第八十一話 よし、襲撃しよう その七
ゴッア!! と漆黒の炎槍が地面に倒れながらも魔女を睨みつけるエリスの真横を突き抜けた。
そのまま後ろの建物を焼き溶かし、空気が熱せられたことで炸裂した爆風にエリスが薙ぎ払われる。が、それだけだ。炎槍で貫けば肉片さえ残さず焼却できただろうに、そうはならなかった。
ほんの僅かなズレ。
人格に走るノイズ。
────ミリファさま、聞こえますかミリファさまあ!! ああもうなんですかこの『雑音』はっ。ぐ、ううう、頭が割れ……っ、ああもう!! そん、なのどうだっていいはずです!! ようやく届きました、わたくしでもミリファさまの力になれるんですっ。ミリファさまミリファさまミリファさまーっ!!
「キャンキャン無能がさえずってからに。無能が今更出しゃばったって何も変えられないんだよねー」
────この、思考……あの時の魔女ですかっ
「手遅れにもほどがあるよねー。無能らしいって感じかにゃー? 何をどうやって意思を飛ばしてきたのかは知らないけど、だから何って話なんだよねー。ミリファの人格は既に魔女モルガン=フォトンフィールドの人格に呑まれて消えた、にひ☆ まーあー? 千四百以上もの物量に一個人が勝てるわけないんだし、こんなの初めから勝敗は決していたんだけどさー!!」
────そんなの! 関係ないんですよ!!
「あ?」
────ミリファさまはそこにいます。わたくしには感じられます! 千四百だかなんだか知りませんが、消えていないのならばすくい上げるだけです!! 返せよ、クソ野郎。わたくしのミリファさまを返せよお!!
「にひ、にひひっ☆ で、具体的にはどうするんだにゃー? 今ミリファの魂の中では千四百以上もの『人格データ』、その集合体が魔女モルガン=フォトンフィールド『のようなもの』を形作っている。欠落やら破損やらがあるせいで生前の魔女そのものとは言えないけど、欠けた部分を埋め合わせることで生前以上の存在へと昇華しているにゃー。千四百以上もの『人格データ』の集合体、圧倒的な物量を前に無能にできることがあるわけないにゃー!!」
────…………。
その沈黙の意味を魔女は諦めと捉えた。
見当違いも甚だしい。王妃にすがり、己が無能を直視して、それでも前に進んだのだ。こうしてミリファの魂に想いを伝える所まで到達することができたのだ。
だというのに、ここで壁の高さに屈すると?
そんなわけあるか。もうすぐそこに大切な存在がいて、その魂が魔女に蹂躙されていると知って、黙っていられるわけがない。
さあ。
最愛を取り戻せ。
ーーー☆ーーー
思えば疑問点は明白だった。
例えばセルフィーとミリファの思考や心情を転移できるが、それはなぜか。スキル『転移』はミリファを始点か終点に設定、十メートル範囲の何かをセルフィーが視認することが発動条件だが、思考や心情なんてものは目で見ることはできない。だというのにミリファやセルフィーの思考や心情は問題なく転移することができた。逆に言えば彼女たち以外の思考や心情は転移できないとも言える。
『ミリファとセルフィーに関しては距離の概念は通用しないのよ。いつでも、どこでも、ミリファとセルフィーの「繋がり」は途切れない。その特別性が思考や心情さえも転移できる理由と言えるわね』
『それは、どうして?』
『その答えは側仕えを救うために必要ではないでしょう。セルフィーとミリファ、そこに関しては距離の概念を超えて転移可能。それだけ知ることができるのならば』
『ミリファさまを終点として、わたくしを始点とすれば……ミリファさまのもとに転移することができるということですか!?』
『それもだけど、今現在進行中の「運命」において側仕えをとりあえず救いたいのならば、より良い方法がありますよ』
『それは?』
『想いの転移。あるいは人格の転送とでも言い換えましょうか。まあ言葉で伝えるよりも実際に挑戦したほうが早いでしょう。側仕えと接続して、その思考や心情を読み取れば自ずとやるべきことは分かるはずですし、単純に時間がありませんしね』
『で、ですが、そもそも十メートル以上に離れた対象に対する転移なんてしたことありませんし、本当にできるかどうかっ』
『できるわよ。無意識、というよりも自動展開されるよう弄られているとはいえ、第七の娘は遠く離れたミリファへと転移を行ってきたのですから』
『え……?』
『肉体強化魔法を使うとすぐに霧散しますよね。それは魔法の才能がなく維持できていないのではなく、自動的にミリファへと肉体強化魔法を転移していたためなんだから』
ーーー☆ーーー
いつかの過去、その一幕。
ある公爵令嬢の勉強会にて。
このような会話があった。
『肉体強化魔法、あるいは身体強化魔法と呼称しますが、どちらも意味は同じです。この魔法は文字通り肉体を強化する未分類魔法です。四つの属性に当てはまらない方則宿す未分類は現在肉体強化魔法と魔力の塊を飛ばすだけの魔光だけですね』
