第五十七話 よし、呪縛から解き放とう その二
ある過去の一幕。
聞こえた内容は戦う理由には十分すぎるものだった。
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ゼジス帝国。
力こそ全て、強者はありとあらゆるものを手に入れられる弱肉強食の極致ともいえる国である。その性質は元は平民であったバージウォンが『その時は』帝国で最も強い者だったために帝王となったことからも分かるだろう。
ならば、弱い者は?
そんなもの決まっている。
『ああ、新入りね。「No.123」かー。数字だけは増えていくよね』
『……あなた、は?』
『私? 見ての通り「No.72」なんだけど、リーダーなんて呼ばれてもいるかな。ほら二桁台なんて他にいないしさ。まあ別に呼び名なんてどうでもいいんだけど』
『それじゃリーダーぁって呼ぼうかなぁ』
『そう。でも、うん、初日から普通に会話が成り立つなんて強いね』
識別しにくいから。そんな言葉で片付けられ、腹部の数字を晒すように布面積の少ない格好の新入りの少女はまだマシなほうだ。これからの末路を知っていても冷静でいられるのはそう取り繕っているからか、あるいは──
『……強くなんてないよぉ。ただ喚いたって力がない奴には何も変えられないってことを知ってるってだけだよぉ』
何もかも諦めてしまっているかだ。
気持ちは分かる。帝国内のスラムでも最も恐れられる男の所有物となったのだ。下僕とか奴隷とか名称はどうでもいい。あの男の兵力に捕らえられ、腹部に『印』を刻まれた時から、所有されることは確定した。法律やら常識やら世界を覆っているはずのルールはスラムにまでは届かない。
あの男がそうだと決めた、最も強い者がそう決めたのなら、ここではそれが唯一絶対のルールなのだ。
『……かもね』
認め、しかし。
リーダーはそこでは終わらせたくなかった。
『だけどいつの日か……そんなルールを打ち破るような「強者」がやってくるかもよ?』
『……、それまで生きていればいいけどねぇ』
『そうね。まぁ厳しいけど、どうせ他にやることないんだし頑張って足掻くのも一興じゃない?』
『……、変な人だなぁ』
だけど。
そんな風に考えるのも『一興』だと思ったのか、ほんのわずかだが新入りの少女の口元が緩んでいた。
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『玩具』は若い女が多い。
理由は簡単、そちらのほうが使いやすいからだ。
ろくな力もない少女というガワで警戒されることなく標的に近づき、不意打ちで殺すなり『自爆』するなりやりようはいくらでもある。
そう、『自爆』。
少女たちは腹部を切り開かれ、火炎系統魔法を登録した手のひらサイズの魔導兵器を埋め込まれている。必要に応じて『自爆』し標的を始末するために。
彼女たちは弱いほうが使用用途的に適している。敵が油断してくれたほうが不意打ちや『自爆』が決まりやすいのだから。
そのためにゾジアックはスラムで、いいや何ならその外からさえも使い捨ての『玩具』を集めていた。
だから、だろう。
古びた倉庫に数十人の少女たちは放り込まれていた。最低限の食事だけを与えられ、生かされているだけだった。
少女たちは標的を殺すために使い捨てる、または小金稼ぎの時以外は古びた倉庫の中に収納されていた。
監視はおらず、鍵すらかけられていない倉庫の中で、しかし誰もが逃げ出そうとはしない。言われるがままに小金稼ぎを行い、いつか使い捨ての特攻として散るのだ。
それがあの男の命令だから。
増幅された恐怖に逆らえないから。
