第六十九話 よし、誘拐されよう その四
「むあー……お腹空いたなぁ」
「ジジッ、ザザザッ! ……『習合体』は、しゅうご、ザザザザザザッ!! だめ、こんな……ザザザッ!!」
「?」
欲望に忠実なぐーたら娘はなんだか神聖さがカケラも残らず砕け散って、ふにゃふにゃとしている巫女を見つめ、首を傾げる。
と。
その時だ。
ドッパァン!! と扉が外側から吹き飛び、ダークスーツの女が突っ込んできた。
「ふにゃあ!? こ、こんの殺戮女め正体あらわしたなこんにゃろーっ!! やるかこらあ!!」
「人手不足」
「はい?」
「お前ら、来い」
ダークスーツの女がミリファの胴体に腕を回したかと思うと、そのまま持ち上げられ、肩に担がれた。
「にゃ、にゃん、なんだこらあ!!」
「だから、人手不足」
「もおわけわかんないっ! ミラージュさーん助けてーっ!!」
「『習合体』は、しゅう、ザザザッ!!」
五億以上もの信者の畏怖と尊敬の象徴たる『天空の巫女』は神秘性が霧散して、フリーズしたままだった。……元はと言えばミリファのスキンシップ過多が原因なのだから自業自得ともいえるのか。
「さあ行くぞ」
「たーすーけーてー!!」
瞬間。
視界が霞むほどの速度でダークスーツの女が駆け出した。
ーーー☆ーーー
『空白地帯』。
各国が支配を諦めるほどの怪物蠢く領域の一つ、パーハクの森。第九章魔法さえも操るエルフの里に襲撃を仕掛けたウルティアの武力の側面は冷静に戦力差を分析していた。
(『大気技術』は先の戦争で理屈不明の強化状態を実現した。その負荷は決して軽いものじゃないみたいねー。『何か』が軋んでいるし、無理に使えば『砕け』死ぬ、なんて予感もするしさー。魔法に関してはエカテリーナと違ってウルティアは第六章までしか使えないし、スキルはこの状況じゃ使っても意味はない、と。実質魔法だけでエルフの集団に挑むのは無謀だよねー)
おそらく集落のほとんどのエルフが飛び出してきたのだろう。三十ほどのエルフが警戒心をむき出しにしていた。
敵は魔法のスペシャリスト。第九章魔法さえも操る者が何人混ざっているのかは不明だが、第六章までしか使えないウルティアよりも格上の者は必ず存在するだろう。
数も質も上の敵を前にして、直接戦闘を挑むなど自殺行為でしかない。逃げろ、と。ウルティアの武力の側面が訴えかけていた。
(──ぶっ壊してやる)
だからどうした、と。
ウルティアの中の『何か』はそう切り捨てた。
暴走状態、なのだろう。理性が焼き切れた怪物にして破壊を撒き散らす災厄と成り果てていくのを実感していた。
だけど、それでも。
ウルティアの中の『何か』は強く訴えかけてくるのだ。ミリファを取り戻せ、と。
(……はは。なんでここまでと思ったけど、そうかー。ウルティアみたいな戦闘狂の中にも人間らしい側面は確かにあったんだねー。こういうのはウルティアには無縁だと思ってたけど、うん、悪い気はしないかなー)
ゴギィ!! と拳を握りしめ。
暴虐の怪物は言う。
「これ以上は待つ気はないかなー。ミリファを返さないなら、お前ら全員ぶっ壊してやる」
「待つがいい、人の子よ」
そう言って、前に踏み出してきたのは一人のエルフだった。布地で局部を隠しているだけの他のエルフと違い、深い緑のマントを羽織った男だった。人間の感性で見れば青年といった風貌だが、長寿種族たるエルフにおいて見た目はあまり判断材料にはならない。百歳を超えてようやく成人したと見なされるほど、だと言えば彼らの寿命の長さも分かるというものだ。
「長っ! 不用意に近づいてはなりません!!」
「構わぬ。所詮は人の子、我らの敵ではない」
ぴくり、と。
ウルティアの眉が動くが、長と呼ばれた緑マントのエルフは気づいてすらいなかった。
「人の子よ、我らは人の世に干渉するほど暇ではない。ミリファ? そんなもの知るか」