『で、で?』
『肉体強化魔法、発動は簡単なんですが停止させるのに時間がかかるため、長時間魔法陣を展開してしまいます。つまりそれだけ弱点をむき出しにするということです。そういった背景があって、肉体強化魔法は正式に魔法と認められていないのだとか。私は気にしないのですが、人によっては拘る人もいるので気をつけてくださいね』
『ふーん。便利そうなのにもったいないですわぁ』
『戦闘には使えませんが、実生活には役立つかもですね。あ、肉体強化魔法といえば第七王女様はこの魔法を使おうとすると発動と共に霧散するのだとか。その辺りに秘密がある……なんてのは穿ちすぎな考えですかね。私はロマンがあっていいと思うのですが』
ーーー☆ーーー
無意識での転移、それを意識的に行うことが可能かどうか。そんなのこの場面で王妃が提示した時点で答えは出ている。
やろうと思えば、できる。
不可能だと、効果範囲は十メートル程度だという思い込みさえなければできる──そのような未来を王妃が視ただろうから。
(ぐ、っづ……!!)
ミリファとの思考や心情の交換。
そうして繋がることでセルフィーは側仕えが背負っていたものを知る。
頭が破裂しそうなほどの『雑音』。
その正体は千四百以上もの『人格』の叫びだ。
あまりに膨大な意思の濁流が雪崩れ込むために『雑音』としてしか感じられなかった。
それらを魔女モルガン=フォトンフィールド『のようなもの』として束ねているのだろう。あくまで表に噴出しているのがあの魔女であり、その本質は千四百以上もの『人格データ』である。その濁流にミリファという一つの意思は呑み込まれた。
だから助けられない?
本当に???
ではなぜミリファはこれまで人格を潰されなかったのだろうか。もしも千四百以上もの『人格データ』が最強無敵であり、その物量を前には一個人なんて抗う術もないのだとすれば、それだけの魂を喰らった時には呑み込まれていないとおかしい。
だが、ミリファはこれまで抗ってきた。
耐えられたのはなぜだ? その答えはどこにある?
(魂には純度があります。ミリファさまのお姉様が無数の魂を支配する魔女と対等以上にやり合えたように、魂の『力』は数に左右されません。同じなんです。千四百以上もの『人格データ』、そう聞けば勝ち目はなさそうですが、それらは残り滓でしかありません。そもそもスキル以外の機能を削ぎ落とされたもの、あるいは死した後に破壊エネルギーとして利用されたもの。どちらにしてもそれらはミリファさまに食べられ、消化され、残ったものでしかありません。千四百以上もの『人格データ』の集合体のくせに魔女モルガン=フォトンフィールドしか表に出ていないのも主人格として形作っている以外にも魔女くらいしかまともに再現できないほど破損しているという理由もあるはずです。ならば、だとするなら!!)
「ミリファさまあーっ!!!!」
思考や心情、人格を形作るエネルギーの転移。
『雑音』の中からミリファを引きずり出し、救う人格データの送信。
それはミリファとセルフィー間でしか不可能な目に見えない『何か』の転移が可能とした精神内部の闘争への乱入。『雑音』がミリファを呑み込むなら、それ以上の想いで吹き散らせばいい。可能か不可能か、そんなの決まっている。
なぜなら王妃がこの道を指し示したのだから。
第七王女と側仕えと魔女『のようなもの』。戦場における因子が人間『だけ』であるならば、その瞳は無数の可能性の中から最適のルートを見通す。
ーーー☆ーーー
「ざ、ザザッ!! に、にひ☆ 『人格データ』への攻撃、意思の送信、魂の混在に酷似した暴挙を、こんな、無能にこの私が、千四百以上もの『人格データ』が押し負け……ザザザザッ!! くそ、こんな……ッ!!」
これぞ魔女を打ち破るルート。
人間『だけ』ならば、セルフィーの想いがミリファを救い出していたことだろう。
だが、魔女の手の中には人間以外の因子が握られていた。つまりはスフィア。エルフたる彼女の魂、もっといえば人格をスキル『魔力隷属』で支配しているのだ。
魔法陣を展開するだけでよかった。
魔力関連だけを通す出入り口。亜空間内で魂が具現化した魔法を現世に召喚するために使用されるものだが、現世から亜空間に魔力や魔法を通すこともできる。ゆえに常時魔法陣展開が必須な肉体強化魔法は魂という弱点を丸出しとしてしまう欠陥品とされている。
そう、魔法陣は魔力や魔法を通す。
魔女の支配下に置かれているスフィアの魂を通すことだって可能なはずだ。
魔法陣を通り、ミリファの魂へとスフィアが呑み込まれる。その人格を喰らい、糧とする。
ゴッア!! と金色のオーラが噴き出すが、重要なのはそこではない。魔女の支配下となったスフィアの人格がミリファの魂に取り込まれた。他の『人格データ』と違い、完全な状態でだ。
────な、んで、押し返され……ッ!?
