第八十九話 よし、電撃訪問しよう その一
交渉のために一週間前からアリシア国を留守にしていたという、ともすれば矛盾する行為を達していた第六王女ミュラ。その目的は第七王女セルフィーより告げられた『運命』への対抗策の構築であった。
──第六王女は政治を司る。
彼女の得意技とは、つまり政治的対応。国家レベルでの変化を提示することこそが彼女の本領である。
国と国の付き合い、その流れに対してどのような『変化』を提示するか。その『変化』に対して、異なる『変化』を提示することで妥協点を探り合う、その手腕こそが第六王女の力である。
外交。
『運命』へと反逆するための政治的アプローチ。そのために第六王女ミュラは帝国の周囲に目を向け、利用することにした。
帝国と並ぶは神聖バリウス公国とリギスス国。バリウス教、つまりは宗教の占める割合が大きい神聖バリウス公国に対しては政治の第六王女の力が発揮されにくいことが予測された。時間的猶予を考えるならば、アプローチを仕掛ける対象は一つが限界だろう。ただでさえ小国から大国に干渉するのは難度が高いのだから、下手に分散させても軒並み失敗することもあり得るのだから。
だから、今回はもう片方を選んだ。
リギスス国。『褐色』という魔法の才能を示す因子を国家中枢に組み込み、魔法技術を発展させた大国へと。
力こそ全て、弱肉強食こそ真理と掲げる帝国が身内同士で殺し合うのが日常茶飯事であるがゆえに、生物以外の安定戦力供給のために魔導兵器を発展させたように、リギスス国は『褐色』を中心とした魔法技術を発展させてきた。そう、魔法をだ。
リギスス国には優れた魔法使いが多く存在しており、その分だけ大量の魔力を確保できる土台が出来上がっている。リギスス国を利用できれば、魔力を捕食して力と変えるミリファを増幅することもできるのだ。
……第一王女クリスタルより提示された『二人の少女を犠牲とする「運命」粉砕方式』を後押しすることに忌避感がなかったかと言えば嘘になるが、他に方法がないのも事実。妹を悲しませると分かっていて、それでも姉は最低限の犠牲で『運命』を粉砕しようと暗躍していたのだ。
ミリファには悪いと思ってはいるが、第六王女ミュラは己の大切を守るために選択した。リギスス国を利用して、ミリファが『奴』を倒す確率を上げて、第一王女の狙い通りに二人の少女を生贄に捧げることを。
ーーー☆ーーー
ナンダカンダ、であった。
『「習合体」としても気になる点はあります。とはいえこれ以上貴女様を拘束してはそちらの人たちの反発もありましょう。ひとまずここで解放しますので、近いうちにまたお会いしましょう』、とエンジェルミラージュが告げた。……名残惜しそうにミリファのネグリジェを掴んでいたことに本人さえも気づいていなかったが。
何はともあれ『とりあえず』解放されたミリファや姉や王女はエンジェルミラージュを介した女神の奇跡によってアリシア国の首都へと転移された。……それはもうサラッとセルフィー以上の転移能力を発揮していた。
そんなわけで三人は首都の中心たる主城の正門前に出現した。当然転移してきた三人に門番の二人が驚いていたりするが、そこまで気にする余裕はなかった。
「ふう。色々あったけど、ミリファが無事で良かった」
「ですね、本当に」
「…………、」
姉も王女も気づいていた。
聞くまでもなく、転移するまでもない。それでも、通した。ミリファが気にすると分かっていて、それ以上に未来の犠牲を防ぐために押し通した。
『少年』による大陸統一、その途上でミリファが殺される前に、『少年』を殺してやれ。未遂どころか殺意を向ける前に『未来で害になるから』排除した。善なる悪行。誰かのためだと善で覆い、他者を蹴落とすそれが悪行であると分かっていても、失いたくないものがあったからだ。
だから。
だから。
だから。
「へえ、これが『奴』を殺す切り札だって?」
ダッァン!! と。
真正面へと立ち塞がるように降り立つ影が二つ。