「とぼけるってんならそのままぶっ壊すけど? ミリファはエルフに襲われた、お前らの中の誰かが誘拐したはず」
「ふむ。我らは誇り高きエルフ、誘拐などという低俗なものに手を出したと思われるのは心外だ。だから教えてやろう。エルフの中で人の世に干渉する者がいるとすれば、それはあの忌まわしき殺戮者、スフィアだろう」
「スフィア?」
「うむ。我らが同胞の多くを殺した大罪なりし者だ。奴ならば誘拐などという低俗なものにも手を出すだろう。人の子と大罪なりし者、下賤なる者同士で殺し合うのも一興か」
「ふうん。まあそっちの思惑なんてどうでもいいけど、そのスフィアって奴について知ってること全部吐いてよねー。どうやらそいつと殺し合うことになりそうだし、事前に情報収集できるならしておくべきだし」
「ふん。生意気な小娘だな。我らエルフの欠片ほどの時も生きておらぬ矮小なる人の子ごときが」
「いいから、全部」
「……ふん。まあ良い。忌まわしきスフィアを矮小なる人の子ごときが殺せるとも思えんが、勝率は上げておくのも一興だ。大罪なりし者に関する情報を与えてやる。奴を殺し、ミリファとやらを連れ戻すがいい。できるものなら、な」
ーーー☆ーーー
「到着」
「にゃ、にゃん、ふにゃあ……っ!」
ウルティアの感知範囲外から一瞬で距離を縮めたほどの脚力の持ち主たるダークスーツの女に担がれての移動だ。ただの村娘には全身にかかる圧か凄まじかったのだろう、にゃあにゃあ言いながら目を回していた。
「これで、人数確保」
「にゃんにゃんだよお……」
呻きながらも(ダークスーツの女の肩の上から)周囲を見渡すミリファ。
石造りの街並み、その一角。
建物と建物の間にポツリと出来た空き地に何人かの六、七歳程度の子供が集まっていたのだ。
というかわらわら近づいてきた。
ダークスーツの女に警戒することなく、だ。
「っ!?」
腰に差した細身の剣はあの戦争にて百人以上もの騎士を斬り殺した武器である。あの剣を一振りするだけでも無邪気な子供たちの首を纏めて斬り飛ばすことができるだろう。
「待っ……!!」
だから。
だから。
だから。
「ファーさんはっや!? ついさっき出て行かなかったっけ!?」
「私、速い」
「あ、足の速さなら負けないと思ってたのにっ」
「ふふん。最先端技術は伊達じゃないのだ」
「その人スケスケじゃん! すっげー!!」
「む。スケスケは凄いのか」
「……あっれー?」
和気あいあいとしていた。もう完全なる仲良しグループのノリだった。(見た目は)スレンダー美女と合わせるとかんっぜんに若奥様と子供達という構図にしか見えなかった。
「おいスケスケっ」
「おかしい、なにこれなんなのこれ?」
「こらーっ! おれを無視するなーっ!!」
ぴょんぴょん跳ねながら子供たちの一人が叫んでいた。活発そうな男の子はスケスケ(青のネグリジェ姿)のミリファをびしっと指差し、
「おまえはファーさんのともだちみたいだし、おれたちの仲間にしてやるっ。というわけでスケスケっ! 遊ぶぞ!!」
「…………、」
ダークスーツの女の名前がファクティスだからファーさんなのだろう。それはまだいいが、どうにもファクティスの友達扱いされているわ年下の男の子に上から目線で仲間にされそうになっているわ気になることは山ほどあった。
だが、もう全部投げた。
細かいものは捨ててしまうのがミリファなのである。
「ふ、ふふ。もういい、知らない。どうとでもなれーっ!!」
「わ、どうしたスケスケっ?」
「遊ぶだって? 上等だこんにゃろーっ!」
「お、おお、やる気満々だなっ。ようし遊ぶぞー!!」
「おーっ!!」
ーーー☆ーーー
スフィア。
次代の長に最も近き者と呼ばれるほどの実力者であり、かつてはエルフたちの尊敬と畏怖を一身に集めていた女である。
スキル『欠損補填』は死以外のあらゆる損傷を癒す。生物限定という縛りはあるが、このスキルがあれば心臓を貫かれても脳を砕かれても、死を自覚する前であれば全ての損傷を癒すことができる。実質的な不死の力。世界に広まるスキルの中でも希少にして強大な力である。
