第四十三話 よし、戦争しよう その十
少女騎士がアリシア国軍本陣に降り立った、その時。
アリシア国軍中央を引き裂くように高濃度魔力集合体は進軍していた。
五百以上の魂を束ねた高濃度魔力集合体。白にも黒にも見える光の球体が決して触れ合わないように集まり、魔女の形を作るそれはゆっくりと、散歩でもしているような気軽さで、その腕を振り回す。
たったそれだけで空気が破裂した。
巻き起こるは民家を吹き飛ばすほどの圧倒的な衝撃波、まさに横殴りの竜巻でも突き抜けたようであった。
騎士が木っ端のように舞う。
命がゴミのように尽きる。
果たして気軽なその動作一つでどれだけの人間が死んだのか、鳳凰騎士団副団長アリーシェは考えたくもなかった。
「は、はっ、……ぐう、ふぐうう!!」
彼女の右腕は丸々消失していた。高濃度魔力集合体が放った何かを受けて、そうあることが自然であると言うように、鮮やかにだ。
副団長は残った左腕で支えるように『彼女』を肩に担いでいた。その四肢は力なく揺れ、その瞳は感情を宿さないガラス玉のようで、その身体には残り火のような熱しか残っていないが。
誰か見ても死体と判断するだろう。
そもそも人間は胸の中心を腕でぶち抜かれたら、どう足掻いたって死ぬものだ。
今だって風穴からは赤い液体が溢れている。生命なんてとっくに尽きていて、ここからどう処置を施したって回復するはずがない。
それでも、まるで募るように『持ち出していた』。『彼女』がもう一度立ち上がってくれることを願っているからか、『彼女』を守ることで騎士としての務めを果たすと絶望的な現実から逃避しているのか。
分からない、もう正常に自己を見ることができない。それくらい現実は狂っていた。
地を焼く猛火の波が騎士を呑み込む。
漂う空気が心臓を貫く刃となる。
足を支える土が裂け肉体を噛み殺す奈落と化す。
天に流れる雲から迸る水の矢が肉を削ぐ。
アリーシェの隣を走る騎士が砕け、前方を駆ける騎士が弾けた。すでに戦線は崩壊しており、敗走に移っているというのに、逃げられる気がしなかった。
「副団長っ、お逃げください!」
「第五王女様を頼みます!!」
大の男が恥も外聞もなくボロボロと涙を流し、表情を恐怖でぐちゃぐちゃに崩し、それでも『第五王女を守る』という軸に依存していた。
そうしないと、肉体よりも先に精神が死ぬ。
それが分かっていたから、彼らは我先にと剣を握り、突撃を繰り返す。
ああ、死が満ちている。
こんなの戦争ではない、単なる虐殺だ。
『にひ☆』
ゴッパァン!! と光が炸裂した。
副団長の右横に魂の球体が落ち、凄まじい勢いで爆発、吹き荒れた衝撃波が華奢な肉体を叩く。
「が、ぶあ!?」
──認識が追いついたのは吹き飛び、転がった後だった。地面に倒れているのだと思った時には『にひ☆』と独特な笑い声が上から降ってきたのだ。
そう、倒れたアリーシェを覗き込むように高濃度魔力集合体がそばに立っていた。
「ひ、ひっ……!!」
逃げないと殺される。死にたくない。助けて。
流れる思考は、しかしそこから先には繋がらない。肉体は意味もなく震えるのみで、精神は恐怖でグズグズに腐っていた。
それでも。
その腕に伝わる残り火のごとき『彼女』の体温が消失したことに気づいた瞬間、不思議と肉体が動いていた。
肉体はおろか精神さえも硬直した中、染みついた『何か』が反射的に行動へと繋げたのか。
理由なんて自分でも理解できない。
近くに転がっていた『彼女』の元に駆けつけるという結果に繋がったことだけが確かな事実だ。
