第八十二話 よし、襲撃しよう その八
『そこ』がどこであるかなんて理解できなかった。地面という概念さえも存在しない『そこ』ではむき出しの自我が揺蕩うのみである。
視界を覆うは純白の光。
『そこ』は無垢なる白に包まれた空間であった。
ぐぢゅり、と。
純白を犯すように漆黒が噴き出す。
まるで純白に揺蕩う少女を縛り、砕き、抉り、刻み、潰すように、漆黒が世界を侵食していく。少女の存在を塗り潰すように。
ザザザッ、ザザザザザザッ!! と『雑音』が響く。想いの集積にして人格の混在。千四百以上もの『人格データ』が少女へと雪崩れ込む。
────にひ☆
やがて『雑音』は互いの欠落を埋めるように形を整える。魔女モルガン=フォトンフィールド。最も色濃い人格の欠落を補った結果、かの魔女『のようなもの』として再構築されたのだ。
────賢明な判断ってやつだよねー。ミリファに姉を救う力はない。『金色』の奇跡は第七王女あってのものなんだから。そこらに転がっている村娘が誰かを救いたいと願うのならば、その存在を捨てるくらいの覚悟は必要ってことだよねー
漆黒が蠢く。
黒マントにとんがり帽子、魔女という概念を具現化させる。
しっとりとした腕が後ろから少女を抱きしめる。その耳元に口を近づけ、蠱惑的に言葉を吹きつける。
────立ち塞がる脅威のことごとくを粉砕してあげる。その身を捧げ、その魂を塗り潰した先に救済は待っている。だから、ほら、早く全てを明け渡してよ。姉を救うために必要な力を発揮するために
言葉の形に意味はない。
言葉という形で少女の人格に深く干渉し、ブレを生み出しているのだ。そのブレに千四百以上もの『人格データ』を差し込み、侵食する。少女の形を崩し、魔女モルガン=フォトンフィールド『のようなもの』が占める割合が過半数を超えれば、表に噴出する人格は逆転する。
つまりは魔女が少女の肉体を支配していた。
そこから更に侵食を進め、完全に犯し尽くした瞬間、少女の存在は消滅するだろう。
そのはずだった。
だというのに。
────ミリファさまあーっ!!!!
ジジ、ザザザッ、と。
黒マントにとんがり帽子の誰かの輪郭がブレる。千四百以上もの『人格データ』に歪みが生じる。
────に、にひ、にひひっ!! 関係ない、物量だけで駄目ならエルフを使えばいい。ほら、これで押し返せるにゃー!! そう、そうよ、崩れない。千四百以上の『人格データ』で構築された私が無能ごときに負けるわけがない!!
だけど。
それでも。
純白の中を揺蕩う少女。漆黒にその魂を縛りつけられた彼女の瞳に微かな光が走る。
『……セルフィー、様?』
────く、そ!! せっかく押さえつけていたのに!! ミリファあ!! お姉ちゃんを救うんでしょ、そのためにその身も魂も私に捧げるんでしょうがあ!! 今更我が身可愛さに浮上する気が!? っざけんなよ、クソガキがァ!!
果たして漆黒の『雑音』は気づいていたか。
千四百以上もの『人格データ』を束ね、魔女モルガン=フォトンフィールド『のようなもの』へと再構築、最適化していたというのに、その口調が崩れていることに。
そう、魔女モルガン=フォトンフィールドという形が崩れつつあるということは、それだけ『雑音』へと多大な影響が出ているということに。
そして、そこで終わらない。
ゴゥッブァッッッ!!!! と、純白の空間を塗り潰すように猛火と暴風が吹き荒れた。
つまりは『炎上暴風のエリス』。
少女を、いいや妹を救いに姉は純白の空間へと足を踏み入れたのだ。
────な、ん……ッ!?
────よお、クソ魔女。あたしの妹返してもらうわよ
────魂の大半を、ミリファを喰らわせたってのかあ!? そんなの無茶苦茶よ、ふざけるんじゃねーぞ!! 妹を救うために自分の魂を犠牲にするだって? 自己犠牲の精神に満ちてやがるでございますね!! なんでそこまでできるのよお!!
