事実は小説よりも奇なり
『川越くんに綾子のアドレス教えて良い?』
時間は少しだけ遡り、川越が加藤からメールの返信を受け取る少し前。加藤は、一応事前に確認をとっていた。本心ではあまり綾子と関わりたくない、業務連絡的な味気無いメール。
綾子は、携帯に届いたそのメールを開くとほぼ同時にして、自身の経験から川越と加藤の間でどういうやり取りがあったのかを理解していた。
『良いよ』
綾子は即答した。メールがきちんと送信された事を確認すると、内心に留めておくべき笑みが零れる。今回は後藤の時と違い、綾子は本当に以前から川越の事を気に掛けていた。綾子にとっても、そういう相手と付き合うのは久しぶりであり、思わずにやけてしまうのも仕方ない事だった。
パチン。綾子は携帯を閉じ、川越からのメールを待った。
***
『突然ごめん。あやって今彼氏いる??』
川越は、自宅の部屋で携帯に文章を打ち込んだ。当然、この言い回しは建て前であり、川越は今綾子に彼氏がいない事を知っている。
親指が、送信ボタンを押した。するとすぐに「送信しました」の文字が表示され、川越は一旦携帯を閉じた。実際、今川越はそれ程緊張していない。それは、綾子が告白をほとんど断った事のない人間だというのもあるが、結局の所、川越も自分が女子から人気の高い人物だと理解していた事に起因する。もっとも、川越の場合のそれには綾子の様に捻くれた感情は含まれていないのだが、ただ、川越がこれまでにどの様な人生を送ってきたかを考えれば、この様に多少傲慢な意識を心の奥底に抱えていても仕方のない事である。
『びっくしたあー! いきなりどうしたの? いないよ!』
返事はすぐに返ってきた。それを見て、川越はまた間髪入れずにメールを打つ。
『あのさ……。俺、ずっとあやの事気になってたんだよね。もし今あやがフリーなら、付き合って欲しい』
川越は、すぐ本題に入ると初めから決めていた。何故なら、川越にとって今もっとも重要なのは綾子と付き合う事であり、無駄に二通三通と前置きを挟むよりも、とにかく早く色好い返事を欲しがっていた。
川越は流石に少し緊張しながら、送信ボタンを押した。
……四分、五分、六分。メールの間隔が空く。これに、川越は少し違和感を覚えた。綾子なら即返事をくれるものとばかり考えていたのだ。
もしかしたら、振られるかもしれない。川越の頭を不安が過ぎった。ほぼ現実味すら帯びていなかったそんな考えが、川越の中で大きく膨らむ。
その時、メールを受信した合図に携帯が振動した。川越は折り畳まれた携帯を反射的に開き、松原綾子の名を確認した。
息を呑み、頬が赤らむ。川越は意を決し、メールを開いた。
『本当!? えっ、いや、今びっくりしすぎててヤバい!』
それが一行目。本文は、改行を挟んだ後に続いた。
『もし……川越くんが冗談で言ってるんじゃないんなら、是非、お願いします』
川越は、一人でいるにしてはとても大仰な、ガッツポーズでその喜びを表現した。
***
川越の告白から、更に数時間が経った。
川越にメールアドレスを教えた後、加藤もまた自宅の部屋で告白の結果を待っている。実は、加藤も川越に対して恋心を抱いており、その心中は穏やかでは無かった。よりにもよって、川越の告白の相手はあの綾子である。
天井を仰ぎ少しだけ呆けていると、携帯が鳴った。届いた二通のメールの送り主は、川越と綾子。
加藤はため息をついた。ここで二人からメールが届くという事は、つまりそういう事だ。加藤はメールの受信ボックスを開き、川越のメールを先に読んだ。
『綾子と付き合う事になった!! マジありがと!』
加藤の心の奥底から、嫌悪感がどっと噴き出す。
怒りなのか、嘆きなのか。筆舌叶わぬ感情を何にぶつければ良いのか分からず、加藤は手の中の携帯を握り締める。
(……メール、返したくないな)
だが、川越からすれば加藤の恋心など知る由もなく、いくらなんでもそれは不自然だと、加藤は自分を言い聞かせる。
もし、明日学校で川越から笑顔でこの話をされたりしたら、一体自分はどんな顔でそれを聞けば良いのだろう。加藤はそんな事を考えながらメールの返信は後回しにし、先に綾子のメールを読んでみる事にした。
恐らく、綾子も川越と同じく付き合う事になったとの報告だろう。加藤はそれを直視するのが嫌で、少し目を細めて、そのメールを開いた。
『川越くんからメール来ないんだけど』
一瞬、何を言っているのか分からなかった。
直後、糸の様にか細い一つの考えが頭の中に浮かぶ。それは、恐怖にも似た一抹の不安。震える手で、たどたどしく携帯のボタンを押した。
一番始め、川越に送った一通のメール。全ての引き金となった、始めのメール。
加藤が川越に教えていたのは、綾子と同じ名前をした、別人のメールアドレスだった。
昨日、初めて感想というものを頂きました。
その嬉しさは、まさしく他の何物にも例え難いもの。
この作品を書き始めてから、寝る時間を削って書いてきたのは無駄では無かったのだと、少し大げさに言えばそう思える様な出来事。
これからも、読んで下さる方の為、自分の為、精一杯頑張っていこうと思えたのでした。