第四十話 よし、戦争しよう その七
赤が散る。
鮮血が噴き出し、死が蔓延していた。目にも留まらぬ速さといういっそ陳腐にさえ思えるほどに理不尽な暴虐が騎士の首を斬り飛ばす。アリシア国軍本陣、敵陣の真っ只中だというのに、無表情女は迫る戦力を軽々と殺していくのだ。このままアリシア国軍を殲滅するのではないかというほど鮮やかに、圧倒的に、呆気なく。
そして、そんなものに構っている暇はない。
ミリファたちの後方から明確な『死』を象徴する絶望が迫っているのだから。
「み、ミリファさん、あの、その、なにこれどうなってるの!? なんで外が、監禁されてて、えっと、なにこれえ!?」
「そんなの私が聞きたいよ! とにかく走って、逃げて!! じゃないところ、殺され、ちくしょう!! 早く逃げないとなんだよお!!」
「ミリファさま、待ってください! このまま逃げ切れるとは到底思えません!!」
その言葉にミリファは恐怖でぐちゃぐちゃに歪んだ顔を向けていた。叩きつけるように叫ぶ。
「そんなの知ってるよお! じゃあどうするの? 王族らしく一歩も退かないとでも? 誇りある死を選ぶって? ふざけるな!! セルフィー様を見捨てて、みっともなく逃げ出した私がどうこう言っていいことじゃないかもしれない。だけど! 私はセルフィー様やファルナちゃんに死んでほしくない!! みんな揃って生き残りたい!! 心置きなく伸び伸びとぐーたらしたいんだよお!!」
だから、嫌なのだ。
ここでセルフィーやファルナが死んでしまえば、ミリファは何かが致命的に壊れてしまう。いつものようにぐーたらできる生活に戻れたとしても、喪失は容赦なく平穏に蠢き、苦痛を与えることだろう。
ならば、足掻くしかない。
あれだけの被害を生み出した死肉の魔女から逃げることができるわけがない、それが分かっていて、それでもこんなことしかミリファにはできないから。
「……『運命』はすでに崩壊しています。お母様の力も万能ではなかったんです。だったら、わたくしが選ぶべきは──」
そこで。
差し込まれる絶望の響き。
「にひ☆」
ぶしゅっ! とファルナとセルフィーの両足首に裂傷が刻まれた。風の刃が機動力を奪ったのだ。
「あうっ」
「きゃあ!」
そのまま倒れる二人と手を繋いでいたミリファがつんのめるように動きを止める。転んだのかと思い、引っ張って起こそうとして、二人の足首から血が噴き出ているのを見て、心臓が不気味に脈動する。
ああ、これは。
こんなのは。
「ちくしょう……」
「ミリファさん、私は、その、いいから」
「いいわけないじゃん! ファルナちゃん言ったよね、『答え』に気づけるまでそばにいてくれるって! これが私の『答え』だ、大切な人は絶対に守るんだ!! だからファルナちゃんもセルフィー様も死なせない。失ったりしない! もう二度と大切な人を見捨てて逃げ出したりしないんだ!!」
「ミリファさん……でも」
と。
ひゅーっと口笛が一つ挟み込む。腐敗臭漂わせる片腕の死肉が引き裂くような笑みを刻み、歩み寄ってくる。
「にひ☆ 絶対絶命だねーこれはもう死んじゃうかもねーどうしようって感じだよねー」
「死んで、たまるか。やっと見つけた『答え』なんだ。だから!」
「うんうん、そっか。その熱い想いに敬意を表して、選ばせてあげよっかなー」
向けられるは左手。
ヂリッと舞う火花。
紡がれるは、
「今から魔法を放つ。急所ぶち抜いて殺す。それを『誰に』当てるか、選んでいーよ☆」
「…………………………、は、はは」
「第七王女かそこの女の子か。一人を捨てれば、もう一人は手元に残せるよ。とりあえずは生き残ることができるし、もしかしたら逃げ切れるかもしれないねー。なんつーの? これだけ騎士が揃っているんだし、身を呈してお逃げくださいとか格好つける輩だって現れるかも。まーあー? バッタバッタ斬り殺されているけどっ。にひ、にひひっ☆」
