第三十四話 よし、戦争しよう その一
バルベッサ砦から南に十キロ地点に広がるクラン草原。午前と午後の境、日光に照らされるは障害物が何もない見渡す限りの草原であった。
そんなのどかな空間を犯すようにヘグリア国軍は陣を展開していた。漆黒の鎧に身を包みし騎馬兵一万に歩兵二万、計三万の軍勢──まさに漆黒の津波と見間違うほどの『量』がのどかな草原を染め上げる。
対して向かい合うように展開されたアリシア国軍五千五百の軍勢は鳳凰騎士団所属が多いからか、青のレザーアーマーが日光に照らされている。
彼らはそもそもヘグリア国軍を見てすらいなかった。
ヘグリア国軍を守るように立ち塞がるは蜘蛛を連想させる異形。二キロに渡って視界を覆う巨大兵器の『足』が動くだけで草原に震動が走るほどだった。
ギラリと元は砦だった『胴体』の頂点で不気味に光るは無数の魔石を寄せ集めた十メートルクラスの球体。高濃度の魔力を凝縮した動力炉である。
約六倍の兵力差さえも霞む異常。兵士と兵士がぶつかり合う戦争という図式を無視した単純な暴力の極致であった。砦を囲む壁だった『足』はそれそのものが圧倒的な質量である。単に歩くだけでもアリシア国軍を地均し、蹴散らしてしまうだろう。
『量』一点を突き詰めた先にある原始的な暴力。『量』を詰め込んだ一撃でもって敵を薙ぎ払えば、そもそも兵士同士をぶつける必要すらないと言わんばかりであった。
アリシア国軍左翼先陣、その先頭で騎乗し巨大な異形を見据える鳳凰騎士団団長は巨大なメイスを片手に舌打ちをこぼす。
「ふむ。やられたのであるぞ。例の使者がヘグリア国についておるのだ、首都に魔石を軸とした兵器を解き放った時のように完全無人兵器を差し向けてくることは予想できていたが、よもやここまでとはな」
「関係ないっす」
返すは同じく騎乗している少女騎士。
ノワーズ=サイドワームは潰れた右目を黒の眼帯で覆っていた。他にも鳳凰騎士団の証たる青のレザーアーマーの下には決して軽くない損傷があるのだが、そんなもの表には出さず、いつものごとく嘲笑を浮かべていた。
その心中がどうであるかは別にしても。
「『奴』はあの先にいるっす。邪魔するものは片っ端からぶった斬るだけっす」
「ノワーズ卿のように思える者だけなら良かったのだがな」
アリシア国軍の騎士たちの表情は険しい。それはそうだろう。ただでさえ兵数は六倍近くあり、加えて軍勢を地均しするように蹴散らせる『量』まで追加とくれば、戦う前から心が折れたって不思議はない。
アリシア国軍右翼先陣では第四王女エカテリーナが豪快に縦ロールを振り回していた。というか、高笑いしていた。
「おほほ、おーほほほほほっ!! 見なさい、あの大袈裟な兵器をっ。敵は妾たちを恐れているのです。だからこそ、インパクト重視の実用性皆無な巨大兵器を持ち出してきたのです!! 妾たちの戦意を削ぐつもりでしょうが、愚かですわね!! 妾たちはアリシア国を守護する最後の砦にして、最強の矛! そのような見掛け倒しのガラクタに負ける道理はないと知りなさい!!」
「お嬢、いくらなんでも無理ないか? あれほどの質量、ただ歩くだけでも軍勢を蹴散らせる暴力と化すって。というかあれってまさかバルベッサ砦じゃあ?」
返すはファルナの『先輩』にして次期メイド長とも名高い第四王女が側仕え、イリーナ=パルツーナ。第四王女エカテリーナ直属の魔導近衛騎士団団長の顔も持つパルツーナ伯爵家の三女の言葉は周囲に侍る黒のロープ姿の魔導近衛騎士たちの思考を代弁していた。
メイド服姿の側仕えの問いに対して、しかしエカテリーナは失笑をもって返した。
「本気で言ってるので? あれだけの質量を支えるには相応の軸が必要。なら、それを奪えばいい。足を破壊するでもいいし、足場そのものに干渉してもいい。どちらにしても遠距離から攻撃を仕掛けられる妾たちの出番と知りなさい!!」
アリシア国軍本陣では馬車を背後に侍らせた王妃が白馬の上で優雅に微笑んでいた。
「あらあら。『視た』通りとはいえ、大袈裟なまでに無駄な兵器ね。砂や石等地面に干渉する土系統魔法を用いて石造りのバルベッサ砦を変質させ、圧縮空気を纏わせることで補強しているのですね」
「お母様、何を考えているのです?」
隣では同じく騎乗した第七王女が眉をひそめていた。あんなものが出てくると『視えて』いて、何の対策もしていないなど無謀にもほどがある。
ただでさえ六倍近い兵力差があるのだ。このような障害物も何もない草原でそれだけの兵力差をぶつければ、いかに一騎当千の将を有していたとしても敗北は免れないというのに。
「何を? 今も昔もこの国の誇りを守ることしか考えていませんわ」
「そんなもののためにどれだけの犠牲を強いるつもりですか!?」
「必要な分だけ。そんなに不思議なことですか? 我が身は王妃、国のためにその身を捧げる王族が一角。ならば必要な分だけ消費しましょう。それが最終的な幸運に繋がるというならば」
「……理解できません。お母様がどこを見据えているのか、あんな結末の何に希望を抱いているのか、全然分かりません!!」
「あらあら」
王妃は優雅に穏やかに微笑むのみだ。
無能の声になんて耳を傾けてくれない。
だから、全ては『運命』に沿って進んでいく。
定められし破滅がやってくる。
ーーー☆ーーー
ヘグリア国軍本陣では恐怖と安堵とが混ざった不思議な空気が流れていた。確かにあの魔女は恐ろしい。死肉が撒き散らすものはサイケデリックなものばかりだ。
それでも味方でいる間はああも頼りになる存在もいないことだろう。放っておけば勝手に敵を殺してくれるのだから。
「さて、どう動く?」
アリシア国は沈黙を貫いていた。
単に仕掛ける勇気がないからだろうか? 戦意が消失したからだろうか?
