第五十九話 よし、呪縛から解き放とう その四
首都近郊の小高い丘を囲むように広がる小さな森にポツンと立っている小屋。その外で激突するは二人の怪物。
一人は『炎上暴風のエリス』。本人は所詮は田舎の冒険者ギルドでは一番強い程度でしかないと思い込んでいるようだが、あの魔女モルガン=フォトンフィールドと互角にやり合ったり、類稀なる偉業を乱立したりと、そのポテンシャルはエースと呼ばれるに相応しいものである。……万全であれば、だが。
一人は犯罪組織『ガンデゾルト』の幹部ゾジアック。事実上の壊滅状態な『ガンデゾルト』だが、ゾジアックが帝国担当の幹部であった事実は変わらない。完全実力主義、強き者が国さえも支配する獣の理屈を突き詰めた帝国内のスラムを力で支配していた男だ。その力は決して侮れるものではない。
「ハァッ!!」
ブォワッ!! と炎と風が噴き出す。腕ほどの太さの炎が風に巻き上げられ、槍のように凝縮。一直線にゾジアックへと放たれる。
対してゾジアックは二振りのナイフを十字に薙ぐ。不可視のエネルギーを纏う刃が炎風の槍を切り捨てる。『剣術技術』ではない。それだと以前に両手を交差して炎風を受け切った理由が説明できない。
いいや、本来であれば前の炎風どころか最初の横殴りの炎の竜巻でゾジアックを殺せていたのだ。魔女モルガン=フォトンフィールドとゾジアックとではレベルが違う。確かに彼も相当の実力者なのではあるが、『魂魄技術』を使わずとも、エリス本来の魔力を増幅して生み出す『魔力技術』で十分に圧倒できる。
これまでの『偉業』の中で相手にしてきた奴らのほうがよっぽど強い。それなのに、押し切れない。魂の摩耗、あの戦争で負った後遺症が足を引っ張っている。
(……どうすればいい?)
魔力を使い果たした魔石を捨て、新たな魔石を取り出しながら、木々の間を駆け抜け、ゾジアックを見据えるエリス。
(どうすれば手持ちの力であのクソ野郎を殺せる!?)
いざとなれば、と。
相変わらずなエリスは既に覚悟を決めてはいたが。
ーーー☆ーーー
互いにぶつかり合いながら駆け抜けている二人の怪物。小屋から離れていくのはリーダーたちを巻き込まないようにエリスが調整しているのだろう。
「……このままエリスだけに任せてられない」
二の足で地面を踏みしめ、離れていく二人を見据えるリーダー。その両太ももには『自爆』用とは別に火炎系統魔法が登録された魔石型魔導兵器が埋め込まれていた。
つまりは加速装置。
太ももが弾けるほどの火力でもって一度限りの高速移動を可能とする細工である。
使用方法は簡単。魔力を流せばいい。スラム出身の学なんてさっぱりなリーダーたちは魔力をこの世界に呼び出す方法さえも知らなかったが、その辺りはゾジアック自ら『教育』している。だから、リーダーも仲間たちも魔力を呼び出すくらいはできるようになっていた。というよりも、できなかった奴は死んでいただけなのだが。
この細工も『自爆』も当人の意思で発動できるようになっていた。裏切りやら直前で躊躇するやら、そんな可能性を増幅した恐怖で封殺していたからこその構図である。
ゾジアックの命令には逆らえない。
あの男がやれと命じれば、恐怖のままに実行してしまう。
……他の少女たちは多くが標的を殺害するために『自爆』を選ぶまで追い詰められ、ナンバーを増やしてきた。あの日まで標的の殺害を『自爆』や加速用細工に頼らず、不意打ちや騙し討ちで達成してきたリーダーは二桁台でありながら生き残ることができたのだが。
だからこそ、リーダーの両太ももには加速用の細工が残っている。これがあれば、もしかしたら……、
「ふ、ふっ、ふう……くそったれ。止まってよ、なんで震え、くそったれ!!」
だが、動けない。
増幅された恐怖が肉体を蝕む。ゾジアックに逆らうだけの意思の力はすでに振り絞った後だ。
逃亡という結果を生み出すほどに研ぎ澄ました一つの意思。あれだけの悲劇があったこそ生まれた想いは使い果たしている。
逃げられたと、もう大丈夫だと、安堵した瞬間に燃え尽きている。あれをもう一度? そんなの無理だ。同じ理由では駄目だ。あんな想い、二度も燃やせるものか。
それこそ天まで届く断崖絶壁を登り切った後に、同じ高さの断崖絶壁を突きつけるようなもの。一度達成して、ここで終わりだと『安堵』してしまった時点で前と同じ意思の力を絞り出すことはできない。
ならば、どうする?
どうすればいい?