『騎士だねー』
適当に嘯き、怪物はその腕を向ける。
蠢くは魂の凝縮エネルギー。第五王女を打倒したほどの暴虐。
「守る、んだ。そうしないと、せめて第五王女様だけでも──」
『ねえ』
『彼女』を背にして、ガタガタと震えながら、それでも腰から引き抜いた長剣を構える副団長アリーシェ。その姿に高濃度魔力集合体は嘲るようにこう吐き捨てた。
『それが生きてるとでも思ってるのかにゃー?』
『彼女』は──ウルティアは胸の中心を貫かれた。それだけでも致命傷だというのに、あれから時間も経過している。奇跡的に即死は回避していたとしても、既に衰弱死していることだろう。
分かっていた。
分かっていた。
分かっていた。
それでも第五王女を守るのだと依存しなければ、アリーシェたちは砕ける寸前の精神を維持できないのだ。
「副団長っ!」
「は、ははは! やるぜ、やってやるぜえ!!」
「死ぬ時は一緒ですぜ、アリーシェ様あ!!」
ザザッとアリーシェを中心に展開される騎士の群れ。副団長が貪られる間に逃げることもできただろうに、彼らは『守る』ために駆けつけたのだ。
「お前ら……。まったく、大馬鹿どもめ」
どこまでいっても彼らは騎士だった。
誇り高い魂だった。そんな魂から魔女の快楽のために貪られることだろう。
『「向こう」が面倒そうな展開になってるし、ここを堪能したら本陣を攻めようかにゃー』
「こ、んの……っ! そんなことさせるものかあ!!」
そう叫ぶアリーシェの心中は決して綺麗事だけではなかっただろう。死にたくないとか逃げたいとかもう戦いたくないとかなんで私がこんな目にとか、みっともないと評されるもので溢れていただろう。
それでも最後には剣を握る。
だからこそ彼女は騎士であり、だからこそ騎士は魔女の悪意に貪られるのだろう。
ぴくり、と。
何かが動いた。
「お前ら、私と共に死んでくれ!!」
叫び、剣を構えるアリーシェ。
咆哮が轟く。
「総員、かかれえ!!」
『おおおおおおおおおおおおおおおっ!!』
迸る騎士の叫びが渦巻く。
がむしゃらに突撃を仕掛ける。
その寸前の出来事だった。
ぐっぢゅうっっっ!!!! と。
戦争を大きく左右する一手が示された。
べちゃばちゃと水音が響いた。
何やら鉄錆臭いにおいが漂っていた。
それはアリーシェたちの後ろからだった。振り向き、そして目撃する。
上空に集まる肉団子。数十数百もの死体を集め、人の形が崩れるまで圧縮したのか。ひき肉をこねくり回したような有様の肉団子から滝のように流れる鮮血が一人の女へと降り注いでいた。
ごきゅ、ごくっと生々しい音があった。それは女が降り注ぐ鮮血を飲んでいる音である。
つまりは第五王女。
ウルティア=アリシア=ヴァーミリオンが喉を鳴らす。まるで飢えた獣が川で喉を潤しているように。
「第五、王女様? 何を、して……???」
「アハッ☆ 見て分からない?」
胸の中心に風穴を開けた王女は、しかしそんなこと感じさせない軽やかな動きで跳ね起きる。ぽんぽんとその胸を叩きながら、口元を拭う。
「血がいっぱい出てるじゃん」
「はい」
「そのままじゃ死ぬじゃん」
「まあ、はい」
「だったら失った分だけ補充すれば死なないじゃん」
「な、なるほどっ!」
なぜ怪我をすると死ぬのか。
簡単だ、傷口から出血すると血液不足で失血死するのである。ならば出た分だけ血を補充し続ければ、失血死を免れることができる。
つまりは胸の中心に風穴を開けても問題ないのである。