一つは『褐色』に染まった女性であった。赤のマントを羽織り、むにゅっと蠱惑的に輝く『褐色』の爆乳でマントの奥の黒のビキニを押し上げる女性は舌なめずりさえこぼし、ミリファを見つめていた。
一つは『褐色』の女性の肩に担がれた第六王女ミュラ。三つ編みを輪っかにして三つ繋げる独特の髪形の少女である。こちらは黒を基調としたゴスロリであるが、袖やスカートをギリギリまで短くすることで肌色を多く見せていた。
脇に投げ捨てられた第六王女はぐるぐると目を回しながら、
「な、なのでふ……うえっぷ。大陸中原からここまで半日足らずで移動するなんて無茶苦茶なのです……」
「べっつに大したことじゃないでしょーよ。ちっとばっか風系統魔法でひとっ飛びしただけだし」
ミリファ失踪云々は『分体』を通じて、『本体』も認知していた。スキル『平行分岐』。最大で五人まで対象の偽物を作り出す第六王女ミュラのスキルである。スキルから生まれるのはあくまで偽物であるが、術者と感覚が繋がっており、自在に動かすこともできる。
つまりリギスス国に交渉に出向いていたのは『本体』、アリシア国でパーティーに参加していたりしたのは『分体』であった。サラリと三強の一角の懐に一人で出向くという危険を犯している第六王女だが、その甲斐あって『褐色』の女性を引きずり出すことができた。
彼女こそがリギスス国が女王。
シンヴィア=リギスス=アンリファーンである。
「ねえ、本当にこの子に帝王を操る『奴』を殺すほどの力があるんでしょーね? そんな力感じられねーけど」
「あ」
交渉によって第六王女の狙い通りリギスス国を動かすことに成功したのだが、どうにも彼女の思い描いたものとはかけ離れた結果となっていた。
ミリファが帝王を支配する『奴』を打倒する切り札であり、『奴』のスキルを封殺できる。まずはここまで提示しておいて、流れを汲んで開示すべき情報を取捨選択するつもりだった。が、どうにも話がうまく進み過ぎた。ミリファを使えば、『奴』のスキル『憑依』を打ち破ることができる、までなのだ。女王シンヴィア=リギスス=アンリファーンに提示した情報はそこまでであり、それだけで三強の一角を統べる頂点自ら小国まで足を運んだ。
だから、取捨選択ができていない。
第一王女クリスタルが第四、第五、第七の王女を除く王女に提示した『運命』粉砕方式、つまりはミリファとイヌミミ少女を生け贄とすることで『奴』を殺し『運命』を覆す。そんな非道を受け入れるかどうかの判断ができていない。
二人の犠牲で『奴』が殺せるのならば仕方ないと思えるならばいいが、そんな非道許せるものかと憤る性質であれば? 利用するつもりが、邪魔立てされることもあり得る。そんなつまらない偽善を振りかざすような性質であれば、犠牲が出ることを隠して話を進める必要があるだろう。
そのための交渉であった。直接顔を合わせ、言葉を交わし、会話の流れを汲んで、判断するつもりだった。だが判断材料が揃うまでもなく交渉は進み、こうしてミリファと顔を合わせる場面へと到達してしまった。
どうやって『奴』を殺すか。
それを提示しないとリギスス国との交渉は失敗に終わるが、提示した結果リギスス国がそんな非道は許せないと憤るような展開になっては元も子もない。
外交、交渉の流れをその手に握っていたならばまた別だっただろうが、すでにミリファの力でどうやって『奴』を殺すのだと疑問に思って問いかけるような段階に進んでは挽回は難しい。
(なのっ、なのですっ、どうするのですここからどうやって話を進め、というかなんでセルフィーやミリファの姉がここに!? セルフィーに関しては言うまでもなく、ミリファの姉に関しても調査済みなのです。あの二人がミリファを犠牲とする作戦なんて絶対に受け入れないのですっ。ここで女王が『運命』粉砕方式を採用したとしても、今度はそれを聞いたセルフィーやミリファの姉が邪魔してくるのですっ!! かといってこの流れから変に『運命』粉砕方式を隠そうとしたら、不審に思った女王がこれ以上の交渉に価値なしと打ち切るに決まっているのですっ。あれ、詰んだのです? 提示してもしなくても、問題ありなのですう!?)
