「突然ですが、この世界を乙女ゲームに改変しました!」と宣言された
普段は長編をちまちま書いてる者ですが、今回は短編初投稿となります。
一応「恋愛」のジャンルに分類しましたが、話の展開的に甘さは控えめな状態となっております。
もしかしたら今後、ジャンルをファンタジーやヒューマンドラマ等に変更するやもしれません。
予めご了承頂ければ、と思います。
「ハンナ、俺との婚約を破棄して欲しい」
強い意思を感じさせる声が、周囲に響き渡った。
婚約者である彼からそう言われ、彼女は何も言えずにスカートを握りしめる。
婚約破棄を突き付けた男の傍らに寄り添うのは、ミルクティーブラウンの髪をした可愛らしい少女。
そんな少女を守るように、男はその華奢な体を抱き寄せる。
まるで、物語のワンシーンのようだと、何も知らない者はそう思うだろう。
………ここが、夜会のパーティ会場であったなら。
「何やってんのよアレックの奴! あんだけ息巻いておきながらコロッとヒロインに堕ちてんじゃない!」
「あぁ……ハンナ様、お可哀想に………」
「ど、どうしましょう……。これでクラスの殆どの男子生徒が堕ちちゃいました………残ったのは三人だけ、です………」
「残り三人!? 一、二週間に一人のペースで堕とされてる計算になりますわよ!?」
彼らが婚約破棄を繰り広げているのは、学園の中庭。ちなみに現在時刻は昼休み頃。
先程の阿鼻叫喚は、その様子を教室から見下ろしていたクラスメートの嘆きである。
一体、何故こんな事になってしまったのか。
事の発端は数ヶ月前、この教室内で起きたとある出来事だった。
魔法大国エッダの王都に建つ、ユグドラシル魔法学園。
創世神話に登場する世界樹の名を冠するこの学園には、校舎がふたつ存在する。
王族や上位貴族の令息令嬢、子爵や男爵の子供でも、家名を親から次ぐ事が決まっている嫡男嫡女は主に第一校舎へ通い、
それ以外……下位貴族の次男三男や、平民出身の特待生は第二校舎へと通っている。
ちなみにこの振り分けは権力とか家柄の偉さとか、そういった理由で区切られたものではない。とあるルールによってキチンと分類された結果、必然的にこうなったのだ。
……まぁ、といっても。これだけハッキリと組分けされてしまえば、雰囲気とか空気感とかは自然と違ってきてしまう。
結果、第一校舎は貴族特有の勢力争いや腹の探り合いが日常に。第二校舎に通う彼等はそんな事とは無縁の青春満喫学園生活を送っていた。
そんな、ある日。
「はーい、皆さん注目ー! 突然ですが、この世界を乙女ゲームに改変しました!
明日からヒロインが来るので、男子生徒の皆さんは頑張って攻略されて下さいね〜!」
パッと、嘘みたいに突然教室に現れた女に、そう宣言されたのだ。
「「「「「はぁ!?!?」」」」」」
クラスメート全員の声を合わせた大合唱。
乙女ゲーム? ヒロイン?? 一体どういうこと??? というか、まずこの女は誰!?
「うんうん、皆さんナイスリアクションですね! それでこそ、ヒロインも落とし甲斐があると言うものです!
ロカちゃん大変気分が良いので、今なら質問に何でも答えてあげましょう!」
きゃは!とハイテンションな笑みを漏らす女。
その顔立ちは大変美しく整ってはいるのだが、如何せん見た目がどう見ても二十代後半と成熟した大人の女性なので、その少女のような立ち振る舞いはどこか痛いものがある。
「と、とりあえず……ロカ、というのが貴女の名前ということで良いのか?」
この微妙に白けた雰囲気を打ち破るように、クラス委員長であるアレックが言葉を発した。
率先して突っ込むその姿に、クラスの皆が心の中で拍手を送る。
さすが委員長。マジ勇者。いつもクラスの雑務を押し付けられてるだけはあるな。
「はい、ロカちゃんです。あぁ、ちなみに未婚ですので、ミセスとは呼ばないように!」
「……ミス・ロカ。貴女は一体何者だ? 乙女ゲームとは、一体何だ?」
「えっ、知らないんですか乙女ゲーム。今やどこもかしこも悪役令嬢、婚約破棄、国外追放が満ち溢れているというのに!?」
一体、どこの世界の話なのか。
少なくとも、彼等の身近にそんな物は溢れてねぇのである。
「そりゃあ私達“管理者”の間で、ですよ。なので私が管理する世界も、ひとつぐらい乙女ゲームにしちゃおうと思いまして。
厳正なる選考の結果、この世界が選ばれました!おめでとうございまーす!!」
ぱちぱちぱち。拍手しながら一人で話を膨らませていくロカの様子に、委員長はこめかみを押さえる。
「……よく分からないが。つまり、貴女がこの世界を乙女ゲームにする、と。そうしたら一体どうなる?」
「どうなるもこうなるも。ヒロインが来て、男子生徒と恋愛するに決まってるじゃないですかー。
あ、攻略対象はこのクラスの男子“全員”です。婚約者がいようと彼女持ちだろうと関係なくヒロインと恋愛してもらいますから、安心して下さいねー」
……………………………………、
「「「「「はぁ!?!?!?」」」」」」
二度目の大合唱。クラス全員の大声が響き渡る。
「いや何言ってんスか! 俺もう彼女いるんスけど!!」
「僕も婚約者が同クラスにいるんだが!?」
「自分も!」「ワイも!」「拙者も!」「おいどんもでごわす!」と男子生徒が次々に抗議の声を上げていく。
第二校舎でアオハル満喫中である彼等だが、一応これでも貴族の出身だ。幼い頃から婚約を結んでる人もいれば、学園内で運命の人と出会った人もいる。
そんな相手がいるのに、何故わざわざ顔も知らないヒロインとやらに靡かなくてはいけないのか。
「え? だってほら、仲間外れって可哀想じゃないですかぁ。今ってそういうのシビアですし……ホラ、平等っていうかぁ、複数の恋人を作る事を容認するのも多様性じゃないですか。何ですか皆さん、差別主義者ですか」
「お前が一番危ない発言してるんスよ!」
「自分正しい事言ってる感出してるつもりかもしれんけど、それ要はただの浮気の教唆だからな!!」
「多様性って言うんなら俺達の純愛も尊重しろや!!!」
男子生徒達、全力のブーイング。
だが、ロカはそれを涼やかに受け流す。オーディエンス盛り上がってるなぁ、程度の感想である。
「では、私はこれで〜」と手を振りながら、ロカは現れた時と同じように忽然と姿を消した。
「……………………」
たっぷり、数秒間の沈黙。
不審者がいなくなった事を確認したクラスメート達は、一斉に立ち上がると輪を描くように一箇所に集合した。
誰も声を上げる事なく、なのに素早くスムーズに、である。何という以心伝心。この数分で、クラスの心がひとつになりまくりである。もし今日が体育祭だったなら、総合優勝間違いなしだろう。
「………で、どう思う、皆」
司会進行役こと委員長のアレックが、クラスメート達の顔を見回す。
「どう思う、と言われましても………」
「つーかさ、そもそもあの女の言う事は本当なワケー? デタラメ言った可能性もあるんじゃねーの」
紫色の髪を揺らしながら、長身の男子生徒が気怠げに挙手する。子爵家の次男であるサイレナだ。
「うーん、どうっスかね……。でも何となくっスけど、嘘とは思えなかったっス」
「右に同じ。個人的に、あの女が言った事はマジだと思うぜ」
平民訛りの喋り方でそう発言したのは、辺境伯の庶子であるジョル。彼の言葉に賛成の意を示したのは、極東の島国ヤマトからの留学生ショウマだった。
「えー? 何でー?」
「具体的な根拠は無ぇよ。ただ、自国で遭遇した神妖とロカって奴の雰囲気が似てたってだけだ。少なくとも人間じゃねぇぞ、あの女。
つーか、女を象ってるだけの何か、の可能性もある」
彼がいたヤマトは、八百万の神がおわす国、と言われる程に神秘に満ちた場所だ。
