第六十六話 よし、誘拐されよう その一
目が覚めたら、ふんわりベッドの上だった。
「……あれ、あれれ???」
第七王女のベッドに寝た時と同じかそれ以上の気持ち良さだった。あの時は確かセルフィー様を無理矢理ベッドに引きずり込んでぐーたらしたような? と衝撃の事実を呟いていたが、幸か不幸かこの場には誰もいなかった。
そう、ベッドもそうだが、室内の調度品やら何やらも王族の居住空間と似た『なんか凄そうな』雰囲気がするのだ。もちろん完全庶民なミリファには詳しいことは分からないが、王族の周辺環境と同じような感じがする時点で『ここ』の異常性も分かるというものだ。
(ええと、昨日は確かセルフィー様とファルナちゃんがぶつかり合っていて、あくまで、そう、逃げたんじゃなくて! あくまでお姉ちゃんが心配するから先に帰ろうとして、『雑音』がして……なんだっけ?)
記憶はそこで途切れている。
門番の二人と軽く話した気がするし、そういえば誰かもう一人いたような気もするが、どうにも正確なことは思い出せない。
何はともあれこんなところにわざわざ留まっておく理由もない。ベッドから身を起こしたミリファはいつものメイド服ではなくほとんど透けている青のネグリジェ姿であることにぱちくりと目を瞬かせる。
「なんか高そうなの着せられているし」
それで済ませてしまうのがミリファだった。細かいことを考えず、とにかく大雑把な指針を達成すればいい。パーフェクトゲームなど目指しても疲れるだけだし、細かい点を無視してでも早めに問題を解決してぐーたらしたいのだ。
戦争の時もそうだ。
ぐーたらのためなら力の正体だなんだ気にせず、便利だからと利用して問題を解決していたはずだ。
と。
外に出ようとしていたミリファよりも先に、唯一の扉が外側から開かれ、一人の女性が入ってきた。
巫女装束、とでも呼ぶべきか。白と赤の衣服を身につけた、金髪碧眼の女性であった。幼き少女のように愛くるしく、妙齢の女性のような美しさを内包していた。複数の要素を感じさせる、もっといえば複数の要素を併せ持つ人物である。
「もう起きていたみたいですね」
「? 誰???」
「『習合体』の現世の呼称で良ければ『天空の巫女』とでもお呼びください。『青』、『赤』、『黄』、『緑』が混在した『習合体』としてはエンジェルミラージュという呼称のほうが気に入ってはいるのですが、今の時代において『習合体』をそう呼称すると書物の中のキャラクターを意識させてしまうようですから、『天空の巫女』という呼称のほうが無難でしょう」
「結局『天空の巫女』とエンジェルミラージュ、貴女はどっちで呼ばれたいの?」
「……なるほど。余計な肩書きや生まれ等を気にせず、本質のままに捉える。それが第七王女をはじめとして幾人もの傑物を惹きつける貴女様の魅力なのですね」
「?」
「『習合体』のことは気軽にミラージュとでも呼称してもらえればと。そちらのほうが嬉しいので」
「分かった。あ、私はミリファねっ。で、ミラージュさん。ここどこ?」
問いかけに対して、『天空の巫女』という力ある冠を投げ捨てた、ただのミラージュは柔らかく口元を緩める。
「『習合体』の住まいです。『青』としては嬉しい予想外だったのですが、貴女様はスフィアがここまで連れてきたのです。……スフィアも悪気があったわけではないのですが、なにぶん他人の気持ちなど考えるようなエルフではありませんので」
「ええと、結局ここどこ?」
「神聖バリウス公国の聖都バルフィーズ。大陸に広く浸透させた『バリウス教』の中心地です。つまり大陸中原ですね」
「大陸中原って、ええ!? 確かアリシア国って大陸の最南端じゃなかったっけ!?」
寝て起きたら国境をいくつも跨いでいた。
少なくとも通常の移動手段ではすぐにアリシア国に帰ることはできないだろう。
ーーー☆ーーー
朝日と共に彼は覚醒した。
小高い丘の上に横たわる男の名はガジル。あの戦争において『魔の極致』第六席たるダークスーツの女を原子レベルでバラバラに斬ったほどの実力者であったが……、
(久しぶりだな、負けるってのも)
