聖女による消失の日を超えて
前作とリンクしていますが、単話でもお読み頂けると思います。
生まれた時から傍にいる存在があった。
その存在は幻獣と言って、人を愛した女神様の加護の奇蹟だと言われている。
幻獣は親よりも近く自分の半身とも言える存在だ。
「アーテルお願い」
私が声をかけるとアーテルは頷き、種を蒔いたばかりの畑の上を飛び回る。
私の幻獣・アーテルはアルセイスと呼ばれる良くいるニンフの一種だ。
森の力を持っていて、草木の成長を助けてくれる。
「ありがとうアーテル」
お礼を言えばアーテルは緑の羽根を嬉しそうに羽ばたかせた。
「さて、今日は忙しくなるわ」
手に付いた土を水魔法で瞬時に綺麗にすると私は家へと戻った。
今日は弟のデレクが王都の騎士団へと出立する日だった。
デレクの幻獣はフェンリルと言う珍しい高位幻獣だった為、十歳になったら王都へ行くことが幼い時に決まっていたのだ。
玄関を開ければフェンリルのウィドがふてぶてしく寝そべっていた。
ウィドは中型犬ほどの大きさで、良く犬と見間違えられる。
「ウィド、デレクは?」
ウィドは私の声に片目を開け、面倒臭そうに首を持ち上げると奥のドアを示した。
「まだ拗ねてるの?」
『そのようだ』
頭に直接響くような声はウィドのものだった。
普通であれば自分の幻獣以外と意思疎通は出来ない。
だから初めてウィドに話しかけられた時の驚きは今でも忘れられない。
後々高位幻獣の中には人語を話すものもいると教えられ、今ではすっかり慣れたものだ。
「デレクの幻獣なんだからウィドがどうにかしなさいよ」
『断る。我だって鳥が大きな顔をしている王都には行きたくないからな』
「またそんな失礼なこと言って」
どうやらウィドは王太子殿下の幻獣様で同じ高位幻獣のフェニックス様とは大変仲が悪いようだ。
そこに臣下としてデレクが騎士団に入るものだから、自分もフェニックス様の下に入るようで気にくわないらしい。
本来なら同じ高位幻獣のウィドも敬うべきなのだけど、そこは弟の幻獣。
しかも毎日一緒に生活しているのだから扱いが雑になるのは許して欲しい。
「ウチの男どもは情けないわね」
アーテルに話しかければ彼女は楽しそうに笑っている。
「とは言っても馬車を借りに行った父さんたちが戻って来てしまうし……仕方ない」
私は奥のドアをノックもせずに開くと、ベッド上の布団の塊を風魔法で剥いだ。
下でうずくまっていたのはまだ寝間着を着たままのデレクだ。
「デレク! いい加減にしなさい!」
「やだ! やっぱり僕に騎士団なんて無理だもん!」
「その話はもう済んだでしょ! 早く着替えなさい!」
「姉さんが勝手に済ませただけで僕は納得してないよ!」
「ええい! 我が弟ながら女々しい!」
「だいたい僕が騎士団に行かなきゃいけないのは姉さんたちのせいじゃないか! ──あっ、」
デレクは自分で言った言葉が失言だったとすぐに気付き、両手で口を覆った。
私は喉まで出かかった言葉を飲み込んだ上で、無理やり笑って見せた。
「……そう、ね」
幻獣の種類は様々で、女神に近しい高位幻獣ほど希少で数は少なくなる。
ゆえに平民の生まれながら氷の幻獣最高位の一角であるフェンリルと絆を結ぶデレクは羨望と嫉妬の対象だった。
嫉妬と言ってもデレクに直接被害があるわけではない。ウィドがデレクを守るからだ。
その吐け口はより弱い方へ──つまり私たち家族だ。
家族を守る意味でも、デレク本人を守る意味でも、貴族の養子にしては? と言う話は両親の中でもあったらしい。
けれどそれはデレクを養子にしたい貴族の中でいらぬ争いを呼ぶことになるらしく実現することはなかった。