彼女の身体能力は数十メートルの体躯の中に強靭な筋肉を凝縮させた巨人種を腕の一振りで粉砕するほどにずば抜けていた。亜種族は基本的に人間よりも優れた身体能力を持つことで知られているが、それにしてもガジルの斬撃を刃ではなく剣腹に打撃を叩きつけ受け止める、なんて芸当ができる者となると数えるほどしか存在しないだろう。
魔法の技術は歴代の長さえも超える史上最強のものであった。大陸には褐色の女や魔法の第四王女、リリィローズ公爵家など魔法の才能を色濃く示す因子が数多く存在するが、その中でもエルフという記号は最上位のものだ。そんなエルフの中での史上最強、となれば、その力はもしかしたら何十万もの魂のエネルギーを基とした魔法にさえも匹敵あるいは凌駕する可能性もゼロではない。
では、彼女はなぜエルフを絶滅寸前まで追い詰めた? それだけの力があれば地位も名誉も思いのままだったはずだ。満たされていれば、凶行に走る理由もないはずなのだが。
「あの大罪なりし者は人魚の女に恋をした。忌まわしき限りだ。誇り高きエルフ以外の者、しかも同性に恋をするだけでなく、『エルフ以外と交わってはならない』という古からの慣習に背いたのだよ。だから人魚の女を殺した。次代の長に最も近かった大罪なりし者を誑かしたのだからな、その罪を身体に分からせるため何日もかけてじっくりとな。だというのに大罪なりし者はあろうことか我らを逆恨みしたのだ。誇り高きエルフを誑かす悪を滅し、大罪なりし者でも治療できないよう確実に殺してから、その穢らわしき有様を見せつければ己の過ちに気付くと思ったのだがな」
「…………、」
周囲のエルフどもも同意見なのか、舌打ちをこぼしたり悪態をついたりしていた。『大きな枠組み』、多数決の原理。そういった規律があり、その外にはみ出た者は殺すのが当たり前だと、疑ってすらいない正義がそこにあった。
「人の子よ、殺し合うなら殺し合うがいい。大罪なりし者と矮小なる人の子が殺し合い、どちらが勝とうが我らにはどうでも良いことだが、どうせならかの大罪をこの世から消し去ることを望むぞ」
「アハッ☆」
ウルティアの『中身』は把握できない破損が刻まれている。『技術』自体が力の源すら分からず使っているのだがら、無理な使用方法を行った場合の影響を把握できるわけがない。それでも武力としての直感がこれ以上の使用はいずれ『砕け』死ぬほどの破損へと発展する、そう分析していた。
前提条件は揃った。
そんなの全部無視した。
ゴッバァァァッッッ!!!! と、『大気技術』が生み出す暴風がエルフどもを根こそぎ薙ぎ払う。
魔法は確かに強力な力だが、万能ではない。
例えば魔法を使用するには亜空間内で魔力を抽出、加工して魔法を作り、それを現実世界に魔法陣を使って召喚するという一連の流れが必要な点。それだけの工程が必要であり、その分だけ魔法使用には時間がかかる。
エルフほどの優れた魔法使いならば一秒未満で魔法を召喚することもできただろうが、ウルティアの『大気技術』はそれより速い。敵が魔法を召喚する前に全員纏めて叩き潰すことだって可能である。
……ここまでうまくいったのはエルフどもが『矮小なる』人の子ごときにやられるわけがないと慢心していたから。真っ向からぶつかっていれば、いかにウルティアでも数と質の暴力になすすべもなく殺されていただろう。
それでも。
力の差が分かっていても、なお。
ウルティアは武力を行使した。
理由?
ムカついた以上のものが必要か???
「あーあ」
集落は見る影もなかった。
『大気技術』一発で根こそぎ吹き飛ばされていた。森の中にぽっかりと更地が出来上がっていた。魔法を発動さえできなかったエルフどもがどうなったかなど論じるまでもないだろう。
「エルフ、絶滅しちゃったなー」