「ははは、ははははは!! どこまで、そんな、ふざけやがって。馬鹿にしやがってえ!!」
その手を握る二人の女の子。
一人は胸を張って友達といえるほどに仲良くなれた女の子。彼女の存在があったから、これまで楽しく過ごすことができた。彼女がいなければ、姉が支えてくれていたとしても、どこかで逃げ出していたことだろう。
一人は絶対に仲良くなってやると誓った女の子。初対面の時のあの憂いを帯びた瞳を明るく輝かせてやると誓ったのだ。いいや、そうでなくとも、仲良くなりたいと胸の奥が叫んでいる。身分は違えど、大切な存在であることに変わりはない。
どちらかを見捨てて、どちらかを選べば、とりあえずは生き残ることができるだろう。その後どうなるかは分かりきっているとしても、魔女が言った通り騎士の誰かが無表情女を突破して、駆けつけてくるかもしれない。低いながらも可能性はゼロではない。
ならば。
『答え』は──
「だれに、当てるか……選んでいいんだよね」
「だねー。決まった?」
「……ふ、ぐ。うう……っ!!」
唇を痛いほど噛み締め、ボロボロと涙を流し、それでも『答え』は決まっていた。最初から選択肢は一つしか存在しなかった。
即答できないのはミリファの弱さだろう。所詮はただの村娘、殺しなんて無縁で戦いなんて縁遠く命をかけるなんてしたこともない、本当にどこにでも転がっている普通の女の子なのだ。
格好良く華麗に誰かを救えるものか。
格好良く迷わず己がやるべきことを果たすことができるものか。
それでも、やはり『答え』は一つ。
終わってから一番後悔しない『答え』を半ば吐血するように、ミリファは叫んでいた。
「私を殺せばいいじゃん!!」
その『答え』を聞いたファルナとセルフィーは何事か返そうとした。ファルナなどは今にもミリファを庇うように飛びかかろうとしていたが、壊れた足は動かない。致命的に、状況が進んでいく。
「これは予想外。まさかこうなるとはなー。いやあ、本当、予想外。だから、まあ、うん。ミリファ以外を殺すかー」
…………。
…………。
…………。
「は?」
「一人を選んで、一人を見捨てる。そんな残酷な選択の後に選ばれた奴が殺されて、選ばれなかった奴が生き残ったら? 面白いものが見られるだろうなーって。だけどさ、ほら、ミリファが自己犠牲やらかすってんなら逆張りしないと『演出』的につまんないことになっちゃうじゃん?」
「ふ、ふざけ、私は選んだ! ちゃんと選んだのに!!」
「ねえ」
ぐぢゅり、と首が腐り折れるのも構わず、直角に首を傾げる死肉の魔女。不思議そうに、本当に不思議そうに、死を撒き散らす怪物はこう返した。
「なんで私のような奴が約束守るって思ったんだにゃー?」
「……ッッッ!!!!」
「より恐怖し、より苦痛を感じ、より絶望に浸って──そうして熟成した魂をぶち殺す。それだけが私の生き甲斐なんだよ? だったら魔法もスキルも言葉さえも『殺し』を彩る演出に過ぎない。それがわっかんないかなー?」
強烈な光が漏れる。
ゴッア!! と死肉の左手から猛烈に輝く炎の奔流が迸り、枝分かれする。二つに分かれた紅蓮がセルフィーとファルナ、大切な存在だけを焼き殺すために。
ミリファは反応すらできなかった。迫る炎の速度にただの村娘でしかない彼女では盾になるため飛び出すことさえ間に合わない。
ただ突きつけられる結果だけを受け止めるしかできなかった。
どうしようもない無力感に魂が軋む。心の奥底から悲痛な想いが溢れ出る。
(助けて……)
力なんて何もない。
大切な存在を守れるだけの力なんてどこにもない。
だから、失うのだ。
それでも、願うのだ。
(助けてよ、お姉ちゃん!!)
ーーー☆ーーー
ゴッバァッッッ!!!! と。
炎の流星が蔓延する悪意を焼き払う。
ーーー☆ーーー
「……あ」
そこには炎を纏う黒のバトルスーツ姿の女が立っていた。猛火が生み出す爆風で迫る二つの炎を払い、庇うように、守るように。
誰を?
