第五十八話 よし、呪縛から解き放とう その三
『貴族区画』の一角。
ガードルド公爵家本邸の客間にて。
豪勢なソファに腰掛けるはフィーネ=ガードルド。四大貴族の堂々たる一角、その頂点に君臨するガードルド公爵家当主である。ふんわりと雲のようなドレスに身を包んだ彼女は向かい側のソファに腰掛ける少女へと視線を向ける。
腰まで伸びた薄い青髪に蒼の瞳、それら大陸南部では珍しくない外見を塗り潰す、絶大なる要素を持つ少女であった。
褐色。
大陸中原に君臨する『かの国』の中枢にさえも組み込まれる、魔法の才能を色濃く示す要素であった。
フィリアーナ=リリィローズ。
四大貴族の一角、リリィローズ公爵家の長女にして次期当主である。
「本日はどういったご用件で──」
「つまらない腹の探り合いは必要ないと思いますが。あのお方にお熱なのはフィーネだけではないのですよ」
「……、横恋慕はいつの世も嫌われますよ」
「あら、私はそこまで自惚れてはいませんよ。そもそもこういったものは陰ながら見守るのがいいのですわぁ、それこそが信者のあるべき姿ですので」
「…………、」
対外専門の騎士団を束ねる騎士団長としての顔も持つフィリアーナであれば、フィーネ=ガードルドの動きを暴いていても不思議はない。
対外専門。
他国への諜報活動を主としている騎士団であり、『前』段階の精鋭集団と言える。
何かが起こる『前』に察知し、必要なら妨害、破壊工作をも行うことが仕事である。
つまり、今この状況はフィリアーナ=リリィローズにとって痛恨ともいえる状況であった。いくら『趣味』の領域とはいえ、状況が動く『前』に対応できなかったのだから。
(元『玩具』たちが首都にとどまるよう操作したり、ミリファ誘拐の件を元『玩具』たちが自力で調べられた風に演出したり……私の護衛と『ガンデゾルト』をぶつけ、隙を作り出し、元『玩具』たちが私を誘拐しようと魔が差すよう操作したりもあったかしら。本当やってくれましたわね、フィーネ。貴女とは趣味の合うとは思っていましたが、こればっかりは見逃せませんわぁ)
旧知の仲であった。
フィーネがガードルド当主となり、学園に通う暇がなくなる前は共に切磋琢磨するライバルであり、親友であった。
だからこそ。
趣味が合うからこそ、見逃せないことがある。
「あのお方の人生はあのお方が紡ぐのです。つまらない横槍を入れてよいと思い上がってはなりませんのよ」
「相変わらず消極的ですね、フィリアーナ。欲しいものは何が何でも手に入れるものですよ」
「よく言いますわぁ。私よりもずっと早くに誘拐されあのお方に助けられたくせに。そこから今まで行動一つ移せなかった臆病者のくせに。いいえ、未だに踏ん切りがついてはいないのでしょうね。でなければ犯罪組織なんか使うはずありませんもの。ねえフィーネ、ご自分の配下や力を使わないのは土壇場で躊躇し中断することを防ぐためでしょう? 真相があのお方にバレた時は犯罪組織が勝手にやったこと、なんて言い訳するのでしょうね。己の行動に責任も持てないヘタレな臆病者らしいですわぁ」
言いたいことは言った。
後は行動で示すだけだ。
「くたばれ横恋慕」
「ほざくなヘタレ」
ゴッガァッッッ!!!! と。
それぞれの『家』が司る秘奥が真正面から激突した。
ーーー☆ーーー
敵は犯罪組織『ガンデゾルト』の中でもゼジス帝国内のスラムを担当していたゾジアック。強国集う中原、その中でも更に飛び抜けた三強の一つ。それが帝国だ。そこのスラムを担当できるほどに絶大な力を持っている。
燕尾服を纏う彼は言った。
『俺のスキル「心情増減」は心に干渉する。分かるか? 身を呈してでも「玩具No.72」を守りたいっつー想い、もしかしたら俺が作り出したもんかもしれねえぞ?』
そう、燕尾服の男のスキルは心に干渉する。そのことはリーダーも噂として聞いていた。あの過去の中でも今でさえも恐怖がリーダーたちを縛っているのは、彼のスキルが恐怖を増幅しているからだろう。
そう考えればフィリアーナ=リリィローズを見つけた時に誘拐して身代金を奪おうと魔が差したことも、公爵令嬢を誘拐するというとんでもない犯罪行為が未遂に終わった後に首都から逃げ出そうとしなかったことも、説明がつく。
心のパラメータの変化。
想いが増減され、優先順位が狂わされたのだ。
だとするなら。
感情にさえも干渉する燕尾服の男のスキルがあれば。
身を呈してでも守りたいほどの感情を植えつけることもできるのではないか? そう、エリスの中に芽生えている感情はゾジアックによって作られたものであるかもしれないのだ。
「は、はは……」
どこまであの男はリーダーの人生を弄ぶのか。
そう、エリスの中の想いもそうだが、リーダーの中の想いさえもゾジアックの手によって弄られたものかもしれないのだ。
未だにゾジアックの目的は不明だが、リーダーを襲ったことには理由があるのだろうことは言葉の端々から予想がつく。
つまり前々から干渉していた可能性も高く、心の動きを支配されていた可能性も高い。
「ははははは!! そんな、だって、どこまで、あは、あはははは!! 私はエリスのことを、こんな、そんなの、どこまで弄べば気が済むんだよお!!」
魂が張り裂けそうなほどに悲痛な叫びだった。
対して燕尾服の男は鼻で息を吐くだけだった。玩具ごときが喚いたところで彼の心が動くわけがない。使い捨ての消耗品。壊れることが前提のガラクタでしかないのだから。
