第七十六話 よし、襲撃しよう その二
ゼジス帝国。
力こそ全て、暴力の有無で人権さえも左右する完全実力主義国家。その頂点に君臨するは帝王バージウォン=ゼジス。己の力を高めること以外には全く興味がない男だったはずだ。
その彼が今神聖バリウス公国の聖都に攻め込んでいる。まるで人格が変わったかのように。
「ハッハァ」
崩れた防壁から聖都内に足を踏み入れた男は周りを見渡し、悲鳴と共に逃げつつある群衆を視認。乱雑に振るった刃から紅蓮の衝撃波が噴き出る。
『爆裂気剣』。
対軍を想定された爆裂波動が地形ごと群衆を吹き飛ばす──前に凄まじい勢いで何かが突撃してきた。
ゴッバァン!! と。
爆風が『彼女』の振るう腕に薙ぎ払われ、上空を貫くように走り抜けた。
「いひひ、無差別殺戮とか面白くないカモ。まあ強そうではあるワケだから、アタシが世界最強である証明のために粉砕してやるワケだけど」
「ハハッ、世界最強ねぇ。そりゃ殺し甲斐があるわな。いや殺され甲斐かァ?」
「意味分かんない奴カモ。まあ仮の宿とはいえ、ここは結構気に入ってたワケだし──攻め込んできたってんなら、とりあえず殺しておくカモっ!!」
だんっ!! と地面を蹴り、間合いを詰め、『少年』の肉体を華奢な腕の一振りで粉砕する。そんな一連の動作の始点、足に力を込めて、地面を蹴る前のことだった。
スパン、と。
あまりにも呆気なく、スフィアの右肩から腕が斬り落とされた。
「……、あ?」
ぶしゅう!! と遅れて噴き出す鮮血に目も向けず、スフィアは目の前の『少年』を見つめていた。
動いてすらいない風に見えたが、彼の腕に握られた長剣は先ほどまでは付着していなかった赤い液体がべったりとこびりついていた。言わずもがなスフィアの血液である。
(ア、タシが……敵の動きを捉えられなかった?)
スフィアはただの女ではない。
『魔の極致』が第四席。あの魔女やダークスーツの女を超える実力者。その実力はエリスを圧倒しガジルに勝利したことからもうかがえるだろう。
そのスフィアの目にさえも止まらぬ挙動で斬撃を仕掛け、右腕を斬り落としたのだ。
「おいおいこの程度かァ? 世界最強の名が泣くぞ?」
「て、めえ……っ!!」
「ハッハァ! まぁ仕方ねぇよ。魔法やスキルは魂依存だがァ、『技術』は肉体依存、というか肉体に込められた封印エネルギーを利用してるって感じだもんなァ」
「何を……?」
「あァ、そうか。亜種族には関係なかったってかァ。まぁあれだ、『あれ』が封印されているこの肉体には最大の『技術』が込められている。肉弾戦でこの肉体に勝てるわけねぇだろうがよ!!」
ゾワッ!! とスフィアの肌が粟立つ。
『少年』が動く。視認不可の斬撃が放たれれば、その時点でスフィアは両断される。
「舐めるなカモっ。『極の書』第九章第二節──白雫」
その前に全方位に純白の閃光を撒き散らした。
『少年』がどこから攻撃を仕掛けようが、全方位に放たれた純白からは逃れられない。
「いひひっ! これなら──」
「『炎の書』第三章第九節──火炎弾!!」
ゴッアアアッッッ!!!! と。
紅蓮の塊が真正面から放たれた。第三章、つまりは初級魔法。そのような一撃で四大属性を束ねし第五の領域、その第九章魔法を破れるわけがない。
わけがないというのに──ブォッワァ!! と純白の光が塗り潰されていく。まるで光が燃えていくかのよう、などという非現実的な考えさえも脳裏をかすむ光景であった。
「……っ!?」
燃える、燃える、燃える。
第九章魔法を束ねし第五の領域。新しき世界を生み出す奇跡の力。既存の法則をねじ伏せ、既存の世界のありとあらゆる存在を塗り潰し、消し去るはずの純白。その光が初級魔法が生み出す熱に塗り潰され、焼き尽くされていく。
「魔法とスキルは魂依存。ハッハァ! 俺様にとっちゃ『積み上げる』ことができる力だァ!! そんな分野で俺様に挑むのは無謀じゃねぇかァ? まぁ肉弾戦の要たる『技術』エネルギーに関してはこの肉体が最大最強なわけだし、どれを使っても俺様には勝てないようになってるんだがなァ!!」
戦闘において『前』にどれだけ準備しておけるかが勝敗を決すると言っていい。敵よりも強く、敵よりも多い兵力を用意できればいいのだから。
もちろん不確定要素が戦力差を覆すこともあるだろうが、ならば不測の事態に対応できるよう準備しておけばいい。
全ては『前』段階にかかっている。
だとするなら、肉弾戦も魔法力もスフィアを大きく上回るだけの力を『前』もって準備することができた怪物には──
(勝てやしない、と思っているなら簡単にぶっ殺せるカモ)
ジリヂリと純白の光は灼熱の赤に侵食されつつある。あと少し、ほんの数秒で限界を迎え、赤が殺到することだろう。
ならば、そのまま飛び込めばいい。
右肩の断面から鮮血を噴き出しながら、返り血で赤く染まった口を獰猛に歪める。
(アタシのスキルは死ななければ大丈夫が売りカモ。何なら肉体が消し飛んだって死を自覚する数秒間の間にスキルを発動すれば、無傷の元通りカモ。つまり油断を誘うことができるカモ。その炎でアタシを焼き殺したと気が緩んだ瞬間に復活、そのままぶっ殺してやるカモっ!!)