決まっている、『姉』は『妹』を守るものだ。
「ミリファのことお願い」
「お願いって、私も戦うつもりなんだけど」
「ミリファを庇いながらやり合える敵じゃないのよ。でも貴女がそばにいるなら、気兼ねなく戦える。だから、お願い」
「なっ。ああもう、本当こいつはっ。私の実力も知らないくせにそんなこと言っていいわけ!?」
「力のあるなしじゃないわよ。妹の命を預けられるほどに信頼できるかできないか。そういう話よ」
「こ、こいつは、本当……っ! 分かったわよ、絶対に守ってやる!! だからそっちも上手くやれよ!!」
「もちろん」
天使姿の女は言われた通りミリファを守るために歩を進めながらも、どこか嬉しそうに口元を緩めていたことに気づいていたのか。
対して。
黒のバトルスーツの女はミリファに背を向けたまま、ポタポタと全身に刻まれた傷から鮮血をこぼしながら、それでも何でもないようにこう告げた。
「ごめんね、遅くなっちゃった」
「ううん、そんなことない。ないよぉ!」
「もう大丈夫、何の心配もいらないから」
「うん、うん!!」
「だから、もうちょっとだけ待ってて」
ふわり、と優しく風が舞う。
妹が流す涙を拭うように。
「あたしの妹を泣かせたクソ野郎を片付けてくるから」
姉は──エリスは静かに闘志を燃やす。
その心の中は未だかつてないほど殺意に荒れ狂っていた。
目の前には妹を傷つけたクソ野郎がへらへら笑っていた。そのふざけた笑みを見ているだけで魂が爆ぜそうなほどの怒りが噴き出る。
その怒りに逆らわず、身を任せた。
ゴッバァン!! と炎と風で射出されたエリスの拳が死肉の魔女が浮かべる笑みをねじ伏せるように叩き込まれたのだ。
ーーー☆ーーー
アリシア国軍とヘグリア国軍が激突するクラン草原から数キロ離れた丘の上ではフルアーマーの至るところが引き千切れ、溶けた騎士が転がっていた。
白露騎士団団長は清々しいまでの晴天を見上げ、額に手をやる。
「チッ。最近こんなんばっかりだ……」
『炎上暴風のエリス』の足止め。それが彼女たちに与えられた命令だった。王妃からの命令に真面目に従い、守るべき民に剣を向けた。
その結果がこれだ。
ものの見事に敗北したのだ。
……そもそも不本意な命令に『真面目に』従っていた時点で敗北は確定していたのかもしれない。あそこまで真っ直ぐに、戦力差など無視して、ただただ妹のために命をかける姉の想いに勝てるわけがなかったのだ。
「こんなザマで騎士を名乗られるものか。このままで終わってたまるか!」
嘆き、しかしそこで終わらない。
己がやるべきことを果たす。そのために騎士は剣を握る。
ーーー☆ーーー
アリシア国軍左翼。
奴隷兵たちを無力化し、奥に突き進むアリシア国軍とヘグリア国軍正規兵とが激突していた。
今はまだ鳳凰騎士団団長やノワーズ=サイドワームという猛者が配置されているため崩れてはいないが、それも時間の問題だろう。
右翼は今にも崩れそうだし、中央は既に崩壊していた。アリシア国軍を引き裂くようにヘグリア国軍……というよりも、高濃度魔力集合体が進軍しつつある。
だから。
だからこそだ。
「団長、本陣にいる王妃の反応がほとんど消失してるっす。考えたくないっすけど、あの王妃が『奴』に敗北したってことっす」
「……みたいであるな」
「思うんすけど、本陣に飛び込んだ『奴』を仕留めるのが戦況を打破する唯一の突破口っすよ」
「なぜそう思う?」
「中央の高濃度魔力集合体は『奴』が操作しているはずっす。力の繋がりが感じ取れるっすから。なら『奴』を仕留めれば、連鎖的に高濃度魔力集合体も消滅するっす」
アリシア国軍最強たる王妃であれば『奴』を仕留めてくれる。それまで保てば中央の脅威も取り除かれる。反撃の糸口が見えてくる……はずだった。
だから騎士たちは戦線の維持に努めてきた。
だけどそれでは駄目だった。
「というわけで──私が『奴』を仕留めてくるっす!!」
団長の極太メイスが敵兵の頭を砕く。
少女騎士の長剣が敵兵の首を斬り裂く。
こうして彼女たちが先頭に立って猛進しているからこそ、左翼は未だ崩れていない。が、それも時間の問題だろう。崩れた中央から(高濃度魔力集合体に巻き込まれるのを嫌がった)敵兵が流れつつある。一騎当千の武勇は数の暴力にねじ伏せられるのは目に見えていた。
ならば、『一騎当千』をどこに差し向けるのが正解だ?
「ノワーズ卿、その選択は復讐のためであるか? それとも騎士の誇りを貫くためであるか?」
「決まってるっす」
「ならば貫け」
ゴォッ! と金属メイスがすくい上げるように振るわれる。人肉を容易くすり潰す暴虐を前にして少女騎士は地面を蹴り、跳躍。団長の一撃に両足を乗せる。
そのまま振り抜かれた。
少女騎士が青空へと飛び立つ。
「さて、こちらはこちらの仕事をするとしよう。さあお前ら! 獲物は選び放題だぞ!! 好きなだけ狩ってやろうではないか!!」
迸る味方の歓声を背に団長は迫る敵軍へと立ち向かう。数も質も敵が一枚上であったためにここまで追い詰められていることが分かっていて、それでも民を侵略者の魔の手から守るために死力を尽くす──つまりは通常業務を果たすために。