三つ編み輪っかの繋がりがぶらんぶらんと揺れていた。表情だけは取り繕っていたが、第六王女ミュラの目は泳ぎまくっていたし、何だか全身がブルブル震えていた。
そして。
そして。
そして。
「それならもう殺したよ」
ぼそり、と。
どこか吐き捨てるように、ミリファがそう言った。
「……なんだって?」
眉をひそめる女王に対して、なぜかいつものメイド服ではなくて青のネグリジェ姿なミリファは刻むように繰り返す。
「だから、殺したんだって」
「みっ、ミリファさまっ! あれはわたくしのせいです、ミリファさまが殺したわけでは──」
「セルフィー様だけのせいにするつもりはないし、あの時私は確かに殺す気だった。らしくなかったかもしれないけど、確かに殺してやるって思ってたんだ。だから、私もなんだよ。『奴』を殺したのは、私でもあるんだから」
「此方には話が見えないんだけど、つまり何があったのよ?」
ーーー☆ーーー
その時、エリスは静かに奥歯を噛み締めていた。ミリファなら、流せない。例え相手が大陸を統一するために殺しをばら撒き、統一後も殺しをばら撒く者だとしても、殺してもいいとは思えない。
何やららしくもなく殺意があったようだが、それでも全部終わって改めて思い返したならば、己が所業がどういったものと判断するなんてわかりきっていたのだ。
それがエリスやセルフィーが進めた末の結末だとしても、結果として相手を殺して終わらせたことを最善だとは判断できない。
甘い、のだろう。優しい、とはまた違うのかもしれない。だが、それでは殺しさえも厭わないほうがいいのか。現実を知った気になって、仕方ないと取り繕って、殺しをばら撒くのが正しいのか。
そんなの、『奴』と変わらないではないか。
だから、エリスやセルフィーはミリファに黙っていた。最後の最後まで、『奴』を殺すまでだ。
ミリファには背負わせたくなかったから。
こんなのは薄汚れて、それっぽく取り繕うことができる奴が背負えばいいのだから。
……結局姉の手で『奴』を殺せなかったから、妹は引きずっているのだが。
(情けないったらないわね)
第六王女ミュラと共にシンヴィア=リギスス=アンリファーンが降り立ってきた。何やら興味津々な女王に対して第七王女セルフィーが事の次第を話している。
ミリファの魂は魔力の禁忌を無視した上で異なる魔力を捕食、金色の力を振るうことができる。『奴』と並ぶ力だって得ることができる上に、捕食したものが魂ならば、その魂依存の力を会得することもできる。
会得したスキルを使い、亜空間内の魂を視認。第七王女セルフィーのスキルでもって異なる魔力を『奴』の魂に叩き込むことで勝利することができたのだと。
「なるほど、そういうことだったのね。切り札、ふふ、面白い攻略法じゃねーの」
「な、なのです……」
何やら汗まみれの第六王女が首を縦にブンブン振っていたりするが、かの女王は見てすらいなかった。
女王はミリファしか見ていなかった。
「なるほどなるほど、これが『奴』のスキルを封殺できる手駒ってわけね。本当面白い手駒じゃねーの」
ブォンッ!! と。
四重に重なった魔法陣が五つ出現した。
四重、ということは、具現化されるは四つの属性の混合。より正確には分解、結合、再構築の末の秘奥。
つまりは、
「『極の書』第九章第四節──純斬無双、五連撃」
ゴッッッゾンッッッ!!!! と。
既存の物理法則を両断、塗り潰しながら純白に輝く極大の刃が五つ同時にミリファへと襲いかかる。
そう、それはまさしく『極の書』。かの魔女が死者の魂を用いなければ具現化すること叶わず、かのエルフが一発ずつならば具現化可能な魔の秘奥。それを五発同時に放ったのだ。
『魔の極致』第四席たるスフィアでさえも不可能な偉業。それだけで総力が判断されるわけではないだろうが、魔法分野に関してはスフィアさえも凌駕しているということだ。