「さあて、それじゃあ続きといこうか」
瞬間。
激突があった。
ーーー☆ーーー
その時。
クラン草原の端では無表情女と斬り結びながら、ガジルが眉を潜めていた。
(第五王女様のアホ理論は置いておいて、現実として死の淵から復活したのは事実。輸血の理屈だと考えなしに色んな奴の血を体内に入れると拒絶反応が起きるとかって話だし、よしんば起きなかったとしても壊れた臓器の働きまでは補えないはずだ。ったく、流石は武力の第五王女、無茶苦茶なことで)
ガッギィン!! と刃と刃をぶつけながら、遠く離れた戦場の様子を当たり前のように見据えているガジルが口を開く。
「早くあっちに行きてーんだが、いい加減死んでくれねーか?」
「こちらの台詞です」
目にも留まらぬ速さ、そんな陳腐な表現をどこまでも突き詰めた斬撃の嵐が荒れ狂う。
ーーー☆ーーー
第五王女ウルティアが復活した。
だから? 死に損ないが生き返ったところで実力差が覆るわけではない。
そもそもウルティアの攻略方法は既に出来上がっている。第五王女の真価は『大気技術』。空気に干渉し、気流の流れに暴虐性を付加する『技術』は確かに脅威だが、ある魔法で封殺できる。
『「風の書」第八章第一節──暴陣風滅』
紡がれるは気流の流れをほぼゼロとする秘奥。領域に流れる気流をそよ風レベルまで落とす風系統超常の天敵となる力である。
『にひ、にひひひひ☆ 復活早々悪いけど、死んでもらうにゃー!!』
『大気技術』はその効果を発揮できない。後は武器を奪われた第五王女を嬲り殺しにすればいい。
ゴッガァ!!!! と。
高濃度魔力集合体の左腕を構築する数十もの魂の球体が吹き飛んだ。
『……は、あ?』
何が起きたのかは、まだ理解できる。
凄まじい勢いで突き抜けた気流が腕を消し飛ばしたのだ。
だが、どうやって?
魔女の魔法によって『大気技術』を支える気流の流れは制御されているのではなかったのか???
──対風系統魔法の極意。気流の流れそのものをゼロ近くまで落とす魔法にゃー。そよ風以上に増幅するのを防ぐって感じかなー。
その時、魔女の脳裏に浮かぶは己が発した言葉。
──まーあー? 術者を超える力をぶつければ破れる程度のものだけど。
『私の力を、超えたとでも? 魂を使い潰す私の魔法を!?』
「アハッ☆ なーんか力が湧いてくるんだよねー。他人の力をアテにしてるみたいでなっさけない話だけど──まぁ今回はいっか。妹もそうだけど、なぜか武闘派メイドまで『向こう』にいるようだしさ」
大気を支配するウルティアはその力で戦場の様子を把握しているのだろう。本陣に迷い込んだ『友達』の存在も察知していた。
だから。
ゴギィ!! と拳を握り締め。
武力の第五王女は言う。
「──壊してやる」
『にひ☆ 上等だにゃー!!』
シュッと高濃度魔力集合体を構築していたもう片方の腕と右足が消失する。総数百八十もの魂を犠牲とするは究極に至る鍵たる第九章魔法。
そう、エリスや少女騎士が死力を尽くして削りきった魂の総数を軽く超える量を費やし、具現化される漆黒の『雷』。
水と風の第九章魔法、その混合魔法。
覇神雷撃。
ズヴァッヂィッッッ!!!! と天空を走り抜ける漆黒の雷撃。第九章魔法の混合、加えて込められるは百を軽く超える魂。
まさにこの世の終わりの体現。
軍勢だろうが一撃で消し飛ばす対軍消滅魔法が迫る中──しかしウルティアは無視して前に飛び出した。
『なっ』
直後、着弾。
漆黒の破滅は確かにウルティアを呑み込んだ。
なのに。
だというのに!!