そんな国で生まれ育ったショウマは、神や妖のような『人ならざるもの』に対する嗅覚が他生徒よりも鋭いのだろう。
「じゃあ、あのロカって奴の言った事は本当で、明日からヒロインとやらが転校して来て俺達を落としにくるって事か………?」
「オイ巫山戯んなよ! 俺、この前やっと片思いが実ってフェヴリエと婚約結んだばっかだぞ!?」
「俺だって昔からの幼馴染と婚約してるっての! 裏切れる訳ねぇだろ!」
「いいだろ別に幼馴染は負けヒロインって相場が決まってんだから! こちとら長年片思いの高嶺の花系ヒロインだっつの!!」
「俺のサラーサが負けヒロインって言ったかテメェ!!!!」
「ジョルが相手してやれよ。お前の彼女第一校舎なんだし、ちょっとぐらい浮気してもバレねぇだろ」
「それこそ巫山戯んじゃねーっスよ! フロワ以上の女の子なんてこの世に存在しないっス!!」
まさに阿鼻叫喚。会議は踊る、されど進まず。
思い思いの事を口走る男子達。
女子達も、もし自分の婚約者や恋人がヒロインの毒牙に掛かったらどうしようと不安に思う者や、これから訪れるであろう混沌に恐れおののく者、様々な悲鳴が渦巻いている。
それを落ち着かせる為に、委員長はガベルを打ち鳴らすように手を叩いて声を張り上げた。
「とにかくっ! あの女性が言った事を鵜呑みにする訳ではないが、警戒するに越した事は無い。婚約者や恋人がいる男子はなるべくヒロインに近付かないようにしよう。
ドワイト、エリック、フレディ。お前達三人はまだ決まった相手がいなかったな、ヒロインとやらの相手を任せてもいいか」
「了解だ委員長!」
「この非リア三人組に任せとけ!」
「ついに俺にも彼女ができるぜ!」
「………何か、約一名私情が混ざってなかったっスか?」
「いやー、これは三人とも下心バリバリっしょー」
そして、翌日。ロカの言ったとおり彼等のクラスに『レイラ』と名乗る少女が、平民出身の特待生として編入学して来た。
ミルクティーのような色をしたふわふわの髪に、くりっとした水色の瞳。貴族令嬢のような洗礼された美は無いが、小動物のような素朴さは男女問わず庇護欲を掻き立てられる程に可愛らしい。
確かに、物語に登場するヒロインと言っても申し分無い容姿だ。何も知らなければ、新しい学友としてレイラを心から迎え入れる事が出来ただろう。
だが、事前情報を知ってしまった彼らは、それが出来ない。
警戒心を歓迎の笑顔でコーティングしながら、気取られぬようにヒロインの一挙手一投足に注目する。
打ち合わせ通り、ヒロインに接するのは基本的に女子生徒とドワイト、エリック、フレディの自称非リア三人組。婚約者や恋人がいる男子生徒は、なるべく近付かないように。
だが、それも長くは続かなかった。
非リア三人組という防波堤はわずか一ヶ月で崩壊し、ヒロインの魔の手はお相手がいる男子生徒にまで伸び始めた。
勿論、彼らは抵抗した。ずっと片思いしていたから、長年寄り添った幼馴染だから、恋愛感情は無いが自分の家に益をもたらす婚約だから……各自の考えは違うものの、『ヒロインよりも今の相手が大事』という決意は同じだからだ。
なのに、ヒロインであるレイラが近付いて来た瞬間。まるで世界が彼女の後押ししているかのように全てが転がり落ちていった。
偶然隣の席に座ったら。たまたま実践授業でペアになったから。奇遇にも休日にばったり会ってしまって。
そんな些細なキッカケで、男子生徒は一人、また一人と籠絡されていく。
長年の片思いの末にやっと高嶺の花をゲットしたベンジャミンが、いつの間にか自らその花を散らせてしまっていた。
幼馴染は負けヒロイン、という言葉にキレるほど幼馴染を大切にしていたクロードが、気付いたらその言葉を自ら証明してしまっていた。
異常だった。
あれ程までに婚約者を想っていた彼らが、あっさりとヒロインに陥落した事が。男子生徒達の感情がヒロインへ一点集中しすぎている事が。そして、堕ちた彼らがそれを疑問にすら思っていない事が。
勿論、残った男子や女子達も、ただ手をこまねいて見ていた訳ではない。
「他のクラスに救援を要請してみよう。ハンナ、隣クラスの委員長は君の従兄弟だったな。一緒に来てもらえるか?」
「私、先生に相談してみるわ。『転校生が風紀を乱しまくっている』って。これだけ婚約破棄が続出してるんだし、流石に動いてくれるとは思うけれど」
「俺も、第一校舎にいる異母姉さんとフロワに相談してみるっス。二人とも精神魔法専攻っスから、もしヒロインが魅了魔法使ってるなら対策できるかもしれないっスし」
「俺も大使館を通じて、祖国の知り合いに色々聞いてみるわ。人ならざるものがやらかした時の対処法とかな」
彼らは定期的に会議を開き、現状の報告や対策案を出し合い、実行した。
………だが、その殆どは失敗に終わった。
最初の案。他クラスへの救援要請は、ただ単に他クラスにも被害者を出すだけだった。
次の案、教師への相談も同じ。年若い新米教師が生徒に手を出す、という非情にセンシティブな結果に終わった。
思ったよりも事態が深刻である事が判明したのが、三番目の案。ジョルの恋人と異母姉に強力を求め、実際に第二校舎へ足を運んでもらい、ヒロインと彼女に堕ちた男達を見てもらった時だ。
「……うわ、これヤバいね。レイラ、だっけ? あの子特に魔法を使っては無いね、魔力の形跡は全然ないから」
「は!? あれだけ皆が堕とされているのに、っスか!?」
「はい。彼女はただ、普通に話してるだけです。その仕草や立ち振舞を見て自ずと男性が好意を持つだけ、みたいですね」
「うん、魔法を使ってるなら対策できるけど……ごめん、私達じゃ無理かな」
「何というか、魔法とか技巧とは別次元の“何か”が働いてるような……そうとしか思えないような感覚です。こんなの、始めて見ました……」
「もう何て言うか、そういう類の物の怪だろ、あの女」
ショウマの呟きに、誰かが「それな」と頷いた。
精神魔法専攻の二人から完全にお手上げと言われ、彼らは顔を曇らせる。
ロカは『この世界を乙女ゲームに作り変えた』と言った。
乙女ゲーム、という単語の意味がよく分からなかったし、転校してきたヒロインがあまりにもスムーズに男子を堕としていった為、魅了の魔法でも使ってるのではと思っていたが………
……まさか本当に、この世界そのものが、レイラの味方をしているとでもいうのだろうか。
「……とにかく、ひとつだけ分かった事がある」
「な、何です……か?」
「この件は、俺達だけで対処しなきゃいけないって事だ。下手に第一校舎の奴らや実家の父兄を巻き込んでも、いたずらに被害者が増えるだけだろう。
第一校舎にいる王子殿下や公爵令息までがヒロインに堕とされてみろ、あっという間に国が傾くぞ」
「……助けを求めたのが、ジョルの異母姉と彼女で良かったわね。もし男子生徒が来てたら、ヒロインに目を付けられて第一校舎まで被害が及んだかもしれないわ」
その呟きに、クラスメート達は一様に体を震わせた。
希望が見え始めたのは、第四の案。ショウマがコンタクトを取った自国の知り合いから連絡が来た時だった。
流石に本人が国を出る訳にはいかない為、使い魔を飛ばしてくれたらしい。とある日、ショウマが一羽の鳥を連れて登校して来たのだ。
スズメより少し大きいほどの体長。全体に茶色がかった灰色をしているが、頭と尾、翼の部分は黒く染まっている。
鷽と呼ばれる鳥だ。オスの鷽には頬から腹部にかけて赤い模様があるのだが、この鷽にはそれが見られない。おそらくメスの個体なのだろう。
「ショウマさん、その鳥は……?」
「従妹の使い魔だ。俺の式神術と合わせて、遠隔通信の真似事をしてみた。ユメ、聞こえるか」
ショウマの呼び掛けに、鷽はピィと応じるように鳴き、翼を羽ばたかせて教壇まで移動する。
首を傾げるような動きを数度繰り返し、クラスの皆へと向き直ると