────好きだから。それだけよ
ゴッバァンッッッ!!!! と、姉の拳が魔女の顔面に突き刺さる。魂まで響く『雑音』をその拳一つで薙ぎ払ったのだ。
『お姉、ちゃん?』
────まったく馬鹿な真似してからに。まあ意思のブレみたいなものを誘発、侵食する特性があるって聞こえたし、その辺つつかれた結果なんでしょうけどね
『よかった、無事だったんだね』
────…………。
僅かに妹から逃げるように目を逸らし。
しかし姉は唇を噛み締めながらも今一度妹と視線を合わせる。
────あたしはミリファに幸せになって欲しい。生きていて欲しい。そのためならなんだってできる、例えミリファがこんなものを望んでいないとしても
『え、お姉ちゃん、なにを……?』
────大丈夫、ミリファのことが好きな奴はいっぱいいるもの。あたし一人がいなくなったって寂しくないよね
『待って、待ってよ! いやだよ、お姉ちゃんの代わりなんてどこにもいないっ。私のお姉ちゃんは世界でただ一人じゃん!!』
────ミリファ
『や、やめ……っ!!』
純白の空間。
ミリファの『中』で。
エリスは妹へと最後にこう言ったのだ。
────じゃあね、大好きだよ
少女は、妹は、いいやミリファという人格は泣きそうな顔で手を伸ばした。満足そうに笑みさえ浮かべている大馬鹿野郎へと。
だけど、届かない。
選択は既になされており、後は結果が花開くだけ。エリスの魂の大半はミリファに食い尽くされ、世界でただ一人の姉が消失する。
ーーー☆ーーー
目が覚めた時、ミリファはくしゃりと顔を歪めていた。
視線の先には姉がいた。
地面に倒れ伏す彼女はぴくりとも動かない。
「……あ、ああ」
金色のオーラが溢れ出る。あの戦争と同じかそれ以上の力が肉体を包み込んでいるというのに、その歩みは頼りないものだった。
それでも、いずれは辿り着く。
姉のもとまで歩み寄ることができる、できてしまう。
その身体を抱きしめる。
心臓は動いているが、それだけだ。胎動する肉塊でしかない。生命の息吹というものが感じられない。
そこにあるのは器だけ。
エリスという中身の大半はミリファが喰らったのだから。
「あ、あう、いや、いやあああああああああああああああああああああああああああッ!!」
触れるだけで分かる。触れ合いがなされていないことに。世界でただ一人の姉の温もりが霧散していることに。
エリスという人格は霧散した。
残されたのは肉体だけ。
大好きな、代わりなんてどこにもいない姉は、この世から消失したのだ。
ミリファは生き残り、エリスは死んだ。
それだけの話だった。
ーーー☆ーーー
『ミリファっ。いつまで寝てるの早く起きなさいっ』
『にゃふう。もおなんだよお姉ちゃん……』
『なんだじゃないわよクソ馬鹿っ。畑仕事はどうなってるのよ!!』
『やる前からなんか終わってたもん。これはあれだね、誰かが代わりにやってくれたんだよ』
『それって、ああもう! あの変態め!! またミリファを甘やかしてからに!!』
『ふひー……お姉ちゃんも一緒にぐーたらしようよー』
『いやあたしはこれから依頼が……やめベッドに引きずり、いやだめこんなの抗えな、ふ、ふあああ!!』
流れる、流れる、流れる。
エリスの魂が捕食されていくごとに胸の中に暖かな想いが溢れる。
『ミリファはかわいいなーっ!!』
『ふにゃあ!? おっ、お姉ちゃん今日はお疲れモードなんだっ』
『もうだめ抱きしめる堪能するっ。ふあっ、やわっこいなぁ』
『はいはい、そうだね。……今日は本当に疲れてるんだねお姉ちゃん。ほらぎゅーっ』
『あ、あふ、はふう!!』
その分だけエリスという存在は崩壊していく。
溢れる温もりは、エリスから消失した想いの残滓。その温もりが消失した瞬間、エリスという人格もまた消失するのだ。
『「妹」を失うのは耐えられない。だからあたしのそばにいて……ッ!!』
『んう? 私がお姉ちゃんから離れるわけないじゃん。もおミルク飲み過ぎだって、ほらもう寝ちゃおうね』
『ミリファ……っ!!』
『はいはい私はここにいるからね。いなくなったりしないから、お姉ちゃんも勝手にどこかいったりしないでね』
『もちろん。ミリファの隣があたしの居場所だもの。ずっと、ずうっと一緒なんだから!!』
『そっかぁ。えへへっ』
エリスにはまるで決壊するかのごとく、『妹』の喪失に怯える時があった。だからだろうか、『妹』のためならどんな無茶だって通してきた。己の身を鑑みずに。
『────じゃあね、大好きだよ』
姉は消失した。
もう戻ってはこない。
それが唯一絶対の現実である。
ーーー☆ーーー
己を犠牲に誰かを救う。英雄譚では定番の格好いい生き方だろう。それが創作物やどこかの誰かの生き様ならば、そんな感想で終わったかもしれない。
ふざけるな。
そんな結末で終わらせてたまるか。
こんなものは暴行者が被害者の傷を癒すようなもの。結果『だけ』で判断なんてできるわけがない。
それでも。
ミリファの自我を助けた『だけ』で終わりにはしない。エリスを救い出して初めて本当の意味でミリファを救ったと言えるのだから。
ーーー☆ーーー
(ミリファさまが喰らったエリスさまの魂。それさえ取り出すことができたならば、エリスさまを救うことができます)
つまり。
つまり。
つまり。
