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:短編 ≪真夏の宵に搔き暮れる≫
呪詛。
じゅ-そ 【呪詛】 のろうこと。「敵を~する」「~の言葉を唱える」 ◇「呪咀」とも書く。
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「ぷはあああああ!!!! だからよお、そいつは呪いの言葉で殺されたってわけ」
「君、いくら何でも飲み過ぎではないか? その話も止めたまえ、気味が悪い」
「君が悪い? んだよ、俺は悪くねーだろおおがよおおお、あ、おねーさん、ビール持ってきてー!!」
「完璧に出来上がっているな、リリィさん、一体何なんなんだこの男は」
私たちは仕事帰り、蒼天の湯という温泉施設に足を運んでいた。時刻は深夜を過ぎ、時間的にも、精神的にも、そろそろお開きにしようかという頃合いに、この男、ジンといったか、リリィさんの知り合いだとか何とかで、食事中にも関わらず意味不明な怖い話をつらつらと語りだしたのだ。私もリリィさんも怖いのは苦手なのだが、もうそれ以前の問題で、まったくもって意味が分からないのだ。酔い過ぎたのかフラフラになりながら話すそれは、怖い話というよりも字幕をつけ忘れた映画のように私にはさっぱりと意味が分からなかった。だがリリィさんはよほど怖いものが苦手なのか、この意味の分からない話でも雰囲気を察して、というより察知して、恐らく話の盛り上がりのポイントで周りにバレない程度にビクッと震えていた、私には机の振動で怖がっているのはバレバレなのだが、リリィさんの見た目も相まって大人に見えるよういつも振舞っているので、そんな強がりも何だかこの人が人間に思えて、勝手ながら親近感を抱いていた。
リリィ。リリ・リマキナ、本名だ。
私から見たリリィさんは幼い子供ではなく、ましてや外人金髪ロリ幼女でもなく、私から見たリリィさんは、超人だった。地方の女子高からデザインの専門学校に通うため上京をし、<世界で活躍しているデザイナーのリリィさんのように>を目標にこれまで頑張ってきたが、ある、まあ本当に小さなきっかけでこうして日本に来ていたリリィさんの弟子として今は仕事をさせて貰っている訳だ。幸せだ、あの憧れのリリィさんの元、仕事をさせて頂けて本当に今幸せなのだが…現在という意味じゃない。
「呪いっつうのはよー口がついてるだろー、呪詛も同じだよ、口に言う、どちらも言葉を介して発動することを、ヒック、しめしてんだなあ」
「わ、わかった、わかったからもう止めておきたまえ、ほら、口にも食べ残しが付いてしまっている!」
「なっ!? リリィさん、その男とつ、つつ付き合っているのか?」
「は、は!? な、何を突然、そんなわけないだろう! こんなロクデナシ私の守備範囲外だぞ」
リリィさんはそういいつつ、男の口元を拭いた後は、男の机にこぼれた油やソースなどを甲斐甲斐しく拭き、再び席につく。
はあ…この人は。世話焼きと言えばまだソフトに聞こえるほど、リリィさんはとにかく放っておけない性格のようだった。
絶対にダメ男吸引機だ…、勝手にリリィさんの恋愛歴などを想像して身震いする。私が守らなければ。
ジンという男はひとしきり話し終えたのか、飲み終えたのか、勝手に気持ちよくなっておいてこれまた勝手なことに、リリィさんにここの代金を支払うように要求していた、こいつ、一回ぶん殴らないと気が済まない。
リリィさんは最初こそ当然のように男を叱責していたが、男に財布の中身を見せられ溜息をつくと、そそくさと会計に行ったようだった。私も後を追いかけたが、迷惑をかけただとか、弟子の分は自分が払うなどと言って聞かないので退散し、この男のいる席に戻る。なんだろうか、この男と一緒にリリィさんの会計を待つというのはなんだか、一緒にされているようでどうにも嫌な気分だ。私は食器やグラスを店員の運びやすいようにまとめると、この今にも寝てしまいそうな男を叩き起こし、車へと向かう。
深夜の道路、私はリリィさん名義の車を運転し本人を助手席に乗せ、帰路につく。男は後部座席だ。
エアコンとカーラジオの電源を入れる。 -- 八一〇Hz --
スピーカーからはGo All The Wayが流れ始める。
――さらに夜中の道をとっぷりと暮れさせる、そんな気がした。