「ゾジアックのスキルは心に干渉する。数ある中の想いを増減させることで、特定の想いだけを大きくする。だから恐怖だけが増幅させて、他のが減少しているから、こんなザマで、ならば、だったら!!」
リーダーは一度この恐怖を打ち破っている。破り方は知っている。だが全く同じ方法では駄目だ。ゾジアックを倒して逃げてやる、そんな風に構築し直そうとしても、壁の高さに意思が折れる。
ならば、視点を変えろ。
ゾジアックという壁の高さに屈するというのならば、そもそもそんなもの見ないようにすればいい。
増幅された恐怖が見えないくらい、別の何かで心を埋めてしまえばいい。
(……虚構でいい。勘違いでいい。嘘でいい。あの男のスキルで作られたものだとしても、どうでもいい!! こんな私のために戦ってくれる人がいる。くそったれな前提全部無視して、命をかけているのよっ。なら私もかけろ、前提全部無視してでも前に進む力と変えろッ!!)
ギヂィッ!! と両手に握った剣を振り下ろし、準備を終えてから、リーダーは魂の底からこう叫んでいた。
「好き、大好き。私はエリスのことが大好きなんだからあ!!!!」
例えその想いがゾジアックに生み出されたものであったとしても構わない。この想いを胸に命をかけているエリスの力になれるなら、前提全部無視するだけである。
だんっ!! と大きく一歩前へ。
仮初めだろうが、虚構だろうが、確かにその胸に燃える『好き』で頭の先からつま先まで全部全部全部! 覆って満たして埋め尽くして!! 恐怖の呪縛から解き放たれたリーダーが動き出す。
さあ、今こそ貫く時。
その胸に燃える『好き』を貫き通せ!!
ーーー☆ーーー
黒のワンピース姿の少女と燕尾服の男が木々の間を駆け抜ける。少女が右手に展開するは炎に風を合わせ、火力を増幅した炎風剣。一メートル前後の刃片手に木々の間から射出されるように男へと襲いかかる。
男の武器は二振りのナイフ、その刃に纏う不可視のエネルギー、『技術』。より正確には鉄を対象とした力であった。
『鋼鉄技術』。
二振りのナイフは元より燕尾服の内側や靴のつま先などに仕込んだ鉄にも『技術』を付加できる力である。
ゴッア!! と空気を焼き、男の顔面を目指して突きが放たれるが、交差したナイフの刃がそれを受け止める。バヂバヂッ!! と火花が散る。撒き散らされる熱波にエリスの肌が焼かれる。
そう、今のエリスは余波防御用の防具技術を使用できない。あの『技術』はあくまで防具を対象とする力。バトルスーツや鎧などならともかく、普通の衣服にまでは作用しないのだ。
『剣術技術』が剣に付加されるように、『魔力技術』が魔力に付加されるように、それ以外の因子に『技術』を付加するのならば、別種の技術体系を会得するしかない。
だから、炎風剣を握る右手は既に焼け爛れていた。肉の焼ける音やにおいと共に激痛が走っているだろうに、そんなこと感じさせない動きで炎風剣が翻る。
今度は左脇腹を抉るような軌道で振るわれ──男は避けもしなかった。
ゴッガァン!! と。
燕尾服の中に仕込まれた鉄板に付加された『鋼鉄技術』が灼熱の刃を受け止めたのだ。
ナイフで受け止められるのならば、燕尾服の中の鉄板でも受け止められる。多少の衝撃はあっただろうが、その程度だ。『今の』エリスでは鉄板一つ焼き切ることもできない。
「おらあ!!」
迫る二振りのナイフ。下方より振り上げられた一の刃をバックステップで回避、前に踏み込み袈裟に振るわれた二の刃がエリスの右肩から左脇腹までを深く抉る。
「ぐ、ぁ、おおお!」
咄嗟に炎風剣の中に風を潜り込ませ、起爆。
ボッォン!! と炸裂する熱波を燕尾服の男に浴びせると共にその衝撃に身を任せ薙ぎ払われることで距離を取る。
代償は熱波による全身の火傷。だがこれでもマシなほうだ。あのままでは次々に駆り出される刃に肉体を切り刻まれていただろう。
「が、はう、ぐ、ううう……っ!!」
立ち上がろうとするが、ぶしゅう! と噴き出す鮮血と痛みに動きが止まる。膝たちの状態で地面に手をつき、荒い息を整えようとする。
燕尾服の男はクルクルと二振りのナイフを回転させていた。まだ攻めてこないと聞こえていたからこそ体勢を整えようとしているが……手持ちの魔石だけで燕尾服の男を倒すのは厳しいだろう。
ゾジアック。
多くの少女たちを『玩具』と呼称し使い潰してきた悪党。犯罪組織『ガンデゾルト』においてゼジス帝国の担当を任されるほどに突き抜けた強者。
