王太子襲名
王宮では、王が公務不能になったため王位を退き、王太子が王になる即位式が行われていた。
厳かな式典で新しい王が誕生し、次は王太子の任命の儀である。
多くの貴族が出席し、ランボルグ侯爵夫妻も列席をしてる。
「お待たせしました」
エシェル・ユーラニア伯爵令嬢が扉の前に立つギルモンドの腕を取ろうとするのを、ギルモンドは振り払った。
「君を呼んだ覚えはないが?」
ギルモンドは蔑むような眼で、エシェル・ユーラニア伯爵令嬢を見る。
本物のエシェルの生死がわからない今、ユーラニア伯爵を刺激することは避けるべきだと分かっていても、ユーラニア伯爵とその妻、娘と名乗る人間を憎まずにはおられない。
隠そうとしても、気持ちを抑えるので精一杯だ。
ユーラニア伯爵家を乗っ取り、エシェルとロクサーヌ夫人の名前を奪い取った。
「王妃様が手配してくださったのです。婚約者として一緒に入場するように言われました」
エシェルが嬉しそうに振り払われた手を延ばすのを、さらにギルモンドが身をかわして遠ざける。
ギルモンドの衣装に合わせた色のエシェルのドレス。王妃が情報を与えたのであろう。
まだ子供と言っても、重要な儀式に着用する正式な衣装である。
これで揃って儀式に出れば、誰の目にも王太子と婚約者と認められる。
「ああ、君達はこうやって奪い取ったのか。
同じようにいくとは思うなよ。付いてこないでくれたまえ」
ギルモンドはエシェル・ユーラニアを振り返りもせず、開けられた扉を進む。
「王太子、ギルモンド・ブルーゲルス殿下」
式次第に呼ばれ、ギルモンドは広間の中央を進む。
広間に並ぶ貴族の中のランボルグ侯爵がエシェルを保護しているとも知らず、ギルモンドは通り過ぎる。
マルク・ランボルグも、エシェルとギルモンドが知り合いだと知っていれば、侯爵という地位をつかって連絡を取ったであろう。
ギルモンドは一人、王太子として歩む。
エシェル・ユーラニア、その名は婚約者の名前、きっと君を助け出す。
王太子になれば騎士団を動かす権力もあるが、子供の今では無理だ。早く、公務も出来るように身に付けねばならない。
あいつらから、君の名前を取り戻すんだ。
マルクは居並ぶ貴族の中で、ユーラニア伯爵夫妻を見ていた。
何度も夜会で会ったことがある夫妻である。
だが、今は違う目で見ている。
「あれが、ユーラニア伯爵夫妻だ」
横にいるルミナスに教える。
ルミナスは周りに分からないように、覗き見ながら顔を覚える。
マルクからユーラニア伯爵領の水害を聞いているルミナスは、ユーラニア伯爵夫人の豪華なドレスに目をやる。
富裕なユーラニア伯爵であるが、これから富は急激に減ると思いもしないのだろう。水害は一時的な事と考えているのかもしれない。
エシェルと母親を捨てた報復を受けるがいい。
あんなに可愛いエシェルは、もう私の娘よ。
ふん、と心の中でふんぞり返ってルミナスは笑顔を浮かべた。
「貴女の考えが、手に取るようにわかるよ」
マルクが笑いを殺してルミナスに囁くと、ルミナスの肩がピクンと揺れる。
「私も同じ考えだからね。盗られた名前を取り戻す」
何もないように前を向きながらマルクが言えば、ルミナスは応えるようにマルクの腕に絡めた手に力を込めた。
夜のユーラニア伯爵邸では、伯爵夫人が憤っていた。
「エシェルが、王太子に置き去りにされたのよ!
王家から申し込んで来た婚約なのよ。
あの子はショックで、部屋で泣いているわ。可哀そうに」
レオルドは夫人の手を取って落ち着かす。
「ユーラニア伯爵家は今まで国の要職に就いていないのが不思議なぐらい、富裕で重要な領地のある家だ。だからこそ、婚約の申し込みがあったのだ。
王太子もすぐに分かるさ」
「ええ、そうね。エシェルはきっと王太子殿下に気に入られるわ」
3年前からユーラニア伯爵邸に住んでいる6歳のエシェルは、昔の名前など憶えていない。
生まれた時から伯爵令嬢のエシェルだと思っているし、レオルドも母親もそう扱っている。
エシェル自身は、王太子の婚約者のエシェル・ユーラニア伯爵令嬢は自分の事だと疑いもしないのだ。
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