第五十一話 よし、戦後処理しよう その一
ヘグリア国との戦争は四天将軍を全員撃破し、国王を捕虜とする完全勝利で終わった。
とはいえ被害は甚大であった。五割以上もの人的被害を出した上に実質的なアリシア国のトップたる王妃は昏睡状態であった。外の敵対因子は元より内の敵対因子が攻め込んできたならば、それこそ一気に崩れる可能性は高い。
それを防ぐための一環としてヘグリア国国王を捕虜としている間に『人脈』を利用して革命軍を動かしたとかいう話が聞こえた気もしたが、そんなものに構っている暇はなかった。
「武闘派メイドーっ! あそぼーよー!!」
「ウルティアお姉様っ。ミリファさまは右腕を負傷しているんです! 激しい運動は駄目ですよっ」
「ぶーぶーっ! セルフィーってば武闘派メイドを独占する気だなーっ!!」
「な、なん、独占だなんて、そんな……っ!!」
第七の塔、その一階。
第七王女の私室では膝に乗せたミリファを後ろから抱きしめるセルフィーと、ミリファの左腕をぐいぐい引っ張るウルティアの姿があった。
あの戦争から一週間。王族専用の『治療』を第七王女や第五王女の命によりミリファも受けさせてもらっており、現在彼女の右腕は青い毛糸タイプの治癒促進材でぐるぐる巻きではあるが、ある程度は何かを持てるくらいに回復していた。
……なぜかミリファの腕が完全に治るよりもウルティアが元気にミリファ争奪戦に参加できるほど回復するほうが早かったようだが。
「あー……戦争終わったんだなーって感じするよねー」
「武闘派メイドはどっちがいいんだよー!!」
「お、お姉様っ、そんな答えにくい質問を……ああ、でも、気にならないと言えば嘘になるというか、いざとなればスキルで確認するのも……」
「平和だなー」
今日で戦争から一週間。
初出勤のミリファは第七の塔で二人の王女に取り合いされていた。
ーーー☆ーーー
一週間もすればエリスを蝕んでいた高熱も治まっていた。医療ギルドが経営する医療施設から退院したエリスはいつもの安宿に戻り、バトルスーツから黒のワンピースに着替えて、改めて外に出ていた。
タンパク質が茹で上がるほどの高熱は、しかし『ある程度の』後遺症しか残さなかった。
……未だに打ち明けられずにいるのは『隠す』癖が抜けていないからか。妹にはいつも通り笑っていてもらいたいという想いが強すぎるがゆえに。
「ん、んーっ! とりあえずは問題なし、と」
安宿の外で両手を絡めて頭上に伸びを一つ。軽く左右に振り、肉体を動かす分には後遺症が残っていないことを確認。そう、動かす分には何の問題もないのだ。
「……さて。情報屋でも雇って『予習』しておかないとね」
何事も準備が大切だ。
逆に言えば準備が整っていないと何事もうまくいかないものだ。
例えば、
「久しぶりね、エリス」
「……っ」
声をかけてきたのは天使のコスプレをした女であった。看病してもらうほどには心を許し、先の戦争では共に戦ったはずだ。
エリスにとって『彼女』は大切な存在である。
大好きだと思える存在だ。
おそらく、それが正しいのだろう。
「一つ聞きたいことがあるんだけど」
「な、なに?」
取り繕う必要がある。
いつも通りに接するのが正解だ。
ああ、だけど、いつも通りは本当にエリスの中に残っているものだけで作ることができるのか?
