第三十一話 よし、お泊まりしよう
勢いだった。
いつもの天真爛漫が嘘のように沈んでいるミリファをどうにかして慰めてあげたかった。
一人にしておけなかった。
そばにいてあげたかった。
だから、
『今日、その、両親留守、で……良かったら、家に来る?』
『……いいの?』
『うん。その、ミリファさんさえ良ければ、だけど』
『……いく』
(わ、わわわっ! ミリファさんが、その、私の家にいるよぉ!!)
心臓がバクバクのドキドキであった。
勢い任せでとんでもないことをしてしまった。あのミリファが『いつもの景色』の中に存在する、たったそれだけのことがひどくファルナの胸を高鳴らせる。
質素な家であった。居間と寝室くらいしかない一般的な木造一軒家である。
居間の一角にミリファが座っていた。その正面に向かい合うようにファルナも座っており、落ち着かないのか膝の上で指をぴくぴくと震えさせていた。
「えっと、えっとえっと! これからどう──ふあ!?」
突然の衝撃、それがミリファに押し倒されたのだと気づいた瞬間、ばふん! とファルナの顔どころか首まで瞬間的に真っ赤に染まった。
あまりの熱に思考が茹だる。
ふあ、あう、と意味のない声が漏れる。
「ファルナちゃん」
「み、みり、ミリファさん!?」
そのまま倒れ込んだ。ファルナの胸に顔を埋め、胴体に腕を回し、足を絡ませる。
「怖い……」
「ミリファ、さん?」
「怖いんだ。はは、情けないなぁ。セルフィー様はあんなのを前にしても私を気遣う余裕があったのに……私、逃げちゃった。側仕えなのに、友達になりたいって言ってたのに、こんなに怖い気持ちをセルフィー様たちにだけ押しつけて、私だけが逃げたんだ!」
その小柄な身体は恐怖に震えていた。
吐き出して、吐き出して、吐き出して──己を責める『まで』が限界だった。この恐怖と真正面から立ち向かっているセルフィーたちの元に駆けつけるなんて出来るわけがなかった。
側で仕えるなんて、全くできていなかった。
「私、安心してる。みっともなく逃げ出して、良かったって思ってる! 最低だよ。許せるわけない。こんな私がセルフィー様の友達になりたいなんて、もう言えないよ」
「ミリファさん……」
それは、つまり、そういうことなのだろう。
だから。
だからこそ。
「私は、その、ミリファさんの味方だよ。例えミリファさんが自分を許せないとしても、あの、私は許してあげる。でも、その、ミリファさんの答えは本当にそれなのかな? 許せない『まで』で終わりなのかな?」
「ファルナ、ちゃん? 何を言ってるの? わかんない、わかんないよ……」
「うん、うん。いいよ、それでもいいんだよ。ミリファさんが『答え』に気づけるまでそばにいてあげるから」
正解なんて知らない。
善も悪も関係ない。
他人が決める定説や常識や当たり前なんてどうでもいい。
それがミリファの本当に納得がいく選択であれば、ファルナは全力で支えることだろう。
「今日はもう休もう? 辛いことは忘れよう? 大丈夫、ミリファさんなら『答え』を見つけられるから。きちんと前に進めるから、ね?」
「……うん」
だから、今は抱きしめてあげるのだ。ミリファが本当に納得がいく答えを見つけるまで、いくらでも。
ーーー☆ーーー
炎で焼き尽くし、風で削り飛ばす。
その程度で魔女が殺せるとも思っていないが、今の魔女は死肉を軸としている。その器は脆弱であるし、『弱点』もまた明らかであった。
(ここで殺す。もう二度と復活できないくらい徹底的に殺してやる!!)
『炎上暴風のエリス』は一度魔女を殺した。ならば繰り返せばいい。もう一度、今度は完膚なきまでに殺してやればいいのだ。
だから、
ーーー☆ーーー
その時、白露騎士団団長は腰の剣を抜きながらも、わざとらしく首を横に振る。
「参ったな。ああ参った。隙が見つからないぞ。これでは使者どのを助けられないではないか!」
そんなわけがなかった。
それでも『通した』。
アリシア国の騎士であれば、手は出せない。騎士が使者に危害を加えたとなればそれはアリシア国の所業として扱われる。この国は使者を手を出す国だというレッテルを貼られ、敵に大義名分を与える。どちらにしても戦争になるとしても、すでに少女騎士がやらかしているとしても、わざわざ敵に有利な状況を作る必要はない。
だが、今回は違う。
『炎上暴風のエリス』はアリシア国で活動している冒険者ではあるが、アリシア国に仕えているわけではない。アリシア国とは無関係の人間が勝手にやったことだと押し通すことも可能だ。
……そんなに簡単な話ではないのだが、それでも白露騎士団団長は『通す』と決めた。なぜか? 決まっている、彼女だってはらわたが煮えくり返っていたからだ。
(情けない話だ。民が戦っているというのに、手出ししないくらいしかできることがないとは!!)