それとも、
ーーー☆ーーー
ゾッバァンッッッ!!!! と。
バルベッサの『足』、その一本が切断された。
ーーー☆ーーー
アリシア国中央では『安堵』が蔓延していた。
左翼や右翼で流れる恐れなど感じさせない理由は単純明快であった。
そもそも最大規模の騎士団たる鳳凰のトップがなぜ左翼に配置されたのか。軍勢のほとんどが鳳凰騎士団所属であれば、そのトップが中央先陣もしくは本陣にて指揮をとるほうがよっぽど士気が高くなるものだというのに。
理由の一つは最強たる王妃が本陣にいることで、どのような状況であろうとも最終的には何とかなるという精神的支柱となるから。
もう一つは、
「アハッ☆ 土と風の混合魔法で補強しているからどんなものかなーって思ったけど、大したことないじゃん」
中央、その先陣。
最も過酷な激戦区に、だからこそ君臨する一人の女。騎馬兵たちの頭上に浮遊するは動きやすいようにドレスを引き千切った王女。
つまりは第五王女ウルティア。
武力を冠とする彼女が最も前に出て、最も多く殺すその姿が騎士たちの導きとなる。
『武力』は折れず。
ならば、騎士が屈する理由はどこにもない。
「さってと」
ゴギン!! と『足』の一つが内側から破裂する。
「これだけド派手なの出してきたんだし」
バギッベキ!! と『足』の一つがへし折れ、一つが縦に割れる。
「あの時首都で暴れていた時みたいなじゃれ合いじゃなくて、本気で遊んでくれるってことでいいんだよねー?」
ドゴ! ゴリッ! ドゴン!! バッゴォン!!!! と『足』の一つが砕け、一つがすり潰れ、一つが弾け、一つが爆散した。
ゆえに。
バルベッサ砦だった『胴体』が落ちる。砦という巨大建造物だった質量が落ちたことで地響きと土煙が吹き荒れた。
『足』を失い、無数の魔石をかき集めた球体を頂きとする『胴体』はピクピクと蠢くだけだ。
瞬間──第五王女が射出された。宙を舞う華奢な身体が真っ直ぐにバルベッサに向かってだ。
ブォッ!! と空気をかき集め、圧縮する。右手と左手それぞれに圧縮空気を保持、『胴体』に接近し、激突。
バッゴォンッッッ!!!! と。
叩き込まれた凝縮体は『胴体』を砕き進み、中心にて解放。土と風の混合魔法で徹底的に補強された『胴体』を粉砕したのだ。
ブォ! と気流の流れが変質する。砕け、飛び散る礫の雨あられが空中で軌道を変え、精密に誘導されたかのようにヘグリア国軍を襲ったのだ。
矢による攻勢なんて比ではない。
地面を穿つほどの速度を叩き出す礫の雨は鎧を着込んだ人間だろうと簡単に抉り砕いてしまう。
ぱっ、ぱぱぱっ!! と漆黒の波にも似たヘグリア国の軍勢に赤が散る。まさに何割というレベルでの被害が一瞬で出たことによる『全体像』の変化である。
「アハッ☆ あはははははは!! ヘグリアさーん、あーそーぼーっ!!」
ーーー☆ーーー
騎馬兵が展開された中央先陣では鳳凰騎士団副団長アリーシェに本陣からの風魔法を用いた伝令が届いていた。
進軍開始、と。
「さあ、今こそ侵略者を殲滅する時!!」
脳筋と有名な団長を支える妙齢の女性は空気を読むことに長けていた。腰の長剣を抜き、鳳凰騎士団専用の青のレザーアーマーが日光を反射するよう調整して、注目を集める。
「我らが武力の象徴、ウルティア様に続けえ!!」
『おおおおおおおおおおおーっ!!』
響くは雄叫び。轟くは馬蹄の嵐。
剣を槍を掲げ、副団長を先頭に騎馬兵たちが突き進む。通常ならば矢による攻勢が降り注いでいただろう。が、先の礫の雨で矢兵の多くが砕け散っただろうし、そもそも敵は武器を構えることすら忘れたパニック状態であった。
無理もない。
もしもこれが矢や剣がもたらした被害であれば、そこまで恐慌も広がらなかっただろう。通常の、覚悟ができていた被害であれば、戦争という環境に足を踏み入れた兵は受け止められる。
だが、それ以外であれば?