リギスス国が女王。
『褐色』刻む魔法特化の天才共の頂点に君臨する女王、その本領は、しかし、
「スキル『転移』っ」
ブァ、とネグリジェ姿の小柄な肉体に魔法陣が転移される。肉体強化魔法、その短所を長所に転じる。時空さえも軋ませる秘奥たる純白がミリファを襲い、魔法陣を通過。魔力関連のみを通す召喚ゲートが五つの『極の書』を己が魂へと導く。
ゴッ!! と金色のオーラが噴出。
シンヴィア=リギスス=アンリファーンの魔法を増幅したその力を見つめ、女王の口元が蠱惑的に歪んでいく。
「魔法の増幅、しかも最低でも帝王の肉体を支配する者と同等にまで増幅可能、ふふ、はははっ。我がリギスス国にうってつけの人材じゃねーの。安易な魔法の上限突破を可能とする素養って、そんなの、ふふ、ふふふふふっ、さいっこう! こんなのお気に入り決定でしょーよ!!」
ガジィっっっ!!!! と。
どこか落ち込んだ様子のミリファの両肩へとシンヴィアの両手が叩きつけられ、そのまま熱烈に引き寄せられたものだから、さしものミリファも驚いたように瞼を瞬かせる。
そこで終わらない。
蠱惑的に、淫靡に、獰猛に、それこそ獲物を狙う女豹のごとき笑みを浮かべる女王はミリファを気に入った。ならばどうなるか。
女王は第六王女へとこう言っていた。
『強い手駒は大好物だし、「奴」を殺せた暁には此方のモノにしてやるのも良いでしょーよ』、と。
その通りとなった。
引き寄せた勢いのままミリファの唇を奪ったのだ。
「「……は?」」
それはもう見事な接吻であった。
絡み合うそれはまさしく挨拶だなんだ言い訳を許さない、欲望を満たすそれであった。
「ん、ん、んうううっ!?」
「ぶっはっあ!! ふふ、はははっ! 気に入ったわミリファとやら!! 此方のモノとしてやる幸運を噛み締めることでしょーよ」
「え、あ、なん、きっ、きす?」
あまりの衝撃にミリファの瞳が濡れる。先ほどまでのアレソレが綺麗に吹き飛ぶほどの衝撃だったのだろう、『奴』を殺したことなんて考えもできないほどに心の中が荒れ狂っていた。
なぜなら、その行為は、
「だっ、て、え、え? あれ、あう、だって、そんな、はじめてだったのに……っ!!」
ぶちっ、と。
姉と第七王女の中で何かが切れた。
「「ぶっ殺すっっっ!!!!」」
「まっ、待つのです、お前ら、こらっ、リギスス国の女王に何するつもりなのですう!?」
政治を司る第六王女が悲鳴をあげるのも無理はなかった。軍事に優れた国家が集う大陸中原における三強の一角、それがリギスス国なのだ。紛うことなき大国である。アリシア国なんて比べようもないほどの『力』ある国の頂点に対して殺すなどと冗談でも口にしてはいけないものだ。しかも一人はアリシア国の王族たる第七王女というのだから、国家を巻き込む自殺行為に等しいだろう。
なのに、それだけで済みそうもない。
先の一言だけでも看過できないものだというのに、件の二人は足を動かし、拳を握りしめている。まさか、そう、まさかとは思うが、女王シンヴィア=リギスス=アンリファーンに殴りかかるつもりなのでは……?
「やめ、本当やめるのですーっ!!」
そして。
そして。
そして。
ドッゴォンッッッ!!!! と。
上空から降ってきた『王女』の蹴りが女王の側頭部に叩き込まれた。
女王シンヴィア=リギスス=アンリファーンが薙ぎ払われる。その手からすっぽ抜けたミリファを『王女』が抱きとめる。
第七でも第六でもない。『王女』の中でそこまでアクロバティックなことができる者といえば一人しかいないだろう。
つまりは武力を司りし王女。
第五王女ウルティア=アリシア=ヴァーミリオンである。
「ばっ、ばーかっ!! おまっ、こらっ、何をやっているのですーっ!?」
「アハッ☆ ついやっちゃったっ」
「ついじゃ済まないのですう!!」
外交問題真っしぐらであった。




