幕間その一 悪意のその先に
小国アリシアの北部に国境を接しているヘグリア国が国王ゾーバーグ=ヘグリア=バーンロットは苛立ちげに舌打ちをこぼす。
国の未来を決める作戦であった。そのために『隠匿された』中でも精鋭を小国アリシアに送り込んだというのに、何とか生きて帰ってきた兵の報告ではそのほとんどが殺されたばかりか、悔しいが国王と並ぶか超えるほどの力を持つ雇われ女さえも殺されたという。
小国アリシアにあの魔女を殺すことができる戦力があるとは思ってもみなかった。もしかしたら意図して戦力を隠していたのかもしれない。
「『四天将軍』を派遣すればこちらの関与が露見するから使えなかったが、奴らも奴らで精鋭であったのだぞ! くそっ、ケダモノごときの指示に従うだけでも業腹であるというに!!」
国王は決断を迫られていた。未だに『四天将軍』が控えているし、兵力でいえば倍以上の差がある。オマケに魔女と同じく雇われの『魔族』まで使えるとなれば……。
「大人しく引き渡しておれば、戦争まで発展させることもなかったんだがな。仕方ない、攻め滅ぼすとしよう」
ーーー☆ーーー
帝国の中心。
帝王のガワを被った何者かは『獣人の女』を侍らせ、まるで今日の夕食を決めるような気軽さでこう言った。
「あの宗教国家、そろそろ潰すか」
ーーー☆ーーー
複数国家のスラムに根を張り、組織力を高めてきた犯罪組織『ガンデゾルト』。そのボスは部下からの報告を受け、即断する。
「ヘグリア国が動くなら、儲けるチャンスだな。それにかの国はゾルジアスを殺す力を持つ魔女を保有していたという話だ、繋がりを持っておくのも一興だろう」
ゾルジアスとはミリファたちが宿泊施設で遭遇した男のことであった。呆気なく『矢』に取り込まれたものだが、普通ならば相応の実力はあったのだろう。少なくとも犯罪組織の幹部となるほどには。
「しかし、魔女は『炎上暴風のエリス』に殺されました。未だに兵力差はヘグリア優勢ですが、アリシアには王女や王妃といった規格外が存在します。ならばアリシア国に肩入れし、繋がりを求めるほうが良いのでは?」
「俺らが入り込むにはあの国は上の力が強すぎる。俺らとは感性が異なる王女や王妃の一声で何もかもがひっくり返るとなればやりにくい。ならば、国ぐるみで人身売買や違法薬物に手を出すくらいには似通った感性を持つヘグリア国のほうが『染め』やすい」
「……ヘグリア国が敗北すれば、何もかもご破算ですが?」
「だから手を貸すのだろう。それに連中にはまだ『四天将軍』や国王、それに魔族が残っている。よほどの怪物が出てこない限りは戦況はひっくり返らないだろうよ」
「では」
「ああ、幹部を招集せよ。戦争の時間だ」
ーーー☆ーーー
異様な女であった。青白い肌はどう見ても人間のものではない。そんな肌が白いマントを羽織るだけの格好ゆえにチラチラと蠱惑的に覗いていた。
魔女と同じくヘグリア国に雇われた『魔族』。
あるいは死者の軍勢を支配する女であった。
遥か昔、大陸統一を目前とした帝国とぶつかった『魔王』軍の生き残りとされているが、魔族自体絶対数は数えるほどであるし、その魔族の全てが口を噤んでいるし、文献等は不自然なまでに残っていないため正確な過去は不明なのだが。
それほどの過去から現存する数少ない魔族女はずりずりと何かを引きずっていた。それは死体、正確にはある女の子の母親であった。
死体には困らなかった。あの魔女が量産した死体が多く埋葬されたがゆえに──死体の群れが彼女の後ろを歩いていた。
そんな死体の一つを無造作に投げ捨てる女魔族。場所は首都近郊の小高い丘。かの魔女が殺された場所であった。
「ふ」
ギラギラとした銀の長髪を一本にまとめた女は堪えられないと言いたげに身体を曲げる。ふふ、ふふふ、と腹の底から笑いが漏れる。
「はははははあっ! 死んだ、死んだ、あの魔女殺されやがったっ。ああこんなに上手くいくとは思わないって。『炎上暴風のエリス』に喧嘩売られて負けたっつっただけで興味示しやがってさ。後は奴の魔法についての情報が魔女に渡らないように細工しておけば……ぎゃはははっ! 知ってたら勝敗は逆だっただろうに、くくっ、哀れにもほどがあるわねえ! くははっ! 人間から派生した程度の魔女が『魔の極致』だあ? 冗談も休み休み言えっつーの!!」
そこで終わらない。