想定すらしていなかった尋常ならざる一撃。いっそ理不尽とすら思える破壊の雨。圧倒的な『量』による一方的な蹂躙が始まると楽観していたところで、自信の源たる『量』が粉砕され、『量』そのものが牙を突き立ててきたのだ。『通常の覚悟』なんて簡単に潰れてしまう。
だから、漆黒と青の軍勢は真正面から激突した。
「鳳凰騎士団副団長アリーシェ、参る!!」
「う、うわあああ!!」
がちゃがちゃと腰の剣を掴み損ねている敵騎馬兵の首を刈る。返す刃で馬の手綱を握って離さない、いいや離れないのか。ともかく無防備な敵兵を斬り裂く。
闘争ですらなかった。
まさに蹂躙。
恐慌によってその力のほとんどを発揮できない敵兵を次から次へと斬り捨てていく。
(ここが戦の分岐点。敵が慌てふためいている間に攻めろ!!)
依然として兵数はヘグリア優勢だ。敵がそのことに気づき、冷静さを取り戻せば、巻き返しは十分可能だろう。
だからこそ、攻めるべきなのだ。
恐慌を伝染、増幅させることで敵の心を折り、撤退させる。それこそがこの戦で勝ちをもぎ取る最善手だろう。
「うろたえるな! 一騎当千の猛者だろうとも圧倒的な数の差を覆すことはできない!! 戦の『前』から我らヘグリアの勝利は確定しているのだ!! 総員、攻撃開始い!!」
恐らくは敵の指揮官クラスだろう、ねじくれた杖を振るい大喝する男であった。彼の周囲には同じく杖を持つ兵が数十控えており──
(まずい!!)
「防御陣形! 敵の魔法攻撃がくるぞ!!」
展開されるは数十の魔法陣。
紡がれるは第四の扉。
『「風の章」第四章第十節──風槍刺滅!!』
重なりし文言が紡ぐは風の槍であった。
渦巻く風が土煙を巻き込み、不可視なはずの槍を視認化させる。一つ一つは人の腕ほどの太さであったが、それが数十重なり合うことで巨大な大蛇を思わせる一撃と化す。
ブォワッ!! と民家を呑み込むほどの暴風の穂先が副団長らに向けられ──
「もーウルティアを無視するなよなー」
トン、と。
槍の上からの声だった。そう、暴風渦巻く槍の上に乗っかり、王女は無邪気に笑う。
「ほいっと」
無造作に槍に手を伸ばし、掴み、そのままぶん投げた。
「は?」
呆然とする間に終わっていた。
己が放った魔法を投げ返された敵兵たちどころか、周囲の兵も巻き込み、暴風の大蛇が食い散らかす。
グキゴギバギィ!! と腕が足が頭がねじれ、弾け、人の形が壊れていったのだ。
あまりといえばあまりな光景に、しばし沈黙が訪れたほどだ。敵も味方も呆気にとられていた。何が起きたのか、理解できないほどに。
「んー?」
『大気技術』で槍を包み、投げる。手段だけいえば簡潔かもしれないが、実現させるに足る力は並大抵のものではないだろう。
武力の第五王女ウルティア=アリシア=ヴァーミリオン。無垢なる殺戮者が降り立つ。
「ヘグリアさんってば出し惜しみかー? だったら本気出すまで徹底的にやってやるからなー!!」
手を上から下に振り下ろす。
その軌跡に沿って放たれた不可視のエネルギーは軍勢を引き裂き、人肉の破片を空高く吹き飛ばすほどの暴虐を出力する。
ーーー☆ーーー
監禁初日付近。
日光一つ入らず、天井に小さな火の玉があり、それでも窒息しない『環境』は魔法によるものか。お陰で時間を把握する指標がないが、それでもそう何日も経過はしていないだろうどこかの一幕。
『むう……どうすれば脱出できるのかなー?』
むにゅもにゅと干し肉を頬張りながら、壁に寄りかかるように座り込み、天井の火の玉を見つめるミリファ。
と。
隣でファルナがもじもじしていた。
座り込んだ友達が足をこすり合わせるように動かしており、ぎゅっと膝を握りしめていた。
『どうしたの、ファルナちゃん?』
『あ、あの、ミリファさん。その、えっと、……うう、だめ。こんなの……っ!』
『もーファルナちゃん何を遠慮してるんだよ。私たち友達じゃん。気にせずどんどん言っちゃおうよ、ね?』
『う、ううう……あの、ね』
『うん、なに?』
そして。
そして。
そして。
『おトイレ……いきたい』
『あーなるほど、なるほど。……はぁ!? それって、ああそうだ、そうだよ、ここでどうやって処理すればいいんだよお!!』
さあ、命題は突きつけられた。
触れ合うほどの密室空間、どうやって『処理』する?