「私の名前、言ってみてよ」
「…………、あ、あはは。なに言ってるのよ。なんでそんなわかりきったこと聞いてるわけ? あたしたちの仲じゃない、ね?」
「つまり私の名前を知っていると?」
「も、もちろんっ」
ここまで『好き』で、あれだけ仲良しで、なのに相手の名前を知らないわけがない。そんなわけがないのに思い出せないのはエリスに問題があるからだ。
そのはずなのに。
天使姿のコスプレ女は不愉快そうに舌打ちをこぼした。
「はぁ。あれだけの高熱が何日も続いたものね。後遺症がないわけないってことか」
「な、なにを……っ!!」
「脳に障害があるかもしれないっていう診断結果を盗み出したのよね。まあ医療ギルドの連中もその辺のアレソレは自己申告に依存するしかないってんで確定するには至らなかったみたいだけど」
呆れたように額に手をやり。
天使姿の女は言う。
「私の名前を知っている? そんなわけないじゃない。名乗った覚えないし、そもそも私自分の名前なんて知らないしね」
「っ!!」
「ったく、エリスが『そう』だってのは知ってた、知ってたけどさぁ。はぁ、妹との一件でちょっとは成長したものと思ってたんだけど……そうやって一人で背負えばそれで済むと? 問題先延ばしの甘ったれた逃避で誰が喜ぶと??? 舐めるのも大概にしろよ、こんのくそったれが!!」
ガジッと胸ぐらを掴み、引き寄せ、至近距離でエリスを睨みつける天使。純粋に、強烈に、エリスのために怒ってくれる『誰か』の想いがひしひしと感じられた。
だから、もう隠しておけるわけがなかった。
「……そこまで大きな後遺症ってわけじゃないのよ。ただ記憶がね、こう、歯抜けしてるっていうかさ。貴女と衣服店で会ったのも看病してもらったのも一緒に戦争に首を突っ込んだのもしっかり覚えているのよ。でも、ね。所々に欠落があったり、順序立てて思い出すことができないのよ。高熱で脳に障害が残ったはずなんだけど、そもそもそれすら正しいか分かんないしね。……あれだけ魂を酷使したもの、もっと深い意味で『失って』いる可能性だってゼロじゃないわ」
「……そう」
呟き、しかしそこで終わらない。
「それ以上はないでしょうね?」
「ええ」
「本当?」
「もちろん。……あれ、なんだか睨まれて、あたし信用されてない!?」
「あったり前でしょうが! この辺に関してはエリスの信用度ゼロよゼロっ! ほら言えどうせまだ何かあるでしょうが全部吐けえ!!」
「ない、ないから! ……その、これ以上魔力を絞り出したら魂が『砕けて』十中八九死ぬってくらいで」
「やっぱりあったじゃない!! おいこらふざけんなよそんな大事なこと黙ってるつもりだったわけ!? っていうかエリスのことよ、こうして問い詰めなかったら全部黙ったまま、必要に迫られたら普通に魔力使ってたでしょうが!!」
「と、時と場合による……よね。あはは」
「何がおかしいのよ、こんのくそったれがあ!!」
胸ぐらを掴んだままガックンガックン揺らしてやれば、しかしどこか嬉しそうに口元を緩めるのがエリスであった。
そんなエリスの姿が気に食わないのか、どことなく不機嫌そうに表情を歪め、天使姿の誰かは言う。
「全部エリスの妹に暴露してやる」
「ま、待ってそれだけはやめてよお!!」
「うるさいばーかっ! 本当エリスは、もう、本当にさあ!! ほんのちょっとでいいから自分のことを大切にしてよね!!」
ーーー☆ーーー
グシャッ、と。
何か固いものが砕け散る嫌な音が響いた。
飛び散る液体がレザーアーマーを汚す。鳳凰騎士団の所属であることを示す青のレザーアーマーをだ。
ノワーズ=サイドワームは無残にも砕け散る瞬間をただただ見ていることしかできなかった。
つまりは、
「団長ーそれで果物握り潰すの何個目っすか?」
「うぐっ」
巨躯と呼ぶに相応しい女が左手を赤い果物の汁でベタベタにしていた。右手には刃物が握られていた。そう小さなものでもないだろうに、彼女が持つと途端におもちゃのように見える。
鳳凰騎士団団長は未だベッドから動けないノワーズのお見舞いにやってきていた。お見舞いらしく果物でも切り分けようとしたのだろうが、細かい作業に集中しすぎて力が入り、握り潰すこと八回目。辺りは果物の果肉や汁が飛び散り、それはもうベッタベッタであった。
はぁ、とベッドの上でため息を吐くノワーズ。
最近はろくなことがない。
『あの女の子』と同じ医療施設に入院していることも、こうして病室のベッドの上に転がっていることもだ。
「ふうむ。仕方ない、本題に入るとしよう」
だから。
「ノワーズ卿、その状態から騎士に復帰するのは難しいことは分かっておるな?」
そんなわかりきったことをわざわざ口にする必要はないではないか。
「……さっきまでのおふざけはどこいったっすか。ほらほら粉砕芸見せてくださいっすよ」
「…………、」
「まぁ脳筋な団長には皮むきなんて繊細な作業は無謀だったって話っすね!」
「…………、」
