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過ぎてしまえば面白い

料理と祖母

作者: ひとやすみ

初めて作った料理はお子様ランチ。


キャベツの千切り

ハンバーグ

目玉焼き

赤ウインナー


キャベツは千切りのつもりの短冊切りだったし、ハンバーグはレトルト。

目玉焼きと、赤いウインナーは焼いただけ。

それらをお皿に盛り付けて、私の思うお子様ランチの完成。

この時、私は小学四年生。

母親代わりの祖母が入院して食事を作ってくれる人がいなかったからだ。

仕事から帰って来た父親は誉めてくれた。

「お姉ちゃんが作ったんか?美味しそうやなぁ。」

その言葉が嬉しくて、家事をするようになった様に思う。

祖母が入院して少したった頃、叔母さん達が我が家に来た。

家のかたずけと掃除、食事の支度もしてくれた。

その時に私の愛読マンガを纏めて捨てられたのは、かなりショックだったけど。

料理上手な叔母さんから教えて貰いながら、幾つかのレシピも覚えた。

カレーにソースとケチャップを隠し味に入れるのは、叔母さんに教わった。

私の中で唯一覚えている祖母に教わった料理は、茄子とピーマンの味噌炒め。

一時帰宅で帰って来た祖母が、リビングに敷かれた布団の中から教えてくれた。


私の記憶のなかの祖母は厳しくて叱られた事しか覚えていない。

保育所に通っていたとき、毎日のように同じ村の子に苛められた。

東京から来た私の言葉が自分達と違う事と新参ものだから。

泣いて帰って来ると、

「やり返して来るまで帰ってくるな!」

と言われて家から追い出された。


大人になってから叔母さんから聞かされた祖母の気持ち。


祖母の私に対する言動が厳しいのを見かねた叔母さんが祖母に言った。

「お母さん、もう少し〇〇(私の名前)に優しくしてやれば良いじゃないの。」

「・・・私はいつまでも生きていられる訳じゃ無い。」

「あの子が困らない様に少しでも色々な事を教えておいてやりたい。」

幼い頃、何処で遊んでいても必ず祖母に見つかり、炊飯器のスイッチを押す為だけに帰って来るように言われていた。

当時は、祖母が押せば良いのに何故わざわざ探しだして迄スイッチを押させるのか解らなくて不満だった。

叔母さん達は子供の頃から祖母に叱られた事は無かったので、優しい祖母が孫に厳しくするのが理解出来なかったらしい。

母親のいない孫を不憫に思い優しくするのではなく、将来を見据えて厳しくする事に決めたそう。


叔母さんは、まだ若い父親が乳飲み子と幼い子供達を育てるのは無理だと思い、今でいう児童福祉施設へ私達を連れて行ったそうだ。

呼ばれる順番が近づくにつれ心に迷いが生まれ、名前を呼ばれた瞬間、私達の手を引いて逃げ出していた。

祖母に泣きながら電話を掛けて事情を話したら、

「そんなところへやらないで!私が育てるから!」

と言われたそうだ。

男の子しか居なかった叔母さんのところへ、まだ乳飲み子だった妹を養女に欲しいと話もあったそうだが、父親は承諾しなかった。


雪が降り積もる堤防の道を、父親の後に付いて歩く私がいる。

長靴の先を見ながら、(これから、どうなるんだろう?)と考えていて、

父親の実家の勝手口が見えた所で記憶は途切れている。

この時、多分3歳。


祖母は、コーヒーが好きでハイライトを吸っていた愛煙家だった。

当時を思うと、随分と砕けたおばあさんだよねぇ・・・







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