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第一皇子の後悔

 ヴェルフィエ大陸の中心にある我がアーテミア王国は、豊かで膨大な大地の上にあった。地形に恵まれ、土が良く作物がよく育ち、大きな災害も殆どなく、そのため戦にも強く、とても恵まれた住みやすい国として有名だった。

 どの国もアーテミアを欲しがったし、同盟を組みたがった。民たちがいつも笑顔でいられることが、王族である私の最大の誇りだった。アーテミアは私の宝だった。


 そんな我が国に、後に"聖女"と呼ばれる存在が現れたのは、今から五年前のこと。


 アーテミアは当時敵対していた国との戦で疲労していたところに雨が降らず干ばつが続き、終いには飢饉が重なり国庫が底を尽き、対策に考えあぐねていたところだった。


「肥料?」

「はい。森の落ち葉の下にある黒い土には栄養があって、それを畑に入れると作物が良く育つんです。あと灰も撒くと良いです」


「それから聞いたところ、今までは牛や鳥の内臓は捨てていたとか。確かにきちんと処理をしないと危険ですが、捨てずとも食べられます」


「あと干ばつですが……これは根気よく待つか、一か八か雨ごいをしてみましょう。確か高い山の山頂で大量に焚火をして塵や誇りを上に送ればよかったはず……これは確証はありませんが、兎に角やってみましょう!」


 この時まで彼女はただの"来訪者"だった。

 我が国では時折異世界の者が降り立つという言い伝えがあり、伝承によれば"来訪者は異世界の様々な知識を駆使し、アーテミア王国の建国に貢献した"と残されたいた。そのため我が国では来訪者が現れればその者がいつか無事に帰るまで国で保護するという役目を担ってきた。


 今までにも何人か来訪者の記録は残されており、その全ては必ず国に無事帰ったとあった。そして、それだけだ。

 建国以来、来訪者が我が国に何かをもたらしたことはない。かといってそれを我が国が良く思わなかったこともない。異世界からやってきた来訪者、右も左も分からないその者に我が国の素晴らしさを伝えられることが出来たならそれでいい。

 アーテミアで何不自由なく、楽しく暮らして帰れたのならそれ以上望むことは何もない。


 あんな最中であっても、国は混乱と不安で満ち、貴族ですら生活を自粛している時、それでも来訪者の為の全ては用意し、こちらは何も望まなかった。

 それがしきたりだから。それが役目だから。私だって、父だって、国民だって、誰も彼女に期待などしていなかった。どんなに来訪者が特別であろうとも、彼女自身はただの人間であることを知っていたから。


 しかし彼女は違った。


 自らの知識を我が国の為に最大限振るい、その手で多くの人間を救った。それは比喩などでは決してない。彼女は自ら現場に赴き、怪我人の手当てをし、その都度新しい知識を提供し、アーテミア王国の危機を救った。

 いつしか国に笑顔が戻り、活気が蘇り、かつての美しいアーテミアに戻った。国は救われたのだ。たった一人の、来訪者、その人によって。


「全ては貴方のおかげだ。ミス・イチジョウ。アーテミア王国一同、心から礼を言う」


 この日、彼女は"聖女"になった。


 それからイチジョウ様が帰るまでの約半年。当時まだ13だった私は彼女についてまわり様々なことを学んだ。異世界の算術、医術、料理、道具、乗り物、その他の多くを。


 彼女が好きだった。恐らく私の初恋だったと思う。イチジョウ様が帰ってしまわれた時には数日は泣き塞いで、数週間してやっと立ち直れたくらいだった。

 一カ月もすると、彼女に教えてもらったことを生かさねばと思えるようになった。ただ凄い凄いとはしゃいでいるだけでは駄目なのだ。私は彼女が救ったアーテミア王国の第一王子。いずれは父上の跡を継ぎ、この国を治める王になる。


「もしイチジョウ様がいつかまたこの国に訪れた時、あの時よりも凄くなったって、素晴らしい国になったって、そう言って貰えるようにならないとな」


 しかしそんな願いは、その次にやって来た"聖女"のせいで無残にも崩れ落ちた。



――聖女様。



 彼女を初めて見た時、私の頭に降ってきたのはその言葉だけだった。それ以外の言葉と思考は全て吹き飛び、その次に私がとった行動は、その人の足元に膝まづいて手を取り、その指に口づけを落とすことだった。自分でもどうしてそんなことをしたのか分からなかった。


 それから国は変わった。僕らは皆彼女に惚れ込み、気が付けば彼女以外どうでもよくなっていた。靄がかかったようにぼーっとしてしまって、父の言葉も、婚約者からの忠告も、大切な妹たちの言う言葉さえも耳障りに感じた。

 聖女様さえそこにいればそれでいいと、本気で思っていた。彼女の言う平和な世界のために、軍隊を解体しようとまでした。そんなことをしても周りの国からの攻撃がなくなることはない。そんなの、考えなくとも分かるはずのことだったのに。


 二人目の聖女が国を変えた。そして彼女が帰って言った時――僕らに残されたのは後悔と絶望だけだった。


 今でも思う。一体何が僕らをそんなにも彼女に惹きつけたのか、未だに分からない。初めて見た美しい人。その人に全てを捧げてしまいたいと思っていたあの時の自分が分からない。分かりたくも、ない。