困り果てた私たち家族を見かねた近くの神殿の司祭様が、騎士団への道を示して下さった。
それはデレクとウィドは王に仕えると宣言すると言うものだった。
王の物に手を出す貴族はいない。
もちろん平民も同じだ。
助言の通り、五歳のデレクが王家への忠誠を示してようやく表向き平和な日常を取り戻すことができたのだ。
「……ごめん姉さん。本当はこの方法しかなかったこと分かってるんだ。八つ当たりしてごめん」
「いいの。いいのよデレク」
俯くデレクの頭を優しく抱き込む。
「でも覚えていて。女神様は私たちを幸せにしてくださる為に幻獣を遣わして下さったの。だからきっとデレクとウィドが進む道も幸せに繋がっているわ」
「……うん」
抱き返してくるデレクの背を優しく撫で、私は弟の未来を祈った。
そして両親が借りて来た馬車に真新しい騎士服で乗り込むデレクとそれに付き従うウィドを王都へと見送ったのだった。
***
デレクとウィドを見送ってから二年が経っていた。
定期的に送られてくる手紙には仲間たちと仲良くやっているらしいことが書かれている。
騎士団にはフェンリル程ではないが、それなりに珍しい幻獣を持つ者が複数いるのであまり注目を集めることはないようだ。
騎士団でも嫌な思いをしていたらと心配していたが、杞憂で終わって良かったと思う。
火魔法でランタンに灯りを入れ、今日届いたばかりの手紙に目を通す。
案の定、聖女様と王太子殿下のことばかり書かれていた。
少し前に古くから伝わる厄災、古の魔女の復活が国から知らされた。
魔女は加護を食い潰すとされ、食い潰された地は魔法が使えなくなるばかりか、魔性も生まれると言われている。
けれど聖女様が召喚され、王太子殿下と共に旅立たれ、古の魔女を封印し、国を救ってくださった。
幸い、と言っていいのか悩むけど、フェンリルと絆を結ぶデレクはまだ幼いと言う理由で旅のメンバーからは外されていた。
「『でも本当はウィドとフェニックス様の仲が悪いから置いていかれたんだ』って──ふふっ、ウィドも相変わらずなのね」
文字の向こうに不機嫌なウィドの顔が思い浮かぶ。
それにしても、なぜ王太子殿下自ら危険な旅に同行されたのかと疑問に思ったが、デレクの手紙を読み進めれば答えが書いてあった。
王太子殿下の幻獣様であるフェニックス様は火の幻獣最高位の一角で不死の加護を持つ幻獣らしい。
その戦闘力の高さはもちろん、加護を受ける王太子殿下は即死でない限りどんな怪我でもたちまちに治ってしまうそうだ。
それに加え王太子殿下ご自身の剣術の腕も相当で、戦力として申し分ないため身分を隠しての同行になったそうだ。
「これって国家機密なんじゃ……?」
読み進めるうちに心配になるものの、それもやはり手紙に答えが書いてあった。
フェニックス様の加護のことは王都なら平民でも知っていることだから国家機密じゃないよ、と。
「……ねぇアーテル。デレクったらちょっと生意気になったと思わない?」
先読みされたようで少し面白くない。
アーテルに向かって拗ねたように言えば、彼女は私の頭を優しく撫でてから続きを促す。
どうやらアーテルもデレクたちのことが気になっているようだ。
「ええっと『聖女様は王太子殿下と仲睦まじい様子です。姉さんはどうですか?』……って、」
フルフルと手紙を握る手が震える。
アーテルは慌てたように机上の物陰に隠れた。
「──どうせフラれたわよ!」
ダンッ! と机上に打ち付けた手の中でグシャリ、と手紙が形を変えた。
つい先日まで婚約者がいた。
同じ村の一つ年上の男だ。激しい恋ではなかったけど、穏やかな家庭を築けると思っていた。
──それが!
行商に行った先で浮気したのだ!