「うるせえなガラクタ。分かってたはずだぞ、お前らに価値なんてねえことは。ははっ、なあ『玩具No.72』。使い捨ての消耗品が誰かに好かれるとでも思ったか? 大体相手は『炎上暴風のエリス』だぞ。金にもならねえ人助けのために力を振るう生粋のお人好しとして有名なヒーローだ。そんなヒーローが薄汚い小悪党を守るために身を呈しているこの状況がおかしいって気づくだろ、普通さあ」
悪魔は人の心を堕落させる。
その口から吐き出されるのは精神を蝕む呪詛であった。
「そもそも『玩具No.72』と『炎上暴風のエリス』は敵対するしかねえのはとっくの昔に証明されたはずだぞ。馬鹿みてえな黒ずくめに身を包んだお前らがリリィローズ公爵令嬢を誘拐した時、『炎上暴風のエリス』ははっきりと敵対したんだしさ」
それだけは。
その事実だけは。
せめてリーダーの口から告げるべきものであった。
それをゾジアックは軽々と踏みにじった。
こんな形で知られてしまった。
あの時の誘拐犯がリーダーたちであったと、本当はこうして守ってもらえるような人間ではないと、ヒーローが倒すべき小悪党であったと。
(ああ……)
所詮はゾジアックが作り出した仮初めの感情でしかないのかもしれない。エリスに知られたくないと、小悪党の身でヒーローと仲良くなりたいと、エリスと共に生きていたいと、そういった想いは虚構でしかないのかもしれない。
それでも。
確かにリーダーの中に存在するのだ。
エリスを想う、熱い感情が。
(もうエリスとは……一緒にはいられないんだろうなぁ)
ゾジアックのスキルはあくまで増減、最初から対象の中に存在しない想いを生み出すことはできない。だから、少なくともリーダーの中にエリスを想う気持ちは存在するのだろう。それがどの程度かはさておいて。
その想いもまたここで終わり。
スラムから這い出てきた小悪党ごときが多くの人々を救うヒーローと一緒にいたいなど最初から不可能な話だったのだ。
だから。
だから。
だから。
「それがどうしたのよ?」
一言だった。
いっそ適当なほどに無感動な声音で、今更そんなことを言ってるのかと吐き捨てるように。
エリスは一撃で魔力を使い切った二つの魔石を捨て、新たな魔石をポーチから取り出す。
「な、にを……知らなかったはずだ。そこの玩具どもが誘拐犯だと知っていたなら、そんな『感情』は生まれないはずだ!! なのに、なんだ、どうして……っ!?」
「ごちゃごちゃうるっさいのよ、クソ野郎が!!」
ゴッアアア!! と魔石を握り込んだ拳が振るわれ、炎と風が噴き出す。咄嗟に両手を交差する男が吹き飛ばされる。
あり得ない光景だった。
知られた時点で終わり、ヒーローと小悪党は共にはいられない、そんなの誰でも予想できるものだというのに。
未だにエリスはリーダーのそばに立っていた。
守るために、その身を呈して。
「……あの野郎の言う通りよ。エリスっ、どうして私の正体を知ったのに、切り捨てないの? 逃げていいじゃん。こんな奴見殺しにしたってなんの問題もないじゃん! 私のような小悪党がエリスのようなヒーローに助けられる理由なんて一つもないじゃん!!」
「まぁぶっちゃけると聞こえたってのが理由の一つなんだけど」
その言葉の意味をリーダーは理解できなかった。あるいは『それ』を知っていれば、ゾジアックも無駄な言葉を投げかけることなく斬りかかっていたのかもしれない。
「あたしは別にヒーローってわけじゃないしね。そりゃあ目の前で誰かが襲われていたら助けるけど、それだって善意というよりは目覚めが悪いからってだけだし。だから、うん、貴女がどんな奴だろうとも『好き』だから助けるわよ。それが悪っていうなら、あたしは悪人でいいわよ」
「……っ!! だ、けど、その感情もあの男のスキルが作り出したものかもしれないっ。わざわざそんな虚構のために命をかける理由なんてないじゃん!!」
「スキル使われてはいるけど、大したことないわよ」
「そんなことないでしょ! スキルで心を弄られているんだよ!? だったら!!」
「だから? そんなの貴女を見捨てる理由にはならないわよ。こんなに好きなんだもの」
「好っ、だ、だからその感情があの男の影響を受けた結果で……っ!!」
「全部聞いた上でこんなこと言うのもあれだけど」
柔らかな笑みがあった。
妹くらいにしか向けていなかった、どこまでも愛おしく思っているんだと感じさせる、そんな笑みがリーダーに向けられていた。
ほとんど本能的に顔を赤くするリーダーを見つめ、エリスは言う。
「この気持ちが嘘なわけがない。貴女はどう? あたしのことどう思ってる?」
「どっ、どうって、それは……」
「それは?」
「そ、それは……エリスと、同じ、かも……しれない」
か細い声で、絞り出すように、そう告げるリーダー。
そんな彼女の頬にエリスは手を伸ばし、撫でて、ボソリと一言。
「やっぱりかわいい」
「な、なななっ!?」
「待ってて。すぐに終わらせてくるから」
瞬間、風を纏い飛び出していったエリスと燕尾服の男とが激突した。
置いていかれる形になったリーダーはもう誰が見ても分かるほど真っ赤な顔を覆い、天を仰ぐしかなかった。
「ああもおおおっ!! なに言わせるのよ、エリスのばかああああああああああああああ!!」




