第八十三話 よし、襲撃しよう その九
神聖バリウス公国、その聖都。
防壁の爆砕と共に足を踏み入れた『少年』は帝王の肉体を支配する怪物であった。彼が操る魔法はスフィアの『極の書』を初級でもって打ち破るほどであり、『技術』は(『少年』曰く)最大規模のエネルギーを秘める。
最硬を纏い、最強を振るう。
『少年』こそ王妃の瞳が見据えた『運命』の終点。アリシア国が存続するルートは存在せず、いかに滅亡を迎えるのかしか選べないほどだ。
それほどの怪物に立ち向かうのは正真正銘の天使。『天空の巫女』、あるいはエンジェルミラージュ。
バリウス教の中核たる女神の意思を正確に受信可能な象徴の力はまさしく変幻自在であった。
「我が全能なる女神よ、その奇跡の一端をここに──切断せよ」
それは純白に輝く光の剣。
王妃のスキル『極の刃』と同じく現実世界に現存可能なあらゆる因子を斬り裂く絶対切断能力である。
「我が全能なる女神よ、その奇跡の一端をここに──防壁と化せ」
それは純白に輝く光の壁。
敵意のみを防ぐその壁は『極の書』さえも弾き返す絶対不可侵領域である。
「我が全能なる女神よ、その奇跡の一端をここに──爆砕せよ」
それは純白に輝く光の砲撃。
指定した範囲のみに緻密に広がる爆撃は極小の因子さえも粉砕する素粒子消去爆撃である。
一撃一撃が純白の光を纏う力の乱舞。そう、『極の書』と同じく魔力を魔法に変質させた末にその力は導かれている。炎、水、風、土、といった原始の属性を束ねることで紡がれるはまさに概念魔法とでも呼ぶべき代物だった。防御も攻撃も自由自在。切断、防壁、爆砕、それら言の葉の通りに『概念』を導くのだ。
ゆえに純白はあらゆるものを切り裂く。
ゆえに純白はあらゆるものを防ぐ。
ゆえに純白はあらゆるものを爆滅させる。
『天空の巫女』とは女神の意思を正確に現世に反映する中継点。つまりはこれら全ては女神の力の一端である。そう、『天空の巫女』は三次元世界のその先に存在する女神の力の一端を現世に反映させることで膨大な力を取り扱っているのだ。
概念の形成。
三次元世界の理が実現可能な最上位の現象。
その奇跡の前に帝王は抗えない。いかにその肉体に最大最強の『技術』を纏うとしても、所詮は三次元世界の理。概念、その究極。奇跡が紡ぐ頂点は揺るがない。
……もしも単純な暴力のぶつけ合いならば、戦う前から勝敗は決していただろう。
「ハッハァ! どうしたどうしたァ!! そんなに立派な力を持っておきながら、随分と杜撰な使い方だなァおい!!」
『少年』は未だ生きている。
というよりも殺すことはできないと言い換えるべきか。
『少年』の真の脅威は単純な暴力にあらず。それだけだったならば、王妃の見据える無限の未来の全てがアリシア国滅亡に到達することもなかっただろう。
スキル『憑依』。
自分が殺された場合は敵の肉体と魂を、敵が殺された時は敵の魂を簒奪するそのスキルがある限り『少年』に負けはない。勝とうが負けようが、最終的には敵の力を奪い復活するのだから。
(天空の花園より招来。女神の奇跡の一端を多重『設置』。及び捧げられし祈りを充填)
だからこそエンジェルミラージュは単純な暴力以外を選択する。『少年』と殺し合う中、三次元世界の先に存在する女神からの奇跡を中継、ある『概念』を至る所に展開。加えてバリウス教の『本質』を上乗せする。
──そもそもバリウス教の『本質』はどこにあるのだろうか?
バリウス教が広まる以前は大陸には広く浸透している宗教は存在しなかった。辺境の地に狭く小さく根付いている言い伝えなどはあったが、ほとんどの人間はカミサマという概念さえも知らなかった。それでも人々は脅威に立ち向かう時、難題に直面した時、命の危機にさらされた時、半ば現実から逃避するように漠然とした『何か』に願い募ってきた。
そんな心の動きにバリウス教は形を与えた。漠然とした『何か』、それこそ女神であると。つまり唯一絶対たる女神に祈ることが救いに転じるのだといった認識を埋め込んだのだ。
別に熱心な信者でなくとも、困った時に願うことはある。そういった時、大陸に広く浸透しているバリウス教が効果を発揮する。漠然とした『何か』の形が無意識のうちに有名な女神という形に転じるのだ。
これまでは祈りの対象は明確にされていなかった。それがバリウス教の登場と共に女神という象徴が広まったということだ。
人々は祈る。
では、そこにはどんな意味がある?