「にひ☆ 後一歩足りなかったにゃー!! うんうん、スフィアの意思でセルフィーを封殺できるくらいかにゃ? 互角なのは驚きだけど、まあ精神的アレソレの話だしそう不思議なものでもないのかもねー。どちらにしても無能の力が封殺できたのなら、千四百以上もの『人格データ』でミリファを呑み込むことができるわけだしねー」
────…………。
「にひ、にひひ、にひゃははははっ!! さあ殺そう、いっぱい殺しちゃおーっ!! まずは妹の手で姉を殺して、次はそこらで暴れている連中かなー。選り取り見取りで困っちゃーう!!」
────ごめん、なさい
ここが分岐点であっただろう。
その謝罪の意味に、どうせ殺されるならせめてミリファを救ってほしいという善なる悪行に気づけたならば、未来は変わっていただろうに。
王妃が示したルートはエルフの存在によって崩壊した。そこから先は未知の領域。だが、そう、もう十分なはずだ。
大切な人を救いたい。
そのために必要な手札は揃っている。
ブワァ!! と。
ミリファの全身を魔法陣が包み込む。
セルフィーが距離という概念を無視して転移できるものは思考や心情の他にもあったはずだ。つまりは肉体強化魔法。無意識やら自動的やら、とにかくセルフィーが使ってもすぐに霧散するのは肉体強化魔法をミリファへと転移していたから。
そして、もう一つ。
肉体強化魔法は一部では魔法と認められないほどの欠陥を抱えている。常時全身を魔法陣で覆うという性質、それは魔法陣を介して己の魂に敵の魔力や魔法を通してしまうデメリットを抱え込んでいることと同義である。
そう、魔力をだ。
「ミリファさまは今魔女に人格を塗り潰されています。そこから救い出すにはミリファさまを想うより強い『人格データ』が必要です」
それはミリファの口から発せられた。
肉体強化魔法。肉体に干渉、強化する力を使い、一時的にミリファの肉体をセルフィーが動かしているのだ。
「例えば魂そのものを削り生み出される高濃度魔力に含まれる『人格データ』をミリファさまの魂に喰らわせるなど──」
「もういいわよ、ミリファの中に混ざった第七王女の想いは十分に聞こえたしさ」
ダンッ! と。
拳を叩きつけ、立ち上がる影が一つ。
それは、つまり、
「『魂魄技術』が必要ってことでしょ」
ただの魔力では足りない。
魂を削るような高濃度魔力、それこそ魂そのものを放つような無茶を通すことで『人格データ』をミリファへと届けることができる。
それはエリスにしかできないこと。
生存本能が壊れているからか、限界以上に魔力を絞り出し、魂そのものに等しい高濃度魔力を放つことができる存在はエリス以外に存在しない。
実際にセルフィーは想いを届けることで『雑音』に抗った。そこにエリスの想いを加えたならば、勝機も見えてくると聞こえているからこそ、エリスは命をかけられる。
ミリファを救える可能性は見せてもらった。
後は貫くだけだ。
「ごめんなさい……」
「謝る必要ないわよ。ミリファ救えるなら、なんだってやるしさ。ああでも後のことは任せたいかな。ミリファのことだからこんな形で救われたって嬉しくないだろうし、慰めてやってよ」
迷いはない。
だけど、ほんの少しだけ……、
「幸せになってよね、ミリファっ!!」
迸る白にも黒にも見える閃光。
限界以上に魔力を絞り出し、魂そのものを削り放射。エリスという『人格データ』を魔法陣を介してミリファの魂へと叩きつける。




