第七話 よし、指導しよう
『メイド道、入門編』。
第二章・第三節 楽しい紅茶の淹れ方について。
第二節にて語った通り、お茶の淹れ方には共通項と相違点とが存在する。共通項さえ押さえておけば大抵の『茶』を淹れることはできるが、その末に出来上がるのは平均的で凡庸な飲み物。仕える者として高みを目指したいならば、各々の『茶』に適した淹れ方というものを習得する必要がある。
そもそも『茶』とは──
〜〜〜略〜〜〜
──それでは紅茶の淹れ方の『概要』を語っていこう。あくまでこれから語るのは『概要』、平均点を出すためのもの。ここから発展させていくことにこそ意味があることを念頭に読み進めてほしい。
・お湯を沸かそう(熱し方や温度については『茶』の種類によって最適解は異なる)。
・カップとポットにお湯を注ごう(『茶』と容器との温度差を縮め、最適解の温度を崩さないため……までが平均点。ここでの温度差においても最適解は異なる)。
・温めたポットにティースプーン一杯を一人前として、人数分の茶葉を入れよう(量はもちろん、ブランドさせることで腕を見せることも可能だ)。
・ポットにお湯を注ごう(もちろんお湯と茶葉の比率についても最適解は異なるが、平均点を目指すならばコップ一杯分のお湯を一人前としても良いだろう)。
・蒸らそう(ここが腕の見せ所。蒸らす時間が味を決めるといっても過言はない)。
・茶ごしで茶がらをこしながら、カップに注ごう(注ぎ方はもちろんだが、味を左右するは最後の一滴。これだけは覚えておこう)。
手順は先の通りだが、前述の通りこんなものは『概要』でしかない。入門編、とりあえず形だけはメイドとしての仕事ができるようになる程度の技術であることは何度だって記しておこう。
ーーー☆ーーー
(こうちゃ、こう茶……ああお茶っ。これお茶じゃんっ。そうそう、そういえば昔お姉ちゃんが誘拐された四大貴族を助けたお礼にって色んなの貰った中に緑茶とかいうのがあったじゃん! 確か葉っぱから飲み物を搾り出すんだっけ。飲み物なんてどうでもよかったから、お母さんたちに譲ったけど……ううっ。あの時せめて搾り方くらい見ておけばよかった!!)
厨房の一角。ポットやらカップやら茶葉やらを前にミリファはだらだらと流れる汗でふやける寸前だった。致命的に追い詰められている。喉元に刃を突きつけられているに等しい。ここからの逆転は厳しい、となれば、正直に白状するべきなのだろうが……。
(初めて、だもん。誰かに尊敬されたのなんて、凄いって褒められたのなんて、初めてなんだもんっ)
ぐーたらと生きてきた。努力なんてカケラもしてこなかった。姉と違って妹には誇るべき『何か』も、無我夢中に追い求める『何か』もなく、結果として平均的よりも下の凡人に相応しい能力しか持ち合わせていなかった。
だから、褒められたことなんてなかった。
ぐーたら伸び伸びと一生を怠惰に使い潰すことが幸せだから、別にそれでよかったはずなのだが……凄いと目をキラキラさせるファルナの姿を見て、湧き上がる感情は確かにあったのだ。
だから、己の無能を白状なんてできなかった。
勘違いだと、誤解だと、自分はファルナが思っているような人間ではないと、そう告げたが最後、せっかく手に入れた『何か』が壊れてしまいそうがゆえに。
だから、乗り越えるしかなかった。
ファルナの期待に応え、変わらぬ尊敬を一身に浴びていたかった。ぐーたら伸び伸びと生きていくためには必要のない努力かもしれないが、芽生えた『何か』を守るために足掻くことでしか尊敬を維持できないのならば、やるべきことは一つしかない。
……その末に出てきた言葉はといえば、『まずはファルナちゃんの実力を見ようかっ』なんていう問題の引き伸ばしでしかなかったが。
ーーー☆ーーー
凄い、という感情がミリファの胸の内から湧き上がる。目の前に広がるのは一種の芸術の域にまで到達した、精練された技術の結晶。何をやっているのかミリファにはさっぱりだったが、その動作一つ一つに宿るものに圧倒されたのだ。
気がつけば、目の前のカップの中に透き通った琥珀色の液体が入っていた。香る匂いに脳髄が痺れ、その色に目が釘付けにされた。
レベルが違うどころではない。ファルナとミリファとではメイドという側面だけで考えるならば、住む世界が全くもって異なるのだ。
それでも。
『メイド』としてはそうでも、『友達』としては同じ世界に住む同年代の女の子なのだと、それだけ分かっていれば十分であった。
それはそれとして、これからどうする?