『あーあー………うん、感度良好。ショウマ兄、こっちの声はどう?』
小さな嘴の間から、快活な少女の声が聞こえてきた。
聞くに、声の主はショウマの従妹であるユメという少女らしい。
ショウマ自身は陰陽師の家系だが、彼の叔母は神職家に嫁いだらしく、ユメはその娘。幼い頃より修行し続けた為、巫女として神の力を借りる術を扱えるんだとか。
管理者という人ならざるものの所業なら、同じく人知を超えた存在に頼るべきだ。そう思ったショウマは、すぐさま従妹へ手紙を書いた。
従兄からの連絡を受け取ったユメはすぐさま託宣の儀を行い、神託を授かったのだとか。
『と言っても。うちの神様は天邪鬼だから、全部を教えてはくれなかったけど』
「情報があるってだけで十分だ。教えてくれ」
『はーい。えっとまず、乙女ゲームについて。
これはわかり易く言えば物語のこと。学校が演劇とか小説の舞台になって、ショウマ兄達は物語の登場人物になっちゃった、って感じ』
ユメが口にしたのは、あまりにも荒唐無稽な内容。
普段なら「そんな馬鹿な」と笑い飛ばす所だが、既に非日常に巻き込まれた彼らは真剣に耳を傾ける。
『そしてそのジャンルは、ヒロインが色々なイケメンと恋に落ちる恋愛譚。
ただ普通の物語と違って、誰と付き合うかはヒロインの気分次第。一途にたった一人を愛する事もあれば、二股三股する事もあるし、堕とせるだけ堕として逆ハーレム状態になる事もある。
その辺はゲームのストーリー……演劇でいう脚本が分からないから何とも言えないけど』
「そんなおやつ感覚で寝取られる可能性があるとか、たまったもんじゃねぇっスよ」
「寝てから言いなさい」
「ユメ嬢、だったか。一度堕ちてしまった奴らを元に戻す方法はあるのか?」
『うーん、それも何とも。攻略対象と別れる脚本が用意されてるなら可能性はありますけど……可能性は低いかと。
脚本が存在していたとしても、ヒロインがそのイベントを発生させるかどうかは分かりませんし』
暗に望み薄だと言われ、既にヒロインに婚約者や恋人を盗られていた女子生徒が肩を落とした。
フェヴリエは憂うように目を伏せ、サラーサは溢れそうになる涙を必死に抑えている。
「俺からも質問していーい? まだ堕とされてない男子が取れる対策とかあるー?」
『さっきも言いましたけど、乙女ゲームは物語なんです。だから必ず、終劇がある。
ヒロインが無敵なのは、劇の中でだけ。幕が下りてしまえば、脚本という強制力も消滅する。
つまり………エンディングまで、逃げ切ればいいんです』
逃げればいい。初めて提示されたゴール条件に、皆の顔が微かに希望を帯びる。
「ユメ、具体的には何時まで逃げりゃいい?」
『あくまで推測だけど……学園モノ乙女ゲームなら、卒業式でエンディングが王道かなぁ。
他にもバッドエンドとか、上演の途中でも強制的に終わらせる方法もあるよ。個人的にはオススメしないけど』
「何でー?」
『だって、その脚本を発生させるって事は、その分ヒロインに接してストーリーを進める必要がありますから。まだ無事な人が堕とされるリスクの方が大きいですし』
結果、今後の方針は決まった。
男子は全力でヒロインから逃げ切り、女子は全力でヒロインの妨害をする。
絶対に、今の恋人を裏切ったりはしない。
自分の婚約者を、ヒロインの傍に侍る男の一人にするわけにはいかない。
もう自分の恋人は堕とされてしまったけど、これ以上あの女の好きにはさせてたまるか。
彼らは互いの顔を見合い、決意を確かめ合うように強く頷いて────
───そして、話は冒頭へ戻る。
「これより、第……何回だったっスかね? とにかく、ヒロイン対策会議を開始するっスよ!」
教壇に立ったジョルが、声を張り上げた。
いつも会議の司会進行は委員長の役目だったが、彼はもうヒロイン堕ちしてしまった為、代わりにジョルが請け負う事にしたらしい。
普段は、まだヒロインに攻略されてない男子と、クラスの女子生徒全員が参加していたこのクラス会議。
だが現在、教室にいる生徒の数はジョルを含めて五人だけだった。
まだヒロインの魔の手に堕ちてないジョル、サイレナ、ショウマ。そして彼らの婚約者や恋人である二人の女子生徒。
他の女子生徒達は主に、委員長を盗られて意気消沈したハンナを慰めるのに全力を尽くす為、皆で町に繰り出している。
隣クラスの従兄弟に続いて婚約者までヒロインに堕とされたのだ、彼女の心の傷は計り知れないだろう。
「対策会議ねぇ………。もう殺せばよくないかしら? あの女」
「物騒にも程があるっスよ!」
サラリと命を奪う事を提案したのは、サイレナの婚約者である伯爵令嬢のアルム。
サラサラストレートな黒髪に、深緑色の瞳。冷たい雰囲気を纏うその様子は、何となく近寄りがたい印象を覚える。
「だって、このままだとサイレナまであの阿婆擦れの毒牙にかかる可能性があるでしょ?
ならそうなる前にあの女を殺せば、サイレナはとられないし、堕とされた皆は元に戻るしで一石二鳥じゃない?」
「………、確かにそっスね!?」
「流されてんじゃねーよ。ほら、アルムも落ち着いてー。そんな事の為にわざわざアルムの手を汚さなくていーから」
よしよし、と愛しい婚約者に宥められ、アルムはむすっと頬を膨らませる。
一見冷徹なようでいて、彼女はかなりの激情家だ。ヒロインへの苛立ちが溜まっている今、本当に手を出しかねない可能性がある。
「はぁー……………、俺もうアイリス連れて国に帰っていいか?」
「敵前逃亡とか許さねーっスよ! 死ぬ時は一緒っス、俺達が死ぬ時はショウマさんも死ね」
「お前も大概物騒なこと言ってんぞ」
「あ、あの……すみません。私がもっとちゃんと、セレナさんに抗っていれば…………」
しゅん、と肩を落とすのは、眼鏡を掛けたピンクブロンド髪の女子生徒。
彼女の名前はアイリス。平民出身の特待生であり、ショウマの発言から察せる通り彼の恋人でもある。
アイリスは、人の感情を色として見る事ができる特別な……いわゆる魔眼と呼ばれる瞳を持っているのだが、それ故に乙女ゲームのシステムの一部にされてしまったらしい。
ユメ曰く『攻略対象の好感度を確認する為の友人キャラ』という存在に当てはめられた、との事だ。
アイリスがどんなに拒んでも、ヒロインであるレイラに声を掛けられれば、その口が勝手に喋って情報を流してしまう。
まるでクラスの裏切り者になった気分だ。元々控えめで気弱な性格である彼女は、後ろめたさをヒシヒシと感じていた。
「別に、アイリスのせいじゃねぇよ。物語の強制力に登場人物はどうやっても抗えない、ユメもそう言ってたろ」
「ええ、気にしないでいいわ。むしろある意味一番の被害者でしょ、アイリスは」
アイリスの瞳は、使用すると脳に多大な負担がかかる。魔眼は持ち主の意思に関わらず自動で発動し、周囲の人間の感情を無差別に読み取ってしまうのだ。
具体的に言うと、魔眼を発動した瞬間、眼の前の景色がいきなりサイケデリックな色彩に埋め尽くされ、乗り物酔いを数十倍酷くしたような感覚に襲われる。
その為、普段は眼鏡型の魔道具で力を封印していたのだが、レイラが来てからは毎日のように好感度確認で魔眼を使わされ、アイリスは体調不良が延々と続いていた。
ショウマが『アイリスを連れて国に帰りたい』と言ったのも、彼女の体調を思っての事である。
自分の意思とは関係無く無理矢理不貞を侵されそうになるのに加え、大切な恋人に負担を強いているヒロインに対して、ショウマは強い苛立ちを感じていた。
留学生という立場上、ヘタな事をすれば国際問題になってしまう為に謹んでいたが、もし許されるなら先程のアルムの提案に諸手を挙げて賛成してただろう。
「……にしても、困ったな。今が十二月の半ばと考えると、卒業式まであと三ヶ月だろ?
