第七十九話 よし、襲撃しよう その五
吸血鬼。
亜種族の中でも珍しい他種族を取り込む性質を持つ生物である。致死量の吸血をトリガーとして他種族を意のままに操る奴隷と変える『体質』を使い、吸血鬼は勢力を拡大していった。
純粋な吸血鬼は数十程度であったが、外見も中身も変質させず、吸血鬼の命令に従う奴隷と変えられた他種族は総勢で五十万を超えていたという。
人間や獣人、何なら魔獣さえも取り込んだ勢力は生前のスキルや魔法、『技術』さえも自在に操る上に痛覚や恐怖などの余分なものを削ぎ落として命令を忠実に遂行する軍勢である。
それは過去の一幕。
吸血鬼たちは世界に宣戦布告を叩きつけるように三強の一つに攻め込んだ。
つまりはゼジス帝国。
はじめに帝国を攻め落とし、いずれは大陸全土を吸血鬼の支配領域にせんと目論んでいたのだろう。
その時、ゼジス帝国は五十万もの吸血鬼軍に対して五万の軍で対応した。十倍もの兵力差、オマケに痛覚や恐怖を殺し生前の力を捨て身の特攻同然に叩き込んでくるのだ。いかに帝国軍といえども同数の軍勢をぶつけたって勝ち目はないほどに力の差は広がっていたはずだ。現に序盤は吸血鬼軍が帝国軍を軽々と蹴散らしていた。
状況が一変したのはある『大男』が現れてからだ。身の丈以上もの大剣を肩に担ぐ彼は『中々にやり甲斐のある狩りだな』と呟き、無造作に大剣を振り下ろした。
それだけで吸血鬼軍は両断された。
大地を斬り裂く一撃に軍勢という一塊が左右に引き裂かれたのだ。
『「十二黒星」、第三星ガラン。お前らを狩り尽くす男の名だ、胸に刻んで死ぬがいい』
たった一人の『星』が戦況を左右する。十倍もの兵力差、五十万対五万という圧倒的な兵数の差を覆したのだ。
……ここまで突き抜けた怪物でさえも三番目に分類されるのが『十二黒星』、いいやゼジス帝国のピラミッドであった。
ーーー☆ーーー
『十二黒星』、第三星ガラン。
大剣を軽々と扱う大男は『剣術技術』における『気剣』しか使えない。スフィアのようにエリスを粉砕できるだけの身体能力があるわけでも、モルガンのようにスフィアの飛び蹴りを受けても無事でいられるだけの小細工ができるわけでもない。
ただ強い。
膨大なエネルギーを秘めた刃を振るうその技能が飛び抜けている。
ゆえに大剣以外の柔らかな人肉に魔女やエルフの攻撃は届かない。あるいは身をさばき、あるいは迎撃して、あるいは受け流し、あるいは攻撃される前に斬撃を浴びせる。
技能、その究極。
そこらの人間に地形を変えるほどの一撃を生み出す大剣を与えたとしても、その一撃を敵にぶつける前に自分が殺されているだろう。だがそうはならない。それだけ大男には類稀なる技能が備わっているがゆえに。
これが『十二黒星』。
これがゼジス帝国。
大陸中原の三強、その一つ。軍事国家がひしめく中原における頂点の一つとは、つまり単純な暴力でいえば大陸でも三番手以上と言える。
そんな帝国の軍事力の要、十二の内の第三位。あのスフィアが己よりも強いと判断した『二人』のうちの一人は、しかし、
(……殺しきれない、か)
その斬撃はいかに魔女やエルフでも無視できるものではなかっただろう。一撃で致命傷を負うと考えていいほどに。
だから魔女は斬撃が直撃しないよう細工を撒き散らす。あるいは蜃気楼で、あるいは光で大男の視界を潰し、あるいは特定周波の音で平衡感覚を狂わせ、あるいは踏み込む瞬間に足場を崩し、万全の状態で斬撃を繰り出せないようにしていた。一瞬の歪み、精度の低下、それが紙一重での回避に繋がる。
だからエルフはそもそも致命傷を回避しようとしなかった。それどころか己から斬撃にぶつかりに突っ込み、斬り裂かれた瞬間の隙に打撃や魔法を叩き込んでくる。捨て身の特攻は一度しか使えないのはなぜか。そんなの特攻と共に致命傷を負うからに決まっている。だったら致命傷を与えられる度に回復すればいい、そんな暴論を貫くだけの回復性能がエルフには備わっていた。
(第二星は俺たちと違って『あの時』帝王のそばにいたがために殺された。第一星は俺たちと同じく『あの時』帝王から遠く離れた場所にいたがために生き残った。くっく、第一星や『あの時』本来の帝王を塗り潰した奴以外にもいたのだな。狩り甲斐のある獲物は!!)