魔族女はその手に持っていた魔石を女の子の母親の死体に押しつける。胸にぐりぐりと押しつけ、穴をあけ、心臓の代わりに埋め込む。
「魔石は魔力を吸着する、なら魔力で構築された魂だって例外じゃない。まー普通は肉体が死んだって化けて出てこないがな。亜空間内で消滅するのか漂うのか、その辺は知らないが……お前なら亜空間内から『出る』こともできるだろ? その魂を魔力を吸着する要領で回収すれば」
「ごぶ、ばふべふっ!!」
それは死んだはずの母親の口から出たものだった。ただし娘に慈愛を向けていたあの母親には決してなかった死の匂いを漂わせていたが。
「やあ、魔女モルガン=フォトンフィールド。元気そうでなによりよ」
「にひ☆」
まさしく魔女の笑みであった。
エリスが殺したはずの悪意が善良なる人間の肉体で動き出す。
「これはこれはヘルじゃない。わざわざ肉体を用意してくれるなんてやっさしいわねー」
女王ヘル。
古龍討伐や四属性束ねし破滅の賢者を打ち負かしたといった『偉業』の一つに死者を束ねる女王ヘルに勝負を挑んだといったものがある。『死者の国』を作り、魔族の復権を目指した女王へとエリスは立ち向かったのだ。
結果はエリスの勝利、だが殺し切る前に取り逃がしてしまった。それほどの力を持つ『炎上暴風のエリス』を女王ヘルは悪用せんと企んだ。
つまりはその存在を魔女に流し、意図して奥の手の情報だけは魔女に渡らないよう操作することで、魔女が殺されるように誘導したのだ。
後は彼女の死肉を操るスキル『死肉舞踏』で肉体を、魔女が持つスキル『魔力隷属』で魂を用意すれば死肉の魔女が完成する。もしも失敗したならば邪魔な『炎上暴風のエリス』が殺されるだけ。どちらに転んでも得しかない。
──計画通り魔女は殺された。だから、もう逃れられない。
いかにスキル『魔力隷属』であろうとも魂のみでの長距離移動は困難であっただろうし、自我の消失は時間の問題であった。だからこそ女王ヘルが用意した死肉と魔石に飛びつくしかなかった。
今の魔女は心臓に埋め込まれた魔石に魂を内包しており、その肉体の制御権は女王ヘルに握られている。
「で、全部ヘルの思惑通りってわけかにゃー?」
「はははっ! あー気づく? そりゃあそうだよねえ!! でも遅い、もうお前は私の操り人形っ。ほらほら、使い捨ての死肉と同じ扱いまで落ちた気持ちはどう? はは、ははははは!! 何が『魔の極致』だ、人間からの派生系が生粋の魔族を見下していいとでも思うんじゃない!!」
「にひ☆ それは誤解だにゃー」
「あ?」
「私にとって生きてる肉はぜーんぶ殺すためのものだよー」
ズボォッ!!!! と。
白にも黒にも見える閃光、つまりは魔光が走り抜けた。
光の一撃はそのまま高笑いしていた魔族の脇腹を抉り取った。心臓を吹き飛ばして殺すこともできただろうに、わざと致命傷を回避するように。
にひ☆ と魔女の醜悪な笑みが近づく。
「ありがとーねーヘル。流石の私も今回ばかりはやっばいなーって思ったよー」
「あ、あぐあ……? 何を、してる??? スキル『死肉舞踏』で肉体を操っているはずなのにい!!」
「にひ☆ でもヘルが操ることができるのは肉体のみ。魔力はどう?」
「……あ」
「スキル『魔力隷属』はその名の通り魔力を操る。もちろんここまでセッティングしてくれたヘルなら知ってるよねー。何せこのスキルを使って魔力の塊たる魂を操り、現世まで魂を引っ張るよう誘導してくれたんだから。……そこまで分かってて、なーんでこうなるって予想できないんだか。もしかして肉体さえ操れば、スキルは使えないとでも思ったのかにゃー? 魂だけでスキル発動してるのに??? まったくもーだからヘルは殺される側で、私は殺す側なんだよー」
「ああああああああああああああああ!?」
前述の通りスキル『死肉舞踏』は肉体のみを操る。魔力『だけ』を操り、放つことについては制限できないのだ。
だから。
だから。
だから。
「思惑成功して、憎い女を操り人形にできた、と。そうやってぬか喜び殺されることに免じて、ぜーんぶ許してあげるよ。私にとっては心底どうでもいい『魔の極致』なーんて称号に固執しちゃってる魔族ちゃん☆」
翌日、先の事件で亡くなり埋葬されたはずの死体が丘の上に移動しているのが発見されたが……ある女の子の母親の死体だけは発見されず、代わりに身元不明の死体が増えていた。




