第七十三話 よし、誘拐されよう その八
『勝負しろーっ!!』
過去の一幕。
池でプカプカしていた人魚はエルフを見つけた途端にそう叫び、そのまま池の中から飛び出してきた。
スフィアめがけて射出されたマリンだが、標的となったスフィアはひょいっと横に避ける。
『なんですとお!?』
べぢ、ぴち、と陸の上に転がる人魚。がばっと身を起こし、恨めしげにスフィアを睨む。
『なんで避けるのよっ』
『……、マリンは一度自分の格好を鑑みるといいカモ。「あれ」はちょっと刺激が強すぎるカモっ』
『?』
スフィアにしては珍しくどこか身をよじるように声を絞り出していた。あるいはその赤くなった顔はマリンにだけ見せるものなのかもしれない。
『とにかく! 勝負だスフィアーっ!』
『マリンも懲りないカモ。アタシとの力の差は思い知っているはずカモ』
『むぐっ。そ、それでもテッペン目指すには挑戦あるのみなのよ!!』
『そもそもどうしてテッペンなんて目指すカモ? 世界最強なんてものになったって面白いことはなさそうカモ』
『むぐう! そんなことないっ。この世に生を受けたからにはテッペン目指すべきなのよ!! だから私はスフィアに挑戦し続ける。世界最強の旅一日目の時点で憧れるくらい強い奴に出会えたんだもの。だから! 大好きなスフィアに、だからこそ勝ちたいんだもの!!』
『大好き……そう、カモ』
それがマリンの執着の理由なのだとすれば。
『強い』という理由が前提として並んでいるのならば。
『だったらアタシは世界最強に君臨してやるカモ。そうすれば旅なんてしなくても、アタシを倒せば自動的に目的を達せられるワケだしね』
その言葉の深奥に眠っているのは何だったのか。世界最強であればマリンは自分だけを追い求めてくれる? この秘密の花園から出ていかない? それもあるだろうが、一番はきっと、
『その上で、負けてやらないカモ。大好きなマリンにだけは負けたくないワケだしね!!』
『ふふん! そうこなくちゃっ!!』
互いに互いのことが好きだからこそ。
負けたくないと、勝ちたいと、猛烈に想っていたのだろう。
ーーー☆ーーー
神聖バリウス公国、聖都。
その大通りのど真ん中でスフィアとエンジェルミラージュが対峙していた。『極の書』を操るエルフと、そんなエルフを一時的とはいえ拘束してみせた『天空の巫女』。彼女たちが真っ向から激突すれば、鬼ごっこがどうこう以前にここら一帯が消し飛んだって不思議はない。
「いひひっ。さあそろそろ始めるカモっ!」
「『習合体』はお姫様だっこを任されました。その邪魔をするというのならば、『赤』としては感情のままに粉砕するとしましょう」
そして。
そして。
そして。
ゴッバァン!! と。
炎の流星が大通りのど真ん中に落下する。
それは風を操り灼熱の余波が周囲の人間を焼き殺さないよう調整していた。
それは黒のバトルスーツを纏い、腰にはポーチをつけた青のポニーテールの女だった。
それは妹のためならば世界だって焼き尽くすことができる、正義も悪も呑み込んだ炎風だった。
つまりはエリス。
四大貴族の一角、リリィローズ公爵家が長女の全魔法を『魔力技術』で増幅、使役する女は最初から全力だった。
ゴッボォッッッ!!!! と。
エルフの顔面に猛火と暴風を纏いし拳が叩き込まれた。それこそ木っ端のように軽々しく吹き飛ぶ。黄色パーカーの女エルフはそのまま近くの建物に突っ込んでいった。
ーーー☆ーーー
突然の出来事に群衆が悲鳴と共に逃げ出した、その時、エリスは己を焼き殺さんばかりの怒りに魂が爆ぜてしまいそうだった。昨日、エルフの女の手で妹は誘拐された。同日エリスたちの前に現れたのもエルフの女だった。
同一人物だったのだ。
リーダーを殺そうとしたのも、妹を連れ去ったのも、目の前のエルフの手によるものだったのだ。
あの時エリスがエルフの女を殺していれば、妹は誘拐されずに済んだ。怖い思いをする必要はなかった。
己への怒りに気が狂いそうだった。
だが、そう、だが今はその時ではない。
(誘拐犯なんてどうでもいい、ミリファが無事ならそれが全て。──返してもらうわよ、あたしの妹を!!)