「いいぞ、踊れ子鹿ども!! 狩りとはこうでないとな!!」
五十万もの軍勢を蹴散らすほどの怪物は魔女を斬り殺し損ね、エルフを縦に両断する。それでは勝てないと分かっていて、しかし大男にはこれしかない。そしてそれで問題ない。
一瞬でも気が緩み、斬撃を食らった瞬間魔女は死ぬ。高速再生能力を支えるエネルギーが切れた瞬間エルフは死ぬ。ただしその前に大男がガス欠すれば死を招く。
これは極限の持久戦。
三つ巴のうち誰が最後まで保つことができるか、という戦闘であった。
ーーー☆ーーー
『運命』は人の可能性を示す無限の可能性。
であるならば『天使』たるエンジェルミラージュの可能性はその中には含まれていないのではないか?
「『習合体』に負けはありません」
「ハッハァ! 言うじゃねぇか天使ごときがよ!!」
『少年』は最大最強の『技術』エネルギーを秘める肉体を操り、ミラージュの懐に飛び込む。ッッッゴッォ!! と遅れて空気を引き裂く轟音が炸裂するほどの速度でだ。
音速超過。
ブォッバァ!! と周囲に衝撃波を撒き散らし石造りの建物が砕ける様は、しかし『少年』にとっては単なる移動でしかない。
『肉体技術』。
肉体を軸とした『技術』エネルギーの付加。
剣や防具などの部位に付加するのではなく、使用者そのものに付加する『肉体技術』は最強と最硬を両立させる。武器をかいくぐるや防具の隙間を狙い打つといった搦め手は通用しない。使用者を上回る力がない限り、使用者には傷一つつけることはできないのだ。
そして(『少年』の言葉を信じるなら)彼の肉体は最大規模の『技術』エネルギーを秘める。その防壁を打ち破るのは至難の技だろう。なぜならその言葉が真実ならば最低でも『技術』でもって魔女の第九章魔法を打ち破ったノワーズ=サイドワーム以上のエネルギーを常時展開していることになるのだから。
だから。
なのに。
音さえ置き去りにする『少年』の動きに合わせるようにミラージュが繊手を突き出す。その唇より紡がれるは神秘を現世に反映させる願いの調べ。
「我が全能なる女神よ、その奇跡の一端をここに──加速せよ」
ッッッゴッガァッッッ!!!! と『少年』の左腕と天使の右腕とが真っ向から激突した。
たったそれだけで石造りの街がビギバキベギィッ!! と軋みひび割れる。彼らを中心に放射線状に亀裂の輪が広がっていく。
「ハッハァ!」
『少年』の左腕と天使の右腕は鍔迫り合い、しかしそれはあくまで腕と腕の拮抗状態。『肉体技術』のみで天使の一撃と同等だというのならば、
「『剣術技術』──『爆裂気剣』!!」
その右手に握られた刃に対軍を想定された破壊エネルギーが集う。上級魔法と同じ領域の必殺、『技術』の最高峰の一角。極めし一撃が『肉体技術』で増幅された膂力でもって下方からすくい上げるように振るわれる。
『肉体技術』と『剣術技術』の合わせ技。
『肉体技術』のみで拮抗してしまっているのならば、ミラージュにこの一撃は受け切れない。
「続けて」
だが、忘れたか。
かの存在は神聖バリウス公国における至宝。聖都の最奥にて女神の意思を受信可能な唯一の存在。まさにバリウス教の要。つまりは神聖バリウス公国の中核に位置する者である。
ならば。
その身は神聖バリウス公国を表徴する力となる。
「我が全能なる女神よ、捧げられし祈りを束ね貫け!!」
バッギィィィンッッッ!!!! と。
下方よりすくい上げられた刃がミラージュが振り下ろした左の手刀によって叩き折られたのだ。