どこが傷ついている、というレベルではなかった。『全体』が壊されていた。腕も足も胴も頭も、その内側さえも、あのエルフの手によって徹底的に壊されていたからこそだ。そこまでやって、ようやく意識が断ち切れたのだろう。
丘を真っ赤に染めるほどに広がる血溜まりの中、ガジルはぱんっと額に手をやる。
負けたと、その上で見逃されたと。
しかも、だ。
(ミリファの気配が最低でもこの国の中にはねーな。こいつは姫さん悲しんでるだろうなー)
殺されたのか、国の外に連れ去られたのか。自らの意思で逃げ出したという可能性もあるにはあるが……あの少女に限ってそれはないだろう。そんな選択をしたところであの少女が望むぐーたら生活は満喫できない。
とするなら、
(どうすっかなあ)
敗北した、完膚なきまでの敗北だ。
だからどうした? ガジルは生きている。やれることはいくらでもある。それだけ分かれば十分だ。
やりたいことを、手に入れたい結末を、掴み取るために動けばいい。わざわざ終わったことを引きずって立ち止まる必要はどこにもない。
それに。
単純な実力差だなんだそんなものに真面目に向き合うほど彼は優等生ではない。今回『は』負けた、それだけだ。
ーーー☆ーーー
神聖バリウス公国。
『王を持たず、神の国に隷属する』、という独自の国家運営を行うことで知られており、最終決定権は『女神』に委ねられている。断片的なお告げや痕跡等ならば高位のシスターなどでも捉えることもできるだろうが、精細に『女神』の意思を受け取ることができるのは『天空の巫女』のみ。つまり『天空の巫女』の言葉で神聖バリウス公国全体が動く構図が出来上がっていた。
大陸中原の三強。
主要な軍事国家が集まる大陸中原においても頂点に君臨する三国の一角が持つ強大な力が、だ。
(神聖バリウス公国だっけ。バリウス教の聖都? があるってところで、おっきな国らしいけど正直よく知らないんだよね)
話があるということでベッドの上に腰掛けるミリファとミラージュ。
無知とは怖いものである。愛くるしい少女のようにも妙齢の女性のようにも見える巫女の『力』は神聖バリウス公国そのもの。アリシア国やヘグリア国が霞むほどに膨大なものだというのに。
「『習合体』としてもスフィアとしても貴女様には興味がありました。ご迷惑とは思いますが、しばしここに滞在してもらえればと」
「あ、でもお姉ちゃんやセルフィー様が心配してるかもしれないし、出来れば早く帰りたいんだけど」
「『習合体』としては強制はできません。この世界はあくまで肉を持つ生命のもの。半端な受肉状態でしかない『習合体』がその行動を阻害することはよろしくないでしょう。ですが、一つ。ここに滞在することは貴女様のためになるかもしれませんよ」
じっと。
気がつけばミラージュがミリファを見つめていた。深い海のような濃密な碧眼、神秘的なその瞳がミリファを捉えて離さない。
だから、だろうか。
どこか引き出されるように、溢れるように、ミリファは素直な感想を漏らしていた。
「綺麗……」
「えっ」
「あ、ええと、綺麗な目だなって」
愛くるしい少女のようでいて妙齢の女性のようでもある、神殿のごとき厳かな空気を纏う女がミリファの言葉に静かに首を傾げる。
ミラージュの手がペタペタと自らの顔を触る。
やがてぼそりと一言。
「ジジッ……なるほど」
「あ、そうだったっ。さっきのどういうことっ? ここに滞在するのが私のためになるとか何とかっ」
「ここで話を戻しますか。『習合体』の思考連結が一時フリーズしていたのですが」
ふう、と一息つき。
ミラージュはこう告げた。
「ここに滞在して貰えればヘグリア国との戦争の後から貴女様を苦しめている『雑音』を取り除いてあげられるかもしれません」
「うそっ!?」
「『習合体』に嘘をつくという機能はありません。お告げに神託、我が『女神』の意思を現世に反映する中継地点ですので」
何やら小難しい話をしていたが、そんな細かいところは気にしないのがミリファだ。大事なのは一つ、『雑音』を治してくれるという点だ。
ほとんど反射的だった。
飛びつくように巫女服姿の女に抱きついていたのだ。