そう、少女たちを縛っているのは見えざる恐怖の呪縛だ。ここに収納される前、散々植えつけられた恐怖が増幅され、抗えないのだ。
『おらーくそったれども! 新入りだぞーっ!!』
『玩具No.72』、あるいはリーダーの言葉にわらわらと倉庫内の少女たちが集まる。誰も彼もが最低限以下の布地を身につけて、腹部の『印』を晒す同じ境遇の少女たちだ。
『おー中々かわいいじゃん』
『あ、でもここでかわいいのは……いやなんでもないわ』
『そうそうかわいい分余計に小金稼ぎに使われ──』
『おいこの馬鹿黙らせよう! 新入りに吹き込むことじゃないでしょうが!!』
『痛っ、なにするんだよーっ!』
気づいたら少女たちが揉みくちゃになりながらポコポコ殴り合っていた。おーやれやれっ、だの、今日のご飯賭けようよ、だの、どうせなら私が最初に味わって、だのガヤガヤと騒がしかった。
『……リーダーぁ。なんでこんなに元気なのぉ?』
『そんなに不思議なこと? 私たちは生きているんだもの。環境はくそったれで、未来は真っ暗でも、今この時を楽しまない理由はないって。どちらにしても何も変わらないなら、せめて今を楽しんでやりたいじゃん?』
『……、はは。本当変な人。ううん、全員変にもほどがあるよねぇ』
ーーー☆ーーー
さて、ガヤガヤと騒ぐ少女たちの輪の外にちんちくりんな少女がいた。新入りとやらの顔を見ようとしているのだが、輪の中に入り込む勇気がなかった。
と。
にょきっと輪の中から件の新入りが顔を出した。
『貴女も変な人かなぁ?』
『え、あ……っ』
いきなり声をかけられ、何も言えなかった。いや心の準備ができていたってすぐに返すことなんて出来なかっただろうが。
わたわたと両手を振り回し、むにゅむにゅと意味もなく唇が動く。肝心の声は全然であったが。
『ゆっくりでいいよぉ。別に急いでないしぃ』
『あ……う、うん』
すう、はあ、と深呼吸を繰り返し。
やがて小さな小さな声が漏れた。
『……よろしく、新入りさん』
『えぇ、よろしくぅ』
ーーー☆ーーー
少女たちの環境は劣悪そのものだった。
ほとんど腐りかけに等しい食事があればいいほうで、酷い時は何日も水だけで過ごす時もあるほどだ。
だというのに、小金稼ぎは毎日のように課せられる。『玩具No.123』、新入りの少女などは顔もスタイルも良く人気があったため、ほとんどの時間を小金稼ぎに消費しているほどだった。
だが、どちらが良かったのか。
小金稼ぎにさえも使えないと判断され、『自爆』前提の特攻に使い捨てられるよりはマシなのか。
人数はそう変わらないのに、この数週間でナンバーは150を超えていた。つまりそれだけ消費されたということだ。
『ただいまぁ』
『おかえり……大丈夫?』
『いつものことだよぉ。それより水使っていい? 気持ち悪くてぇ』
『ええ、もちろん』
頷くリーダーに『ありがとぉ』と弱々しく笑いかけ、新入りは別室に向かう。そんな彼女の姿を見て、リーダーはガンッ! と壁に拳を叩きつけていた。
『くそったれ……っ!!』
どちらが幸せなのだろうか。
長く長く貪られるか一瞬で終わらせるか。
そんな二択しか存在しないことにリーダーは魂が爆ぜてしまいそうな怒りと、それを凌駕する無気力に蝕まれていた。
結局は。
弱い彼女たちに選択肢なんてないのだから。
ーーー☆ーーー
さて、では小金稼ぎや『自爆』以外に何もなかったのかといえば、そうではない。少しでも楽しんでやろうと足掻いていた。
例えば、誕生日会。
少女たちは名前を覚えていない者も多く、誕生日なんてほとんどが知らなかった。もちろんリーダーはどちらも覚えていなかった。
だけど、中には自分の誕生日を覚えている者もいた。大体がスラムの外の出身の少女であり、過酷な環境に壊れそうになっていることが多かった。