ボッボォン!! と軸を失ったエネルギーが刃の断面から溢れる。四方にばら撒かれる爆風は建物を砕き薙ぎ払うほどであったが、その程度で両者共に止まるわけがなかった。
得物を叩き折られ、しかし『少年』は獰猛に笑い、己からさらに前へと突っ込む。切り捨てるように鼻で息を吐き天使が迎え撃つ。
ゼジス帝国と神聖バリウス公国。
三強の頂点たちによる極限の殺し合いは始まったばかり。まさにこんなものは小競り合いでしかない。
敵の力量は把握できた。
後はねじ伏せるのみだ。
ーーー☆ーーー
アリシア国、首都。
その中心たる主城の最上階には王妃の私室が存在する。実質的にアリシア国を動かす王を超える者の私室は質素なものだった。
飾り気のない机が一つに椅子が二つ。主に十代の女の子に人気の恋愛小説が詰まった本棚。後はベッドが一つくらいか。どことなく第七王女の私室を連想させるものだった。
これが第一となると美容関連で埋め尽くされているし、第二だと魔導兵器の部品が所狭しと散乱しているし、第三だと各種人材のデータが記録された書斎と化しており、第四だと魔法関連の書物やオリジナルの魔法の理論構築の式が記された紙が山のように積み重なっており、第五だとこれまで『遊んだ』者たちの遺品で足の踏み場もなく、第六だと各国の情勢や政治的な『攻撃』材料が整理されている。
第七を除く王女たちの私室はその冠に合わせたように特徴的なものだが、冠を持たない第七や冠を制覇した王妃の私室はだからこそシンプルなものに落ち着いていた。
そんな私室に第七王女セルフィーは足を運んでいた。ベッドの上で眠る王妃に跪くように顔を近づけ、その手を握る。
「お母様。世界はお母様やわたくしなんかの思い通りには進みませんでした。でもそれが当然なのかもしれません。特定の誰かが『運命』なんて大仰なものを操れるわけがないのですもの」
だから世界は誰かの想定外へとはみ出た。
ミリファの消失。『運命』通りにこの国を守るために拳を握ってしまうはずの少女が消えたのだ。
本来であればここでミリファが危険にさらされることはない。そんな『運命』を選んだつもりはない。
だが、それを言うならヘグリア国との戦争で王妃が脱落する『運命』を選んだつもりもなかったはずだ。全身を淡い色の治癒促進用包帯で覆われた『内側』が潰れた果実のようになっているわけがないのだ。
『運命』は流動する。
制御など人の手で出来るわけがなかった。
「それでもわたくしには願う以外の選択肢はないのです。ミリファさまが近くにいなければ、わたくしは無能のままなのです。だからわたくしはここにいます。自分の親に鞭打つ所業だとしても、わたくしはお母様以上に強い人を知らないから」
第七王女は無能である。
出来ることなど願う以外にあるわけがない。
それでも救いたい命がある。
だからセルフィーは選択する。
「お母様、力を貸してください。わたくしの側仕えを、こんなわたくしのために尽くしてくれる大切な存在を助けるために!!」
王妃はダークスーツの女によって肉体を内側からズタズタにされた。それこそ素手で内臓をかき回したかのように、王妃の『中』は壊れている。
未だ死んでいないのが不思議なくらいだ。そんな王妃に鞭打ち、側仕えを助けろと娘は告げた。
最低の所業だと自覚はある。
それでも、と。第七王女は繋げたからこそ、ここにいるのだ。
だから。
たから。
だから。
ぴくり、と。
ベッドの上で微かに、だか確かに、その瞼が震え、そして──