「ありがとーっ! これどんどん酷くなってるし、医療機関とかじゃ治せないと思うし、どうしようって思ってたんだよっ! 本当ありがとうミラージュさんっ!!」
「しゅ、習合、……出会ってほとんど経過していないのにこんな刺激的な……ジジッ。『青』としては嬉しいのですが、そんなに簡単に信用してよろしいのですか? 『習合体』が貴女様を騙している可能性もあると思うのですが」
「騙してるの?」
「いえ、『習合体』にそのような機能はありません」
「じゃあいい人じゃんっ」
「……『黄』としてはこの状況でそう言い切れる性質を持っていることが心配なのですが」
ぎゅうぎゅうだった。
腕どころか足まで絡みつけて嬉しそうに笑うミリファをミラージュは突き放すことはなかった。受け入れるくらいには『青』として嬉しかったと、果たして『女神』の意志さえ受信する女は気づいていたか。
ーーー☆ーーー
アリシア国の首都、その一角。
騎士の詰所の前では黒ずくめたちが集まっていた。
リーダーは(本人は気づいてないだろうが)エリスが喜ぶからとエンジェルミラージュのコスプレ姿であった。
「え、エリスっ。ちょっと待っててねっ。きちんと罪を償ってくるからっ!!」
「……うん」
リーダーたちとしても勇気が必要な行いだった。罪を償う、言葉にすれば簡単だし、数ヶ月かそこらで牢獄から出られると分かっていても、気楽にできるものではなかった。
だから。
周りを気にする余裕はなかった。
「よ、ようし! お前らあ!! いくぞーっ!!」
雄叫びと共に黒ずくめたちが騎士の詰所に突っ込んでいった。ジシュしに来ただけなのだが、何やら殴り込みのような勢いであった。
「な、なんだこいつらっ!」
「私たちを捕まえろくそったれがあっ!!」
もうしっちゃかめっちゃかだった。数十人の黒ずくめに詰め寄られている隻腕の女騎士が困ったようにオロオロしながら揉みくちゃにされている始末である。
というか、鳳凰騎士団の副団長であった。
「おぉっ。この人ボインボインだよぉ!!」
「ボインで女騎士ってこんなの定番だぜっ!!」
「なっ、何の定番だ!?」
「なにってぇそれはぁねぇ?」
「(魔獣って異種族間でも繁殖可能なのが多いものね)」
「こいつら騎士に喧嘩売りにきたのか!?」
緊張を隠すためなのか昨日のパーティーの空気を引きずっているのか分からないが、巻き込まれた副団長はたまったものではなかっただろう。
そんな喧騒から背を向けて、どこか切り替えるようにエリスはゴギリと首を鳴らす。
彼女は首都の空気の変化を敏感に感じ取っていた。何かが起きている、と。そういった鋭敏な感覚もまたエリスの強みだろう。
『声』を聞くだけでよかった。
リーダーとの触れ合いで惚けた精神を焼き殺し、『炎上暴風のエリス』……いいや、それ以上の怪物が顔を覗かせる。
(ミリファが行方不明、ね。殺すぞ、クソが)
果たしてそれは『誰』に向けたものだったか。少なくともミリファの身に何かが起きたその時に呑気にパーティーを楽しんでいた己のことを殺したいほどであった。
だが、まだだ。
後悔なんてものに時間を費やす暇はない。
(ミリファがあたしに何も言わずに姿を消すとは思えない。あの戦争の時と同じようにアリシア国の上層部のクソどもの仕業なのか、外部の『敵』の仕業なのかは知らない。だけど、まあ、何でもいいわね。どうせ皆殺すだけだしさ)
リーダーの行いは必要なことだったかもしれない。少なくとも過去から目を逸らしたままエリスの隣には立てないという考えは正しいものだっただろう。きちんと償い、その上で幸せを掴む。その行い自体が間違っているわけがない。
だけど、その決意がもう少しだけ遅かったならば、魂を焦がすほどに憎悪に燃え盛るエリスを一人にすることもなかっただろうに。
妹が消えて、天使がそばにいない。つまりエリスを止められる者は誰もいなかった。
(とりあえずフィリアーナ=リリィローズでも使って情報収集しようかな。諜報特化の力があるなら使わない手はないし)
その暴虐は妹のためだけに。
制御不能の荒れ狂う炎風が世界に解き放たれる。