ここで絶対に殺す必要がある。
エリスの『好き』を傷つけ、貪り、蹂躙してきたのはこの男だ。こんなクソ野郎が天使のように愛くるしいあの少女の魂の尊厳を踏みにじってきたのだと聞こえてきた。
ここだけは負けられない。
エリスはどうなってもいい。『大きな枠組み』、世界の常識とやらが犯罪行為に手を出してきたあの少女を小悪党と定め、その命の価値を低く設定しようが知ったことではない。
犯罪者なんてどうなってもいい。
あんなのただの誘拐犯だろ。
見捨てたって構わないじゃないか。
もしもそんなのが常識で定説で当たり前で──正義の側の意見だとするなら、エリスは極悪人でいい。正義なんてクソ食らえ、悪に身を落としたってそれがどうした。
ヒーローになんてなったつもりはない。
エリスはいつだって己の魂のままに力を振るってきただけだ。
だから、今日もまた暴虐の限りを尽くす。
今までと同じく、これからもずっと。
その胸に燃える『好き』を守るために。
「テメェ、だけは……殺してやる」
ポーチから引き抜いたありったけの魔石に『技術』を付加。ゴッォ! と炎剣が噴き出て、更に風を纏うことでその火力を底上げする。
炎風剣。
先の刃よりも多少は伸びたが、それでもゾジアックの守りを焼き切るには至らないだろう。
じゅう!! と肉の焼ける音と焦げ臭いにおいを発しながら、右手の最後のチャンスを力の限り握りしめる。
これでも駄目なら、打つ手はない。
魂を犠牲にしてでもゾジアックを道連れとするだけだ。
「絶対に! ここで!! 殺してやるッッッ!!!!」
だんっ! と跳ね起きるように飛び出したエリス。そのまま敵の殺傷可能範囲まで飛び込む。同時に燕尾服の男もまた前に踏み込み──互いの武器が激突する。
片や風に巻き上げられた燃え盛る炎の剣、片や不可視のエネルギーを纏う一の刃。
ゴッガァ!! と。
最初の交差からして勝敗は明らかであった。
ガリガリと炎風剣の半ばまで右のナイフは切り込んでいた。あと少し炎風剣の力が足りなければ、そのまま両断されていただろう。
戯れは終わりと告げるように。
まさに『玩具』で遊んでやっただけだと告げるように。
「ははっ、勝てると思ったか? こんなチャチなおもちゃでこの俺に、『ガンデゾルト』ゼジス帝国担当ゾジアック様によお!!」
左のナイフが不気味に光る。横に大きく広げたその腕を振り抜き、エリスの胴体を両断するつもりなのだろう。
だから。
だから。
だから。
(……まったく、待っててって言ったのに)
瞬間、渾身の力を炎風剣に込める。そう、半ばまで切り込んでいる、つまりは炎風剣の中に挟まっている刃を押しとどめ、拘束し、無力化するために。
そう長い時間は保たないだろう。精々数秒が限界だ。そもそも武器を一つ無力化したところでゾジアックにはもう一振りのナイフもあれば、燕尾服の中や靴のつま先に仕込んだ鉄もある。
だから意味はない?
いいやそんなことはない。
なぜなら聞こえているのだから。
ドッゴォン!! と。
爆音と共に猛烈な速度で突っ込んできた双剣の天使がゾジアックの左手首を貫いたのだ。
ーーー☆ーーー
『玩具No.72』、いいやリーダーは右太ももに仕込まれた魔石型魔導兵器に登録されている火炎系統魔法を発動、加速。間合いを凄まじい速度で詰めて、突き出した右手に握る剣でゾジアックの左手首を──鉄で覆われていないむき出しの手首を貫いたのだ。そう、もう一振りのナイフそのものではなく、ナイフを握っていた手を破壊することで武器を無力化するために。
「が、おおおお!?」
増幅された恐怖は確かにリーダーを蝕んでいたはずだ。もう二度と奇跡は起きない、そもそもあの時は逃げるという目的で張り切ったのであって立ち向かう起点なんて存在しない。そのことはゾジアックとリーダーとが邂逅した時に証明されていたはずだった。
だからこそ、リーダーの存在はゾジアックの中から抜けていた。敵と捉えておらず、警戒なんてしてなかった。
その油断を、どうしようもない隙を、リーダーは的確に貫いたのだ。
「く、そ……玩具ごときがあああ!!」
その時。
怒りに任せて靴のつま先に仕込んだ鉄に『技術』を付加するゾジアックは敵のことをしっかりと見るべきだった。加速装置を使った、ならもう後は『自爆』しかないだろう。その前に蹴り殺してやる。それで十分だと思い込んでいなければ、違和感に気づけたならば、結果は違ったかもしれなかったのに。