俺とサイレナとジョルの三人で卒業式まで逃げ切るのは、中々に難しいと思うぞ」
「もう、入院必須レベルの怪我でもさせたらいいんじゃないかしら?」
「相変わらずバイオレンスな発想っスね」
「あ、あの……それならひとつ、思い付いた事があるんです、けど………」
おずおずと、控えめにアイリスが手を挙げる。
「その……レイラさんってこの前の実技試験に参加してなかったですよね。ユメちゃん曰く、恋愛イベントを起こしてたから、って理由で」
アイリスの言う通り、レイラは先日行われた期末の魔法実技試験に参加していなかった。何でも当日、乗り合い馬車の事故があっただか何だかで通学出来なかったとの事だ。
そして偶然にも、同じ馬車の事故で遅刻となってしまった委員長のアレックと、街中を遊び歩き……いわゆるデートをしていたらしく、ハンナが涙を堪えながら試験を受けていたのは記憶に新しい。すごく、可哀想だった。
寝坊等ではなく完全に不可抗力の遅刻である為、学園はこれを不問とし、二人は後日改めて追試を受ける事になっている。
「………つまり、追試でヒロインを落として留年、あわよくば退学させよう、ってこと?」
レイラはアイリスと同じく、特待生制度を使っている平民だ。
王都に建つこの学園は門戸がだいぶ広く、平民であっても魔法の腕前が一定あれば特待生として入学が許され、学費の免除が受けられる。
かなり緩い条件で活用できる制度であるが、学園内で定期試験にて一回でも赤点を取ってしまえば、その資格を失う決まりだ。
そして、魔法の実技試験は生徒同士の模擬戦というカタチで行われる。男子は男子と、女子は女子とで行うのが基本である為、ヒロイン堕ちした男がわざと手を抜いたりとか、まだ堕ちて無い三人に魔の手が伸びる心配は無い。
「うーん、でも先生の中でもヒロイン堕ちしてる人が何人かいるっスよね? 退学しそうになったら権限とか使って捻じ曲げたりしないっスか?」
「レイラさんに堕とされた先生達は皆、新米の若い先生ばかりですから……そこまでの力は無い、と思います。
もし堕ちている先生方がレイラさんを庇ったなら、その時は校舎長様に直訴すれば大丈夫、かと」
魔法大国であるエッダは、他の国と比べて実力主義の色が強い。
魔法の腕や業務処理能力が高ければ、女性だろうが爵位を持たなかろうが上の役職に就く事ができる。実際、今の第二校舎長は平民出身の女性だ。
女性であるなら、ヒロインに陥落される心配は無いだろう。堕ちた新米教師達が権力を行使するなら、それよりも強い権限で捻じ伏せてもらえばいい。
「はー……成る程、アイリスって以外と抜け目ないっスよね」
「だろ?」
「二文字でノロケてんじゃねー」
「でも、良いアイデアよ。早速作戦会議をしましょう。
ショウマさん、ハンナ達に帰ってくるように、式神を飛ばしてくれる?」
そして、数日後。魔法の授業にて。
「えー、今期に教えるべきカリキュラムはもう終わってますので今日の授業は自習、ついでに先日の試験を行えなかったアレック君とレイラさんの追試を行います。
二人共、模擬戦の相手を指名して下さい」
教壇に立ってそう告げたのは、第二の案を実行した際ヒロインに堕とされた新米教師だ。
明らかに生徒への親愛以上の何かが込められた視線をレイラに向けているが、当の本人はそれを当たり前のように受け流しながら「うーんとぉ……」と首を傾げている。
キャンディを口の中で転がしたような甘ったるい声と、きゅっと握った手を口元に当てるあざといポーズの合わせ技。
ヒロイン堕ちした男達はその仕草に「可愛い」「最高」と胸をときめかせ、まだ陥落してない三人は「あざとすぎねぇか」「ぶりっ子が過ぎてねーかなぁ」「フロワの方が何倍も可愛いっスね」と冷静な感想だ。
女子生徒達は、見事な貴族笑顔の下に激情をフツフツと滾らせながら、ヒロインからのご指名を待っていた。
私を選べ。いや、私がこいつに引導を渡す。ここまでクラスを目茶苦茶にして、生きて帰れると思うなよ。お好きに選びなさい、その方が貴女にとっての死神でしてよ。
と、戦争を前にした兵士もかくやとばかりのやる気であり、殺る気である。彼女達の殺意の色があまりにも濃くて封印を貫通したのか、アイリスが頭痛を堪えるようにこめかみを押さえた。
「うん、決めたぁ。アルムさん、お願いできますかぁ?」
「えぇ、構わないわ」
首を傾げるながら上目遣いでこちらを見てくるレイラに、アルムはいつも通りの無表情で頷く。
勿論、そのポーカーフェイスの下には肌を刺すような殺気が込められているのだが、レイラや陥落した男どもは気付いてないようだ。
「じゃあ俺は……ジョル、頼めるか」
「ん、いいっスよー」
追試の二人が相手を決めたのを確認して、教師はゆっくりと頷く。
「では、模擬戦を行う人達は触媒を提出して下さい」
触媒というのは、魔法を使う為に必要不可欠な物。魔力を水、術者の体を貯水タンクとするなら、触媒は水を使う為のインフラ……水道管や蛇口に当たる存在だ。
簡単に言えば、魔導士の杖のようなもの。いくら膨大な魔力を持つ人でも、これが無ければ魔法を紡ぐ事は難しい。
そんな触媒には大きく分けて、『親から継承された物』と『自己にて発現した独自の物』の二種類がある。
前者は言わずもがな。貴族家は公爵家だろうと男爵家だろうと最低ひとつは家宝とも言える触媒を有しており、代々受け継がれている。
男爵家や子爵家はひとつの触媒を嫡男嫡女が継ぐ事が殆どだが、王族や高位貴族は複数の触媒を有している事が多く、産まれた子供全員に継承させる事も珍しくない。
後者は、継承する触媒が無かった下位貴族の第二子や第三子、平民によく見られる。前者は家の権威を示すような装飾華美な杖や剣、アクセサリーが多いが、こちらは術者の愛用品や身近な物、又は術者の性格や過去に関連した物が触媒として発現する事が多く、多種多様だ。
以前、第一校舎と第二校舎に通う生徒はとあるルールで分けられていると言ったが、それがこれだ。
継承組が第一、自己発現組が第二と、触媒の特性で区分けされている。
区分けする理由は、言ってしまえば使える魔法の差だ。先祖より継承され続けた触媒は長い年月をかけて改良・最適化されており、火や水や土などの基本属性魔法を操るのに長けている。
逆に、自己発現した触媒は属性魔法が苦手な代わりに、触媒となった物自体の特性に特化した魔法に優れる傾向にあるのだ。
例えば、ジョル。彼は庶子でありながらその見目麗しさから辺境伯家に迎え入れられた過去があり、そんな彼が発現した触媒は容姿を示す道具である『鏡』だ。
鏡は何かを写す道具である為、自発的に火や水を出す魔法は苦手だが、相手の魔法を模倣したり、跳ね返したりする魔法に関しては、第一校舎の生徒どころか教師よりも優れているだろう。
そんな風に、自己発現した触媒にて紡がれる魔法は非情にピーキーで、一人一人独自のカリキュラムが必要となる。だが、そちらに気を取られすぎて継承組の教育がおざなりになってはいけない……そんな理由で、校舎がふたつに分けられたのだ。
閑話休題。
「触媒をこちらへ。不正が行われてないか、検査を行います」
「はぁい」
「………………」
教師に促され、レイラは髪に結ばれていた白いリボンをしゅるりと解き、教卓の上へと置く。
アルムも無言のまま、手の平程の大きさをしたジュエリーケースを取り出した。
「検査が終わり次第、模擬戦を行います。各自準備を整え、男子は表側の、女子は裏側の実践場へ各自習合して下さい」
「よしよし、作戦通りね。あとはこれを………」
鼻歌でも歌い出しそうなほどにご機嫌な様子で、レイラは廊下を歩いていく。
実践場に向かう途中『ちょっと緊張して来ちゃった……お花摘みに行ってくるね』という口実で男子生徒達と別れたレイラの手には、彼女の小さな掌でも握って隠せるぐらいの小さな小瓶。
その中身は、触媒の機能を一時的に底上げする霊薬である。特に副作用や悪影響は無いので戦争や魔物討伐の際には使用が推奨される物だが、ある種のドーピングアイテムであるため公的な試験での使用は勿論禁止である。
「これでサイレナ君もほぼ攻略完了ね。なぁんだ、ヒロインって簡単じゃない!」
ふふん、と自慢気に笑うレイラの脳裏に思い浮かぶのは、数ヶ月前。この学園に編入する前日に起きた出来事。
『はーい、注目ー! 突然ですが、この世界を乙女ゲームに改変しました!