「いやあ、しかし団長ってば戦闘力以外からっきりじゃないっすか。子供には泣かれて、皮むきしようとしたら粉砕して、そんなんで普段の生活大丈夫なんすか?」
「…………、」
「は、はは。なんすか団長。そんな……そんな真面目な顔して……」
「自分の身体をどこまで動かせるのかも分からないわけがないであろう? ノワーズ卿、その身体では騎士の務めは果たせないのであるぞ」
そんなことノワーズ=サイドワーム自身が分かっていた。肉体のリミッター解除による『内側から』弾けるあの破損が後遺症を残さないはずがなかったのだ。
理解できる範囲だけでも肉体的に破損した後遺症で満足に動けもしない状態だ。理解できない破損がどこまでの後遺症を与えているかは分かってすらいない。
こんな状態で騎士を続けられるわけがない。
いや、そもそもだ。
ノワーズ=サイドワームにとって騎士なんてものは周囲の期待に『流された』結果でしかなかった。
サイドワーム男爵家が四女として生まれたノワーズには才能があった。貴族の最下層たる男爵の地位を覆しかねないほどに絶大な才能があったからこそ、周囲は期待した。ノワーズならば騎士として大成し、いずれは家全体の地位を押し上げてくれるのではないかと。
現に四大貴族の一角たるキングソルジャー公爵家なんかは武功でもってそこまでの地位に到達した経緯がある。だからこそかの家は武力を重んじる風習があり、結果として鳳凰騎士団団長を輩出している。
それだけだ。
それだけだったはずだ。
だからイマイチ本気になれていなかった。騎士なんてものは生まれ持った才能があれば上にいけると期待できる程度のものなのだと。才能さえあればどうとでもなるのだと。
その甘ったれた考えが魔導兵器による殺戮を許すこととなった。女の子から両腕と母親を奪った原因はノワーズの弱さにあった。
その時、ノワーズは誓ったのだ。
もう失わないと、必ずや守ると、『騎士』になるのだと。
才能だけでは駄目ならば、それ以外の全てを使って『騎士』を貫く、そう決めたはずなのに……、
「団長、少し時間をくださいっす」
「そう、であるな。心の整理をつける時間が必要であろう。整理がついたならば騎士をやめ──」
「治してやるっす」
誓ったのだ。
誰よりも強く、この世のどんな悪を前にしても誰かを守り抜ける、そんな騎士になると、確かに誓ったのだ。
ならば、貫け。
たかが肉体的な損傷程度で足を止めるな。そんなものさっさと治して、『騎士』を貫いてみせろ。
「ノワーズ卿……いや、そうであるな。まだ無理と決まったわけでもあるまい。気の済むまで足掻くがいいぞ」
「足掻くだけで終わったりしないっす。ちゃんと治してやるっすから、待ってろっすよ!!」
ーーー☆ーーー
第七の塔、その外では顔面ボッコボコの黒獣騎士団団長とガジルが並んで清々しい青空を見上げていた。
不審そうに眉根を寄せ、ガジルが問いかける。
「どうしたよ、それ?」
「鳳凰んところの脳筋にボコられてな。いやあ、脳筋のお気に入り唆しすぎたって感じかね。でもさーどうせあのままじゃ今の自分の実力以上のことやろうとして死んでたんだぜ? だったら、ほら、どうせ死ぬなら前のめりに死んだほうがいいじゃんってことでそのまま行かせたんだがよ。そのことバレちまってな、このざまよ。ったく、過保護すぎねえか?」
「よく分かんねーが、お前が悪いのは分かった」
「かね? まぁ期待しすぎたってのもあるのかもな。死ぬつもりで力を振り絞る『まで』があいつの限界だったみてえだし。……あーあ、すんげえ天才見つけたと思ったんだがなあ」
「とりあえず鳳凰騎士団団長には謝っておけよ」
「わーってるよ。ったく相変わらず甘ったるい女だよなあ、あの脳筋」
ーーー☆ーーー
今日ミリファが出勤してくることはファルナの口によって主城中に知れ渡っていた。そもそもなぜファルナが知っているのかといえば、そんなの戦争から毎日会いに行っていたからに決まっている。
さて、そんなファルナは食堂にいた。
見渡すは食堂の職員。筋肉マッチョな料理長を筆頭に食堂の職員にとって小柄な身体に似合わずモリモリ食べるミリファはマスコット的人気があった。加えてファルナが言いふらした『伝説』で人気に火がつき燃え盛っている有様である。
だから全員が協力してくれた。
「その、『準備』のほうは、あの、どうですか?」
「このペースなら何とかなるだろうよ。まあ夕食の時間帯が終わってからのセッティングになるから、その辺はギリギリになるだろうがな」
筋肉の塊のごとき料理長は平民たるファルナに屈託のない笑顔を返す。四大貴族の一角キングソルジャー公爵家の人間とは思えないほどにフレンドリーな態度であった。いや、そもそもミリファに対しても親しげな様子であったし、身分差なんてものは気にしない男なのだろう。
ファルナもファルナで『準備』を手伝いながら、ポツリと呟いていた。
「ミリファさん喜んでくれるかなぁ」