「ミリファさまあ!!」
「ふにゃあ!?」
神聖バリウス公国の聖都に第七王女が降り立つ。転移してきたセルフィーがミリファに覆い被さるように降ってきたのだ。
完全に押し倒す格好で王女は叫ぶ。
「償いなら後でいくらでもします! ですが今だけはわたくしの言葉に従ってください、エリスさまを助けるために!!」
こんなものは暴行者が被害者の傷を癒すようなもの。だからどうした、大事なのは結果だ。
「なん、でセルフィー様が……? いや、そうです、さっきの魔法陣はセルフィー様が、というかお姉ちゃんを助けるって、それって!?」
「もしもお母様の視た通りなら、今のミリファさまは魔女のスキルを使えるはずです!!」
そう。
魔女モルガン=フォトンフィールド『のようなもの』はスキル『魔力隷属』を使っていた。ヘグリア国国王が所有していた魔女のスキルを喰らった結果、人格データのようにミリファの魂にスキル『魔力隷属』が刻まれたのだろう。
魔石から魔力を取り出したばかりか、スフィアの魂を亜空間内から引きずり出したスキル『魔力隷属』。
魔力の支配。
そのインパクトに惑わされず、ミリファの肉体を使って『何ができていた』かを考えろ。
そう、魔女はスフィアの魂を亜空間内から引きずり出した。つまり魔力の操作だけでなく、亜空間内の魂さえも見通し標的と定める力も含めてスキル『魔力隷属』なのである。
だとするならば、
「お母様の未来視で詳細は把握しています。スキル『魔力隷属』は亜空間内の魂さえも視認して、標的とできるのだと!! ならば後は簡単なんです。亜空間内のミリファさまの魂を見通してください! その視界をわたくしに転移すれば、わたくしが亜空間内の魂を視認できます!! 今まさに喰らわれているエリスさまの魂を視認できれば、十メートル範囲内でわたくしが視認した対象を転移するというスキル『転移』の条件を満たせます、転移させてエリスさまに戻すこともできるんですよ!!」
「え、あ、それって、それってえ!!」
「お願いします。後でどうしてくれたって構いません。ですが、今この時だけでいいので! ミリファさまの大切を救うチャンスをください!!」
妹のために姉が死ぬ。
そんな結末で救われたって意味はない。
ここまでやってハッピーエンド。
セルフィーの大好きな笑顔が守れるというものだ。
……例えその後にミリファの笑顔がセルフィーに向けられることはないとしても、やはりこれがハッピーエンドに決まっていた。
ーーー☆ーーー
魔女モルガン=フォトンフィールド『のようなもの』はエリスの人格データに押さえつけられている。そのためミリファの人格を犯すことはできないが、逆に言えばエリスの人格データさえ消失したならば魔女が再浮上するきっかけとなる。
それではわざわざエリスの魂を喰らわせた意味がない? いいや違う、大事なのはミリファの手に肉体の制御権を取り戻させることだ。
魔女モルガン=フォトンフィールド『のようなもの』がミリファを完全支配できたのはスキル『魔力隷属』を使いスフィアの人格データを味方につけていたから。だとするなら、だ。魔女がミリファの肉体の支配権を失った今、スフィアの魂は誰が操っている?
ぐにゅっりい!! と空間から滲み出るように魔力の塊が『二つ』出てくる。スキル『転移』の力によって三次元世界に移動したのだ。
一つはエリスへと戻っていく。魂の破損を埋め合わせ、大好きな姉を取り戻す。
もう一つはスフィアの魂であった。スフィアの人格データを取り除いてしまえば、後は人間の死者の魂の集積体である魔女モルガン=フォトンフィールド『のようなもの』、ミリファ、セルフィーと場の人員を人間だけに染めることができる。つまり王妃の未来視が見抜いた通りにセルフィーの想いをミリファの魂に転移させることで魔女の支配を打ち破ることができる。
加えて魂レベルで混在した結果、人格データが染み渡るようにスフィアの記憶はミリファにも伝わっていた。その中にあるのだ、スフィアには肉体が粉々になっても再生可能なスキルがあるという情報が。
混在していたのは、伝わっていたのはそれだけではない。無数の人格データの一つにはこうある。魔女モルガン=フォトンフィールドは一度死んだ。その際に魂だけの状態でスキルを使用して復活したのだ。
合わせると、こうなる。
魂だけの存在たるスフィアをスキル『魔力隷属』でミリファが支配する。操り、スフィアの魂が宿す超高速回復スキルを使い、エルフの肉体を再生することも可能なはずだ。
ぐっぢゅう!!!! と。
スフィアの魂を取り囲むように肉片が溢れ出し、一人の女の形を作る。スフィアという女エルフをだ。
──肉片さえ残らない状態から復活するには死を自覚する数秒間というリミットがあるようだが、通常の肉体喪失状態と違いスフィアの魂は一定期間スキル『魔力隷属』に操られていた上に、その後ミリファの魂に捕食、同化していた。そのため数秒を過ぎて死を自覚した後に生を自覚した結果、スキル発動の条件を満たした……のかもしれない。
その奥に何らかの理屈がありそうな気もするが、そんなものどうでも良かった。
「みり、ふぁ?」
「お姉ちゃんっ!!」
ミリファもエリスもスフィアも救う、そんな最高のハッピーエンドを迎えることができた。それだけの話なのだから。