明日から貴女はヒロインですので、頑張って攻略対象を堕としてって下さいね〜!』
憧れの魔法学園へ通える、と自室のベッド上でソワソワしていた時。突然現れた女の人に、そんな事を言われたのだ。
『ひ、ヒロイン……? って、まず貴女は何!?』
『この世界の管理者ですよ。簡単に言えば、明日からの学園生活は貴女が主役の恋愛劇! あの貴族令息も、気になるクラスのヒーローも、みーんな貴女に夢中!って訳です』
そう笑う管理者の言葉に、レイラは目を輝かせた。
学園には、王族をはじめとした貴族の令息が沢山いる。将来有望でイケメンな令息達と恋に落ちる……なんて多くの女の子が一度は夢見る事だろう。
『おっ、どうやらノリノリな様子でロカちゃん嬉しいです。よーし、ロカちゃんサービスしてこれもあげちゃうぞー』
『何これ? 本?』
『はい、いわゆるゲーム内ヒントやTipsと呼ばれる物です! 男をメロメロにする為のアドバイス、だと思って下さい。
キャラ一人に対してページ一枚。貴女が攻略対象を堕とす度、ページが増えて隣クラスの男子や先生や第一校舎生徒の情報がアンロックされていきます!』
あぁでも、とロカの声が僅かに低くなる。
『気を付けて下さいね? その本のページを埋めていくという事は、その度に貴女が人のモノを盗った証が増えていくという事です。
撃っていいのは撃たれる覚悟が何とやら。その分、バッドエンド発生確率が増えていきますから』
ロカの言葉を聞き流しながら、レイラは受け取った本をパラパラと読み流す。
そこにはページごとに割り振られた番号と、「土曜日に魔道具屋『ネコの眼』で偶然出会う」「放課後の図書室で二人きりで過ごす」など箇条書きの文が記されていた。
『ここに書かれている事をすれば、男子生徒と恋仲になれるってこと?』
『はい。最初に見れるのは、貴女と同じクラスの男子だけですね。…あ! それと、ただ単にヒントを渡すのもつまらないので、どのページがどのキャラに対応するのかはナイショです。
レイラさん自身が考えて、どのページに誰が該当するか推理してみて下さいねー?』
そう言ってロカは姿を消し、レイラは授かった本を胸に抱いて学園へと編入した。
非リア三人組を片手間に堕としながらレイラはTipsを読み込み、クラスメート達を丸一ヶ月かけて観察。どのページに誰の事が書かれているのかある程度の見込みを付け、攻略を開示していった。
堕とした人数が片手で数え切れなくなった頃、本のページが増えている事に気付いた。増えたページには小さな文字で『クラスメートを◯人攻略すると情報開示』『クラスメート∶○○を攻略すると情報開示』と書かれている。
成る程、これがロカの言っていたアンロックとやらか。そう納得しながら、レイラは都度本を読み込み学園生活を続けていく。
新たなページは隣クラスや教師に対応したものらしく、彼等を攻略するとまた新しい攻略対象の情報が開示され……。まるで次々とピースが当てはまっていくパズルのようだった。
そんな調子で男達を次々と籠絡していって、現在。
クラスの中でまだ攻略できてないのは、ジョル、サイレナ、ショウマの三人。他の情報開示済のページには、もう攻略済のマークが浮かんでいる。
まだ情報開示されていないページには『クラスメートを全て攻略すると情報開示』『クラスメート∶サイレナを攻略すると情報開示』の文字。
つまり、新たな攻略者と巡り合うには、この三人の内誰か一人、もしくは全員を落とす必要がある。
「多分、このページがサイレナ君のページだと思うんだけどなぁー……」
懐から本を取り出し、パラパラとめくる。
ロカが言った通り、この本は男子と仲良くする為の方法が載っているが、どのページに誰の情報が書かれているのかは明記されていない。書かれている文から、該当者を推理する必要がある。
例えば『実家の商店の手伝いをする』という攻略手順が書かれているなら、豪商の息子のページ。『迷子になった弟妹を助ける』なら、弟か妹がいる誰か、とか。
「でも、残りのクラスメートのページを見るに、これがサイレナ君の攻略情報である事に間違いないわね、うん!」
自信満々に頷くレイラ。勿論、ただの当てずっぽうや直感的な物ではなく、彼女なりの根拠があっての言葉だった。
レイラがサイレナの情報が書かれていると思っているページ、そこに最初に記されていた攻略手順は『ライバルキャラの不正を指摘する』だった。
ライバルキャラというのは、攻略対象の恋人や婚約者の事を指す言葉だ。アレックであればハンナ、ベンジャミンであればフェヴリエ、クロードであればサラーサが該当する。
(ジョル君の恋人は第一校舎にいるから、不正を指摘するタイミングが無いもんね。そして……)
パラリ、と本を捲って次のページを見る。先程と同じく、未攻略のクラスメートのページだ。
そこには小さな文字で『注意∶このページに該当する人物の攻略を始めた場合、好感度確認キャラがライバルとなる』『以降、好感度確認が出来なくなる』と注意書きされていた。
(好感度確認キャラはアイリスの事だってロカは言ってた。アイリスはショウマさんの恋人だから、これはショウマさんのページ。
だから、さっきのページはサイレナ君ので確定ね!)
うんうん、と頷いて本を仕舞い、手の中にある霊薬の小瓶に視線を落とす。
試験では使用禁止のドーピング剤。本の通り『ライバルキャラの不正を指摘する』を実行する為に、レイラが考えた策がコレだ。
どうやら、提示された攻略手段とやらは自然発生である必要はなく、ヒロインが意図的に起こしても問題なくイベントが発生するらしい。
例えば、先日攻略されたばかりのクラス委員長であるアレック。彼の攻略手順の中には『馬車の事故にて通学できなくなり、二人で街中デートをする』という文があった。
そう、レイラが追試を受ける理由になった事件。何を隠そう、あれを起こしたのはレイラ自身だ。
触媒であるリボンを馬車の適当な所にくくり付け、魔力を飛ばしてボカンと爆発。その結果、アレックとのデートイベントが発生し、彼を攻略する事ができた。
他の攻略対象の時も何度かイベントを起こす為に強引な手を使ったけれど、特にレイラの仕業だとバレる事はなく、実際に男達はヒロインに完全に籠絡されている。
(うん、だから今回も大丈夫! これでサイレナ君も私のモノね!)
ふふっ、と笑みをこぼしながら教室の扉を開くレイラ。室内には先程の新米教師が一人、教卓の前に立ち何やら作業をしている。
「……おや、レイラさん。どうかしましたか?」
「ちょっと忘れ物しちゃいましてぇ。先生はどうですかぁ? 触媒の検査は終わりましたぁ?」
「えぇ、つつがなく。皆さんズルはしてないようで、安心しました。さぁ追試を始めますよ、レイラさんも実践場に行きましょうか」
その言葉に、レイラは内心舌打ちする。
検査が終わる前に霊薬を使い、あたかもアルムが自らドーピングしたように見せ、それを指摘する。それが彼女の目的だった。だから、教師が検査を終える前にこの薬を仕込みたかったのに。
(でもまぁ、なら模擬戦の最中に指摘すればいっか。そっちの方が言い逃れできないだろうし!)
瞬時に頭の中を切り替え、レイラは「はぁい」と返事する。
「あっ、そうだぁ。さっき薬学の先生が、用事があるって探してましたよぉ。何か急いでる様子でしたし、お話聞きに行った方がいいんじゃないですかぁ?」
「メディ先生が、かい? じゃあちょっと行ってこようかな。レイラさんも、忘れ物を取ったら早く実践場に向かって下さいね」
そう言って、新米教師は教室から出ていく。
本来なら、生徒の触媒を置きっぱなしにしたまま他生徒を残して席を外すなんて事、本来なら有り得ない。だが彼は既にレイラに堕とされていた為、ヒロインに対する警戒心がほぼ皆無になっていた。
教師の足音が遠ざかり、完全に聞こえなくなった事を確認したレイラは教卓へと歩み寄る。
そこに置いてあるのは、よっつの触媒。追試を受けるレイラとアレック、その模擬戦相手であるアルムとジョルの物だ。
その中のひとつに、レイラは手を伸ばす。アルムが先程取り出した、片手で包めるぐらいのジュエリーケース。
月を模した伯爵家の紋章が刻まれた蓋を開けると、中にはアクセサリーがふたつ入っていた。
ひとつは、上品な宝石があしらわれたペンダント。大粒な宝石は、光の加減や見る角度によって青にも紫にも見える、不思議な色合いをしている。
レイラは知らないが、この宝石はとある国でしか採掘できない、希少性の高い物だ。その輝きを存分に魅せる為に、チェーンは飾りの少なくシンプルな、けれど決して無骨にはならない絶妙な塩梅。一目で品が良い物だと分かる、そんな代物だった。
もうひとつは、紫色のリボンと青い宝石を組み合わせた髪飾り。一見小綺麗に纏められてはいるが、どこか子供っぽいデザイン。使われてる宝石も産出量が多く安価で、平民でも買えるような物だ。
伯爵家の家紋が刻まれた箱に入っている物にしては安っぽすぎるというか、違和感を覚えた。
まるで小さい女の子が、自分のお気に入りを母親の宝石箱の中に忍ばせたような、そんな印象。
「何コレ? こんな安っぽいもんが何でここに?」