「アハッ☆」
ズッッッドォンッッッ!!!! と。
天を引き裂く不可視のエネルギーが漆黒の雷撃をぶち抜く。
『大気技術』。
そう、ただの『大気技術』が百八十もの魂を消費して具現化された秘奥の奥義を破ったのだ。
『な、んで……どこにそんな力が!!』
「どうでもいい。お前を壊せるなら、妹や『友達』を守れるなら、他は心底どうでもいい」
本陣では高濃度魔力集合体を操る悪意が暴れている。今は何とか保っているが、その悪意がいつ妹や『友達』に向くか分かったものではない。
こんなところで『遊んで』いる暇はないのだ。
あの日、『遊ぶ』以外でも楽しく過ごせるのだと教えてくれた『友達』を失いたくなければ、定説も常識も倫理さえも捨てろ。
ぐぢゅう!! と肉が潰れ鮮血が噴き出る音がそこかしこで響く。高濃度魔力集合体が殺した騎士の死体を『大気技術』で破壊して、その鮮血を胸の中心にあいた風穴から体内に取り入れていく。
味方の死体さえも利用する。
尊厳を踏みにじり、力と変える。
ただただあの日のような、何も考えずに楽しく笑い合える瞬間を味わいたいがために。
だから。
だから。
だから。
「お前はもう壊れてしまえ!!」
高濃度魔力集合体の懐に飛び込むウルティア。握り締められるは百八十もの魂を纏めて粉砕した暴虐。大気を圧縮、支配した拳が放たれる。
ゴッ!! と吸い込まれるように高濃度魔力集合体の中心に叩き込まれた拳は、しかし虚空を穿つに終わる。
そう、あくまで敵は高濃度魔力集合体。数百もの魂を集め、人の形にしていただけだ。小石程度の光の球体一つ一つが自由に動き回ることができる。
まるで羽虫が飛び散るように、弾けた。
白にも黒にも見える光の球体が散り散りに分散し、ウルティアの全方位を包み込む。
包囲網の構築。
四割ほどが失われたが、それでもまだ三百以上の魂が残っている。その総攻撃。全方位を埋め尽くす光の絨毯爆撃でもって第五王女を殺すつもりなのだろう。
『にひ、にひひっ! 避けられるとは思わないことにゃー!!』
「…………、」
対して。
ウルティアは静かに拳を握っただけだった。
ゴッッッギュッッッ!!!! と。
三百以上の光の球体がその動きを止める。
『……な、あ?』
ウルティアの得意技は『大気技術』。大気を支配する力である。
ならば、散らばったところで意味はない。この大陸に存在する限り、ウルティアの武器たる空気はどこにでも存在するのだから。
そう、四方を囲む球体どもを包むように、だ。
力をこめるだけでいい。
通常時でも三キロ以上もの支配領域を持つウルティアにとって、全方位を取り囲んでいる球体どもは殺傷範囲内に飛び込んだ哀れな獲物でしかない。
纏めて潰えた。
白にも黒にも見える球体の数々は武力を讃えるように弾けて消えたのだ。
「ふう。……きっついなぁ」
直後。
ぶぢぶぢぶぢぃ!!!! と『何か』が千切れる嫌な音が連続したと思えば、口や鼻や目から勢いよく鮮血が噴き出した。
まるで栓がとれたように。
命が零れるように。
「ごぶっ、べぶばぶっ!!」
おそらく実力以上の力を出力した代償でも払っているのだろうが、そんな些事に構うつもりはない。
死という言葉が背を叩く気配がしたが、それでも無視するように大きく前に踏み出す。
彼女にはまだやるべきことが残っているのだから。
「副団長さん。ウルティアが戻るまで、頑張って」
「え? あの、何を……!?」
「ウルティア、妹と『友達』をつけ狙う魔女をぶっ壊しにいってくるからさ」
第五王女は武力の冠を持つ者だ。
ならば、今こそ、その冠を存分に発揮する時だろう。