だからこそ、少女たちは誕生日のようなイベントは大いに楽しもうと努力をした。豪勢な料理も豪華なプレゼントも用意できなかったが、とにかくどんちゃん騒ぎまくって、楽しんで……完全に壊れてしまうのを防ぐために。
『リーダーぁ面白いことやってぇ』
『無茶振りにもほどがある!?』
『おおっ、面白いことやるんだっ。やっちゃえリーダー!』
『『『リーダーあ!!』』』
もうノリノリで合わせてきやがった。いくら誕生日会とはいえ、少女たち全員でリーダーコールを唱和しながら、両手を叩き、それはもう期待に満ちた瞳で見つめてくるとは。
『や、あの』
『『『リーダー!』』』
『いや、だから……』
『『『リーダー! リーダー!! はいそれリーダーっ!!』』』
『だあもう! そこまで言うならやってやる!! 最高に超絶面白いことやってやるう!!』
『『『おおおおおおっ!!』』』
この後場の空気がどうなったかはリーダーの名誉のため伏せておこう。
……挑戦することは悪いことではないはずだ。
ーーー☆ーーー
時間感覚なんて狂っていた。
前後の繋がりなんて正確に思い出せない。
ただただぶつ切りの記憶が存在するだけだ。
あの頃の記憶を正確に覚えていられるわけがないのだから。
『よお、玩具ども』
いつのことだったか。
唐突に彼はやってきた。
ゾジアック。犯罪組織『ガンデゾルト』の幹部にして、ゼジス帝国担当の男。かの帝国を担当するほどの男だ、組織内でも相当権力を握っているのだろう。現に彼の支配領域は帝国内のスラムだけにとどまらず、貴族相手に暴力を貸し出す『副業』に手を出しているほどだった。
恐怖の象徴であった。
玩具たる少女たちが一番初めに味わうのがゾジアックの洗礼である。単純に殴り蹴り暴力で屈服させるのが定例なのだ。
……これでもリーダーたちはスラムという過酷な環境下を生き抜いてきた。そういった暴力にも多少の耐性はあるはずなのだが、増幅された恐怖は等しく魂を縛りつけていた。
『今日はお前らにプレゼントを持ってきてやったぞ』
ギリ。
ギリザリザザガッ! と嫌な音が響く。
ゾジアックがだらりと下げた右手、その手に持っている血液で錆びたボロボロの剣が地面を削っている音だった。
何やら魔石が積み込まれた荷馬車を小屋の入り口に止められ、数人のゾジアックの部下がそれらを運び入れていく。
『特攻にも色々あるわな。今は華奢な外見と軟弱さで敵を油断させ、不意をついたり「自爆」したりしてるが、確実ってわけじゃねえ。なら機能向上のために努力しねえとな』
気軽に、適当に、無造作に。
伸ばされた手が一人の少女の胸ぐらを掴み、そのまま床に叩きつける。
『何を……っ!』
『あん?』
微かに視線を向けられただけだった。
それだけでリーダーはそれ以上行動に繋げることも声を張り上げることもできなかった。
恐怖の増幅。
リーダーも噂には聞いていたが、知っていたところで抗えるものでもない。
肉体が、本能が、魂が、ゾジアックという恐怖に屈しているのだから。
『まぁいいや。ほらよっと』
ぐぢゅ、ぶぎぶぢゅばぢゅう!! と。
床に倒れた少女の右太腿に錆びた剣が突き刺さり、魚でもひらくような気軽さで斬り裂かれたのだ。
『あ、ぐぅ、ううううっ!!』
『うるせえな』
頭を蹴られ、少女の声が歪む。その間にもゾジアックの部下がひらかれた太腿に魔石をねじ込み、縫い合わせていた。
『感謝しろよ玩具ども。俺がお前らに加速装置をくれてやる。これを使って俺のために死んでくれや』
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誰かが言った。死にたくないと。
誰かが言った。助けてと。
誰かが言った。なんでこんな目にと。
