第四話 よし、相談しよう
エリスは小国アリシアの首都にある最安値の宿に泊まっていた。ミリファを主城に放り込む前に予約しておいたのだ。
ミリファも一緒だったのでエリスの泊まっている部屋まで知っている……、とここまで用意しておかないとロクなことにならないとエリスは知っていた。
(あのぐーたら娘のことよ、三日もすれば逃げ出すはず。王命で第七王女の側仕えメイドに任命されたんだし、今回ばかりはいつものことで済ませられないから、きちんと逃避場所を用意しておかないと)
結果として強制的に主城に放り込まれることは分かっていても、あのぐーたら娘なら初めて訪れた首都の中を『家族と一緒に逃げる』と『一人で逃げる』を天秤にかければ、頼る人物が多いほうに流れるものだ。働きたくないし、苦労したくないし、面倒ごとは投げ出すのがミリファなのだから。
逆に下手に雁字搦めに追い詰めてしまえば何をやらかすものか分かったものではない。二年前などぐーたら娘に採取クエストを受けさせようと追い詰めすぎたがゆえに、対立冒険者ギルドに片っ端から依頼を横流ししたことがある。しかも(未だにどうやったのか謎だが)横流しされた依頼の数々が全て対立冒険者ギルド内で受領、達成されたという話だ。元々の依頼も合わせて単純計算で二倍に増えた依頼を全て達成するなど不可能なはずなのにだ。
だから、こうして姉は妹の逃げ道となるべく首都に滞在していた。小国とはいえ流石は首都、宿代一つとっても地元の田舎基準の何倍もの料金であったが、その分はこちらの冒険者ギルドで依頼を受けて稼ぐしかないだろう。
そんなことを考えながら(現地調達でいいやと考え、荷物を一切持たない身軽な)エリスはベッドに横になる。
肌にぴったりな黒のバトルスーツは討伐依頼をこなす分には適切だが、女の子の格好としては不適切なのか、首都ではこんな格好の女性は見なかった。
やはり体のラインがくっきりなのがいけないのだろうか。とはいえ、食料さえ現地調達が基本という野生理論を貫くことで10日に及ぶ旅路を完全な手ぶらで成し遂げるくらいには余計な荷物を持つことを嫌うエリスは討伐用と普段着用で複数衣服を用意するつもりはなかった。となると、やはり現地調達となるのだろうか。
「……メイド服のミリファ、可愛かったよね」
地元の冒険者ギルドでは男顔負けの活躍を見せ、ついには『炎上暴風のエリス』という二つ名がつくほどには尊敬と畏怖を集める彼女は同業者には決して見せないが、意外と可愛いものが好きだったりする。
今でこそ数百のゴブリンを巣ごと炭化するまで焼き尽くしたり、空を埋め尽くすグリフォンの群れを輪切りにしたりと上位冒険者顔負けの偉業を乱立させているが、その本質はピンクでふりふりに目を輝かせる乙女なのだ。
とはいえ、こんな側面は決して見せられないだろう。『炎上暴風のエリス』、地元ではそれこそ英雄のように憧れを一身に集める彼女が妹に憧れているなどとは、決して。
と。
そこで思わずエリスは呻き声を上げていた。
「うっそでしょ……」
ドタドタという足音。それだけで十分だ。風を使い肉体から滲み出る匂いや魔力の残滓を集めるまでもない。このテンポがズレた、運動なんて苦手で大っ嫌いだと全身で訴える音の正体は──
ドバン! と扉が開かれ、飛び込んでくる影が一つ。
つまりはミリファであった。
「おねえちゃーんっ!!」
「逃げるの早すぎよ、馬鹿っ!!」
飛び込んでくる妹を風魔法で包むことで衝撃を殺し、優しく受け止め、そしてぐにぐにと両手で頬を引っ張るエリス。
「ふにゃーっ!! お、おねえちゃっ、ひが、ほれにふぁりふうがあ……っ!!」
「うるさいこの馬鹿馬鹿っ。王命よ、いつものように逃げ出してもお説教で済むわけじゃないのよっ。それを、こんな、初日で投げ出すってどういうこと!?」
「ひが、むにゅまにゅはほーっ!!」
ぐにぐにぐにぐにっ!! と一通り頰を引っ張り回し、ちょっとこれ楽しいと妹の頰の魅力に沈みかけた姉は首をブンブンと横に振り、何とか誘惑を振り払う。
今は妹の頰を弄くり回って楽しむ時ではない。確かに暇な時はミリファの頬を指でプニプニしてその柔らかさに己の頰をでれんでれんに溶かしているが、それとこれとは別の話だ。
