エシェルの一歩
深夜の廊下に子供の影が動いた。
そっと扉を開けたのはアイリス、開けたのはエシェルの部屋だ。
「やっぱり、泣いていると思ったんだ」
ベッドに近寄ると、布団をそっとめくる。身体を丸め、声を殺して泣くエシェルにそっと手を置いた。
「大丈夫、一緒にいるから、もう怖くないよ」
昼間は元気にしているエシェルは、夜になると殺された恐怖を思い出して泣いていた。
「たくさんお勉強して、お母様を殺した人たちに復讐したいのに、怖いの。
こんな私はダメなの」
泣き止もうとしても、自分ではどうしようもなかった。
痛かった、苦しかった、悲しかった。
領地に来る父親は優しかった。
どうして? お父様。
どうして助けてくれないの、聖獣様。
どうしたら、お父様にこの痛みを返せるの?
「いいんだよ、エシェル。今は何も出来ないけど、これから力を手に入れるんだ。ずっと一緒だよ」
アイリスはエシェルのベッドに潜り込み抱きしめた。
お互いの体温が伝わって、エシェルが落ち着いてくる。
「何をしたらいいのか、わからないの」
「僕もだよ。だから、全部しようよ。勉強も訓練も」
毎夜、アイリスはエシェルを抱きしめて寝かせる。少し話していると、エシェルは眠りに落ちていく。
自分より小さな女の子。
森で見つけた時は、今にも消えそうなぐらい弱々しかった。
自分が守るべき妹。
エシェルの母親の仇を打つには、どうしたらいいのだろう。それはアイリスにもわからない。
子供だから力がないのなら、力のある大人になればいい。
そうして、アイリスも寝息をたてる。
「アイリス様、エシェル様、お時間ですよ」
エシェルを起こしに来た侍女は見慣れた光景に驚きもせず、アイリスも起こす。
服を着替え、食堂に行く。
前を歩くアイリスは、エシェルの手を繫いだままである。
二人の可愛い姿は侯爵家の使用人達の間で癒しとなり、ランボルグ侯爵夫人の連れ子であっても、ランボルグ侯爵家の子供として大事にされる。
食堂の扉をメイドが開けると、すでにマイクとルミナスが着席して待っていた。
そして、アイリスの様子を見て、昨夜もエシェルが泣いていたのだと察する。
ルミナスがエシェルの為に、ユーラニア伯爵領で食される料理も用意させている。
エシェルの母親のロクサーヌは身体が弱く、部屋で少量の食事をすることが多かった。
だから、家族全員が毎回揃うのは、エシェルにとっては恥ずかしくもあり、嬉しくもある楽しいものだ。
マルクも最初の妻を亡くしてからは、一人で食事をしていたので、ルミナスだけでなく、子供が二人も一緒にいるのは屋敷が明るくなったようで気に入っている。
いつか二人が、父親と認めて呼んでくれないかと期待をしている。
「この前言っていた、ピアノの教師を手配した。二人ともいいかな?」
マイクは、貴族の教養としてアイリスとエシェルにピアノを練習させるために教師を手配していた。
「まぁ、家族で楽器を弾くなんてステキだわ。音楽会を開きましょう」
ルミナスがエシェルの口元をナプキンで拭いてあげる。
女の子が欲しかったルミナスは、エシェルが可愛くてしかたない。
エシェルは、ユーラニア伯爵領で読み書きは勉強したけれど、本格的な勉強はランボルグ侯爵家に来てからである。
知らないことを知るのは楽しい。
知識も教養も父親以上になる為には、たくさん学ばねばならないと分かっている。
父親以上の人間になるのだ、けれどあんな人間にはならないと胸に誓い、エシェルは朝食をすすめる。
エシェルにとって、父親への復讐が生きる希望なのである。
読んでくださり、ありがとうございました。