浮気したくせに都会の鍛冶屋に婿入りが決まったと自慢してくるし、なにより言い訳が最悪だった。
「俺の幻獣は火のサラマンダー、お前の幻獣は森のアルセイス。元々縁がなかったんだ」
確かに火と森の相性は悪いかもしれない。
けれど幻獣の相性は人間の相性に関係がないことなど子供でも知っていることだ。
「思い出しても腹が立つ! なにが『彼女の幻獣は火のウィスプで俺と相性抜群!』だ! あんたじゃなくてサラマンダー目当てじゃない!」
鍛冶屋には強力な火力が必要だ。
ウィスプなんてただの種火にしかならず、下位幻獣の中でもそれなりに強力とされるサラマンダー持ちの元婚約者が目を付けられたのだろう。
元婚約者は先方から支度金をタップリ貰っていたらしく、悪びれる様子もなく親兄弟を引き連れさっさと都会へと引っ越して行った。
ロクな謝罪もなく逃げた婚約者を思い出し、ギリギリと歯噛みする私をなだめようとアーテルが周囲を飛び回る。
──その時だった。
ピクンッ!と小さな身体を跳ねさせたアーテルが私を悲しそうに見つめた。
「アーテルどうしたの?」
アーテルの悲しい気持ちが流れ込んでくる。
これでお別れだと彼女は言う。
「待って、お別れってどう言うこと? ──アーテル!」
けれどアーテルはなにも言わずに姿を消した。
その瞬間、自分の中からごっそりとなにかが抜け落ちた。
自分を支えることも出来ず、座っていた椅子から滑り落ちた。
震える身体を抱きしめるが、歯の根が噛み合わずにカチカチと音がなった。
「──……あー、てる?」
幻獣の、私の半身の名前を呼ぶが応えることはない。
じわりと涙が浮かぶ。
「アーテル! アーテルどこっ⁉︎」
部屋中を探し回るがアーテルの姿はどこにも無かった。
とにかくただならぬ事態に両親に知らせなくては、と風魔法を使おうとして気付いた。
「──魔力はどこ?」
魔法を行使する為の魔力の流れが見えなくなっていた。
「なんで……?」
突然変わってしまった世界。
一体何が起きたのだろう。
「ティルナ!」
「──っ、父さんっ! アーテルが!」
「お前もか……」
部屋に飛び込んで来た父は私の言葉に脱力し、その顔色は青い。
「お前も、って……父さんの幻獣も?」
「あぁ。母さんもだ」
「そんな!」
あまりのことに言葉を失う私に父は再度問うた。
「……それと、魔力の気配は感じられるか?」
私は無言で首を横に振った。
重苦しい空気が流れる。
ふと父が机上のランプに目を止めると、何かに気付いたようだ。
「ティルナ、ランプの火を竃に移しておいてくれ」
「竃に?」
「魔法が使えない以上、火種は残しておかなければ」
父の言葉にハッとした。
火種だけじゃない、生活する上で必要な魔法が使えないことに改めて気付かされる。
「……わ、私たちどうなるの?」
「わからない」
父はゆっくりと、まるで自分に言い聞かせるように「だが」と言葉を続けた。
「──だが、それでも私たちは生きて行かねばならないんだよ、ティルナ」
父の言葉に私は力無く頷くことしか出来なかった。
***
幻獣と魔法が世界から消えた【消失の日】から数年が経った。
当時はひどく混乱していて、正直日々を生きるのに精一杯で記憶が曖昧だ。
火種は絶やさず、水は共有し、とにかく村全体で協力して乗り越えた。
幸いにも我が家はアーテルが長年畑に森の力を注いでくれていたおかげで作物の実りが良く、食料に困ることも無かった。
そうしている内に新しい生活の知恵と共に我が国の王族と貴族の失態が国中に──いや、世界中に広まった。
王族と貴族の集まる夜会で聖女様を貶め、怒った聖女様が加護を奪ったそうだ。
アーテルとの突然の別れはそう言う理由だったらしい。
村の人たちは加護を奪った聖女様を悪く言っていたけど、私はそうは思えなかった。
(家族や生活を奪われた聖女様が、同じように私たちから幻獣と魔法を奪っただけ)
つまり因果応報。自業自得。
異世界から召喚した聖女様を封印具としてしか扱わず、意思のある一人の人間として見ていなかった王族と貴族が悪いのだ。
私たち平民や他国の人はそれに巻き込まれただけなんじゃないかと考えていた。
──あぁ、でも。
私は思い直す。
多くの人が古の魔女を退けて下さった聖女様を有難いと言っていた口で悪態を吐く今のこの状況。
私たちは聖女様は世界を救う存在、と教えられてきた。
だから私たちも聖女様に救われて当然だと、それが当たり前だと思わなかっただろうか?