ゆえに右腕を治癒していなかった。腕をくっつけること自体は簡単だが、それだと意味はない。スフィアには回復系統の異能はないと思い込ませ、炎で焼き殺せば決着だと信じ込ませることで隙は生まれる。
単純な力関係だけなら『少年』が上かもしれないが、勝負は力だけで決するわけではない。不測の事態、予想外の方向からの一手が力の差を覆すことだってあるのだ。
だから。
だから。
だから。
ブォッゴァッッッ!!!! と純白の光を灼熱の赤が塗り潰し、焼き貫いた瞬間、スフィアの真横から抱きつくように『天使』が突っ込んできた。
遅れて先ほどまでスフィアが立っていた場所を赤が突き抜ける。地面を焼き溶かし、空気を熱し、気体の体積変化が爆風を生み出す。ボッア!! と近くの石造りの建物が軋み砕けるほどの爆風に叩かれ、天使とエルフは抱き合ったまま宙を舞う。
「天空の……っ!!」
「エンジェルミラージュだと言ったはずです」
そこでミラージュは背中に生やした四対の翼を大きく羽ばたかせ、吹き荒れる爆風を更なる暴風でかき乱し、吹き飛ばす。
トン、と軽やかに地面に降り立ち、『少年』を神秘的なまでに厳かな瞳で見据える。
「死をトリガーとして、他者を喰らう性質ですか。人の身で過ぎたる力を所有しているのですね」
「ハッハァ! 俺様の力を瞬時に見抜くかよ。しかも、なんだァその台詞。テメェは人じゃねぇとでも言いたげだなァ。見た目通りの天使なんですう、とか言うんじゃねぇだろうなァ?」
「その通りですが、それが?」
「ハハッ、そうかそうかァ、お前が噂の天使ってヤツかァ。実物見るのは初めてだが、外見は俺様たちとそう変わらねぇんだなァ」
「噂の? 今の地上の生物が天使について正確に認識できているはずがないですが」
「ハッハァ! 高位生命体だなんだほざいてやがる馬鹿どもらしい台詞だなァ。人間ってのはテメェらの想像の外にはみ出ている、それだけだろうが」
そこでミラージュに抱きかかえられたスフィアは不機嫌そうに息を吐く。
「手を出さなくて良かったカモ」
「いいえ、あの場は手を出すべきでした。スフィアの力は知っていますが、奴を相手とするなら肉体的な死は避けるべきです。なぜなら奴は己の肉体が死した場合は敵の肉体と魂を、敵が死した場合は敵の魂を奪うスキルを持っているのですから。分かりますか? あのままではスフィアのスキルを使う暇もなく、肉体的な死をトリガーとして魂を奪われていましたよ」
「……チッ。それはまた面倒な話カモ」
その会話を『少年』はじっと眺めていた。やろうと思えばいつでも斬りかかれたはずなのに、会話が終わるまで待っていたのだ。
なぜなら『少年』は強者なのだから。
いつでも敵を斬り殺せるのだから、会話が終わるまで待ってやる余裕もあるというものだ。
「話は終わったかァ? 俺様としてはどれだけ時間をかけてくれてもいいんだが、テメェらはどうだろうなァ? ハッハァ! 暴れたがりの戦闘狂ばかりで困ったもんだぜ。勝手についてきやがってよ」
瞬間。
ゴッガァンッ!! と上空より飛来してきた六の流星が散らばるように聖都に降り注いだ。
「『十二黒星』だったかァ? 半分は帝王を喰らう前にうじゃうじゃ立ち塞がってきたから、ついでに喰い殺してやったっけかァ。お仲間ぶっ殺されたってのに暴れられるならなんでもいいっつって俺様の下につくってんだから、あいつらも大概だよなァ」
「いひひ。本当面白くないやり方カモっ。殺し合いがしたいならアタシが相手になるカモっ!」
「まぁテメェも普通に殺すが、そうじゃねぇよなァ。弱者を蹂躙するための暴力だ、わざわざ殺す相手を選ぶ理由がどこにある? 目の前にいるから殺す、それだけだろうが」
「チッ! 『天空の巫女』っ!!」
「エンジェルミラージュです。『習合体』としては神聖バリウス公国の防衛力に期待したいところですが、彼ら全員を聖都の戦力で相手取るのは困難でしょう。スフィア、お願いできますか?」
