聖獣の誓い
前作から、ずいぶんゆっくりしてしまいました。
エシェルとギルモンドの恋を中心に、エシェルが自分の立場を取り戻すのを書いていきたいと思います。
楽しんでくだされば、嬉しいです。
王都にある白亜の大聖堂は、10年に一度の聖祭の前日であわただしかった。
花で飾られ、聖獣の像が蔵から出されて磨かれていた。
だが、大司教が管理する最奥は静まり返っていた。いつもは聖職者が行き交うのだが、この日は大司教と限られた者だけが出入りを許されていた。
大司教と枢機卿の3名、そして王家からは王と王太子が集まり、10年に一度の聖獣の降臨の儀式に望むのだ。
聖獣は自然災害から国を護る為に10年に一度、降臨をする。この何百年、ブルーゲルス王国は甚大な自然災害は起きていない。干害、水害、風害等がないわけではないが、近隣諸国に比べると規模は小さい。
必ず成功させなばならない儀式であるのだ。
聖獣が降臨するのは僅かな時間だが、それを祝って翌日が聖祭となるのだ。
人々には建国の地に降り立った聖獣を祝う祭りとしか認識されておらず、本物の聖獣が降臨するのを知らされることはない。
聖獣の機嫌を損なわない為に秘儀とされ、関係者のみに代々受け継がれていく。
10年に一度だけ開かれる最奥にある秘密の聖堂には、かぐわしい香が焚かれ、ステンドグラスを通して陽の光が射し込む。
大司教と3名の枢機卿、王と王太子、そして今回は8歳になる王太子の嫡男ギルモンドと6歳の次男フランクも臨席している。
枢機卿のうち2名と二人の王子は初めての臨席である。
祭壇の手前には美しい女性が小さな娘の手を引いて立っている。
ロクサーヌ・ユーラニア女伯爵と娘のエシェルである。
ユーラニア伯爵の祖先が傷ついた聖獣を救うために自分の血を分け与えたと伝承があり、10年に一度、聖獣はユーラニア伯爵家の直系の歌に呼ばれて姿を現すのだ。
ロクサーヌは娘に秘儀を教える為に連れて来たのだ。そうやってユーラニア伯爵家は第一子に秘儀を受け継いできた。
ユーラニア伯爵家こそ、王家が守る家である。
ロクサーヌは身体が弱く、幼い頃から空気の良い領地で過ごしている。それでも10年に一度の聖祭には儀式の為に王都に来る。
婿をとり、伯爵家を継いで娘をもうけたのだ。
静かにロクサーヌが歌い始める。それは聞いたことのない言葉で紡がれた歌。
ふわりとロクサーヌの銀の髪が舞い、青い瞳が銀色に輝く。
その姿を初めて見る娘のエシェルと二人の枢機卿、ギルモンド王子は驚きで目を見開くが、歌の邪魔をしないように声は抑える。
やがて、ロクサーヌの隣にいるエシェルの母親譲りの銀の髪が、風のない聖堂の中で舞い始める。
初めて聞くのに、エシェルが母親に合わせて歌い始める。それはエシェル自身もどうしてかわからないが、知っているのだ。
エシェルの瞳も銀色に輝き、祭壇の中央に光があふれ出した。
一瞬で聖堂が眩しい光に包まれ、だれもが目を開けていられなくなった。そして次に目を開けた時に、祭壇の中央に聖獣が降臨していた。
「久しいのぅ、ロクサーヌ」
ロクサーヌに話しかけたのは、銀の毛皮に銀の瞳、成人男性の2倍の高さはあろうかという大きさの角のある馬である。だが、その背には銀色に輝く蝙蝠のような翼があり、長い鬣は赤く渦巻いている。
「隣にいるのは、そちの子か?」
ロクサーヌは顔を上げると、聖獣に礼をとる。それをまねてエシェルも膝を曲げる。
それに遅れないように、祭壇を取り囲んでいる大司教、枢機卿、王、王太子、王子が膝を折る。
周りをゆっくり見渡して、「よい、顔を上げよ。立つがいい」聖獣はゆっくり言葉にする。
「はい、娘のエシェル、6歳でございます」
ロクサーヌの答えに空気が緩むのがわかる。
「よい歌であった。エシェル、こちらへ」
聖獣に呼ばれて、エシェルは祭壇の中へ入って行く。不思議に怖いという思いはなかった。
「そこの子供」
聖獣が王子を呼んで、ギルモンドは肩が飛び上がったが「はい」と返事をする。
ユーラニア伯爵家の人間以外に聖獣が声をかけたのは、大司教も王も初めて見た。
「こちらへ」
聖獣に呼ばれて、ギルモンドはエシェルの隣に立つ。
「名は?」
ギルモンドは膝を折って礼をとると「ブルーゲルス王国第一王子ギルモンドでございます」と答えた。
「ほう、震えもしないな。我が恐くないか? 年はいくつだ?」
「8歳です。怖くないと言えば嘘になります」
片膝を折り片手を地につけ、騎士の礼をするギルモンドはすでに武術を嗜んでいるのだろう。
「立ちなさい」
聖獣はロクサーヌを見た後に、ギルモンドを見る。
「エシェルを守るのだ」
立ちあがったギルモンドは、瞳に力を込めて聖獣を見つめる。
「はい、必ず!」
頷いた聖獣は頭を下げて、エシェルの頬を優しく撫でる。
「エシェル、手を出しなさい」
エシェルが聖獣の前に手を出すと、聖獣がその角で触り手の甲に小さな傷ができて血が滲み出た。
それを聖獣が舐めると、エシェルの身体が小さく光った。
大きな痛みではないが、驚きでエシェルは動くことも出来ない。
周りの大人達もこんなことは初めてで、どうすればいいか分からないのが実情である。過去の記録を見ても、聖獣は降臨したあと、ユーラニアの人間に言葉をかけたら『次の時までこの地を守ろう』と言葉を残して消えるのだ。
「エシェル、我の加護を与えた。一度だけお前の命を守るであろう。ギルモンド」
聖獣が呼ぶと、ギルモンドは金縛りから溶けたように、言葉に詰まった返事をする。
「そちにも加護を与える。エシェルの血が止まる前に舐めなさい。一度だけ、そちの命を守るであろう」
ギルモンドは人間の血を舐めるのを一瞬躊躇したものの、エシェルの前に片膝をつき、エシェルの手を取り血を舐めた。
エシェルの身体から光が消え、エシェルとギルモンドが見つめ合う形になった。
「私、ギルモンド・ブルーゲルスはエシェル・ユーラニアの騎士であると誓います」
ギルモンドがエシェルの血の止まった傷口に自分の額を付けて誓いをたてると、また光が現われ、エシェルの傷のある手の甲とギルモンドの額に紋が浮かび上がり、すぐに消えた。
「我とエシェル、ギルモンドの誓約は成された」
聖獣は周りに諭すように言葉をつむぐ。
「北の地に不穏な気配がある。気を付けるがいい」
そして、聖獣は光の欠片となって消えて行った。
読んでくださり、ありがとうございました。