私たちの世界の都合ばかり押し付け、聖女様がいたはずの世界のことなど考えもしなかった。
私と歳の変わらない女性がたったひとりで家族も友人もいないこの世界でこれからも生きて行くのだと思い至れば、胸に苦いものがこみ上げた。
今日も畑に種を蒔き、宙を見上げる。
「アーテルお願い」
けれどそこにアーテルの姿はない。
加護の消えた今、願うことに意味はないと言われるけど、それは私の気持ち次第だと思ってる。
だって今も目を閉じれば畑の上を飛び回るアーテルが見える気がするからだ。
そうそう、騎士団にいたデレクも【消失の日】以降すぐに団を辞して戻って来ている。
ウィドのいないデレクなどロクに剣も使えないただの十二歳のひ弱な少年でしかない。
穀潰しを養う余力は無いと言われて村へ戻されたのだ。
今では立派な青年になり、騎士団の経験を生かして父と共に傭兵や冒険者のようなことをしている。
一度【消失の日】のウィドについて聞いたことがある。
デレクは当時を思い出し返し、少し笑いながら教えてくれた。
「半身を失ったあの喪失感はみんなと変わらないと思うし、突然のことで良く覚えてないんだけど……」
そう語尾を濁したデレクは誰に聞かれる訳でも無いのに私に顔を寄せ小声で続けた。
「──寝る時、ベッドを一人で使えたのが嬉しかったことは良く覚えてるんだ」
どうやら騎士団では相部屋でウィドが寝る場所がなく、一人用のベッドで一緒に寝ていたらしい。
それはさぞ互いに窮屈だっただろうな、と想像に難く無い。
「ふふっ」
思い出すと笑みが浮かび、心が温かくなる。
みんなは【消失の日】で全てを失くしたと言うけれど、こうして思い出はちゃんと残っている。
「おかあさーん! おきゃくさーん!」
呼ばれた声に振り向けば、畑を囲う柵のところで大きく手を振る娘の姿。
アーテルの畑は収入を得るために食料畑から薬草畑へ切り替えた。
畑には未だに森の力が働いているらしく、育つ薬草はどれも効能が高いと近隣の薬師たちに贔屓にして貰っている。
時々遠くから買い付けに来る人もいて、収入は安定しつつあった。
もしかしたら見えていないだけで未だにアーテルが力を貸してくれているのかもしれない。
娘の後ろには客だと思われるフードを深く被る人の姿。
そして客のすぐ側には大きな犬──いいえ、あれは狼──が並び立っている。
「──ウィド?」
袖口で目を擦って再度視線を向ければ娘と客の姿しかなかった。
目を何度か瞬くが見える景色は同じ。
気のせいだったのだろうか?
「……それもそうか」
もう会えないのだし、と苦い笑いが浮かぶ。
そして手に付いた土を叩き落とし、娘と客の元へ。
「案内ありがとう」と娘に微笑むと、得意げな顔で家へと戻って行った。
あれから私も良い縁に恵まれ結婚し、娘も産まれた。
確かに私たちは【消失の日】に多くのものを失い、不幸の底に落とされた。
もう笑える日など来ないと誰もが思っていた。
けれどその悲しみを超えて、こうして再び幸せだと思えるようになったのも紛うことない事実。
人間とは図太く逞しいものだな、と思う。
思いを巡らせていたが、客がいることを思い出す。
私は慌てて客の方へ向き「お待たせしました」と声を掛けた。
すると客は微笑ましげに「可愛いお嬢さんですね」と若い女性の声で応えた。
私たちはしばらく世間話のようなやり取りを交わした後、商売の話へと移った。
必要な商品を渡して見送ろうとしたその時、客のフードから黒髪が一房滑り落ちた。
「──っ!」
私は目を見開き、息を飲む。
この世界で黒髪を持つ人間はひとりだけだ。
絶句する私に気付くこともなく彼女は「ありがとう」とその場を立ち去ってしまった。
唇が戦慄き、声にならずに言葉が消える。
伝えたい言葉は山ほどあったはずなのに。
けれどあまりに突然のことで何ひとつ言えず、すでに姿の消えた彼女を呼び戻すことも出来ない。
私の頭は彼女の立ち去った方向へ自然に下がった。
謝罪の言葉をいくつ重ねようが私たちの罪は消えないでしょう。
それでも貴女の幸せを願わせて欲しい。
そして出来るなら、私たちが幻獣も魔法も消えたこの世界で幸せを感じる我儘をお許し下さい、と。
初投稿である前作『召喚された聖女は国を滅ぼすことにした』にたくさんの評価とブクマ、そして感想をありがとうございました。
聖女の扱いの酷さと王太子がなぜ騎士として同行したのかについては設定はあったものの、短編に組み込むとテンポが悪くなったため触れませんでした。
ですが疑問に思われた方が少なからずいらっしゃいましたのでこの短編が補足になれば、と思います。
(さらに疑問が増えた、とも言われそうですが……)