ひょい、と髪飾りをつまみ上げ、観察する。見れば見る程に子供染みたデザイン。幼い頃ならともかく、今のアルムが身に着けるとは思えない。
「どう考えてもこっちのネックレスが触媒、よね?」
前述した通り、自己発現した触媒は術者の愛用品や術者の性格、過去に関連した物が選ばれる事が多い。
触媒がどんな物であろうと魔法を使うには問題無いが、貴族社会は見栄えが重要。あまりにも日用品っぽい物が触媒になってしまっては、他の貴族達から嘲笑の的になりかねない。
それを嫌う見栄っ張りな貴族家では、幼い頃より『触媒用の高価な装飾品』を与える事がよくある。愛用品が触媒になるなら、それを親側でコントロールしようということだ。
事実、第二校舎に通う生徒の中にも、第一校舎の生徒達に見劣りしないぐらい立派な触媒を持つ生徒は何人かいる。
そこに置いてあるアレックの触媒も、親から継承されたと言われれば素直に信じてしまいそうな程に上等な杖だ。
アルムの触媒もこんなちゃちな髪飾りではなく、おそらくこちらのネックレスだろう、とレイラは結論付ける。
「そうよね、うん。早くしなきゃ、先生が帰ってきちゃう」
ポイ、と髪飾りを投げ捨てるようにしてジュエリーボックスの中に戻す。ネックレスのチェーン部分に当たったのか、思ったより派手な音が周囲に響いた。
「っ!!」
驚愕に肩を跳ねさせたレイラが、慌てて周囲を確認する。
……何も無い。音に気付いた誰かが来てしまうかもと思ったが、どうやらその心配は無いようだ。ホッと一安心して、ペンダントへと手を伸ばす。
ゆっくりと、慎重に、壊さないように。
この魔法大国において、他人の触媒を意図的に破損したり術者に無断で改造するのは重罪だ。
代々継承される触媒は、それだけで古く価値のある代物だ。建国当初から延々と受け継がれている旧家の触媒は、王都に建つ城よりも高価で希少と言われる。
自ら発現した触媒を害す事もまた、忌むべき行為とされている。日用品のような買い替えが可能である物ならともかく、世界にひとつだけの愛用品が触媒で、それを壊されてしまった場合、下手をすればその人は一生魔法が使えない事になってしまう。
そうなれば、その人はもう魔法に関する職業に就く事ができない。人ひとりの人生を、狂わせてしまう事になるからだ。
しかも、こんな見るからに高そうな宝石を使ったアクセサリー。これを壊して弁償なんてことになったなら、平民であるレイラにはとても払えない額になるだろう。
レイラの手が、緊張に震える。だがそれはあくまで高価な物に対する畏怖と、壊した際に要求される金額の大きさによるもの。
今、自分がしている事に対する罪悪感とか、良心の呵責とか、そういう物では一切なかった。
片手で小瓶の蓋を開け、中身の霊薬をネックレスへと振り掛ける。
その雫が触れた瞬間、ボウ…と淡く、けれどどこか禍々しい光が宝石に灯り、やがて消えていく。
「……よし!これで完了ね。バレない内に早く戻らなきゃ」
ネックレスを慎重にケースの中へ戻し、蓋を閉じる。
これでまた一人イケメンを堕とす事ができた、とニッコニコの笑顔でレイラは足早に去っていく。
……それほどまでに、浮かれていたから。レイラは気付かなかった。
現在教室の窓は閉め切られており、今日は無風であるため扉を開けても壁の掲示物がはためくような事は無い。
にも関わらず、教室から出る瞬間。
ペラリ、と。
まるで、紙がめくれるような音がした事に。
「では、これより魔法実技試験の追試を行います」
屋外である実践場に、教師の声が響き渡った。
ここは、第二校舎の裏側に位置する実践場。教室にて新米教室が言った通り、クラスの女子生徒が集まっている。
どうやら、男子の方は他の教師に採点を頼んだらしい。よく耳を澄ますと、校舎の向こうからワイワイと賑やかな声と魔法をぶっ放す音が聞こえる。どうやら、もう模擬戦を始めているらしい。
「では二人共、準備を」
教師が、二人の触媒を乗せたトレイを差し出す。
レイラは己の触媒である白いリボンを右手首に巻き付けると、実践場の中央へ跳ねるように歩み出た。
アルムもまた、ジュエリーケースを手に取り蓋を開ける。
「………………っ」
その中を見た瞬間、アルムの眉根が僅かに寄った。その動きは些細すぎて、教師や周囲の女子生徒の大半は変化にすら気付かない程の、僅かな差異。
「あの………アルム、さん」
それに気付いたのか、おずおずとアイリスが声を掛けて来る。感情を色として捉える瞳を持つ彼女だが、その封印を外していなくても心の機微を察するのは得意らしい。
「………大丈夫よ。心配しないで」
「でも………」
「あのヒロインの横っ面、ぶん殴ってくるわ。これ持っててくれる?」
なにか言いたげなアイリスの言葉を遮るようにジュエリーケースを渡し、アルムはゆっくりと広場の中央へ歩み出る。
対峙するアルムとレイラ。くりっとした水色の瞳と鋭い深緑の眼、互いの視線が交差する。
「では、魔法実技試験……始め!」
教師が手と声を上げ、戦闘の開始を告げた。
瞬間、レイラは即座に触媒へと魔力を通わせた。手首に巻かれたリボンの先端が、しゅるしゅると生き物のように動き始める。
蛇のようだ、と思った。
二匹の白蛇が襲い来る。アルムはふっ、と軽く息を吐いて呼吸を整えると、思いっきり地面を蹴った。
後ろではなく、前へ。二匹の蛇の間をすり抜けるように躱して、レイラへと接近する。
「はあっ!!」
突き出されたアルムの掌から、魔力の塊が放たれる。
魔弾、ではない。触媒を介さない、ただの魔力だ。
魔法を使うには、触媒が必要不可欠。だが、魔力を体から放つだけなら、触媒を使わなくても可能ではある。
もっともそれは、あまり推奨された行動ではない。いつぞやの魔力=水の例えで言うなら、貯水タンクに直接穴を開けてそのままぶち撒けるようなものだ。
繊細な魔力操作も、効率的な魔力運用もあったものではない。
「きゃあっ!」
わざとらしい程に可愛い悲鳴を上げながら、レイラはリボンを操る。
伸びていたリボンが一瞬で元に戻ったかと思うと、レイラの体を包むようにグルグルと渦を巻く。
結果、アルムの魔力はリボンに容易く弾かれ、レイラの体を傷付ける事なく霧散する。
「ふぅ……アルムさんがいきなり近付いて来たからビックリしちゃったぁ……」
可愛らしく目を潤ませながらも、レイラは頭の中で冷静に思考する。
(もしかして……バレた?)
模擬戦が始まる前。ジュエリーボックスを開けたアルムが眉根を寄せたのは、レイラも気付いていた。
そして、先程の触媒を使わずにただ放つだけの魔力。
もしかしなくても、アルムは自分の触媒に霊薬が仕込まれた事に気付いたのかもしれない、とレイラは考える。
霊薬を使った触媒にて魔法を紡げば、魔力に独特の光が混ざる為、一目で判明する。だから、アルムが魔法を使ったらすぐに指摘してやろうと思ったのに……とレイラは内心舌打ちするも、すぐに「まあいっか」と切り替えた。
(だってこれ、どう転んでも私の勝ちだもの!)
このままでは、アルムは魔法を使えない。触媒を介さず魔力を放つだけでは、いずれジリ貧だろう。
それに耐えきれずアルムが魔法を使えば、その時点で触媒に霊薬が使われてる事が露呈する。
もしアルムが最後まで魔法を使わずにレイラに負けたなら、模擬戦の後で霊薬について指摘すればいい。
どのような展開になっても、『アルムの不正を暴く』という攻略手順の遂行、レイラの目的は達成されるのだ。
思わずニヤけてしまいそうになる顔。自分が圧倒的優位に立っているという事実を確信した瞬間、眼の前に立つアルムが哀れで惨めな物に思えてくる。
捕まえたネズミをいたぶる猫のような嗜虐心が、じわりと滲む。その感情のまま、レイラは再び自分の手首に巻いたリボンへ魔力を通わせた。
しゅるしゅると、再びリボンが動き始める。
「………!」
地を這うリボン。二匹の白蛇が、アルムの足元を疾駆する。
先程よりも速い。予想以上のスピードで迫るそれは、避けようとしたアルムの右足へ絡みついた。
ちっ、と舌打ちを漏らしながら、アルムはすぐさま手を足元に向け、魔力を放つ。
だが所詮は触媒を介さない魔力。魔法未満のそれではリボンの縛めを解く事はできず、その表面を微かに焦がすだけで終わる。
「ふふっ、無理だよぉ。そんな弱い攻撃じゃあ、絶対に解けないもんっ」
語尾に音符でも付きそうなご機嫌さとあざとさで、きゅっと拳を握りしめるレイラ。
もう勝った、とでも言いたげなその表情に、アルムは思わず不敵な笑みを零した。
確かに、右足に絡み付いたリボンは、触媒を使わずに解く事は不可能だろう。けれど、それはリボンの頑丈さを示すものであって、レイラの優勢を保証するものではない。
この状況は、言っていまえば綱引きと同じなのに。
「きゃっ………!?」
グイッ、と
リボンが絡まった右足を、アルムは思いっきり後方へと引いた。
咄嗟の出来事に反応できず、レイラは前方に右手を引かれてつんのめるような形になる。
明確な隙。それを逃す筈もなく、アルムは再び地を蹴ってレイラへ肉薄する。
