雀百まで踊り忘れず
綾子は、恋に夢中になろうとする。それは、普段の学校生活において異性との恋愛以外に楽しみを見出せない事に由来する。
別に、別れてくれと言われてそれを引き止める様な事はなかったが、付き合っている間は「恋する乙女」を本能で演じる。そうする事で、自分は友達と呼べる人間がいないことを不幸に感じてなどいない、自分の学校生活は充実しているのだと周囲の人間に思わせようとしているのだ。
そして、高校生活において恋人がいる事を十二分に楽しめるイベントと言えばそれは言うまでもなく修学旅行や体育祭といった大きな学校行事であり、それは綾子にとっても例外ではない。こうした行事の間は何かある度に恋人の元を訪れ、周囲に優越感を撒き散らす。これこそが綾子の最大の楽しみであり、その理由は不純なものであるのかもしれないが、結果学校行事を楽しみにしているのは他の生徒と何ら変わらなかった。
――学校祭を一週間後に控えた綾子と川越は、肩を並べて自転車を漕いでいた。
とりとめない会話にも花が咲き、意識する必要なく笑みが零れる。当時の事を知らない川越には比べるべくもなかったが、その笑顔は後藤と付き合っていた頃のそれとは全く違った。
「ね、康介のバンドのライブは二日目だよね?」
沈みかけた夕陽に向かってペダルを漕ぎながら、綾子は爽やかな表情で切り出した。
「うん。絶対見に来てね」
「行くに決まってんじゃん」
綾子は、当たり前だというように語調を強めた。それを聞いて、川越は安心した様に笑みを浮かべた。
――綾子は、去年も川越がボーカルを務めるバンドのライブを見ていた。その完成度は高校生バンドのそれとしては中々高く、素人目に見ても他との違いは明らかだった。特に、その中でもボーカルを務める川越の評判はすこぶる良く、黄色い声援の量が半端では無かったことを綾子は覚えている。
そして恐らく、今年もそれと同等、もしくは去年以上の活躍を川越はするだろう。そうした時、その彼女である自分は一体どういった目で見られるのか。
ライブ直後、川越に対して憧れを抱く一年生はきっといる。その目の前に、自分はタオルとドリンクを手に現れるだろう。何をどうしたって叶わない恋だというのを一年生にはっきりと認識させながら、自分は体一杯の優越感に満たされる。
当然、それは同学年や上級生の間でも同じ事が起こるだろう。そう考えると一体、自分は当日どれだけの人間から羨望と嫉妬雑じりの視線を浴びさせられるのか。
そう考えると綾子は、零れ出る笑みを抑えきれずに、それを会話の中へと溶け込ませた。