その時。
確かにリーダーの両太ももからは血が流れていた。右は内側から吹き飛んだ結果であり、左は外側から切り開いた結果であった。そして、もう一つ。エンジェルミラージュのコスプレ姿のリーダーだが、片翼をむしり取り、左肘を中心にぐるぐる巻きにしていた。何かを固定するように、そして翼で何かを覆い隠すように。
その時。
ゾジアックの足が振り上げられ、リーダーの頭を腐った果実のように砕く、その前に──爆音が炸裂した。
リーダーの左肘を噴出口として、その手に握った剣を猛烈な速度で突き出すために。そう、左太ももを切り開き、取り出した魔石型魔導兵器を翼で左肘に固定、起爆させることで高速の突きを実現したのだ。
ぞじゅう!! とゾジアックの喉を刃が貫く。むき出しの、鉄で覆われていない箇所を的確にだ。
単純に加速による特攻で終わらせず、単純に取り出した魔石型魔導兵器に登録された火炎系統魔法をぶつけるなんて方法を選ばず、何が何でもゾジアックの意識の『隙』をかいくぐる方法を構築して。
ここまですれば、届く。
百回挑戦しても百回負けるくらいの実力差があろうが、不意打ち騙し討ちなんでもありで無理矢理勝利をもぎ取ったのだ。
そう、実力差なんてどうでもいい、
もう一回やり合えば負けてしまうとしても、今この瞬間だけ勝てるのならば。
『好き』を守れるのならば、なんでもいい。
「は、はは……ざまぁみろ」
ほとんど首が千切れたような有様のゾジアックが後ろに倒れる。恐怖による呪縛、心に干渉するスキル。それこそが彼の最大の武器であり、それがあったからこそ彼は帝国担当にまで上り詰めたのだろう。逆に言えばスキルが通用しないほどに『好き』を貫く者が相手ならば、本来のポテンシャルは発揮できないのだ。
ぐらり、と体勢を崩すリーダーへと差し伸べられる腕。エリスは優しくリーダーを受け止め、どこか泣きそうな顔で言う。
「無茶しすぎよ」
「だね。はは、いや本当無茶したなぁ。もう一度やれって言われたら絶対できないって、こんなの」
完全に痛覚が麻痺していた。一時的な感情の興奮のせいだろうが、命の危機だけなら正確に察知できるリーダーが特に何も感じないということはそこまで問題はないだろう。
「待っててって言ったのに」
「ふん、たまには守るために身を削られるほうの気持ちを知れっての。守られるほうだって気が気じゃないんだから」
「ぐっ。わ、分かったわよ。これからはちょっとは気をつけるから」
「ちょっとかよ、くそったれ」
呆れたように吐き捨て、リーダーはエリスの胸板にぐりぐりと頭をこすりつける。顔を隠すように。
「……いつまでこの想いは残ってるのかな」
「?」
「ゾジアックに作られたものなんだから、その内消えてなくなっちゃうのかな……。嫌だよ、私はエリスのことを──」
「ああ、そういえば言ってなかったっけ」
チラリと地面に倒れたゾジアックが完全に死んでいることを確認して、エリスはこう続けた。
「ゾジアックだっけ? あいつはあたしたちの感情にはほとんど干渉してないわよ」
…………、ほへ? と。
リーダーの口からなんだかとてつもなく間抜けな声が出た。
「色々言ってたけど、あれ単なるハッタリでね。精神的な揺さぶりかけてやろうという嫌がらせだって聞こえていたのよ。だから大丈夫。あいつがやってたのは誘拐云々のせいで貴女たちが首都から離れようと思わせないようにとか、そーゆー『調整』だけだから。あたしの想いも貴女の想いも穢されていないわよ。というかこういった系統のスキルは解除するなり術者が死ぬなりで効果が切れるものだから……ほら、あたしの想いも貴女の想いも特に変わってないはずよ」
「……、あ、ああ。そう、だったんだ」
良いことのはずだ。
素直に喜ぶのが普通のはずだ。
だけど、なんだろう、どうせ仮初めでそのうち失われるんだからとこっぱずかしいことを叫んでいたような? 具体的にはエリスのことが大──
「うお、おおおおおお!? 違っ、いやでも距離あったし聞こえていないはず!!」
「ねえ」
「ひゃっ、ひゃい!?」
先ほどまでとは異なる理由で顔を隠すように胸板に顔を埋めるリーダーの耳元に顔を近づけ、エリスは甘く熱い声を吹きつけてきた。
「あたし『も』大好きだから」
「やっ、やっぱり聞こえ……っ!!」
「貴女の気持ち、もう一回聞きたいんだけど」
「わあ、わあわあわあ!! うるさいばーか!!」




