エシェルの幸せ
『エシェル、元気にしているか?
学院での授業は、家庭教師で習うこととは違った驚きがある。エシェルも楽しみにしていいよ。
僕は生徒会の役員になったんだ。生徒会は思っていたようなところではなかった。
生徒同士のトラブルの仲裁場所であり、王族を中心とした小さな王宮のようだ。
秋になれば、生徒会主催の剣術大会があるらしい。僕も出場するつもりだが、予選を通過した選手の本大会は、外部の人間も見学に来れるらしい。
王太子殿下から婚約者の話がでたことはない。父上からの情報以上のものは、探れないのが実情だ。
夏の休暇には帰るから、湖畔にピクニックに行こう。
アイリス』
アイリスからの手紙は、学院生活が順調なようで、エシェルも安心をした。
王太子殿下。
その言葉を聞いても、もう心は動かされない。
自分の名前を騙り父の娘としてユーラニア伯爵令嬢として暮らしていることも、王太子殿下がその娘と婚約していることも、現実として慣れた。
たった一度会っただけの王太子殿下だ。あちらも、それほどの想いではなかった、という事だとエシェルは思っている。
「姉上」
ノックもなしに扉が開いて、ダミーがエシェルの部屋に入って来る。
毎日同じ時間に、お茶に誘いに来るのだ。
「母上が待っているよ。今日はジェシーも一緒だよ」
ダミーの後ろから、ジェシーが舌をだしながら顔を出す。老犬でも元気なジェシーは、アイリスがいなくなってダミーに引っ付いている。
「すぐに行くわ」
アイリスの手紙を引き出しにしまい、エシェルはダミーの手を取る。
血の繋がりはないが、ダミーの存在は家族の絆を強めた。無条件にエシェルを姉上と呼ぶダミーが可愛くってしかたない。
「ジェシーが、噛んだボロボロのボールをベッドの下に隠してたんだよ。チェルシーが見つけて怒ってた」
チェルシーはランボルグ家の使用人である。ダミーの話によく出て来る。
ダミーは、それでね、と話を続けながら歩く。エシェルとダミーの手は繋がれたままだ。
ユーラニア伯爵領で母のロクサーヌと暮らしていた時よりも、幸せを感じる。
時々、復讐をして、この幸せを壊してしまったらと怖くなる。
このままでいいのでは、と思う気持ちがあるのは否めない。
けれど、父は絶対に許さない。
殺された痛みを忘れることはない。
レオルド・ユーラニア伯爵は、領地にいた娘の事など忘れているだろう。その娘に全てを奪われたら、絶望に苦しむだろうか。
最初は生きる目的だったけど、今はわからない。
父と父の家族に復讐を果たした後も、生きていたい。ランボルグ侯爵家の家族として暮らしたい。
ユーラニア伯爵令嬢として生きた6年よりも長い時間、ランボルグ侯爵令嬢として暮らしている。
ワンワン。ルミナスの姿を見つけたジェシーが吠えながら走り出した。
ルミナスに飛びつくように、すり寄っている。
「ジェシー、お茶があるから待って」
ルミナスが言うもジェシーに分かるはずもなく、テーブルの上の菓子に舌を伸ばして、菓子をかすめ取ろうとする。
侍女達が慌て、テーブルの端から菓子を遠ざける。
「姉上、ジェシーまたやってるよ。
毎回、母上に怒られるのにね」
あはは、と声を立ててダミーがジェシーを指さす。
そうよね、とエシェルが返事すれば、エシェルの手を握るダミーの手に力が入る。
中途半端なユーラニア伯爵家の娘から、完全なランボルグ侯爵家の娘になりたい。
だから、ユーラニア伯爵家は潰さねばならない。
あの男が執着したユーラニア伯爵家などいらない。
ユーラニア伯爵領の農地の多くが湿地帯になり、領民は半数に減ったと聞いている。
レオルドは資金を得る為に躍起になっていて、そこをマルクが残りの資産を奪う仕掛けをかけている。
マルクもアイリスも、エシェルのために動いている。
毒を盛られた時に、レオルドの横にいたのが妻を騙る女なのだろう。
妻と娘、どうしたら絶望するだろう?
エシェルが微笑むのを、ダミーが見ていた。
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