果たしてそれはいつの記憶だったか。『自爆』し弾けた仲間や魔石ごと砕かれ殺された仲間や劣悪な環境に耐えられず衰弱死した仲間がそんなことを言っていただろうか。
正確な記憶は残っていない。
だけど、おそらく。
それらが積み重なったからこそ、リーダーは余計なものを削ぎ落とし、たった一つの想いへと昇華させていったのだろう。
ーーー☆ーーー
いつかの記憶。
確かにリーダーはこう言った。
『逃がしてやる。どこかの強者じゃない、今みんなの目の前にいる私が! 何とかしてやる!!』
だから、と。
リーダーはまるで己を呪うようにこう続けたのだ。
『お前ら全員の命、私に託してよ、くそったれがあ!!』
呪縛は確かに破った。
そのはずだった。
少女たちは古びた倉庫を抜け出し、新天地へと逃げ出した……はずだった。
だけど、ゾジアックは彼女たちの前に立ち塞がった。もう駄目だと、二度も奇跡は起きないと、呪縛は破れてはいないのだと、やはり『弱者』には何も変えられないのだと。
そんな時だ。
呪縛を焼き砕く、炎と風が炸裂した。
『炎上暴風のエリス』。
絶対的な強者が悪魔を薙ぎ払ったのだ。
ーーー☆ーーー
現在。
エリスは己が放った炎の竜巻が突き抜けていった先を見据えていた。
「さて、と──丸聞こえよ、クソ野郎。死んだふりなんて付き合ってられないし、そのまま殺すから」
何かが二つ捨てられ、代わりというように腰のポーチに腕を突っ込み、引き抜く。途端に噴き出る炎と風が互いを喰らい合うように合わさり、相乗的に増幅され、横殴りの炎の竜巻と化す。
だが、
「その程度か、『炎上暴風のエリス』」
ザンッ!! と。
左右に引き裂かれた。
彼は二振りのナイフをだらりと下げ、ゆっくりと近づいてくる。切り裂いた炎の竜巻の行方など見もせず、ただただエリスだけを見据えていた。
「グリズリーが言った通りだな。あの戦争で魔女を倒すために魂を摩耗させた結果、自力での魔力抽出を行うと自壊するほどだとか。ったくよお。ここにいるってことは『足止め』に派遣した部下ども蹴散らしたんだろうが、『外部』からの魔力供給で俺を倒せるわけねえだろうが」
彼の視線はポーチから引き抜かれた腕に注がれていた。正確にはその拳に握り締めた二つの魔石へと。
先の戦争の時と同じだ。
あの時は第五王女に借りた魔力に『技術』を流すことで『魔力技術』を構築した。
今回は魔石に内蔵されている魔力を使い、魔力技術を構築したのだ。
とはいえ第五王女の魔力と市販の魔石内の魔力とでは量も質もかけ離れている。その分だけ具現化される炎や風の威力も減少していた。
『技術』は対象の性質を増幅する力だ。多少は倍率で補えるとはいえ、元となる性質に力が左右されることに変わりない。
だからどうした、と。
即座に切り捨て、エリスは言う。
「できるだけ遠くに逃げておいて。負けやしないけど、巻き込むかもだしさ」
「エリスっ」
「大丈夫。あんな奴に負けたりしないって。あいつだけは殺さないと気が済まないしさ」
全部聞こえていた。リーダーを苦しめてきた呪縛の主が目の前にいるのだ。
こんなチャンスはもうないかもしれない。
絶対に、何を犠牲にしてでも、あの呪縛だけは粉砕しなければならない。
と。
その時だった。
「身を呈して『玩具No.72』を守るかよ、『炎上暴風のエリス』。だが、ははっ、果たして本当にそこまでする価値があるのか?」
燕尾服の男は言う。
かつてリーダーたちを苦しめてきた悪魔らしい、おぞましい悪意を吐き出す。
「俺のスキル『心情増減』は心に干渉する。分かるか? 身を呈してでも『玩具No.72』を守りたいっつー想い、もしかしたら俺が作り出したもんかもしれねえぞ?」




