山田一二三さんの死
注:本作品はフィクションで、作者本人は元気です。
山田一二三さんが亡くなった。一ヶ月ほど前の事だ。
私はこの文章を山田さんの読者の方に向かって書いている。山田さんはインターネット上で、よく文章をアップロードしていて、数名~数十名ほどの読者がいた。多数ではないが、彼の読者は少しはいたようだ。
私自身も山田さんの読者だったが、山田さんの文章の全てに目を通したわけではない。時折、彼のサイトをチェックして、面白そうな文章をかいつまんで読んだに過ぎない。
山田さんの死因は自殺だった。自宅で首を吊ったそうだ。彼のテーブルには遺書が残されていたが、それについては後述する。
私がこの文章を書いた理由は、山田さんの熱心なファン、A君に頼まれたからだ。山田さんが亡くなった件について、山田さんの読者に知らせてほしい、とA君に頼まれた。山田さんは亡くなった。これは事実だ。
説明すると、A君は山田さんと繋がりがあった。私は山田さんと直接繋がりはなかった。コメント欄でやり取りしたぐらいだ。また、私はA君とは繋がりはあった。A君とは、山田さんとは関係のない事で知り合っていて、その関係で既にアドレスを交換していた。もっとも、それほど頻繁に連絡を取り合う仲ではなかった。知り合った後、A君が山田一二三さんという、インターネット上の書き手に言及したので、「あ、私もその人、知ってる!」となった。その後、私が定期的に山田さんの文章を読んだのはA君の影響に拠るところが大きい。
A君は山田さんを随分評価していて、「現代の文豪だ」とか何とか言っていた。しかし私にはとてもそんな風には思えなかった。確かに、山田さんの文章の端々に頭の切れを感じたし、現代社会に対する倦厭はある程度、私の共感するところだった。とはいえ、倦厭だけでは、偉大な作品の創造には足りない。
…いや、こんな風に私が書くなんて意外な事だ。私は、価値判断ができるほど知識や教養があるわけではない。山田さんへの私の評価は撤回したい。私にはそんな事はわからない。きっと、私が山田さんの文章を理解できないだけなのだろう。
話を戻す。A君は山田さんと繋がりがあった。山田さんは、アパートの自室で首を吊っていたのだが、山田さんの死体を発見したのもA君だった。もっとも、ここには山田さんが仕掛けたであろう、ある仕掛けがあった。
A君と山田さんは一ヶ月に一度くらいご飯に行く仲だったらしい。二人はファミレスとか蕎麦屋とか、そんなところに行ってご飯を食べていたらしい。二人共、下戸で、酒は全く飲まなかったらしい。二人は酒も飲まずに、文学、芸術、政治、あるいは私生活なんかの話をしたらしい。
その中では随分高級な話も出たらしいが、A君はそれをまとめて話す事ができなかった。何でも山田さん流の哲学がそこにはあったそうだが、それは、A君にはぼんやりと感じられるものだったが、明快に整理するのは難しいものだったらしい。
山田さんとA君の仲はそんなだった。A君は、山田さんが自殺するなんて、思いもしなかったそうだ。…だけど、A君が言うには、山田さんが自殺した後、山田さんがそのような事を以前に言っていたのを思い出したらしい。
「僕は、死にたいというより、消えたいんだよね。わかるかな? この感覚。ブコウスキーが書いているけどね、僕は、死にたくはない。ただ、消えたいんだよ。この世界から、消えたい。違う世界にふっと紛れ込んで、この世界には、僕の靴と、服だけが置き去りにされる。それで僕と関わりがあった人は一瞬、僕の靴と服だけを見て(ああ、あいつは消えたな)と思うんだけど、ほんの一秒もしない間に、彼らは彼らの日常生活に戻るーー。そんな"死"が僕の理想なんだ。まあ、"死"じゃないけど。僕は死にたくない。ただ消えたいんだ。死ぬというより、消えたい。僕はこの世界にうんざりしているし、今更、この世界に波風立てたくもない。ただフッと、何かある光が天に昇って消え去るように、そんな風に消え去りたいんだ」
A君によると、山田さんはそんな風に語ったらしい。もちろん、A君はそれを本気には受け取らなかった。それも山田さん流の哲学であり、文学的表現の一種だと考えたらしい。
※
A君が死体を発見する事になったのは、A君が山田さんと会う約束をしていた為だった。山田さんにはA君以外、友人も恋人もいなかったらしい。もっとも、本当のところはわからないし、それはA君の推測に過ぎないのだが。
