完結
リリィさんのマンションは明大前にある、この前引っ越しをするというので手伝いがてらに訪問したのだが、新築のキレイで広く、さらには最新のオートロック付きという私には当然真似できない暮らしぶりだった、流石は世界のリリィ。「君も女の子なのだからね、防犯はしっかりしなければならないよ」なんて耳の痛いことを言われたが、防犯云々以前に金がない、親の仕送りを貰って何とか食いつないではいるが正直いっぱいいっぱいだ。
――そういえば。
「リリィさん、この男は何処に送ればいいだろうか」
「うーん、そうだねえ…その辺りに捨てていくわけにもいかないしねえ」
リリィさんはそういいつつも甲州街道の路肩に目をやる。
私は別に構わない、というかこの喧しいイビキを止めるためなら、ここから放り投げてもいいとすら思えてくる。
カーラジオの音量を上げる。
「うん、とりあえず私の家で転がしておこう、朝方勝手に帰るだろう」
「…………。」
先日わたしに、「防犯はしっかり」などと言ってきた人間の発言とは思えないな…。大丈夫だろうか? いや、全くもって大丈夫じゃない。貞操の危機だ、さっき私が守らなければと誓ったばかりだろう。
「リリィさん…その、今日は私も泊りに行ってもいいだろうか…?」
「ん…! そ、そうか…そうかそうか! ああ、来るといい、映画もゲームもあるぞ、そうだな、私がデザインしたパジャマでパーティと洒落込もうじゃないか! フフッ」
なんだかやけに嬉しそうなリリィさん、本気で心配だ、この人危機感とかないのだろうか。
そんなことを考えていると、対向車線から一瞬、パンッ!と光がこちらめがけて飛んでくる。パッシングだ。
一台が後ろへと過ぎ去ると、二台目が中央分離帯の向こう側、やはり横切る少し手前で――パッシング。
三台目も、四台目も、パッシング。な、なんなんだ? 五台目、六台目、七台目も、一体何なんだ!?
八台目もやはり――――。
「危ない!!!!」
キキーー!! とブレーキ痕の残りそうなほど強くブレーキを踏み込み顔をあげると、目の前には車が停車しており、停車している車の前を覗き込むと、十何台か先まで、車は私たちと同じように止まっているようだった。
渋滞か、最初はそう思った。
「痛っつ! お、おい、なんだ!? 事故ったのか? あ、渋滞かよ、チッめんどくせーなあ」
さっきの急ブレーキで肩を打ったらしい男は後部座席から運転席付近まで肩をさすりながら身を乗り出し、前の車を見てそんなことをぼやいた。運転してるのは私なのだ、何故お前がめんどくさがる。
いやそんなことよりも、これは、この列は、――渋滞じゃない。
「いや渋滞じゃない、前の方、道路は空いている」
「あ? あーーホントだ、スカスカだなあ、ならココでなんかあったんじゃねーか? <事故>とかよお」
「んー? <検問>なのではないのかな? 深夜だしね」
事故、検問、それならパッシングの意味も一見納得いきそうだが、どちらも警察車両の姿など何処にもない、救急車両も、パイロンも発煙筒の煙も緊急停止板も、とにかくそこにありそうな物が、見たところ何処にも見当たらないのだ、だが、依然として二車線もある道路はピクリとも動く気配はない。
突然、男は乗り出した手でクラクションを鳴らし悪態を付いた、すると前の車の窓が開き、何かをこちらに話しかけてきている、私は内心、怒らせたのではないかとヒヤヒヤだった。
男は「ちょっと様子見てくるわ」と言い残し、後部座席からドアを開け前の車へ話をしに行った、何かを話すと、列の前の方をしきりに確認し、そして話し終えたのか、今度はつかつかと列の前方へ向かって歩いて行ってしまった。よかった、怒らせたわけではないようだ、そう思ったのも束の間、車の明るいライトに照らされ、男が消えかかったその時、勢いよく振り返るとこちらに向かってものすごい勢いで駆けてくる。
え? な、なんだ!? 男は再び後部座席のドアを開けるとなだれ込むようにシートへダイブし慌てた様子でドアを締め、しきりに「あ! あ!」と声にならない声を上げ、一呼吸置くと。
「赤ん坊だ!!!!」
そう告げて来た。
嫌な予感がする。
「な、なに? 赤ん坊だと?」
「ああ! おむつ付けた、白い!」
ああ、やはり<事故>だったか、それも赤ん坊とは、救急も警察も来ていないことを考えると事故後直ぐといった感じだろうか? 気分が悪い、これはまだ時間がかかり――。
「赤ん坊が踊ってんだよ!!!!」
…………踊っている? 踊るとは、盆か、それともダンスの方か? いずれにしてもこの状況と何のつながりがあるのだろうか、この男、まさかまだ酔っているのではないだろうな。
「落ち着け、踊るとは一体どういう意味だ? 事故とは関係あるのか?」
「事故? いや関係ねーよ! 赤ん坊がよお、先頭で踊ってんだよ、道をな、横切るようにして、キャッキャキャッキャって楽しそうによお!! 俺、おっかなくってここまで逃げてきちまったよ」
「「…………。」」
カーラジオの液晶には深夜二時の表示が見える。
こんな深夜に、国道で、本当に? だが現実に目の前には列があり、この男の焦りは尋常ではない。ガタッ、と音がし助手席を見ると、リリィさんは小さく丸まりながら顔をうずめていた、たぶん外を見たくないのだろう。
男は「おい、出せ! 今すぐこっから離れるぞ!」と無茶なことを喚いていた、前には車、左側は雑木林に右は追い越し車線と中央分離帯、後ろを見るがココから離れられそうな曲がり角など何処にもない。
――というか、そもそも離れる必要などあるのだろうか?
