百八十 祈りの洞
森の奥に隠れるように存在する村。その村に、巨大猪を狩りに来たら、思いもかけない事態に巻き込まれた。
「本当、どうしてこうなった……」
ぼやきつつ、ティザーベルは先導するモーカニールの背中を見る。彼女の兄でこの村の長、バーフは背後でこちらを睨み付けていた。
自分達を呼んでいるという「マレジア様」なる人物に対して、彼は最大の尊敬の念を持っているらしい。
そのマレジア様が、余所者であるティザーベル達を呼んだのが、気に入らない様子だ。
――いい年した男が拗ねるとか……ないわー。
とはいえ、呼ばれたからとおとなしく従っているけれど、このままでいいのかどうかは少し悩む。この先に、何が待っているか見当も付かないからだ。
いざとなれば魔法を使うけれど、あまり人前では使いたくない。いつどこで、誰の目に触れるともわからないからだ。
魔法を禁じる総本山は、ここからさらに西。とはいえ、この辺りもその宗教を信仰していると見ていい。
こんな小さな村でも、気を抜く訳にはいかなかった。
通りを抜ける際、嫌でも村の全体が見える。本当に小さな村らしく、家は概算で三十戸程。村人は表に出ているだけで百人に満たないのではないか。
ざっと見た時に、何かが奇妙に感じられた。何だろう、この違和感は。
――喉元まで出てきてるのにー。あと一歩で出てこない。
しばらく悩みながら歩いて、村の一番奥へと着いた。そこには、他よりも大きな家がある。
といっても、これだけ狭い村だ。作りもあまりいいとは言えず、大きさだけで余所と差を付けたと思われる。
おそらく、ここがバーフの、村長の家なのだろう。では、マレジア様は、ここにいるのだろうか。
家の前で、モーカニールが振り返った。
「これからマレジア様の元へ案内するけど、決して失礼のないように。気をつけてちょうだい」
「具体的には?」
「敬意を払った行動を取って。あの方は、私達にとっては神にも等しい方だから」
モーカニールの言葉に、おやと思う。この村は、他の街のような教会の信者ではないのか。
そういえば、村の中には教会と思しき建物が見られなかった。違和感は、その辺りのものだったのか。
とりあえず彼女には了承を告げ、中に招き入れられる。木造の家屋には、かなりいい木材が使用されていた。この辺りの森で伐採したものだろうか。
――村の邪魔にならないところで、伐採出来ないかなあ。この先を考えて、ちょっといい木材が欲しい。
馬車にも家にも使えそうだ。もっとも、既に馬車は普段使いと大型の二台、家も二人暮らしには十分過ぎる程のものがある。
でも、いつ何時何が起こるかわからないのがこの世の中だ。ついうっかり別の世界に転生してしまう事や、転移してしまう事だって起こるのだから。
家の中は玄関を入ると土間、その奥に上がり框があり、さらに奥には細い階段がある。
まるで、日本の古い家屋を見ているようだ。
「こっちよ」
モーカニールはさっさと先に進んでしまう。その後を追って靴を脱ぎ、上へと上がった。
彼女は右手の引き戸を開けて、さらに奥へと進む。引き戸の向こうには、板張りの広い部屋があり、奥には何やら祭壇のようなものが設えられていた。
――なんとなく、あの形は祭壇というよりは仏壇……
一体、自分はどこに迷い込んだのだろう。
モーカニールは祭壇の前まで行くと、手を合わせて拝む。こんな作法まで見覚えのあるものだなんて。
アデートで見た祈りは、指を組むものだった。祭壇の様式といい、やはりこの村は他の街とは違うらしい。
森の中で取り残されたのか、あるいはその逆か。
――街の連中と一線を引く為に、こんな森の奥に村を作った?