だから、
ーーー☆ーーー
「にひ☆ 散々『今日』はそーゆーノリじゃないって言ってるんだけどなー。時と場合を選ぼうよ、ねー?」
だから。
ぶしゅっっっ!!!! とエリスの背中から鮮血が噴き出した。
「な、に……!?」
あのエリスが反応できなかった。斬られる直前に地面に飛び込んで回避しようとしたが、逆に言えば直前にならないと感知できないほどの一撃であったと言える。
ゴロゴロと地面を転がり、その背中から鮮血を撒き散らすエリスは風を操作し跳ね起きようとした。
遅かった。再度の一撃。今度は右の二の腕から鮮やかな赤が噴き出た。
「ぐ、ぁ……!?」
「宣戦布告は終わったはずです。これ以上この国に滞在する理由はないと思われますが。いつまで遊んでいるのですか?」
無機質な音だった。声だと認識するには感情の一切が削ぎ落とされた音の羅列であった。
ダークスーツの女は細身の剣をだらりと下げ、エリスを見据えていた。距離にして十メートル前後。遠距離とまでは言わないが、間合いに入ってはいないはずなのに──その刃は真っ赤な液体を存分に滴らせていた。
(遠距離攻撃? 『技術』、魔法、スキル、どんな異能であれ発動したなら感知できるはず。でも反応はなかった。超常は関与していないはず! なら、まさか!!)
その足元にはこすったような跡が伸びていた。エリスへと繋がるように、真っ直ぐに。
「単純な脚力? 目にも留まらぬ速さで攻撃を仕掛けたとでも言うわけ!?」
「そんなに不思議ですか? 黄泉の収束点たる我が主はそれほどの性能をこの身体に宿すことができる。それだけのことですよ」
三度目の一撃。細身の剣を片手に単純な脚力のみで加速、一息にてトップスピードを叩き出した女は十メートル前後の『間合い』にて銀の一閃を振るう。
「舐、めるなぁ!!」
分かっていれば、対処もできる。
例え女の速度に対応できずとも攻撃を加えるために接近する必要はある。不可思議な法則の攻撃が放たれているわけではないとするなら──炎を風で舞い上げ、全方位に撒き散らせば迫る女を呑み込むことができる。
ゴッバァ!! と紅蓮の爆発が炸裂した。ただでさえ凶悪な紅蓮の輝きが風に巻き込まれ、増幅され、全方位を覆う灼熱の壁と化す。
思惑は成功した。
関係なかった。
女はそのまま突っ込む。細身の剣で地面を溶かすほどの灼熱の壁を斬り裂き通路を確保。炎が波のように押し寄せ、欠落を補う前に突破。一直線にエリスに襲いかかる。
「それを待っていたのよ!!」
女にとっての最適解は炎の壁を突破することであった。壁を飛び越えるだと持ち前の速度を生かせず空中で嬲り殺しにされるだけ。それなら斬り裂くなりして隙間をこじ開けたほうがいいに決まっている。
だが、そう、最適解を選択すれば紅蓮の壁を斬り裂く必要がある。つまり壁が破れた場所にこそ敵は存在する。
再度の紅蓮。
今度は槍のように凝縮させた本命であった。
灼熱の刺突は欠落に押し込むように叩き込まれた。
「っ」
火花が散る。炎の槍の穂先と突き出された細身の剣の切っ先とが激突する。
「『魔の極致』が末席とはいえ魔女を殺しただけはあるようですね」
「テメェ何者? これほどの人間が無名でいるだなんて早々ないわよ」
「『魔の極致』が六席、ファクティス。人ではありませんので、矮小なる人間どもの一個体が知らないのも無理はないかと」
「そう、なのねっと!!」
瞬間、炎の槍が内側から弾けた。風を内部に凝縮、穂先より噴き出るように解放。まさに横殴りの燃え盛る竜巻が炸裂する。
女一人丸々呑み込んだってまだ足りないほどの規模であった。余波でジリジリと団長のフルアーマーが赤熱するほどである。
それでも。
「ふっ!」
「ハァ!!」
ブォ!! と炎を斬り裂き縦に振り下ろされる銀の一閃。対してエリスは足裏を爆発、射出した爪先に暴風を纏い硬度を付加。斬撃と蹴りとが真っ向から激突する。
と、
「にひ☆」
「チィッ!!」