ぽいんっとミリファの頰から(名残惜しそうに)両手を離し、ベッドの上に座った姉は妹の両脇に手を通し、己の正面に座らせる。
「で、釈明は?」
「金輪際、居住場所に近づくなって言われちゃったんだよお!! どうしよお姉ちゃんっ!?」
「こんのクソ馬鹿ダメ人間めえ!! 早い、展開が早いのよっ。何をどうすればそうなるのよ!!」
「え、えっと、セルフィー様にお友達になってって言ったら、怒られちゃった」
「あ、当たり前でしょっ。メイドと主人がお友達になんてなれるわけないでしょーっ!!」
駄目だアホだぐーたらだと思っていたが、ここまでやらかしてくれるとは流石のエリスも予想外であった。
「でも、でもでもっ。お姉ちゃんっ」
「うるさい喚くなさえずるんじゃないっ!! いい、今回ばかりは本当にシャレにならないのよっ。せめてきちんとクビにならないといけないのよ。分かる? 王族たちをできるだけ怒らせず、自然な形で力不足をアピールして、気づいたらクビになっていたって展開にしないと、文字通り首を切られることだってあり得るのよ!?」
「でも!!」
そこで姉は眉をひそめた。
あのぐーたら娘が働きたくないと駄々をこねる以外にこうまで噛みつくことも珍しい。
何かミリファを突き動かす『理由』があるとでもいうのだろうか?
「私はセルフィー様に笑ってほしいんだよ、お姉ちゃん!!」
「……ミリファ?」
「だって、その、あのね、なんだか悲しそうで辛そうなんだよ。第七王女の立場なら働かずに好きなだけぐーたらできるのに、無能だなんだそんなくだらない看板のせいで私みたいな庶民にさま付けで接するくらいに卑屈になってるんだよっ。そんなの見ちゃったら、どうにかしたいじゃん。王女様お付きのメイドなんて絶対無理だけど、一人の女の子の友達として笑顔にしてあげることはできるかもしれないじゃん! だから、だから!!」
「まったく、本当このクソ馬鹿ったら」
相手は無能と誹りを受けているとはいえ、第七王女。なんの後ろ盾もない庶民が友達になるだの笑顔にするだの言っていい相手ではない。決して深く関わってはいけない雲の上の存在なのだから。
だけど、ミリファは手を伸ばすと言っている。
雲の上にだって手を伸ばし、心ない悪評に傷つけられた王女様の心を救いたいとそう言っているのだ。
「で?」
「へ? お姉ちゃん???」
「これからどうするのよ。まさかと思うけど、金輪際居住場所に近づくなと言われた程度で諦めるとは言わないでしょうね」
「お姉ちゃんっ」
「こうなったらヤケよ。他の王族の方々に気づかれる前に王女様を堕として、好感度爆上げして、先の不敬を打ち消してやってやろうじゃない!!」
ーーー☆ーーー
大方の話を聞いたエリスは頭を抱えていた。
「なんでもうちょっと慎重に動けないのよ。護衛一人以外の使用人を近づけないなんて何か理由があるのは分かるでしょ。無能とかいうしょーもない悪評が原因なのか、他に何かあるのかはともかく、その『原因』をどうにかしない限り他の使用人のように遠ざけられるのは予想つくでしょうに」
「うっ、でも、我慢できなかったんだもん」
「はぁ」
こうなってくるとのんびりやってもいられない。
今にも第七王女が王様あたりに事の次第を報告していたら、その時点でミリファの命運は尽きる。最低でもメイドとしての職をクビになる、最悪処刑だって視野に入れておくべきだ。この国の上層部は腐敗しまくっているわけではないが、清廉潔白と胸を張れるわけではない。つまりはそこら辺の国々と同程度なので、不敬罪の中身がどうなるかは予想ができないのだ。
いくらなんでも処刑はないだろうとは思うが、前例がない以上楽観視はできない。なので、今回はスピード勝負。ミリファがやらかしたという情報が他の王族などに流れる前に決着をつける必要がある。
「すでに報告が済んでいる可能性もあるけど、話を聞いたところだと何の報告もされていない可能性もあるかもしれないわね」
いつの間にこうなったのか、ベッドに座るエリスの足の間に挟まり、姉妹共通のぺたーんな胸部に体重を預けるミリファ(討伐関連には邪魔にしかならないのよ!! と顔を真っ赤にして叫ぶ『炎上暴風のエリス』の目撃情報あり)。