「正直あいつとアタシじゃバトルスタイル的に相性が悪いカモ。でも『天空の巫女』だけで対処できるカモ?」
「何とかします。加えると『赤』としてはそろそろエンジェルミラージュだと認識してもらいたいものですが」
「いひひっ。それじゃあ『天空の巫女』に任せたカモっ」
「エンジェルミラージュですっ!」
ミラージュにしては珍しく意地になったかのように語尾を荒げている様を眺め、スフィアはくつくつと肩を震わせる。何の影響かは知らないが、この短期間で面白い方向の変化が見られていた。
天使の腕の中から抜け出したエルフはそのまま地面を蹴り、流星に見間違えるほどの『生物』が落下した地点を目指して駆け出す。……当然のように『少年』はそれを止めることなく見つめていた。
「終わったかァ? いい加減殺し合いたいんだがなァ」
「はい、ここからは『習合体』がお相手します」
「牢獄代わりに地上に人間を放り込んだ神様とやらの人形ごときが俺様の相手だァ? 違うな、テメェは俺様の糧になるだけ。ハッハァ! より強く、圧倒的な強者となるための糧でしかねぇよ!!」
「『黄』としてはそこまで知り得ている情報経路が気になるところですが、今は保留としましょう。それより『習合体』は答えたはずです。貴様の問いに対して『はい』と。──ここからは殺し合いではないのですか?」
ゴッパァ!! と。
純白の閃光が『少年』に襲いかかる。
ーーー☆ーーー
その時。
大通りを駆け抜けるエリスは腕の中で暴れるミリファに怒鳴るようにこう言っていた。
「いい加減諦めなさいっ。世の中できることとできないことがあるのよ!!」
「でもっ!」
「でもじゃない! ミリファはこの町の連中と関わったかもしれない。見知らぬ他人じゃなくなったのかもしれない。だから? そんなのミリファの命を危険にさらす理由にはならないっ!!」
「だから私たちだけ逃げるって? ふざけるな! そんなことできないっ。私には力がある、ミラージュさんたちを助けられるっ!!」
「ミリファの力が聞こえた通りなら、魂に魔力を取り込む必要があるはずよ。そのために第七王女のスキルが必要だった。その第七王女はこの場にはいないっ。ミリファの力を覚醒させるトリガーはないのよっ!!」
「そ、れは……でもっ」
「万が一魂に魔力を取り込めたとして、防壁を粉砕した奴はおろか聖都に降り立った連中さえも全盛期のあたしと同等かそれ以上の怪物よっ。そんな奴らを敵に回したら、確実に殺される。だから!!」
そこでエリスはザザッ!! と急停止した。なぜか、答えは次の瞬間示される。
ゴッバァ!! と右手にある五階建ての石造りの建築物が縦に両断され、目の前を不可視の斬撃波が走り抜けたのだ。
そのまま大通りを引き裂き、向かいの建物さえも叩き斬る。それこそおもちゃでも壊すように呆気なく、街並みが切り崩されたのだ。
……エリスが大暴れしたお陰で群衆はすでに逃げ出していたことだけは運が良かった。そうでなければ、今頃不可視のエネルギーに多くの人が両断されていただろう。
斬撃に束ねし不可視の衝撃波。
つまりは『技術』。
縦に両断された建物の切れ目から誰かが出てくる。それは二メートルはある大男だった。その右手には両手で使用することを想定されているはずの両刃の大剣が握られていた。彼の身の丈以上の得物を片手で軽々と持ち上げ、肩に担いでいるのだ。
「獲物発見っと。さあ狩りの時間だ。楽しませてくれよ子鹿ども」
「くそっ」
エリスはミリファを横に投げ捨て、ポーチから市販の魔石を掴めるだけ取り出す。炎と風を展開、剣のように束ね──その時には目の前に大男が肉薄していた。
「ッ!?」
数十メートルは間合いがあった、一息で詰められるはずがない距離だったのだが、現実として敵は目の前にいる。その巨大極まる得物を右横から斜めにすくい上げるように振り抜こうとしている。