神聖バリウス公国の中心地たる聖都から順に捜索するつもりだったが、妹は聖都にいた。エルフの女ともう一人、(羨ましいことに)ミリファをお姫様だっこしている巫女服の女が敵か味方かは不明だが、先制として確実に敵であるエルフの女を排除することには成功した。
この一瞬。
エルフが体勢を整える前に妹を取り戻せ!!
「テメェの立ち位置は知らない。要求は一つ、今すぐあたしの妹を返せ!! 拒否するなら誘拐犯の仲間だろうがそうじゃなかろうが、ぶっ殺すッッッ!!!!」
「『習合体』は任されました。ゆえにその言葉には従えません」
「だったら力づくでも取り戻す!!」
時間はない。
あの女エルフは己のことを『魔の極致』第四席、スフィアと呼称した。あの戦争においてエリスや少女騎士や第五王女が死力を尽くしてようやく殺すことができた魔女モルガン=フォトンフィールドを末席と扱う領域。その領域で四席に君臨する怪物だ。その力は身をもって思い知った。一撃で殺され、一瞬でなかったことにされた。スフィアの反則級のスキルがなければエリスは死んでいた。
それでも。
そんな怪物を敵に回しても、助けたいのだ。
妹を救うためなら世界だって敵に回す。ならばエルフ一人を敵とすることに躊躇はない。
そのために必要なのは電撃戦。エルフが動く前に妹を連れ戻すことができなければ、そこで終わり。あの時と同じように呆気なく殺されるだけだ。
(出し惜しみはなし。リリィローズ公爵令嬢から受け取った魔力、全部使ってえ!!)
ゴッアッッッ!!!! と。
燃え盛る猛火は先の戦争において魔女モルガン=フォトンフィールドの第九章魔法を真っ向から粉砕した一撃と同等であった。リリィローズ公爵令嬢、魔法を司るかの令嬢の全魔力でもって『魂魄技術』を疑似再現したのだ。
加えて暴風の席巻。
猛火を巻き込み、その熱を極限まで高めていく。
炎と風の融合。
ゆえに『炎上暴風のエリス』。
死者の魂を犠牲に捧げる必要があるほどに強大な第九章魔法に並ぶ炎風の一撃は細く細く束ねられた。数ミリもの厚さにまで凝縮した炎風の槍が点を貫くように突き出される。
お姫様だっこされているミリファを避けて、巫女服の女の額を貫き脳を壊すために。
「お姉ちゃ──ッ!!」
「『黄』としては貴女様がそんなに心配することが不思議です。『習合体』は任されました、ゆえに貫きますよ」
ぱんっ、と。
『魂魄技術』と同等の一撃が弾け飛んだ。
「な、あ……っ!?」
「祈りは貫くものです。この程度の障害に阻まれるいわれはありません」
避けられるか、防がれるか。(それもまた驚異的ではあるが)それならばまだ次に繋げられた。避けるなり防ぐなりした後の体勢の崩れなどの隙を狙い、妹を奪還できた可能性もゼロではない。
だが、ここまで鮮やかに無力化されたならば? 巫女服の女は動いてすらいない。エリスの渾身の一撃を受けても微動だにしない怪物に隙なんてあるわけがない。
そして、もう一つ。
短期決戦を挑んだ理由はなんだった?