その日は何故か、山田さんの自宅で待ち合わせをする事になっていた。A君も奇妙に思ったらしい。A君は、山田さんの自宅に招かれた事は一度もなかった。部屋に呼ばれたのはそれがはじめてだったのだが、その話は唐突だったので、A君も奇妙に感じたと言う。
「今度、見せたいものがあるから、うちに一度来てくれないか?」
そう言って山田さんは誘ったと言う。しかし質問をしても、山田さんは「見せたいもの」が何かは教えてくれなかったそうだ。
A君は時間通りに教えられた住所に行った。山田さんが住んでいたのは六畳一間の安アパートだった。A君はベルを押したが、反応はない。何度か押したが反応がない。A君は疑問に感じて、ドアノブに手をかけ、そっと、引いてみた。すると意外にも鍵はかかっていなかった。
A君は「山田さん? 僕です。来ましたよ」と声を掛けながらドアを開けた。A君は勝手に入っていいか躊躇したけれど、足を踏み入れた。
狭い玄関には靴が散らばっていて、玄関の両脇には本が積み上げてあった。乱雑に積み上げてある本の向こう、ごく狭い廊下の向こうに、何やらぶらぶらと、わずかに揺れているものが見えた。はじめは洗濯物が干してあると思ったらしい。バスタオルか何か。しかし、それは妙に長く、しかも下の方に靴下が見えた。靴下は茶色で、その色を見た瞬間、A君はすぐさま直感した、と言う。
A君は「山田さん!?」と声をかけて、靴も脱がずに慌てて駆け寄った。山田さんは上からぶら下がっていた。首に紐を食い込ませて。山田さんは既に死んでいた。その体はもうすっかり冷たくなっていて、硬くなっていた。それでもA君はまるで死者を蘇生させられるかのように、山田さんの足を持って、抱えて、声を掛け続けたらしい。「山田さん? 山田さん?」と。A君の頭はパニックだったと言う。
少しするとA君は落ち着いて、山田さんから手を離した。もう山田さんは死んでいるとわかったし、決して助からないともわかった。山田さんの顔を見ると、目を瞑っていて、安らかな表情、なんだったら少し笑っているような顔をしていたらしい。A君はその表情を見て、何故か、少し安堵したと言う。
A君はポケットからスマートフォンを取り出し、警察に連絡しようとした。もう救急車は必要ないとわかっていた。だけどその時、テーブルの上に白い紙が載っているのに気づいた。そこには綺麗な文字で何かが書かれていた。A君は(遺書だ)と直感したと言う。A君は上から紙を覗き込んだ。紙は下にも何枚かあって、四枚に分けて文章が書かれていた。
「A君へ
こんな姿を見せて申し訳ない 僕は先に行く 僕が死ぬ理由に関しては、あまりに沢山の理由がある いや、理由なんていうものはどうでもいい そんなものはただの後付だ
A君へ、お願いがある 僕の遺体の処理は、銀行の通帳に百万円ほどあるのでそれでまかなって欲しい 僕は親とは縁を切っている 頼めるのは君しかいない
それと、最後のお願い、一番大切なお願いだけれど、パソコンの電源をつけて、デスクトップにある※※※というテキストファイルを削除してくれないか? できれば完全に削除してくれ 僕はこのテキストに命をかけていた インターネット上に書いた様々な文章は僕という存在の断片でしかない あんなものはどうでもいい 僕は本当はこの長編に全てを掛けていた これはかなり長い時間をかけて書かれたものだ
しかし死ぬ前にふと気づいた 僕のこの小説には何の価値もない それがわかった だけど、僕はそれを削除する勇気を持たなかった だからA君にこの作品の削除をお願いしたい その仕事を君に任せたい 僕はこの世に何の痕跡も残して行きたくはないんだ 申し訳ないけどそれだけ、A君にお願いしたい
色々迷惑をかけて申し訳ない 君に会えた事を僕は神に感謝している …神がいればの話だけど 最後に一言 本当に申し訳なかった 後はよろしく頼む
山田一二三」
以上のような文章が山田一二三さんの遺書だったそうだ。
…実際には※※※の部分にも、長編小説のタイトルが記されていたそうだが、A君はそれを教えてくれなかった。A君曰く「全ての痕跡を消してくれという事ですから、タイトルも知られたくないでしょう」との事だった。それと些末な事だが、遺書の中で「A君」とした部分にももちろん、ちゃんとした名前が書いてあった。
A君はその文章を最後まで読んで、山田さんの遺言の通りにした。A君は言われた通り、パソコンを立ち上げて、テキストファイルを削除した。私はA君に「その時、中身をちらっとも見なかったの?」と聞いたけど「見なかった」とはっきりした答えが返ってきた。本当に、見なかったのだろう。