そう考えると、少しは納得出来る。森の中の細い道、こんな場所には似つかわしくない防御用の壁。
それと、バーフをはじめとした若い男の集団。その時、はっと気づいた。この村で感じていたずれの正体。
――そうか、ここ、子供や年寄りがいないんだ。
いくら人口の少ない村とはいえ、偏り過ぎている。少なくとも、モーカニールやバーフくらいの年齢の男女がいるのだから、子供はいても不思議はない。
余所者が来たから家の中に隠したのかもしれないが、こんなにも完璧に隠し通せるものだろうか。子供なんて、親の目を盗んで意外なところから出入りするものだ。孤児院でも、院長が頭を抱えていた。
歪な村の正体に、底の知れない不気味さを感じていると、祭壇を拝んでいたモーカニールがこちらに向き直った。
「こっちに来て」
「ニル」
「兄さんは黙っていて。マレジア様のご命令なのよ」
どこぞのご隠居の印籠のように、マレジア様の名を出すモーカニールに対し、バーフは何も言えずに悔しそうに唸るばかりだ。
この兄妹、兄より妹の方が立場が上なのだろうか。バーフは村長なのに?
内心首を傾げつつも、ここまで来て行かないという選択肢はない。フローネルと顔を見合わせると、彼女も小さく頷いた。
モーカニールの側に二人でいくと、いきなり足下が光り出す。
「これ!」
見覚えのある光景だった。ラザトークスの大森林の地下にあった罠。あれでこの大陸まで飛ばされたのだ。
モーカニールに抗議しようにも、すぐに意識が混濁する。周囲は光にあふれて何も見えない。隣にいるはずのフローネルの存在すらあやふやだ。
光に包まれていたのは、ほんの数秒なのか、それとも数時間なのか。感覚すら曖昧な中、光が消えた。
軽い浮遊感の後、周囲の景色が板張りの部屋から岩肌が向きだしの洞窟に変わっている。
「どこ? ここ」
「祈りの洞よ。マレジア様がいらっしゃるわ」
答えたのは、モーカニールだ。周囲を見ると、フローネルはいるけれど、バーフの姿はない。彼は向こうに置いて行かれたらしい。
洞窟はかなり広く、天井も高い。自然のものなのだろうか。辺りを見回していたら、モーカニールに先を促された。
「こっちよ」
彼女について、洞窟を歩く。足下には木道のようなものがあって、素足でも歩きやすい。
その木道に沿って、奥へ奥へと進む。
「あの家から、どうやってここへまで来たの?」
「知らない」
にべもない。あまりにあっさり返されたので、ついむっとしてしまった。
「ちょっと」
「本当よ。マレジア様がお使いになる技は、私達にはわからないの」
どうやら、モーカニールは対人スキルが低いらしい。悪意は感じないが、素っ気なさ過ぎる。また、言葉が足りない。おそらく、兄妹げんかもその辺りが一番の要因ではないだろうか。
もっとも、余所の家族関係に首を突っ込む気はないけれど。
木道は洞窟の中を奥へと伸びている。洞窟はゆるく蛇行しているらしく、奥が見通せない。
壁に所々明かりがついているので、暗闇に戸惑う事がないのは助かる。それにしても、いつになったら、目的地に到着するのやら。
――ちょっとだけ……
ティザーベルは魔力の糸を奥に向かって伸ばした。だが、途中で糸が消える。
「え……?」
「どうかした?」
「な……んでも、ない」
動揺しすぎて、声が震えるけれど、モーカニールは気づかない様子だ。その代わり、隣にいるフローネルにはしっかり気づかれたらしい。心配そうな顔でこちらを見てくる。
問題ない。そう伝えたくて、何とか笑顔を向けた。それにしても、この洞窟は一体何なのか。糸が消されるなんて経験、今までした事がない。
そう、弾かれたでも断ち切られたでもなく、消えたのだ。まるで糸の先が煙りになってその場からなくなったように。
この奥にあるものがやったのか、それともあの村の神、マレジア様とやらの仕業か。
警戒度を最大に上げて、ティザーベルは洞窟を行く。やがて、奥に木製の格子戸が現れた。その奥には、障子戸が見える。
「マレジア様。客人を連れて参りました」
「お入り」
モーカニールが格子戸の前で声を出すと、中から声が響く。高すぎず低すぎず、耳に心地よい声だった。
失礼します、といいながら引き戸を引いたモーカニールに続き、ティザーベル達も中に入る。既に土足ではないので、そのまま上へと上がった。
障子の前に三人が立つと、向こう側から両脇に引かれ、向こうが見える。
「よく来たね、異邦の魔法士」
一番奥に座る、白髪を日本髪に結った女性が、そう告げた。