そんなミリファが顔を後ろに倒し、エリスを見上げていた。
「どうして?」
「勘よ」
「ふうん。なら大丈夫……だね」
大体の場合、勘などと言えば馬鹿にするか話半分に流すものだろうが、ミリファは違う。それがエリスの言葉ならば、無条件で信頼する。できる。
なぜなら、姉の言葉だから。
ミリファと五才しか違わないのに、過酷な冒険者という職を続けているばかりか大の男が数十人がかりでも倒せるか分からない魔物をたった一人で討伐するようになる前からの憧れだからだ。
そんな憧れの言葉ならば、信頼できる。
「それなら……急ぐ必要なんて、ないんじゃ……ふわあ」
「馬鹿。情報ってのはどこから漏れるか分からないものよ。大体、第七の塔に側仕えのメイドが入ることを禁じられているってのがバレたら、その時点で根掘り葉掘り聞き出してくるかもだしね。まあ護衛の一人以外の使用人は近づけないって話だから、いつものことって流されるかもだけど」
どうにも『ここ』がエリスには引っかかるのだが、うまく説明できないので口にはしなかった。今は現状を短期間で少しでも改善する手を考える場面だ。
「とはいっても、そもそも第七王女様がどうして拒絶したのかが分からないのよね。メイド風情が生意気なのよって感じだったら分かりやすいけど、話を聞くにそういうタイプとは思えないし」
「くー……」
「情報を集めるとして、どこを攻めるべき? 他の王女様たちや王様に王妃様、この辺りは色々知ってそうだけど……なぜか一緒にお風呂に入ったことで接点ができている王妃様辺りを攻めるのが無難? でも相手は王族、下手をすると面倒な展開になりかねないし、慎重に使用人や騎士を当たるべき?」
「すぴー……むにゃむにゃ」
「…………、」
何やらやる気を見せていたから忘れていた。
放っておけば一日だろうが三日だろうが平気で眠っていたり、働きたくないからと一週間徹夜で地面に穴を掘って逃げ出したりと、魂の底にまでぐーたらが染みついているのがミリファなのだ。
姉に相談した。
だったら、後は任せればいいや、とでも考えたのだろう。エリスの腕の中でよだれを垂らして口を半開きにして全体重をミリファ同様ぺったーんな姉の胸部にかけて、眠りこけているのだ。
「こんのクソ馬鹿ダメ人間めえ!!!!」
「ふっにゃーっ!!」
とりあえずお仕置きとしてほっぺを思う存分ぷにぷに引っ張ってやった。決して柔らかほっぺを味わいたかったわけでも、涙を浮かべる妹の表情を堪能したいわけでもなかった。ないったらないのだ。
ーーー☆ーーー
「何にしろ時間がないのよ。下手に時間をかけて、不敬が明るみに出るのは避けないといけない」
「は、はう、あうあ……」
何やらエリスは満足げだった。
やけに全身がツヤツヤしている気がするが、それに反比例するようにミリファはぐったりしていた。犠牲はほっべただけだったが、代わりにそれはもうプニプニ祭りであったがゆえに。
「というわけで速攻よ。第七の塔に侵入して、思いの丈を第七王女様に吐き出してきなさいっ!!」
脳筋で猪突猛進にもほどがあった。だが、彼女の『本質』を考えれば、最終的にこうなるのは必然であったのかもしれない。
そして、前述の通りミリファはエリスの言葉ならば無条件で信頼する。
「第七王女様には護衛が一人しかいないわ。塔への侵入なら何とかなるかもだし、一度失敗したって問題ないわ。何度でも挑戦すればいいのよ。何せ相手は一人、睡眠時間やら何やら隙は必ず生まれるものよ。つまり時間をずらして挑戦していけば、いずれ護衛がいない時に突入できる可能性だってゼロじゃないってことよ!!」
「よしきたっ」
エリスの戦闘スタイルは真っ直ぐ真正面から一直線に敵にぶつかるというものだ。それこそがエリスの『本質』。小細工なんて選択肢に含まれてすらおらず、策略なんてさっぱりで、それでも勝ち進むことができるほどに強かったというだけの話。
そんなエリスが頭を使ったって『こう』なることを指摘できる人間はこの場にはいなかった。
ゆえに、進んでいく。
誰も止める者がいないがゆえに、王女の住居に不法侵入してやろうという流れへと。