A君は完全に削除する為に、「ゴミ箱」のファイルの中もクリーンにしたらしい。専門家に言わせると、それでもファイルはどこかに残っているそうだが、その後、山田さんのパソコンはスクラップ処分されてしまった。葬式の後に、業者が持っていって、廃棄したらしい、だから文字通り、山田さんが人生かけて書いた長編小説はもうこの世のどこにも残っていない。もう誰も、読む事はできない。
A君はそれだけの仕事をやり遂げると、警察に電話をかけた。それと、大家に連絡をする為に、一旦、部屋を出て、隣の部屋のベルを押した。隣の部屋に住んでいたのは大学生の男の子で、隣人の唐突な死にひどく驚いたとの事。
A君は山田さんの死にひどくショックを受けていた。彼は、普通に話す事が難しいくらいだった。私は、A君が死体を発見した翌日にA君と会った。A君から連絡が来たのだ。あまりにも急で、A君が錯乱していたので、私は仮病を使って会社を休んだ。
A君とはファミリーレストランであった。彼の顔つき、げっそりとした青白い顔から、すぐに何事かが彼の身に起こったのに気づいた。「話しましょう」 A君は私の顔を見るなり行った。「青木さん、話しましょう」
とはいえ、彼の話はこんがらがっていた。山田一二三さんが自殺したのはわかったが、A君は時折、山田さんの思想の断片、山田さんが書いた文章の切れ端、あるいはそこから類推される哲学的思考などを話したので、話はこんがらがるばかりだった。
私は落ち着くように言った。彼にエスプレッソコーヒーを淹れてきた。彼の前に置いたが、全く手をつけなかった。
A君は言った。「消えました。僕にとっての太陽、生きる希望が消えました」
私は驚いた。「君は…そんなに山田さんの信奉者だったの?」
「いや、昨日まではそうは思っていませんでした。僕には僕の思想があると思っていました。でも、気づいたんです。彼が死んで、僕は彼を愛していたって。…大切な事は全て彼から学びました。僕は今はもう…全く打ちひしがれています。まったく」
そう言って、A君は両の手のひらを天に掲げてみせた。…失礼な話ではあるが、私にはそのポーズはやや滑稽なものに見えた。
私は気になったので、A君が山田さんのどういう思想に信奉していたのか、尋ねてみた。私自身も、山田さんの文章は読んでいたので、ある「感覚」はなんとなくわかったが、A君にとってはどのように見えていたのかが気になった。A君は、不器用な感じではあるが、話してくれた。
「青木さん…あなたなら、わかってくれると思いますが、この世界は実は真っ暗なんです。『小人閑居して不善をなす』という言葉がありますが、その通りで、世界は小さなもので埋め尽くされてしまったんです。つまり、群衆です…でも、ごく少数の人はその中でも理想を、力強い理想を求めて生きています。思想、大切なのは思想です。思想というのは、ただの観念ですが、同時に、それが観念であるという理由によって現実を超える力を秘めている…わかりますか? 山田さんは、世界の割れ目に位置していたんですよ。彼はこの世界が失っていた『思想』の役割をしていたんです。僕たちは彼を通って、どこか違う世界に行く事ができたかもしれなかった。…もちろん、それは錯覚だったのかもしれませんが、しかしそういう可能性を有していた。でも、今やその思想は失われてしまった。…そして僕が気づく事ができなかったのは、『思想』は単なる観念や言葉ではなく、山田さんという生きた人間、あくまでもそういう生きた人間によって支えられていたという事です。僕はやっとその事に気づきました…そうです…遅かったですよね…彼が亡くなった今になって…」
A君は流々そんな事を語った。私には、あまりの過大評価にしか聞こえなかったが、A君が山田さんのニヒリズムに惹かれていたという事実はわかった。それに、今の社会の愚劣さというのは私にとっても、身につまされるところでもあった。
※
私はその後も定期的にA君と連絡を取り合った。A君が後追い自殺をしないか心配だったからだ。私がイメージしていたのは太宰治の後追い自殺をした田中英光だった。あんな風にならないかと心配だった。
しかし、それは杞憂だった。私にも意外な話だったが、つい先日、A君には彼女ができたらしい。アルバイト先に新しく入ってきた子だと言っていた。