アルムの手に、魔力が集う。レイラは先程のようにリボンで防ごうとして──すぐに無理だと悟った。
この距離では間に合わないし、何より───レイラのリボンは今、アルムの右足に絡み付いてしまっている。
「はあぁっ!!」
結果、アルムの攻撃は見事レイラに命中した。
先程のように魔力を放出したのではない。ただ魔力を纏わせた拳で、頬を思いっきりぶん殴ったのだ。
勿論、触媒を用いた身体強化に比べればあまりにも雑だが、アルムの体内に残った魔力を全て乗せて思いっきり振り抜いた一撃だ。甲冑の篭手を装着して殴ったぐらいの威力はあるだろう。
普通のか弱いご令嬢であれば、痛みで気を失ってもおかしくない一撃。
実際、アルムの目的はソレだった。
本来は正々堂々、ヒロインに反撃の隙を与えない程に叩きのめし、赤点を取らせて特待生の資格を剥奪させるつもりだったのだが。
模擬戦が始まる前、ジュエリーボックスを開けた時に、己の触媒が使える状態じゃないと一目で分かった彼女は、すぐさま計画を変更した。
今はとりあえず、一刻も早く模擬戦を終わらせる事に専念する、と。
ただ、唯一。
アルムが読み間違えていた事があるとするならば。
想像したよりも、レイラが頑丈だった、という事だ。
「あ、あぁ……ああぁあああ!!」
振り抜いた拳。その勢いのまま、地に伏すと思っていたレイラ。
だが実際はぐらりと大きく体が傾いたのみで、彼女は倒れる事なく二本の足で立っている。
まるで幽鬼のように揺らいだ頭。カーテンのように垂れた前髪の隙間から、
ぎろり、と。
怒りと憎悪に染まった青い瞳が、アルムを睨みつけていた。
「っ!」
アルムの背中を、悪寒が駆け抜ける。
しまった。失敗した。そう直感が叫んだ時には、もう遅かった。
足元に絡みついていた白蛇が蠢く。獲物を捕らえる蛇のようにグルグルと、しかし確実に関節の動きを遮るように絞め上げ、アルムの自由を奪っていく。
その力は、あまりにも強い。振り解く、なんて選択肢が最初から思い付かないぐらいだ。おそらく体の至る所で、鬱血が起こってる。
「……さない、許さない……! よくも私の顔を殴ったわね!! 私はヒロインなのに! 世界の管理者に選ばれたヒロインなのにっ!!!」
「……っ、被ってた猫が剥がれてるわよ。それがアンタの素、ってわけ。中々イイ性格してんじゃな───ぐうっ…!」
せめてもの抵抗にと憎まれ口を叩いていたアルムが、苦痛の声を漏らした。全身を締め付けるリボンの力が強まったのだろう。
口元まで塞がれ、声を上げる自由さえ取り上げられた。
「アルム!?」
「ね、ねぇレイラ! それ以上は止めてって! アルム苦しんでるから!」
「先生! 模擬戦をすぐに中止させて下さいませ! ………先生!?」
観戦していた女子生徒達が声を上げる。アルムが触媒を使わない時点で薄々おかしいと思っていたが、今のアルムの悲鳴で一線を越えたと察したのだろう。
数人の女子達は教師へと模擬戦の中止を求めるも、彼は瞠目して呆然とレイラを見つめていた。ヒロインの変貌にショックを受けているのだろうか、使えない教師である。
「っ、ぐ………あ…………っ!」
締め付けが、更に強くなる。
骨が悲鳴を上げるかのように軋む。圧迫される内臓。呼吸をする事さえ許さない、とでも言うようにギリギリと。
潰れた果物が、アルムの脳裏をよぎった。ピュレを作る為に、赤と白の果肉がぐちゃぐちゃになった苺。
このままでは、いずれ自分も、そんな果実みたいに潰されて────
「ねぇ、何やってんの」
不意に、声が響いた。地を這うような、重く響く声。
それと同時に、何処からか魔力で編まれた刃が飛来する。カマイタチのような斬撃はアルムとレイラの間を通過し、アルムを縛り付けて居た白いリボンを切断した。
「っ、ごほ……げほっ…………」
全身を絞め殺さんばかりに縛り上げていたリボンから解放され、アルムはその場に座り込んだ。
やっと呼吸を許された肺が、苦しい程に酸素を求め、思わず咳き込んでしまう。
怒りで頭が埋め尽くされていたレイラは、その横槍によって冷静さを取り戻した。斬撃が飛んできた方向へ顔を向けると、そこには
「何やってんの、って聞いてんだけど。アルム」
怒りとか不機嫌さとか、そういう感情を微塵も隠さない表情を浮かべたサイレナが、そこにいた。右手には彼の触媒であるナイフが握られている。どうやら先程の斬撃は、彼が放ったものらしい。
婚約者から声を掛けられ、アルムがサイレナの名前を呟いた。その声色は気不味そうで「失敗した」「知られたくなかった」という感情が滲み出ている。
二人の様子を見て「やった」とレイラは内心喜んだ。攻略イベントが発生したんだ、と。
「さっ、サイレナ君………、聞いてっ、アルムさんがね、使っちゃいけない霊薬を………」
きゅっと握った拳を口元に当て、レイラはサイレナへと向き直る。
涙を浮かべて潤んだ瞳、微かに震えた体は可愛らしい外見と相まって、恐怖を頑張って抑えながら真実を伝えようとする健気なヒロインに見えるだろう。
そんな外見とは裏腹に、口を隠した拳の裏側でレイラはにんまりと口角を上げる。
やっとだ。やっとこれで、サイレナを攻略できる。手順通りの行動をして、健気なヒロインらしく振る舞っておけば、男達は婚約者や恋人よりもレイラの手を取ってくれる。
高嶺の花よりも、長年連れ添った幼馴染よりも、愛する婚約者なんかよりも。最後には必ずレイラを選んでくれたのだ。
だから今回も、男子はヒロインの味方になってくれる。
「────え?」
だから、レイラは一瞬理解できなかった。
サイレナが、自分の言葉に何の反応もしなかった事が。
レイラの存在なんて路傍の石ほども興味無い、といった様子で脇をすり抜け、いまだ立てずにいるアルムへ歩み寄り、目線を合わせるように屈んだ事が。
「ねぇ、アルム。何で触媒も持たないで模擬戦なんかやってんの」
サイのその言葉に、レイラも教師も観戦していた女子生徒達も、皆が驚きに目を見開いた。
だって、何回も説明した通り、触媒は魔法を使うのに必要不可欠な物で。触媒を持たずに戦闘を行うなんて、自殺行為にも等しい。
「………なんで、知ってるの」
アルムの口から言葉が漏れる。それはサイレナの発現を暗に肯定するもので、場はますます驚きに包まれた。
「アイリスが教えに来てくれたの。アルムがまた危ないことしてるって」
サイレナがそう言うと同時に、ぱたぱたとアイリスが走ってきた。
男子達が集まる表の実践場へサイレナを呼びに行って、そのまま戻って来たのだろう。元々運動が得意では無い為か、アイリスは肩を上下させるほどに息を切らしている。
「さ、サイレナ君……走るの早い、ですっ………」
「あー、ごめんごめん。居ても立っても居られなくってさぁ」
アイリスに軽く手を振って謝罪すると、サイレナは再びアルムへと向き直る。
「で、何で触媒持たないで模擬戦してんの」
婚約者に詰め寄られ、アルムは気不味そうに目線をそらした。イタズラがバレて親に迫られる子供のようだ。
「だ……て。……………から」
「んー、なぁに」
「………だって。触媒、壊されてたから」
拗ねるように、アルムが呟いた。
ポツリ、と小さく溢れた言葉。滴る雨垂れのように小さな音だったのだが、その声は空間に焼き付くように、いやに大きく響いた。
「ち、違うよ! アルムさんが、ドーピングの薬を使ってたの! 私、見たもんっ、アルムさんがネックレスに霊薬をかけてたのを───」
「は? 何言ってんの?」
即座に声を上げ否定するレイラだが、サイレナに殺意がこもった目で睨まれ、あわてて口を噤んだ。
サイレナは気怠そうに溜息を吐くと、懐から小さな箱を取り出した。アルムの触媒が収められている、例のジュエリーボックスだ。
「アルムの触媒はこっちだけど?」
蓋を開け、中にあるアクセサリーの内ひとつを摘み、掲げるように取り出した。
レイラが細工したネックレス、ではない。レイラが「安っぽい」と評した、紫色のリボンと青い宝石の髪飾りだ。
「ちっちゃい頃、俺がアルムにプレゼントしたこれが、アルムの触媒。アルムは子供っぽいってからかわれるのが嫌だから皆にはナイショにしてたけど、学園にはちゃんと届け出てるし、先生も知ってる。
なのに何で、アルムがネックレスに霊薬をかけるの? 他人の触媒に勝手に手を加えるのは犯罪なのに」
「っ、じゃ、じゃあ! そのネックレスは何なの!? そんなこれ見よがしに高級な物を入れてさ、アルムが誰かの触媒を盗ったんじゃない!?」
「は? 人の男横取りしまくってるお前が言うなし。これはシャオ……あー、アルムの親戚の子の触媒。その子まだ三歳だから、魔力のコントロールができるまで預かっておくようにって言われてんの。これも先生達は知ってる話だから」
普段の間延びした語尾を切り落としたサイレナの雰囲気は、まるで抜き身の刃物のようだ。
のんびりした喋り方で忘れがちだが、サイレナ自身は高い身長に鋭い目付きと、中々威圧感のある外見をしている。
震え上がったレイラは助けを求めるように教師を見るも、露骨に視線を逸らされてしまった。
(何で……!? 今まで私を助けてくれたのに! 私はヒロインだって、管理者も言ってたのにッ!!)