「おいまて、一旦落ち着こう、私たちはさっきの温泉施設で曲がりなりにも怖い話をしていたのだ、神経が敏感になっているのだ。理由はどうであれ、赤ん坊が道路に飛び出し踊って? いるのだ、それは警察に保護してもらうよう取り計らうのが大人の務めというものだろう?」
「あ…た、確かに、余りの異常性に困惑していたけれど、そうだ、冷静になってみるとこんなところ子供には危なすぎる」
「は!? おいバカ言うな!!」
リリィさんのは困惑じゃなく恐怖していたように見えたが…あとバカとはなんだ、普通皆そうするだろう、一大事だ。それに失礼だがこの男の話だけを聞いて判断するのは少々問題がある気がする。
「あの赤ん坊はおかしい、ぜってー人間の類じゃねーって! いいか、白いんだぜ? 白っぽいんじゃねーんだ、真っ白なんだよ、蒼白じゃねー、髪の毛からつま先まで真っ白なんだよ!!」
「ヒッ!」
「…そんなもの、車のライトに照らされてただけだろう?」
「あ…た、確かに、あ、あまり人を悪く言うものじゃないよ」
「バカ! そんな白飛びとかいうレベルじゃねーんだよ! 大体、髪の毛まで白いのの説明がつかねーじゃねーか!」
「ヒッ!」
「そんなもの、そういう人という可能性もあるではないか、アルビノだったか、色素が極端に無くなってしまう人もいるのだ」
「あ…た、確かに、テレビで見たことがある、ハムスターとか蛇とか…」
「そんな偶然あるわけねーだろ! つーか、道路で踊ってる時点で、明らかに異常だろうがよ!!」
「ヒッ!」
「…………。」
リリィさんの感情がジェットコースター並みに揺れ動いていた。
こいつ、ああいえばこう言う、だいたいそれもお前の意見でしかないからな、実際は手を振って助けを求めていただけかもしれないのだ。
男はそれに、と話を続ける。
「それに列の一番前の車の人がよお、ケータイでもう電話かけてたぜ」
「なんだ、そうなのか、それなら――」
「まあ、そのあと直ぐに走り去って行ったがなあ」
え、走り去った? なぜだ? 赤ん坊が居るのだ、ふつうはその場で待ったりするだろう?
「その車によお、赤ん坊は近づいてったんだよ、さっきまで激しく踊ってたんだ、不思議に思ったんだろうなあ、窓を開けて赤ん坊は背伸びする感じでドアにしがみつきながら、――――なにかを呟いたんだ。そしたら凄いスピードで窓を締めて、赤ん坊が傍にいるのにだぜ? 半ば強引に去って行っちまったんだよ、その車」
「ヒッ!!」
「なっ…」
なんだその話!? 本当なのか? だとしたら、だとしたらそれは本当に――この世のものではない?
