第九十話 よし、電撃訪問しよう その二
昼食を食べに食堂を訪れたファルナはふと首をかしげる。視線の先には人だかりがあり、中でもよく目立つ筋肉モリモリな料理長が嬉しそうに騒いでいるのだ。
「よく帰ってきたなっ、おい!!」
料理長の言葉にファルナの眉が微かに動く。帰ってきた、とは、それはまさか……っ!!
「よし、今日は俺の奢りだっ。腹ペコ小娘の気の済むまで食べやがれ!!」
ビックン! と肩が跳ねたかと思えば、そこからは早かった。床を蹴る、走る。メイド服がはだけるのも構わず人だかりをかき分けて、その奥に待つ憧れを発見する。
青のネグリジェ姿といつもと違う服装ではあった。そんなの関係ない。ミリファがそこにいたのだ、それ以外の些事なんて今は目に入らない。
「ミリファさんっ、良かった無事だったんだねっ!!」
「ふにゃあ!?」
思いきり、であった。
それはもう全力で、飛び込むように、その存在を取り込むがごとく、抱きしめたのだ。
なぜか青のネグリジェ姿であったと、今更ながらに思い出すファルナ。それはもうスケスケで、つまりは薄さを極めており、これまでメイド服で遮られていたミリファの温かさやら感触やらがよりダイレクトに伝わってくるのだ。
「あ、これ、そんな、あうう!!」
ぽんっ、と瞬間的に顔が真っ赤に染まるが、それでもミリファを抱くその腕の力を緩めたりはしなかった。そんなの、できるわけがなかった。
「あー……心配かけちゃったんだね、ファルナちゃん。でも、ほら、『伝わった』からさ、無事に帰ってきたよ」
「うん、うんっ、本当にご無事で良かったっ」
「そっかぁ」
「……、本当に、えっと、良いよねこれ。はうう」
むにゅむにゅ身体を触れ合わせるファルナの蕩けきった表情を察するに、二度紡がれた『良い』の意味がどうにも違う気がしないでもないが、幸か不幸かミリファが気づくことはなかった。
「ミリファさん、その、何があったの? なんだか誘拐されたとかって話も出ていたけど……」
「何って、それは……ふにゅう」
「え、ミリファさん?」
ぶるっと背筋を震わせ、どことなく赤く頬を染めるミリファ。その様子に言いようのない不安がファルナを襲う。
ついには恥ずかしさに身をよじらせ始める憧れだが、なんだその反応は? まるで生娘が王子様を目にしたようなそれは何を思い出したことが原因であるのだ?
「う、うう、きっ、キスされちゃったんだよね。はじめてだったのに。……でも、凄かったなぁ。キスってあんなにキモチイイんだね」
「…………、」
ギヂギヂギヂ、と。
ミリファの体温やら柔らかさやらを反射的な行動を意図して持続させることで堪能していたファルナが動く。それはもうゆっくりと、ぎこちなく、ネグリジェ姿の憧れと視線を合わせる。
なんだそれは?
今の言葉はなんなのだ!?
「み、みり、みりみりミリファさんっ! 今、なにを、キスう!? なんでどうして好きな人ができたの付き合ったのキスしちゃったのお!?」
「ん? いや付き合ったとかじゃないって。相手女の人だし。ただ、こう、出会い頭にぶぢゅっとやられちゃってさ。びっくりしたよね」
「ぶぢゅっと!? なにそれ、その、羨ましいっ」
「んー? 羨ましい???」
「あ、ああーっ! ちがっ、今のは、その、あの、えっとお!!」
見事な自爆であった。
未だにミリファに対する『好き』の分類を明確にしないようにしているファルナだが、その言葉に全ては現れていた。本能的に溢れた『好き』に唇をむにゅむにゅ動かし、目をふにゅふにゅ彷徨わせ、両手をブンブン振り回し、興奮以外の理由で顔を赤く染める。
対してミリファはといえば、
「じゃあ、する?」
…………。
…………。
…………。
「え?」
「いや、だからキスする? 羨ましいってことは友達同士でするのは普通なんだよね? 『あいつ』が言ってたことだから半信半疑だったけど、都会じゃキスが最近の流行りなんだよねっ! 良かったぁ、いきなりだったからびっくりしたけど、あれ普通なんだね。だったら、まあちょっと変な感じだけど気にする必要ないんだよね。んふ、んへへっ。こんなにドキドキするなんて知らなかったなぁ」
「え、え???」
「でも驚いたよ、初対面でもやっちゃうくらい流行ってるんだ。ファルナちゃんも言ってくれれば良かったのに」
どことなくミリファの目がとろんと蕩けていた。口元はだらしなく緩み、頬はほんのり赤く、吐息はファルナの思考を溶かすほどに熱く甘い。
惚けたように笑うその姿を見るだけで、ファルナの心臓がドキドキと高鳴るほどだった。
「でも、えへへ。流行るのも分かる気がする。だって凄く気持ちよかったもん」
誰がミリファのはじめてを奪ったのかとか、『あいつ』とやらは何を吹き込んでいるのかとか、色々聞きたいことはあるが、そんな場合ではなかった。
この流れに身を任せれば、ミリファとキスができる、ということ、か?