これは私には意外だった。A君が、山田さんに心酔しており、山田さんの死にショックを受け、おそらくは本来彼がやるべきだった、山田さんの読者への山田さんの死の告知ーーそれも私に頼むほどに彼は心にダメージを負っていたにもかかわらず、彼は裏では彼女をつくっていた。なんでも、彼にとってははじめてできた彼女らしい。
私はその事実に驚いたし、少々、山田さんに悪い気もしたのだが、少なくともそういう状況なら自殺する事はあるまいと思ったので、彼を励ましておいた。「それはいい事だよ、生きる方向に気力が向いているのだから」と私は言っておいた。彼は「そうですかね」と答えていた。
A君が、私にこの文章を頼んだのは、山田さんが亡くなって一週間ほど後の事だった。その時は本当にA君は落ち込んでいて、声も暗く、私は本気で後追い自殺の危険性を考えていた。しかし二週間経った頃、少しばかり声が明るくなってきたかなと思い、先日、恥ずかしそうに「彼女ができた」と報告してきた時には、いつもの口調に戻っていた。
私は、A君は本当に山田さんの思想に惚れ込んでいたのかな?と思ったりしたが、しかし、いつまでも死者にとらわれているわけにもいかないし、生きている人間は生きている人間で"今"を生きるべきだから、A君の態度は健全なものかもしれないと考えるようになった。
…私はこの文章を書く前に、山田さんがインターネット上に投稿した文章を読み返してみた。私は読んでいるうち、(もしかしたら、私の評価は低すぎたかもしれない)と考えるようになっていた。確かに彼の文章には独特の暗い精気のようなものみなぎっていて、それは現代の明るい世界の中では大した価値を持たないように見えるが、また違う時代、違う観点からするとある大きな価値を持っているかもしれない、私は山田さんの文章を読み直して、そんな風に考えたのだった。
※
さて、これまで、山田さんの死について私は語ってきたが、ほとんどまともな話はできなかったような気がする。
山田さんの『思想』、それをこの文章で伝える事もできなかったし、死の原因もうまく伝える事ができなかった。だけど私ーーいや、私達にはそれはぼんやりとわかるはずだと思う。空気のように流通しているある感覚、ある光の粒のようなもの、そうしたものによって私達は次第に衰弱に向かっていく。私も、その空気を吸っている。
人が死ぬには無数の理由がある。山田さんが、死の原因を語らずとも、その理由は何となく推測できる。…彼はよりよく"生きる"為に死んだのだろうと、そんな事も思わないでもない。人は生きる事は『素晴らしい』と平気で言うが、その生が様々な周囲のものに圧迫をかけているとは考えないのだろうか? 彼らは本当にそんなに楽天的な存在なのだろうか?
…山田さんの文章がこの先、人口に膾炙する事はありえないだろう。彼が丹精込めて書いた文章はインターネットという大海の中で、ごく少数の読者をひきつけた。それは少しは意味のある事だったのかもしれない。
しかしそれらの文章はそう遠くないうちに、波打ち際の砂浜に彫った言葉のように消えていくだろう。波は何度も押しては返して、人間が自然につけた痕を消し去っていく。彼の存在も、彼の『思想』も残らない。
A君もきっとそう遠くないうちに完全に立ち直るだろう。きっと彼は山田さんのニヒリズムから抜け出して、人生を力強く生きていくだろう。私はそう推測する。
…ただ、心残りなのは、山田さんが消してくれと頼んだ、彼の全てを注ぎ込んだ長編小説、それが完全にこの世から消え去ってしまった事だ。もちろん、実際見ればひどい駄作だった可能性もある。ひとりよがりの、観念的な言葉の戯れに過ぎなかった可能性も大いにある。
私はそれでも、その作品を読んでみたかったと思う。彼が亡くなる前に、デリートされる前に、それを読んでみたかったと思う。だけど、その作品はもう永久に失われてしまった。誰も読む事ができなくなってしまった。私にはそれだけが心残りだ。とはいえ、それは山田一二三さんが自身の意志で決めた事だから、誰も咎める事はできない。ただ、私は思うのだ。一人の人間がその存在を注ぎ込んだ何ものかというのは、他人が見るのとは違う独自な価値を孕んでいるのではないか、と。しかし私達にはそれを読む事はもうできない。それはもう完全に、永久に、失われてしまったのだ。
※少数の読者へ 上記のように山田一二三さんは亡くなりました。拙い文章で申し訳在りませんが、その事をここではっきりと、お伝えしておきます。
青木孝弘