第六十七話 よし、誘拐されよう その二
神聖バリウス公国、その聖都の中心部には神聖なる建築物がある。女神の声を世界に反映する『天空の巫女』の住まい、神殿『シルフィード』。よほど高位のシスターでもなければ足を踏み入れることすら禁じられた聖域である。
聖域に足を踏み入れられるのは選ばれし者のみ。亜種族を含む大陸の総人口、その八割以上。五億もの信者を擁する『バリウム教』の信者の中でも神殿『シルフィード』に足を踏み入れられたのは十人未満であるという。
そんな聖域の中を完全なる庶民がのほほんと歩き回っていた。
ミリファはミラージュに神殿内を案内されていた。純白の鉱石で構築された神殿は神話を紡ぐ壁画が至る所に刻まれており、よく分かっていないミリファも『なんか凄そうだなぁ』と呟いていた。
本当無知とは恐ろしいものである。
五億以上の信者の中でも神殿『シルフィード』に足を踏み入れ、『天空の巫女』のご尊顔を拝見できる者は十人にも満たないというのに。
神話を伝え刻む壁画が左右に広がる通路を歩きながら、
「ねえミラージュさん。こんなに広いのに誰もいないの?」
「はい。『習合体』としては気にしないのですが、畏敬と神聖を維持するためには必要な処置みたいです。バリウス教は『習合体』が広めたものですが、広がりすぎたためか細部まで掌握できているわけではないのです。ですので普段は『習合体』一人ですね」
「それは……寂しいね」
「寂しい? 『習合体』にそのような機能はありません。象徴としての価値が果たせるならば、それ以外に何か望む必要はないのです」
「そっかぁ。……うん、やっぱり寂しいよ、ミラージュさん」
ぎゅっと。
ミラージュの手を取り、握りしめ、引き寄せて、ミリファは言う。
「表徴ってのが何なのかはよく分かんないけど、広い家に一人きりで過ごすなんて寂しいんじゃない?」
「そういうものなのですか?」
「そういうもの、じゃないかな。いや一人が好きって人もいるかもだけどっ」
コロコロと表情を変える少女であった。
そんなミリファを見つめ、女神の意思を現世に反映する神聖なる巫女は知らず知らずのうちに口角が緩んでいた。
笑みを浮かべていたと、果たして巫女は気づいていたか。そんなものを浮かべる機能が自らにあるなんて思いもしていなかっただろう。
「なるほど……」
「ん?」
「確かに一人で過ごしていた時よりも『習合体』の中で何かが変わってはいます。寂しい、という機能が働いていたのかもしれません」
「そっかぁ。でも大丈夫! これからは私がいるんだし!」
「ざ、ざざ……よもや短期間に二度も思考連結がフリーズするとは。恐ろしい限りです」
「?」
ーーー☆ーーー
アリシア国、首都。
第一王女クリスタルはお仕置きとして四つん這いのイヌミミ少女に腰掛け、脇腹を繊手でぐりぐり弄りながら、不機嫌そうに表情を歪めていた。
「気に食わないわねぇ」
「わ、わひゅう!!」
王族専用の『守り』たる黒獣騎士団の面々を護衛として派遣したのは第一王女クリスタルである。価値があると認めているからこそ選りすぐりの騎士たちを展開していたのだが、その全てがいとも簡単に突破されたという。
力の差は歴然だろうに死人は出ていない。まるで殺す必要もないと見くびられているかのように。
エルフの女一人にアリシア国の命運を左右するジョーカーが奪い去られた、と全て分かっていて、なお、美貌の第一王女はこう吐き捨てていた。
「美貌自ら籠絡してあげたというのに、その日のうちに失踪だなんてねぇ。そこは私の美貌を堪能したいがために死に物狂いで足掻くところじゃない? まったく。大陸一、いいえ世界一たる美貌の価値、安く見られているのかしら???」
「……わう。見た目は上等でも中身はアレだし、イマイチやる気出なかったとか……わふう!?」
「なんだって???」
「わ、わふっ、わふう!?」
イヌミミ少女をいつものように弄りながらも、第一王女は小さく息を吐く。
(本当気に食わないよねぇ。──このタイミングでジョーカーを奪われるとか洒落になってないっつーの)
ーーー☆ーーー
魔法の第四王女エカテリーナは不機嫌そうに私室の中をぐるぐる歩き回っていた。人払いは済ませているので、側仕えのメイドは呆れたように声をかける。
「お嬢。心配なら心配だと──」
「おほほ! イリーナっ! 妾がどうして妹の側仕えが連れ去られたからといって心配しないといけないので!? あんなのは王族の所有物の一つ、代わりなどいくらでも存在する消耗品に過ぎません!! 大体妾が直々に指導してあげると約束してやったというのに、初日から不参加など不敬にもほどがあるのです!!」