「……あ、本当だ。アルムの触媒壊れてんね。ここ、割れちゃってる」
「ッ!!」
彼が指差す先を見ると、青い宝石に大きくヒビが入り、一部が欠けてしまっていた。誰がどう見ても破損している。
サイレナの言葉に、レイラは大きく肩を震わせた。髪飾りの破損に、心当たりが有りまくったからだ。
ドーピングの霊薬を仕込もうとしたあの時、髪飾りを粗雑に扱った光景が、レイラの脳内で何度もリフレインする。
不味い、と思った。この国において、他人の触媒を害することは重罪だ。事が露呈すれば、サイレナを攻略するどころではない。
「そ、それはホラ、先生が検査した時に壊しちゃったんでしょ」
「なっ……!」
レイラは咄嗟に、他人へ罪を擦り付ける事にした。教師が抗議の声を上げた気がするが、彼女はそんなこと気にしていられないかった。
そもそも先程サイレナが言った通り、他人の触媒を持ち主の許可を得ずに手を加える事も十分に犯罪だ。ドーピング霊薬を勝手に仕込むことも、これに該当する。
だから今は、ネックレスの件を掘り返されないように、アルムの触媒を壊したのは先生だと騒ぎ立てないと───
「尻軽の次は濡れ衣か? 救いようが無ぇな」
ハッと、不敵な笑みを漏らしながら現れたのはショウマだった。彼の後ろから、初老の女性がゆっくりと歩いてくる。
その女性の顔を見て、レイラは息を飲んだ。
彼女が誰かなんて問わなくても、この場にいる全員は分かっている。第二校舎の最高責任者である校舎長だ。
「ショウマ君の言う通りですよ、レイラさん。貴女がアルムさんの触媒を壊したのも、アルムさんが預かっていた触媒に霊薬を使ったのも、全て把握済みです。神妙になさい」
「なっ……! 何でそう言い切れるんですか! 実際に私がやった所を見た訳じゃないでしょう!?」
「実際に見てたんだよ、こいつがな」
ショウマがそう言うと、彼のポケットから何かが飛び出した。人の形に切った紙、式神と言う陰陽師独自の使い魔だ。その手足が動く度に、ペラリと紙のような音が鳴る。
「教室を見張ってた式神が、お前の行動をばっちり見ててな。校舎長にも学園長にも、お前が何をしたか伝わってるぞ」
ショウマの言葉に、レイラはがくりと膝を付いた。「そんな」「なんで」「どうして」とうわ言のように呟くレイラを見て、第二校舎長は溜息を吐いた。
「どうやら、色々とお話を聞く必要があるようですね。レイラさん、校舎長室にまで来るように。あぁ、先生も勿論一緒にいらして下さいね。
他の生徒の皆さんには自習を言い渡します。それぞれの用事を済ませた後、教室で待機していて下さい」
校舎長の鶴の一声で、その場は解散となった。
レイラが連れて行かれた瞬間、ヒロイン堕ちしていた男子生徒達は正気に戻ったらしく、皆で実践場まで走って来ると見事なスライディング土下座を披露した。
おそらく、以前ユメが言っていた『強制的に物語を終わらせる方法』……バッドエンドとやらに到達したのだろう。
乙女ゲームという演劇の幕が下り、脚本の強制力が無くなったのだ。
クラスの皆は今、校舎長が言った用事……婚約者や恋人同士で話し合う為、屋上だの中庭だのそれぞれ思い思いの場所へ散っている。
もっとも、女子達はヒロインへの怒りはあったものの、男子に対しては寧ろ被害者という認識でいた。
だってこれは、世界の管理者という人知の及ばぬ存在が起こした事。言わば地震や台風のような天災と同じだ。
ただの一人間である彼等がどうやったって抗う事は困難だし、ある意味被害者である彼等に『お前が悪い』と責めるのはお門違いだろう。
「…………」
解散した実践場。今この場にいるのは、アルムとサイレナの二人だけだった。
サイレナは拗ねたような顔をして、じとーっとアルムを見詰めている。
「で? アルム。まだ質問に答えてもらってねーけど」
「………なんのことかしら」
「何で触媒持たないで模擬戦したの、って話」
「………………」
「そっぽ向かねーの。ちゃんと答えて」
彼女の頬を両手で包み、自分の方を向かせるサイレナ。逃げられないと悟ったアルムは、せめてもの抵抗にと視線を斜め下へと逸らす。
無言の攻防。たっぷり数十秒沈黙した後、アルムは降参を告げる代わりに深い溜息を漏らした。
「あのままでも、目的は達成できると思ったの。私達の目的はレイラの特待生資格を剥奪して、彼女を留年ないし退学させる事だったでしょ?」
「うん。そーだね」
「これは推測だけど、レイラが私を指名した理由ってサイレナを堕とす為だったと思うの。クラスの中で陥落してない男子は三人。ジョルの彼女は第一校舎だし、ショウマさんの恋人のアイリスは好感度確認に必要な存在でしょ?
今この状況で、彼女が私をわざわざ指摘する理由って、サイレナぐらいしか思いつかないもの」
すらすらとアルムは言葉を繋げていく。普段はやや寡黙な彼女だが、研究者である父親に似たのか、自分の考えを順序立てて説明する時は非常に流暢な話し方になる癖があった。
「最初は触媒が壊れてたから、辞退して他の人に模擬戦をお願いしようとしたわ。けれどもし、さっきの予想通りレイラの狙いが私なら逃がしてはくれないだろうなって思ったの。
籠絡した先生に“お願い”して、私の触媒が修復してからとか、他の触媒を持って来るように言うでしょうね。
私の触媒は『サイレナからプレゼントされた物』。最初に貰ったあの髪飾りが一番お気に入りだけど、代わりになる物はあるわ。
レイラは知らなかったみたいだけど、先生の方は知ってる訳だし」
「うんうん、それでー?」
「なら、いっその事このまま模擬戦した方がいいと思ったのよ。勝ったら『触媒を持たない私に負けた実力不足』として特待生の資格剥奪できるし、
負けたら負けたで『触媒を持たない私に魔法で攻撃した』んだから、問題になるでしょ? 怪我のひとつでも負えば大事にしやすくなるし───痛っ」
ペチ、とサイレナがアルムの額を指で弾く。いわゆるデコピンというやつだ。
「アールームー、そういうとこ本当に良くないと思うよ俺」
「どういう所よ」
「目的の為に犠牲を考慮しない所ー」
「………別にいいでしょ。父みたいに他人を犠牲にしてる訳じゃないんだから」
「よくねーの。アルムが痛い思いすんのは俺が嫌だって、前も言ったでしょー」
ぎゅ、とアルムを抱きしめるサイレナ。アルムは女子生徒の平均身長よりも高めではあるが、男子の中でも長身のサイレナの腕にはすっぽりと収まってしまう。
婚約者の体温。幼い頃から寄り添っていた、拠り所としていた温もり。それに包まれて、アルムはようやく盗られずに済んだのだと実感した。
よかった。だってこれは、自分にとっての数少ない錨だ。自分が人の道から外れない為の命綱、暗闇の中を歩むのに必要な標の星。
───これが奪われてしまったら、私はきっと、人として生きる意味を失ってしまう。
「………ごめんなさい。サイレナを盗られたくなくて、焦りすぎたわ」
「んーん、いいよ。ありがとうね」
「ん…………」
ぎゅう、と。サイレナは抱き締める力を強めた。
「大好きだよ、アルム」
「…………ん」
私も、と返答する代わりに、アルムは小さく声を漏らした。赤くなった顔を隠すように、サイレナの胸元へ顔色を埋める。
暫くの間、アルムはその温もりを確かめるように、ただ静かに目を閉じていた。
………
………………
……………………………
ピロン♪
【トロフィー『BADEND1∶退学エンド』を取得しました!】
はじめから
▷ つづきから
ピッ
【一周目のデータを引き継ぎますか?】
▷ はい
いいえ
ピッ
【データをロード中………】
【ロードが完了しました!】
【素敵な学園生活を、どうぞお楽しみ下さい!】
………To be continued?
ここまでお読み頂き、ありがとうございました。
マックのセットぐらいの手頃な量を目指していたつもりが、気付いたらコメダで豪遊したみたいな超ボリュームとなってしまいました……。
最後の終わり方から察せれる通り、本来は長編として出す予定のお話だったのですが、私自身が遅筆&ひとつの事柄にしか集中できないタイプなので、ひとまず短編という形でお出しさせて頂きました。
(この短編を書く為だけに現行小説が1ヶ月手付かずになってしまいました。そのレベルの遅筆です)
現行してる長編小説が終わり次第、続きを書く予定です。
『ヒロインは攻略手順を履行したのに、何でサイレナを攻略できなかったの?』『何でアルムはサイレナにクソデカ感情向けてんの?』
等々、疑問はあると思いますが、きちんと設定は作ってありますので、どうか続編まで待って頂ければ幸いです。
(ネタバレしてもいいから教えて!それ何年後だよ今すぐ答えを知りたい!という方は感想欄でお尋ね下されば、薄っすらとお答えいたします)