「あの、ミリファさん。どう、かな?」
どうもこうもなかった。ミリファに言えることなんて何もなかった。ぷるぷると震える腕がカップに伸びていたが、掴んでどうするのだと疑問が焦燥が罪悪感が思考を炙る。鈍る。考えなければならない場面なのに、考えるための思考能力が残っていない。
とにかく手を伸ばした。
飲んで、それっぽいことを言うしかない。
だから、ぐいっとカップ一杯の紅茶を飲み干した。
「あっつうっっっ!? ぶへっ、はふっ、ぼふはっ!!」
「あ、あれ、そんなに熱かった、かな? 飲みやすいように調整したはずなんだけど……」
「ちがっ、あれ、これは……はふばぶっ」
いくら温度調節がされていたとはいえ、紅茶は一気飲みするものではない。一気飲みなどすれば熱さを感じるのは普通であり、涙目のミリファは何も考えられず、とにかく全身を動かして熱さを誤魔化していた。
……そう、その手にカップを持ったまま。
「カップ? カップが熱い……??? でも温度差は限りなくゼロにしたはずだし、あの、『オーラスカラ』の味を一番引き出す温度にしているはずだし……」
「は、はぶっ、ほふうっ!!」
「ちゃんと話してよ。その、何が言いたいの、ミリファさん。……ううん、違う。そうだよね、頼るだけじゃだめ。最後には自分の力で上を目指さないと、いつまで経っても側仕えのメイドにはなれない。その、そう伝えるために、あの、つまらない演技したんだね、ミリファさん」
確かに受け取りましたっ! と告げ、頭を下げ、立ち去っていくファルナ。ミリファはといえば、熱さに身悶えていたら知らず知らずのうちにお礼を言われていたものだから、首を傾げていた。
が、
「よく分からないけど、なんとかなったっぽいし、別にいっか」
後先考えるのは面倒だし、その時間をぐーたら惰眠に費やすほうが有意義だとそう思えるのが、ミリファがミリファたるゆえんであった。
ーーー☆ーーー
『オーラスカラ』。
紅茶に類似した茶葉の味を引き出す適正温度『は』導かれていた。ゆえにそこに合わせてお湯やカップの温度を設定する腕が必要とされてきた。
だが、違ったのだ。
そこにはもう一段階、あったのだ。
「ミリファさーんっ!」
「うわっ、ど、どうしたの、ファルナちゃん?」
三日後のことだった。
毎度のごとく昼食時の食堂で積み重なった皿に隠れたミリファへと、らしくもなく叫びながら駆け寄るファルナ。その顔には隠しようもない尊敬と感動が浮かんでいた。
何やら嬉しそうなファルナだが、当然ミリファにはその理由が皆目見当もつかない。というか、先のアレソレが勘違いだと気づかれて幻滅されるならまだしも、なぜあんなにも尊敬を増加させているのだろうか?
「ミリファさんの言う通りだったっ。カップの温度をあえて適正温度よりも下にすることで、温度変化が促されて、より『オーラスカラ』の味を引き出すことができるんだねっ!!」
「え、は???」
「流石は第七王女の側仕えだねっ。『先輩』も知らない知識を持っているなんてっ。えっと、その、凄いっ!!」
『オーラスカラ』が先の紅茶の茶葉を指していることも、『オーラスカラ』の味を引き出す最適解こそがカップとお湯との温度差──熱してからの短時間での温度変化が及ぼす茶葉への刺激──にあることも、その技法に行き着いたのは全てファルナの勘違いが導いた偶然であることも、もちろんミリファは気づいてすらいなかった。
だけど、
「ふ、ふふふ。私の狙いに気づいたようで何よりっ。ファルナちゃんならそこまで行き着くと信じてたよっ!!」
「ミリファさんっ。でも、どうして、その、こんなことを知っているの? 『オーラスカラ』なんて高級品、あの、王族や上流貴族にでも仕えないと見る機会さえもないはずなのに……」
「ふははははっ! ファルナちゃーん。私を誰と思ってるのかなー? 第七王女が側仕え、ミリファ様だぜいやっふうーっ!!」
「わ、わぁっ!!」
理由なんてさっぱりでも、己が力で掴んだものでなくても、それが利益になるなら努力せずに特をしたと享受するのがミリファであった。
ーーー☆ーーー
大陸中原には主要な軍事国家がひしめく激戦区である。大陸南部でならば小国アリシアであろうとも他国の干渉を受けずにいられるほどだが、中原は違う。
過去に大陸統一手前まで辿り着くも、最後には『魔王』の軍勢に大陸統一を阻止されたゼジス帝国。現在の王は齢60を過ぎてなおも最上位魔獣たる龍族を討伐する力を持つほどの完全実力主義にして、魔導兵器の技術において大陸でも屈指の軍事国家である。
大陸のほとんどの人間が信仰するスタンダードな宗教『バリウス教』を軸とした宗教国家・神聖バリウス公国。神の声を代弁する『天空の巫女』を中心とした『王を持たず、神の国に隷属する』かの国において上下関係も権力の集中もないとされている。神の元に隷属することこそが生物の幸せなのだから、その信仰に上下もなく、もって人間同士に序列も存在しない。
優秀な魔法使いを多く輩出する褐色の人間の女性を擁するはリギスス国。『血筋』に左右されやすい魔法において褐色の人間の女性といえばエルフや魔族と並ぶ『血筋』の代表格である。
三強とも呼ばれる三国を中心に、それらの国家にも劣らない強国が集中するのが大陸中原であった。まさに激戦区、水面下ではどの国も『来たるべき決戦の日』に向けて準備を進めているほどだ。
どこかが動けば、一気に戦火は燃え上がる。
だからこそ、どこも動けないとも言えるのか。
かの三国が国境を接している以上、三つ巴の勢力戦の様相を見せるのは予想ができる。だとするなら、最初に動いた三勢力のどれかが残り二つから集中砲火を受けて真っ先に排除されるのは簡単に予想できる。
まずは共通の敵から殺そう。
できるだけ消耗を抑えた上で邪魔者を消してから、残った敵を殺してしまえ、となるのが自然で適切で常道だ。
だから、どこも迂闊には動けない。
そのはず──だった。