「お、おおおお!!」
炎風剣で斬り結ぼうとして、背筋に悪寒を感じたエリスは己の直感に従った。斬撃を受けるのではなく、逸らす。ミリファを巻き込まないよう遠くに蹴り飛ばし──炎風剣を起爆。炎を爆発させるだけでなく、剣の内側に潜り込ませた風を破裂させることで威力を増幅。石造りの民家程度なら内側から粉々に消し飛ばせるほどの爆風が炸裂する……はずだった。
ボッッッ!!!! と。
大男は大剣を地面と垂直に構え、うちわでもあおぐような気軽さで振り回す。たったそれだけ。その動作が生み出した暴風が炎風剣の爆風を吹き散らす、だけでなくバゴン!! とエリスの脇腹に剣腹が叩き込まれた。
「が、ばう!?」
人ひとりが小石のように吹き飛んだ。彼が両断した建物の残骸、その片割れに叩きつけられる。
炎風剣の爆風を吹き飛ばす暴風、そんなものを生み出したほどの力で振り回された大剣だ。いかに刃が叩き込まれたわけでなくとも、その威力は甚大であった。
「が、ぁ、ばぶべぶっ!?」
あのエリスが四肢に力を込めることもできず、地面にうつ伏せに倒れた状態で血の塊を吐き出していた。ピクピクと指が動くが、それが限界だ。
あのエリスが一撃で。
しかも彼は六のうちの一。同等の存在が後五人聖都に降り立っており、加えて防壁を粉砕した者は彼らを遥かに超える怪物である。
聖都の人間を助けられるかどうか、なんて話ではなかった。そもそも無事にここから逃げることさえも不可能に近いだろう。
「もう終わりか子鹿。なら死ね」
大剣をだらりと下げた大男がエリスに歩み寄る。その距離がゼロとなった時、容赦なく暴虐は炸裂するだろう。
死が。
迫る。
ーーー☆ーーー
その時。
エリスに蹴り飛ばされていたとはいえ、爆風と暴風の激突が生み出す衝撃波に巻き込まれたミリファは近くの露店に叩きつけられていた。頭から地面に叩きつけられ、額が割れたのか、噴き出した鮮血に顔中が真っ赤に染まっていた。
「あ、う……」
視界が点滅しているかのように白と黒を繰り返す。白く光り輝いたかと思えば、黒が塗り潰す。頭を打ったことで意識が混濁しているだけではない。その証拠に頭の奥から精神をかき乱すかのような、あの『雑音』が響く。
────ザザッ、ザザザザザザッ!!
(うる、さい……)
────ザザザザッ、にひ☆ ザザッ!!
(うるさい、うるさい! うるさい!!)
────にひ☆ いいっのかなー? 別に現実から目を逸らすのは勝手だけど、現実は残酷なまでに平等に進んでいくにゃー
(知らない。聞こえない。私は何も分からない!!)
────なら、そのまま姉が殺されるのを眺めていればいいにゃー
(え、あ、お姉ちゃん!?)
────さあどうする? 力がないから見殺しにするのと、力があるのに見殺しにするのは感じ方も違うと思うけど? 無知なフリして現実から目を逸らし、結果大切な者を失ったら、ミリファの精神は耐えられるかにゃー?
(あ、うあ、あああ……っ!!)
────その肉体ちょーだい☆ そうすればあの大男ぶっ殺して、お姉ちゃん助けてあげるよー
ーーー☆ーーー
その時。
魔石を売っていたのか、露店の周囲に散らばる魔石が淡く光ったかと思うと、魔力が噴出した。
大剣を振り下ろし、今にもエリスを両断せんとしていた大男へと殺到するように。
「むっ」
ブォン!! と振るわれた刃が魔力の奔流を呆気なく両断したが、『彼女』は予想通りだと言いたげに笑みを浮かべていた。
黒髪黒目の小柄な少女。
本来の彼女が決して浮かべない、醜悪な笑みが広がる。
「にひ☆ ようやく現実世界に帰ってこれたにゃー」
「この気配……先ほどまでとは桁違いだな」
「それはそうだにゃー。どこぞの村娘と魔女じゃ文字通り次元が違うって」
それは、まさに、
「私は魔女モルガン=フォトンフィールドだにゃー。どこにでも転がっている平凡な村娘と一緒にするとか、いくらなんでも失礼だよねー☆」