「はいはい。で、これからどうします?」
「妾は誇り高い王族の一角。第四王女たる妾が約束を果たせないとなれば王族の看板に傷がつきます。ですので! そうならないためにもミリファを探し出し、連れ戻し、約束通りメイドの教育をしてやるのですわ!!」
「本当素直じゃないお嬢なことで」
ーーー☆ーーー
大陸南部。アリシア国国境線より数十キロ離れた『空白地帯』。各国家が支配を諦めるほどの怪物蠢く領域の一つ。
人間はおろか魔獣さえも近づかない森が存在する。
パーハクの森。
亜種族の中でも最上位の一角たるエルフが居を構える森である。広さは平均的な町一つ分くらいだろうか。今でこそスフィアにほとんどを殺され、絶滅寸前ではあるが、類稀なる魔法の才能を持つ亜種族であるという事実は変わらない。
長クラスであれば第九章魔法さえも操るのだ。あの魔女が死者の魂がないと第九章魔法を具現化できなかったことを考えると、その実力も見えてくるだろう。
禁忌の領域。
生命を拒絶するエルフの支配圏。
そんな禁断の森に落下する影が一つ。
ゴッドォンッッッ!!!! と、パーハクの森の奥地、エルフの集落に隕石のごとき勢いで何かが落ちたのだ。
吹き荒れる衝撃波が土煙を舞い上げる。木材をツルなどで固定して作られた簡素で小さな建物が集まる集落全体が軋む。
何事だと木々の家から飛び出してきたエルフたちは目撃する。動きやすいようドレスの端を引き千切った、瞳の端まで青のグラデーションで染められた一人の女を。
つまりは武力の第五王女ウルティア。
彼女は単身エルフの本拠地に踏み入ったのだ。
「ウルティアは暴走してるんだろうねー。まあいっか、どうでも」
ゴギリ、と首を鳴らし。
武力を司る王女は言う。
「武闘派メイド連れ去ったのは誰? 素直に白状して、武闘派メイド返すなら楽に壊してやる。それ以外を選ぶなら、生まれてきたことを後悔して殺してくれと懇願するまで壊し尽くす。どっちでもいいよ。どっちにしても武闘派メイドは取り返すし、誘拐犯はぶっ壊すからさー」
ミリファが現れてからの第五王女は『大人しかった』。普通の女の子のように振る舞うこともあっただろう。
だけど、本質は?
ミリファに声をかけたきっかけは数十もの魔導兵器を拳で破壊したという誇張された噂を聞いたからではなかったか。
『遊ぶ』ために。
ミリファに接触したのではなかったか。
別に演技をしていたわけではない。どちらも第五王女の側面であったというだけだ。
だから。
ミリファという抑制装置を失った怪物は暴虐を解放する。遊びでさえも壊すことが前提だとするならば、壊すことを前提とした暴虐はどこまで凶悪に膨れ上がるだろうか。
ーーー☆ーーー
人脈の第三王女は異なる視点から今回の騒動を眺めていた。
つまりは、
(美貌は利用するために、魔法はいつものお人好しで、武力は思った以上に誘惑されていたのかこちらの制止を振り切ってエルフの本拠地に単身突撃を仕掛ける始末でごぜーます。あ、無能は言うに及ばずでごぜーますね。……王女の約半数が金色の喪失で何らかの影響が出ているでごぜーますか。武力など完全に暴走状態でごぜーますし。チッ、確かに金色の素養は中々のものでごぜーますが、それにしても影響力が大きすぎるでごぜーます)
第三王女は人脈を司る。
平民も貴族も王族も組み込んだ一つの集団こそが力となる。一騎当千の英雄が敵だとしても、数千でも数万でも集めてやれば必ずや打ち破れる。
そのための人脈。
身分に関係なく、属する組織に関係なく、種族さえも関係なく、集まった『塊』にこそ力は宿る。互いに互いを補うような『塊』には一騎当千の英雄を超える力が宿る。
そして、もう一つ。
『塊』であれば、どこかが欠けたところで簡単に補充ができる。平民、貴族、王族のような枠組みの中から対象となるピースを新たに集めれば、構成員が欠けたところでいくらでも再生が可能なのだ。
そのための人脈。
全ては強靭な『塊』を生み出すための繋がりである。
だからこそ、第三王女は役割の一極集中は望まない。個人に比重が傾いてしまえば、その個人が欠けた時に容易に補充、再生ができなくなるからだ。
大事なのは利便性。
となると、
(金色は確かに便利でごぜーます。『運命』とやらに抗うためには力が必要でごぜーます。だけど、今のままじゃ金色がいたって最終的には負けるでごぜーます。それなら……金色、いらねーでごぜーませんか?)