ーーー☆ーーー
第五王女と第七王女を正座させ、第六王女がプンスカしていた。
第六の塔まで連行された馬鹿二人へとほっぺたをぶっくり膨らませた第六王女が政治的アレソレを語っていたが、そんなもの武力の耳に入ってすらいなかった。
(リギスス国が女王シンヴィア=リギスス=アンリファーンねー。あの時は思わずやっちゃったけど、どうせならとことんやるべきだったかもねー)
外交だなんだはひとまず脇に置いて、思考を回す。シンヴィア=リギスス=アンリファーンは大陸中原でも屈指の魔法大国の頂点に君臨する女である。そんな女が何の思惑もなしにそこらのメイドの唇を奪うだろうか? あるいは無能な王であれば、そこらで『お手つき』を繰り返すこともあるだろう。だがシンヴィアはそこらの愚王とは違う。最低でも武力においては超一流であることは先の純白が示している。加えて政治の第六王女がアリシア国に連れてくるくらいには『価値ある』存在である。
そんな女が『お手つき』感覚でミリファに手を出した? そんなわけがない。あれだけミリファを欲しがっておきながら、まるでやるべきことを終えたと言いたげに立ち去ったのには理由があるはずだ。
シンヴィア=リギスス=アンリファーンは既に姿を消している。取り逃がした、とも言えるだろう。
とはいえかの大国の女王に根拠もなく突っかかるのは危険が伴うのも事実。ほとんど本能的にやらかした飛び蹴りを許すくらいの余裕があるうちに準備を整えろ。
(飛び蹴り前に耳に届いた内容によると)シンヴィアはミリファを気に入り、己のモノとしようとしている。そんなふざけた思惑は必ずや阻止しなければならないのだから。
ーーー☆ーーー
シンヴィア=リギスス=アンリファーン。
歴代の女王の中でも最弱の魔法力しか持たない女であるが、現在のリギスス国は歴代でも最強の軍事力を誇る。
その正体は女王の『周囲』にある。
クイーンガーディアン。女王の親衛隊たる彼女たちの力量がずば抜けて高いのだ。それこそシンヴィアを超える者さえ存在するほどに。
だが、その構図は危うい。これが魔法やスキルが存在しない世界での話であればまだしも、この国には魔法やスキルといった個人所有の超戦力が存在する。魔女モルガン=フォトンフィールドのように軍勢対個人で対等にやり合うことができるほどの力が溢れかえっているのだ。
ゆえに王は最強でなければならない。
万が一配下が暴走した際に武力でもって鎮圧できるほどの備えが必要なのだ。
でなければ、簡単に玉座を奪われる。
その危険性を排するためにアリシア国の実質的な頂点たる王妃は最強であるし、ヘグリア国が国王は強力なスキル持ちを集めることで強力なスキルの数々を己のモノとした。
頂点こそが最強であれ。
それが現在の大陸の支配構図であり、ゆえに支配者のレベルに応じて配下のレベルもまた確定してしまうのだ。
だが、リギスス国は女王を超える者さえも国家に組み込むことで歴代最強の軍事力を実現した。一見反乱一つで崩壊する儚い支配図式に見えるが、未だにリギスス国で反乱が起きる様子はない。それどころかクイーンガーディアンの誰も彼もが女王シンヴィア=リギスス=アンリファーンに絶対の忠誠を誓っているほどである。
それはなぜか。
正体は女王のスキルにある。
「さて、いつ堕ちるでしょーね?」
スキル『陶酔甘露』。
シンヴィアとの肉体的接触に中毒性を付加するスキルである。
シンヴィアが触れるだけで対象は遅延性の深い幸福感に包まれる。それだけだ、それだけの力だが、それがいかに恐ろしいかは歴史が証明している。
違法薬物。
ヘグリア国も扱っていたそれは体内摂取によって幸福感を誘発する。その幸福感が忘れられず、その幸福感のことばかりを考えるようになる。一度でも手を出せば、簡単にはやめられないほどの中毒性があるのだ。
それと理屈は同じであった。
シンヴィアとの肉体的接触がもたらす幸福感には違法薬物を超える中毒性がある。他の誰と触れ合っても決して得られない幸福感、しかもそれは時間が経つごとに増幅していくのだ。どこまでも続く幸福感の増幅だが、女王との触れ合いがなければいずれは頭打ちとなり、鎮火していく。違法薬物さえも超える中毒性がある幸福感だ。それが失われていく恐怖は想像を絶するものだろう。
消えゆく幸福感を追い求める構図さえ出来上がれば後は堕落しかない。この世のものとは思えない幸福感を与えてくれるのはシンヴィアのみ。ならば従うに決まっている。追い求めし幸福感を与えてくれる女王に傅くのが自然の道理であった。
ゆえにリギスス国の支配は内側からは決して崩れない。支配を崩す可能性を持つ強者集うクイーンガーディアンの全員が女王が与える幸福感に犯されているのだから。
「ふふ」
幸福感の始点、スキル発動の条件は一つ。
女王のキスである。
そう、既に幸福感はミリファを犯し始めていた。今頃は内側から沸き起こる快感に戸惑いながらも、それがシンヴィアとのキスが原因だと本能が察知して、キスという行為に興味を示している頃か。
その繰り返しが、しかし溢れる幸福感に及ばないと知った時、ミリファは女王を求めることだろう。
「ふふ、ふふふふふ。帝王と『十二黒星』は聖都にて全滅して、帝国は実質的な壊滅状態。領土を奪うのは容易いでしょーよ。オマケに帝王さえも殺す片割れの支配は確定。もう片方も機会を見て支配すれば、金色の秘奥は此方のモノ。あの力があれば神聖バリウス公国を攻め滅ぼすことだって……ふふ、はははっ!! そのまま大陸を統一してやってもいいでしょーよ!!」
帝王の肉体を支配していた『奴』を殺した。だからといってあらゆる戦乱のタネが消え去るとは限らない。
戦乱のタネはどこにだって転がっている。
『奪う側』に立った時、その先に広がる利益を手にして、歩みを止められる者は少ないのだから。