前を見ると、いつの間にか少しずつだが前の車が動き始めていたようだ、私はアクセルを踏み込むと、前に進む、その赤ん坊のいる道へ向かっていく。
「ね、ねえ、少し路肩に止めてから、時間を空けてから行くのはどうだい?」
「……。」
「そんなのそっちの方がヤベ―だろ、早く行こうぜ、何だか周りも暗れーしよお、気味ワリーよ」
私たちはゆっくりゆっくりと、前の車に続いて走っていく。
そして、前を覗いたその時、――居た。
確かに白く、赤ん坊だ。私たちより五台先、路肩から道を渡り中央分離帯付近に行くと、再び路肩へと戻る、何度も何度も往復を繰り返し、その隙間を狙って車は進む。だがおかしい、このジンという男の話だと、赤ん坊は踊っているはずだ、盆かダンスか、あれは――。
「ぎゃはははははははははははははっははははっははあははははははっは!!!!」
あんなもの踊りではない。
腕を振り回し、まだ座っていないであろう頭を揺らしながら赤ん坊とは思えない跳躍でピョンピョンと跳ね回る。こんなもの踊りではないではないか!! 話が違うぞ!!
私の体は硬直し、その光景を見たリリィさんは悲鳴を上げ、後ずさろうとシートの背もたれに何度も全身を押し込んでいた。男は声こそあげていなかったが、後部座席で何やら手を合わせ祈り始めている。車内は一瞬でパニックに陥った。
は、はやく、はやくはやくッ! はやく進め! あんなもの、絶対に人ではない!! あってはいけないものだ! 焦りからクラクションを鳴らすが、前はゆっくりとしか動かない。徐々に近づくその<赤ん坊>はもう三台先…二台先へと迫る。
――――う、うそ…だろ。
私たちの一つ前を走っていた車は、信じられないことに、赤ん坊の手前で止まり、運転席の窓を開けたのだ。
「おい、おいおいおいおい! おっさん! 締めろ! 締めろ!!」
「何をやっているのだ!?」
「もう嫌だ! もう嫌だ!!」
こちらの窓は開けていない、開けるのも忘れて目の前に広がる光景に叫びをあげていた。赤ん坊は跳ねるのを止め、あけ放たれた窓へと向かう、ドアの窓枠に手をつき、背伸びをすると、前の運転席に乗っていた年輩のおじさんは、顔を近づけしきりに話しかけている。返事はない、ただ、じーっと赤ん坊はおじさんの顔を見つめていた。
「おい! もう行こう、もう行っちまおう!!」
後部座席から男が言う。気が付くと、二車線が埋まっていた道路はこの二台以外全て消えていた。
私はチラっとリリィさんの方を覗くと丸まりながらよく分からない言語を呟き怯えていた、相当限界のようだ。
車を一度軽くバックさせると、右車線に入ろうとハンドルを切る、その直後、私は赤ん坊の口が動いているのを見た。
右車線に入り、赤ん坊のしがみつく車の横を通り過ぎる、私は運転席から助手席の窓を見ていた、窓の先を、その車を。
テールランプ、リアフェンダー、リアドア、白い赤ん坊、そして、――おじさんの顔を。
赤ん坊を見ながら浮かべる顔は、蒼白を通り越し、もはや真っ白に青ざめていた。
通り過ぎる。
夜の道を、慎重に、ゆっくりと走る。まだ心臓はドキドキと早く脈打つのが分かる、ハンドルを握る手は小刻みに笑い始めた。リリィさんは胸を押さえ、はあはあと息を切らす。
「な、何だったんだあれは」
「こ、怖かったー…私、リアル幽霊始めて見た気がするよ」
「…………。」
ん…? 男の様子が変だ、頭を抱えて…何なんだ、ホントに今そういうのは止めてくれ。
「ど、どうしたんだ?」
「……お、俺、最後見たんだ」
「あ、…ああ、おじさん、凄い顔色だったな」
「いや…いや違うんだ、赤ん坊、後部座席に乗ってた俺だけ見たんだよ、すれ違う瞬間、こっちに気が付いたみたいに振り返って…」
「な、なんだ、何を見たんだ」
「き、聞きたくない聞きたくない! 君っ! 話すなよ、それは墓まで持っていってくれ! 言うなよ!? 絶対だぞ!?」
「…………口が、口が動いてた、何か言ったんだ俺に向かって」
見た、あのおじさんが蒼白になったのも、じゃあ、あの赤ん坊が何かを言ったせい――――。
「見たんだ、俺、口の動きを、分かっちまった、きっとあれは言ってはいけない言葉、口に言う、どちらも言葉を介して発動する。まじない」
「なっ! バカ!! やめ――――」
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読んでいただきありがとうございます、トネリカズアキです。
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24/02/11→ new!『ダンジョン前のチケットもぎり、裏ルートで最強になる!』を連載開始しました!こちらも面白いので是非!