ騎士の身体を心配してギルモンドが言うと、騎士達はあっという間にその場からいなくなった。
聖水をかけて側で見たグイントは、ギルモンドの耳元に伝える。
「呪符だ」
「そうか」
呪符がなくなったことで深呼吸したエシェルの肩を、アイリスが抱きしめている。
その様子に安心して、ギルモンドとグイントが辺りを見渡す。
視線の先は、エシェル・ユーラニアだ。
「誰か、この机にあの紙を入れた人間を見ていないか?」
目撃者である女生徒もいるが、何も言わない。エシェル・ユーラニアを恐れているのではなく、術にかかっているというのが正しいかもしれない。
それを感じ取ってエシェル・ユーラニアは、呪符は失敗したが笑顔を浮かべる余裕さえあった。
「殿下、おはようございます」
エシェル・ユーラニアが近づいて来ようとするのを、ギルモンドは身を翻す。
「諸君、おはよう」
決して、エシェル・ユーラニア一人には返事をしない。
呪符を使うとわかった今、接触や返答が呪符の発動になるかもしれないのだ。安易に言葉はかけられない。
それはグイントも同じで、アイリスとエシェルに対応を教えている。
「シェルちゃんの机、使わない方がいいな」
「そうだな、シェルには新しい机を用意させよう」
グイントとギルモンドの間で話が決まっていく。
エシェルとアイリスは、呪符の存在に気味悪さを覚えると共に、これ以上危害をくわえられる前に復讐を早めようと思うのだった。
怯えるのは、そっちの方よ。
シェルが愛称になりましたので、次回からエシェル・ランボルグはシェル、エシェル・ユーラニアはエシェルと呼ぶようになります。
同じ名前で紛らわしいのが、すこし分かりやすくなると思います。
読んでいただき、ありがとうございました。