滑り込むように魔女の笑い声が響く。その時にはズシンッ!! と足元がズレていた。
土系統の魔法による地面への干渉。足場を動かす魔法がもたらすはわずかな体勢の崩れ。そこを見逃すほど女は甘くなかった。跳ね起きるように翻った細身の剣がエリスの胸から左肩までを抉り裂く。
「こ、んのぉ!!」
迸る暴風。エリスと女の間で炸裂した暴風にわざと飛ばされ、間合いを切る。ボッ! と足裏と掌に炎を展開。この程度女にとっては間合いの内に等しい。瞬きでもしようものなら、その瞬間に両断されることは分かりきっていた。
だから、身構えた。
待ち構えた。
「にひ☆」
それは上方からの声。女の襟首を掴み、魔法陣を展開せずに風を操作、空を舞う魔女の声であった。
「『今日』はそーゆーノリじゃないって言ったよねー? ってなわけで逃げちゃいます!」
「テメェ逃がすとでも!!」
「いいっのかなー? 私たち二人を相手に勝てるのかなー? ってかさー周囲を巻き込まないとでも思ってるのかにゃー???」
「っ!?」
「これ以上続けるなら虐殺を始める、って言えばやっさしいーエリスちゃんは止まってくれるよねー」
「テメェッッッ!!!!」
「そんなに興奮しないでよ。心配せずともきちんと殺してやるからさー」
そこまでだった。
死肉の魔女とダークスーツの女は空高く飛び去っていった。
すでに小さな点にしか見えないほどに遠ざかった魔女どもを見据え、エリスは悔しそうに奥歯を噛み締めるしかできなかった。
ーーー☆ーーー
届かなかった。
まったくもって足りなかった。
ノワーズ=サイドワームは医療機関の中庭で仰向けに倒れ、清々しいほどの夕焼けを見上げていた。
(なん、て……ザマっすか)
魔女の悪趣味ではあった。こちらの精神をいたぶるためだけに並べられた悪意ではあった。
だが、確かにその指摘は正しい。誰かを守る盾であり、誰かを傷つける悪を斬り裂く剣たる騎士が敗北していては存在価値なんてどこにあるというのだ。
少女騎士自身が他の騎士に守られているのならば、彼女が戦わずともいいではないか。
(まだ、足りないっす……)
鳳凰騎士団団長直々の指導でそれなりには強くなれた。一般的な感性でいえばありえないほどの成長スピードではあったが、それでも魔女には届かなかった。
ならば、どうする?
何をすればいい?
(だったら……なりふり構わず『巻き込んで』やるしかないっすね)
国内最大手の騎士団たる鳳凰の頂点だけでは駄目だった。ならば、それ以外を引きずりこむだけだ。
ーーー☆ーーー
さて。
ノワーズ=サイドワームを見つめ、女の子は何を思ったのだろうか。
ーーー☆ーーー
凍えるほどに冷徹な『美』であった。
肩まで伸びた煌びやかな金髪に青のグラデーションが広がる王族を示す瞳。透き通るようなスカイブルーのドレスは氷の刃を連想させるほどであった。
美貌の第一王女クリスタル=アリシア=ヴァーミリオン。美を冠とするだけあって一目で人の心を鷲掴みにする魅力が溢れ出ていた。それこそ異能を駆使しているのではと思うほどに。
「誇りを守るために『運命』を受け入れる、ねぇ。くふ、くふふっ、くふはははは!!──くっだらねえなあ」
おっと、と口元をきめ細かい純白の手袋で覆った繊手で塞ぐ第一王女クリスタル。自室のふかふかソファに身体を埋める美の象徴は逆の手で膝に乗せた『イヌミミ少女』の頭を撫でる。わふう、と蕩けるように表情をぐでんぐでんに崩すは男爵家が次女。
イヌミミ少女を膝に乗せ、冷徹に瞳を細め、美を司る王女は告げる。まるで宣戦布告を突きつけるように。
「最後まで戦い抜くのは当然です。ええ当然ですとも。ですが──守るべきは誇りじゃなくて国だろーがよ……おっと、いけないいけない。お淑やかにいきませんとねぇ」
「わう。ご主人がお淑やかなんて無理だって」
「くふふ☆ 何か言ったかしらぁ?」
「わふう! うそうそ冗談だから首は、わ、わふううう!!」
「ここよねぇ、ここがいいのよねぇ!!」
「わふ、わふ、わふあああ!?」