「いひひっ、これが面白いことカモ? まあ予想外であったけど、この程度のサプライズじゃアタシを満足させることは難しいカモっ!!」
ゴォ!! とスフィアがエリスの懐に飛び込んでくる。先制攻撃で生み出した一瞬の猶予が切れた。ここから先は単純な力同士の激突。その結果どうなるかは昨日身をもって思い知っている。
「くそ、が……!!」
それでも。
それでも!
それでも!!
「テメェからミリファを救い出す!! そのためなら魂だって燃やし尽くし──」
「わーわーすとーっぷう!! お姉ちゃん、鬼ごっこの最中に何やってるんだよお!!」
…………。
…………。
…………。
「おに、ごっこ?」
「うん、鬼ごっこ」
巫女服の女にお姫様だっこされた状態で妹が何か言っていた。
「いや、だって、ミリファそこのエルフに誘拐されたのよね? なのに、え、鬼ごっこって、ええ!?」
「あーそういえば誘拐って感じになるのかぁ。でも、ほら、別になんともないっていうか、『雑音』治してくれるらしいし、いい人たちだよっ」
「『雑音』? その辺は後で詳しく聞くとして……おい、エルフ」
「スフィアって名乗ったはずカモ」
適当に嘯くスフィアだが、その凶手がエリスを貫くことはない。懐まで飛び込んだ彼女が本気になれば、いつでもエリスを殺せるはずなのにだ。
「ミリファに危害を加える気はないわけ?」
「今はまだ、ってだけカモ。『雑音』取り除いたら、アタシが世界最強だと証明するために粉砕するカモ。まあ殺しはしないから安心するカモっ」
「ひとまずテメェはぶっ殺すとして」
何があったのかは不明だが、妹はエルフや巫女服女を受け入れているそぶりすら見せている。この状況でこれ以上戦闘行為を持続しても、救出対象たるミリファ自身が止めてくる気配があった。いやミリファなら必ずそうするだろう。
「ミリファはどうしたい?」
「どうって、ええと、とりあえず鬼ごっこには勝たないとだねっ!!」
「はぁ」
これ以上足掻いてもミリファを救い出せる可能性は限りなく低いだろう。どうやら『今は』エルフ女や巫女服女がミリファに危害を加えることはなさそう、だとするなら、
「『今は』手を出さないでおいてやる。……妹に傷一つつけようとしてみろ、骨の髄まで燃やし尽くしてやる」
「いひひ、面白そうカモ」
それはそれとして、と。
エリスから噴出する人を殺せそうなほどの圧を受けてもスフィアは平然と受け流して、こう続けた。
「エリスも鬼ごっこに参加するカモ?」
「するわけないでしょ、クソが」
「いひひっ、昨日あれだけ無様に負けたワケだし、やる前から逃げ出すのも無理ないカモ」
ぴく、と。
エリスの頬が震える。
「アタシが悪かったカモ。だよねーあれだけギャーギャー言っておきながら呆気なく負けるなんてことになったら恥ずかしいワケだし、やる前から逃げ出すのも選択肢の一つカモっ」
「…………、」
「それじゃあ邪魔だからそこどくカモ。エリスじゃアタシを満足させることなんて不可能なワケだし」
「…………、」
「ん? どうかしたカモ???」
ゾッン!! と。
不可視のエネルギーが黒のバトルスーツから噴き出した。
「鬼ごっこ? 上等よ、クソ野郎!! コテンパンにしてやるう!!」
「いひ、いひひっ!! そうじゃないと面白くないカモっ。ほらほら早く逃げるカモ! アタシに捕まって、やっぱり無様に負ける様を見せて欲しいカモっ!!」
「舐めるなっ。逃げてやるわよ、逃げ切ってやるわよ!! 吠え面かかせてやるから、覚悟しろ!!」
「それは楽しみカモっ。昨日みたいな面白いものを見せて欲しいカモっ!!」
その光景を見て、ミリファは細かい点を投げ捨てた。とにかく皆で鬼ごっこするのである!!