 ただあの時覚えているのは、彼女の歪んだ笑みと、婚約者の悲鳴、妹たちの悲しみと怒りで染まった顔、そして血に染まる僕の手。

 そして漸く目が覚めた頃にやってきた、三人目の聖女――。


「エド」

「……テッド」

「何を難しい顔をしている」

「……ねぇテッド。やっぱり、今度の聖女も、」


 言いかけて、止めた。ああ駄目だ。あの時の憎しみに染まるテッドの血塗れた顔がまだ忘れられそうにない。


 どうしてだ? 僕たちは幼少期からの友人で、テッドは僕の唯一の忠言者で、何があっても僕が間違っている時は命をかけて剣を抜くと言ってくれた相棒なのに。少なくとも、出会って間もない一人の存在だけで簡単に崩れるような関係じゃなかったはずなのに。


 それともそれは僕がそう思っていたかっただけなのだろうか。男二人が女で友情を捨てることは珍しくない。だけど僕らはそんな関係ではないと思っていた。少なくともあの時までは。例え友情より恋情をとっても、お互い正々堂々、どちらが選ばれても恨んだりしないような、そんな誓いをしたはずだろう。もし僕らがあの時正気であったならば。


 思っただけの想いは呆気なく崩れ落ちて、願った未来は腐り果てて。未だその残骸だけが僕たちの上に降り積もっている。

 そしてその残骸を踏みつけながら今でも僕らは歩いている。


「エド。俺は、あいつらを許せない」

「それは僕もだよ。許すことなんて出来ない」

「ああ。だから、復讐するんだ。俺たちが味わった絶望と悲しみを、あいつらにも」

「……うん」


 テッドの強い意志を持った目を見て、僕は頷くことしか出来なくなってしまう。否、僕にはもうその選択式を選ぶ以外に道が残されていない。既にその道を選んだのだ。今更自分にその気はなかっただなんて言えるはずもない。あの時それを選んだのは間違いなく自分なのだから。


 間違っていたと気づいた時にはもう遅くて、降り注いだ残骸の山が僕らの道を誘導するように制限した。戻ろうにも既に後ろに道はなくて、僕らは間違ってしまったと気づいていながらもその道を引き返すことが出来ない。


 だから進むしかないのだ。例えその先には地獄しかないと知っていても。


 三人目、四人目、五人目……気がつけば残骸の山に立てられた墓標の数を数えることすら止めた時、僕はある時唐突に気づいた。彼女たちがその下に埋まることになったそのワケを。その理由を。


「それは、僕らの、エゴだ……」


 これは復讐などではない。僕は気づいてしまったんだ。


 僕らは確かに彼女ら聖女に散々振り回された。二人目の聖女以来、彼女らが現れその目を見るだけで僕らの判断力と思考は奪われ、彼女らに陶酔し、周りを、国を、自らをも投げ出して彼女たちのために全てを捧げた。彼女が殺せと言われれば僕はきっと父上でさえ手にかけただろう。


 幸い、死人は出なかった。勿論取りかえしのつかないことをした。二度と戻らなくなった関係もある。二度と消えない傷はある。だけどそれは、彼女らが悪いのとは違うのではないか? 僕たちが聖女を好きになったのが例えば、何か変な術だったとしても、僕たちは彼女を自分の意志で好きになったのだ。もちろん、正気に戻った時に彼女にそんな気持ちはなかったけれど、それでも、だからと言って彼女らに復讐をするのとは意味が違くないだろうか?


 ましてや過去の聖女と今の聖女は違うのだ。彼女らは決して同じではない。僕は忘れてなんていないんだ。かつて恋焦れた、国を救った英雄を。


「テッド、僕は、」


 もう既にいない友に言う。もうどんなに叫んでも届かないであろう彼に、届かないような声でわざわざ呟くように言う。


 僕たちは確かに取りかえしのつかないことをした。でもそれは決して二度と取り戻せない何かを奪われたわけでも、失ったわけでもない。まだ僕らはやり直せる場所にいる。否、かつてはいたんだ。あの時戻れていたのならと今を嘆いても仕方ないけれど、それでもきっと明日の僕は今の僕を憂うだろう。昨日の僕ならばと嘆くだろう。


 君は言う。目にもの見せてやると怖い顔をして。でもきっと何人聖女を埋めたって、君のその傷は埋まりはしない。

 例えかつての聖女たちが頭を下げ君に許しを乞うたって。君の気は晴れないのだろう。

 君が求めているのはそういうことじゃない。


「ただ、平和だったあの頃に戻りたいだけなんだ」


 それ以外は望まないよ。望んだら零れ落ちる小さなそれに、僕は唯一望みたいものだけを乗せた。

 君は違うのかい。違わないと分かっていて、それでも彼がそれを認められないと知っていて、そんなことを呟いた。


「聖女様……」


 呟いたそれは今ではすっかり定着してしまった彼女らの呼び名ではなく、初めてこの国で呼ばれた、僕にとっての最初で最後のあの人の敬称。


 僕に多くを教えてくれた彼女がある日言っていたことを僕は今でも繰り返し思い出す。




『この世で最も愚かなことは、過去を振り返って、過去に手を伸ばそうとすることだよ』

『じゃあ昔を思い出すのは悪いことなの?』

『そうじゃない。思い出したり、過去を参考にしたり、反省したりするのは良いことよ。だけど過去にしがみついて、ずっとあの時がよかったって思ったり、あの時こうしていればって意味のない"もしも"にとらわれても良いことはないってこと』

『……』


『いい、エドモンド。よく覚えておいて。過去には決して戻れない。変えることは出来ない。出来るのは、』




「未来だけ……」


 そして、それなら、今の僕たちが、するべきことは――?

○第一皇子

エドモンド・アーテミア

 アーテミア王国の第一皇子。現在18歳。二つ下の婚約者がいる。初めの聖女が初恋の人。現状を変えたいと思いつつ行動はしてない。

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