バリウス教における唯一の教示は以下の通りだ。
祈りを貫きなさい。
明日の幸福を掴む糧とするために。
祈りとは貫くものであり、明日の幸福を掴む糧とされるものである。つまり女神へと祈りを捧げるということは『糧』を捧げるということ。
女神への祈りは『糧』を採取するトリガーとなる。その『糧』の名は魔力。魂から搾り出したエネルギーを捧げるトリガーを広めることこそがバリウス教の『本質』であった。
五億以上もの信者の捧げる祈り『だけではない』。そう、バリウス教とは漠然としていた人々の願いの矛先を女神へと固定するためのもの。熱心な信者でなくとも、なんとなくカミサマっていえば有名な女神がいると無意識下で思い願っているとするなら──大陸のほとんどの人間が女神に祈りを捧げ、『糧』たる魔力を捧げていると言える。
それら祈りの集積体さえもエンジェルミラージュは操る。最低でも五億以上、大陸中の魔力の貯蓄庫たるエネルギーを『概念』を形作るに至った女神の奇跡に上乗せすることで上限を突破する。
「我が全能なる女神よ、祈りを糧に奇跡を導き──拘束せよ!!」
拘束という概念魔法を捧げられし祈りが増幅、頂点の理をさらにその先へと増幅する。
ボッ、バババババッッッ!!!! と、『少年』を取り囲むように設置されていた拘束魔法、計一万五千もの『概念』が祈りを束ね殺到する。
純白の鎖が『少年』を覆い縛る。
幾重にも重なる鎖の螺旋が動きを止めるという一点のみを強調しているのだ。
スキル『憑依』は『少年』を殺しても『少年』に殺されても最終的に標的を喰らい殺す。ならばそもそも決着まで持っていかなければいい。身動きを封じてしまえば、殺すも殺されるもない。スキル『憑依』という必殺は作用しないのだ。
「これでよろしいでしょう。さて、スフィアだけに任せるのは負担が大きいですし、『習合体』も聖都内に降り立った六の因子を粉砕しに行くと……ん? 『黄』としては理解ができません。いつの間に六の襲撃者の全員が殺されているんですか?」
『少年』との死闘の最中は気づかなかったが、確かに聖都内に降り立った六の襲撃者が全員殺されているのだ。誰も彼もが屈指の実力者。二人は単純な力の総量だけで言えばスフィアさえも超えているほどに。いかに『魔の極致』第四席たるスフィアでもこうも早く片付けられないだろうし、聖都内の戦力では一人殺すのも困難なはずだ。
では、一体何が起こっている?
誰がこんな芸当を達したというのだ???
ーーー☆ーーー
「お姉ちゃんの、ばかあッッッ!!!!」
グーパンだった。
それはもう見事な拳が地面に座り込むエリスの頬を打ち抜いた。
捕食していたスフィアやエリスの魂を転移、糧が奪われたことで金色の力を失った『いつもの』ミリファの拳だ。運動なんて大っ嫌いなミリファの拳なんて避けるのは容易いことだっただろう。それでも、受けた。避けるなんてカケラも思いつきやしなかった。
「っづ……響く、わね。これは本当に響くなぁ」
「うるさいばーかっ!! お姉ちゃん、本当、ふぐっ、いい加減にしてよっ。私はお姉ちゃんが傷つくことさえ嫌なのっ。なのっ、なのに、ひっく、なんで、ばっかじゃないの!? 私が『雑音』に屈したせいかもしれないっ。だけど! う、うああ、普通あんなことする!? 逃げてよ自分の命を大切にしてよ魂を削るなんて自殺行為もう二度としないでよばかあっ!!」
「ミリファを見捨てて逃げるくらいなら、死んだほうがマシよ」
「お姉ちゃん……ッッッ!!!!」
「だけど」
クシャクシャに顔を歪め、次から次へと涙を流し、身を削るような嗚咽を漏らす妹を見て、姉は小さく息を吐く。思うところがあったのか、こう続けたのだ。
「あたしはミリファにそんな顔して欲しいわけじゃないし、これからは何とか犠牲にならない方向で頑張ってみるから。ひとまずそれで許してくれない?」
「う、ひぐっ。本当、この、ばかっ!! 何とかってそれ何とかならなかったら今回のようなことするってことじゃん!!」
「あ、あはは……バレた?」
「お姉ちゃんッッッ!!!!」
「でもね、ミリファ。あたしは『妹』を失うことにもう二度と耐えられそうにないのよ。だから、うん、あたしだけ生き残っても心が死ぬに決まってる。どうせ死ぬならミリファを救って死んだほうがマシって思わない?」
「そんなの私も同じ、お姉ちゃんがいない未来なんて考えられないっ!! 分かる? 心が死ぬような喪失をお姉ちゃんは私に押しつけようとしてるんだよ!?」
「っ、……それ、は、そうね。うん、ごめんねミリファ」
「……ばか」
ぽすん、と。
地面に座り込むエリスの胸の中に倒れ、顔を埋めるミリファ。暖かな感触を確かめ、姉がそこにいることを認識して、ぎゅうっと胴体に腕を回して力いっぱい抱きしめる。
姉はここにいると。
『日常』は壊れていないと。
幸せは崩れてはいないのだと。
確かな真実を噛みしめる。
「抱きしめてよ。思いっきり、私が壊れちゃうほど! お姉ちゃんはここにいるんだって感じさせてよお!!」
「うん。ここにいるわよミリファ。ごめんね、悲しい想いさせちゃって。でも、良かった。こうしてまたミリファと話すことができて」
「話なんていくらでもできる、触れ合いだってできるし、同じ時を生きることができるもん!!」
「ふふ、そうね」
以上、肉体だけは己のスキルで再生したスフィアが眺めている光景であった。
魔女の攻撃を利用して己よりも強い大男を排除、後は己よりも弱い魔女を倒すだけなのだと余裕ぶったまま魂を支配された。そんな最大の屈辱から救ってくれたのはありがたい。本当に感謝しているのだが……、
「い、いひひ。『こんな格好』でアタシは何を見せられているカモ……?」
スフィアのスキルは肉体の超高速再生。粉々に吹き飛んでも完全再生可能という規格外のスキルだが、その適応範囲は肉体のみ。つまり魔女の炎槍で跡形もなく吹き飛ばされた後に再生されたスフィアの格好は……お察しの通りだった。
それはもう見事に、その、あれな格好のスフィアであった。そんな状態でぎゅうぎゅう抱き合ってイチャつく姉妹を見せつけられるのは、こう、なんだか情けなさで泣きたくなってくるのだ!!