比重が大きく傾く前に、弱点となりかねないピースを排除する。それもまた『塊』を育てるために必要な過程だろう。
ーーー☆ーーー
第七王女セルフィーは私室のベッドの上でブランケットを頭からかぶって膝を抱えていた。
なぜミリファは襲撃されたのか。『運命』の中にこのような事件があるとは聞かされていなかったから推測しかできないが……セルフィーがミリファの力を解放したことが可能性として大きいだろう。その力を利用しようと思ったのか、排除しようと思ったのかは分からない。が、あの戦争での金色の観測が襲撃の理由であることは間違っていないはずだ。
必要なことだった。あの場で出し惜しみしていたらミリファを含む大切な人々は殺し尽くされていた。それは分かっている。理屈で正当化することは簡単だ。
だが、もしも。
セルフィーがミリファの力を解放しなければ、襲撃されることもなかったのではないか?
あれだけの力があると判明しなかったら、いいやそれこそ側仕えとして招集された時に止められていれば、ミリファは平凡な日常を過ごせていたのだ。
だから。
だから。
だけど。
(……自己嫌悪はもう十分。そんなものに時間を費やしたところでミリファさまは取り戻せません)
エルフの襲撃によってミリファは既に殺されているかもしれないが、可能性としては低いだろう。護衛の黒獣騎士団所属の精鋭たちを殺さず無力化したほどの実力者であるようだし、セルフィー抜きで魂への魔力供給が行えないミリファ一人を殺すだけならその場で出来たはずだ。
だが、襲撃現場には死体はおろか血痕さえも残されていなかった。となると連れ去られたと考えるべきだろう。
理由は不明。
だが、今も生きているのだとすれば、
バッ!! とブランケットを払いのけるセルフィー。彼女は恥も外聞も全部捨てて、こう叫んだのだ。
「ガジルっ!! なんとかしてください!!」
「へいへい、それが姫さんの命令なら一度の敗北くらい覆してやるよ」
それだけだった。
姿さえも見えなかったが、確かに返事は受け取った。
無能の第七王女自身に側仕えを救う力はないかもしれない。だからどうした。ならば『みんな』に頼るまでだ。
──『辛かったら周りに相談していいし、力を借りていい。そうすればどんな無理難題だって案外どうにかなるもんだよ。現に、ほら、私みたいなぐーたらでも十数年それなりに楽しく生きていけたくらいだしさ』、と。どこかの側仕えも言っていたのだから。
(やれることをやりましょう。ほとんどは空回りに終わるかもしれません。無駄な努力になるかもしれません。ですが、一つでもいい。今もなお危機に晒されているミリファさまの力となるならば!!)
「待っていてください。何としても助けますから!!」
ーーー☆ーーー
「ん、んん、うまっ、これすご、溶けてるう!!」
「『青』としてはそこまで喜んでくれると作った甲斐があるものですが、そんなに急いで食べたら喉に詰まらせます。もう少しゆっくり食べてください」
遅めの朝ごはんであった。
神聖バリウス公国の聖都に君臨する神殿内部の一角。パーティー用とでも見間違うような横長の机に所狭しと並べられているのは肉料理の数々であった。常温で肉汁が蒸発する、という不可思議なステーキなどもあるほどであり、王族専用の食事を口にしたこともあるミリファでさえも驚いたほどである。
何はともあれ朝ごはんなのである。
まるでミリファに合わせたように大量に並べられた肉料理を前にして我慢なんてできるわけがなかった。
「はぐばぐっ、ミラージュさん、これすごっ、っていうかさっき作ったって、はぐもぐっ!?」
「ええ。これらは『習合体』が作りました。この世界にて受肉した以上、命を糧としていることを忘れないように。そのため命を奪う感覚が直に伝わる食材を選んだため料理に偏りがあるのですが」
「美味しっ、美味しいから、もぐむぐっ、なんでもいいよっ!!」
「……貴女様は感情を強く出力するのですね。『習合体』には難しいことですが、こうして接していて有意義であると感じられるということは、それだけ適した生存方法なのでしょう」
「小難しい話は、はぐもぐっ、よくわかんないけど、これ美味しいってのは確かだよっ。いや本当なにこれメチャクチャ美味しいんだけど!?」
「『青』としてはそこまで褒められると嬉しいのですが、許容範囲というものがあるのですよ」
「ミラージュさん天才!? 凄い料理人とか!? なんでもいいやっ。こんなに美味しい料理作れるなんて最高っ。大好き!!」
「ジッ、ザザザッ!! ……し、思考、連結の断線、ザザ、ザザザッ!! 緊急停止。自動修復開始。再起動……ハッ!? 『四天使』の習合が弾け飛ぶところでした……」
「???」
ミリファにはその言葉の意味なんてさっぱりだった。首を傾げ、小難しいものは気にしない枠に放り込む。今は美味しい料理を堪能する時だからだ!!
なんだか寝て起きたら大陸中原まで移動していたが、今日もミリファは元気にやっていた。




