第二十四話 よし、看病しよう その三
──これはこれは団長じゃないっすか。死に損ないのお見舞いに来るだなんて暇なんすか?
ノワーズ=サイドワームは紛うことなき天才である。ミリファとそう変わらない年齢だというのに騎士団に入団したばかりか首都に配属され、しかもロクに訓練もせずに大抵の騎士を倒す力を持つ。
だが、それだけだ。
年齢の割には強く、大抵の騎士には勝てる『だけ』だ。小国アリシア最大手とはいえ一騎士団の中にさえも勝てない相手がいる時点で論外、その程度の実力で何を守れるというのか。
──そうっすか。あの子供、家族が母親しかいなかったんすね。
だから、彼女は守れなかった。
だから、結末はどこまでも悲惨であった。
──身寄りがないから孤児院に預けられる、っすか。あそこ最低限の衣食住は確保できるって感じっすから、満たされていたあの子供には辛いもんがあるっすよね。
負ける気はなかった。例え団長クラスの敵が現れたとしても適当にあしらって増援を待てばいい。ノワーズ=サイドワームは天才だ、勝てずとも負けないよう立ち回ることはできる。
自惚れも甚だしい。
子供の両腕を切断し、母親を救えなかったクソ野郎が何をさえずっていたのだろうか。
──あの子供の様子は? そうっすか、塞ぎ込んでいるっすか。まぁ無理もないっすよね。
最年少天才騎士。
少しばかり他人よりも才能があるだけで自惚れ、ロクに訓練にも参加せず、それでも大体の騎士には勝てるからと世の中を甘く見ていたクソ野郎が半端だったために喪失は大きくなった。
『こちら』は少女騎士の担当であったのに、溢れるだけ零していっただけだった。
力がないのならば、まだいい。どれだけ努力しようとも、人間には到達できる上限というものが必ず存在する。誰でも戦闘分野における最強になれるわけではなく、それを理解していれば相応しい立ち回りも選択できる。鎧型魔導兵器に見つからないよう別ルートを選択することだってできただろう。
だが、ノワーズ=サイドワームには才能があった。戦闘分野で最強になれる可能性だって十分にあったのだ。だから選択した。鎧型魔導兵器を倒して道を切り開くという身の丈以上の道をだ。
何もかもが半端であった。
この程度の実力でもう十分だと、自分には才能があるからどうとでもなるのだと、根拠もない甘ったれた考えで生きてきた。楽をして、怠けて、その代償をよりによって少女騎士ではなく庇護対象が支払った。
ふざけた結末だ。
こんなのは単純な加害者にも並ぶ罪である。
──なんすか、団長。いつものように怒らないんすか? 今なら出血大サービス、その鈍器で頭をかち割ったっていいっすよ。
正義は勝つ、なぜ? そんなの悪よりも重いものを背負い、それを守るために努力するからだ。努力せず、守る力もないクソ野郎が騎士などと正義を名乗る資格なんてどこにもない。
ああ、だけど。
そんな逃避を選択していいのか?
──なんか言えっすよ。くそ、こんな、ちくしょう!! 完敗っすよ、私の甘さが招いた結果っすよ! 救えたはずなんすよ、この手を伸ばせば、ほんの少し努力していれば、あんなガラクタぶっ壊す才能はあるんすよ!! それっ、それを、くそっ!! なんであの子供が、母親が! 私の怠慢の代償を払ってるんすかあ!!
ノワーズ=サイドワームは守れなかった。
両腕を失った幼子はこれから過酷な人生を歩むこととなるだろう。腕がないというだけでも生きていくことに不都合は生じるだろう。無条件にありったけの愛情を注ぎ守ってくれる存在がいなくなったことで、その身一つで世界と向き合う必要があるだろう。
だから、逃げるのか?
責任を取ります、騎士をやめます。そんな楽な道を選ぶつもりか?
それでは同じではないか。
才能に『逃げて』努力をせず、この程度で大丈夫だと妥協していた頃と何も変わらないではないか。
もうそんなふざけた怠惰は捨てろ。
どんな顔して居座っているのだと罵倒されてもいい。お前のせいで犠牲が出たのだと後ろ指を指されてもいい。騎士には相応しくないと指摘されるのは当然のことだ。
それでも。
逃げずに立ち向かえ。
──強く、なるっす。誰よりも強く、この世のどんな悪を前にしても誰かを守り抜ける、そんな騎士になるっす!! だから、だから! 私を強くしてくれっす、団長ッ!!
ノワーズ=サイドワームは騎士である。
ならば、責任は職務で払うべきだろう。
ーーー☆ーーー
問題、汗をふくためにすることといえば?
答え、服を脱ぐ。
「ま、まままままま待って待って待って!! えっ、エリスっ、エリースっ!! いきなり何を脱ぎ出しているのよお!!」
「?」
紙袋片手に小屋に戻り、暖かいお湯が入った桶と身体を拭くための布を用意した後だったか。どこかぼんやりとした様子のエリスが枯れ草のベッドから起き上がり、バトルスーツに手をかけたのだ。
どうやら見た目に反して脱ぎやすい構造になっているらしく、パンッ! と鋭い音と共に左右に引き裂かれた。べろんとめくれ上がったその奥にはほんのり紅が走り、汗に濡れる白い肌が待っていた。
スレンダーな白い裸体、冒険者ギルドのエースにして数々の偉業を乱立させてきた実力者らしく鍛え上げられたその肉体には、その分だけ多くの傷が残っていた。
切り傷刺し傷はまだしも火傷やら千切れた跡なんかも珍しくない。それこそ無事な箇所を見つけるのが困難なほどだ。
「ああ……はは。いやな、もの……見せちゃった。はは、いつもなら、ちゃんと隠すんだけど……気が利かなくて、ごめんね」
「ばかっ。そうじゃないわよっ。だいたい傷跡の一つや二つでどうこう言うほど甘ったれた人生歩んでないっての!! そうじゃなくて、もうっ、いきなり脱ぐなばかっ!!」
「……ふふ。うん、やっぱり可愛いなあ」
「ブハッ!? だっ、誰が可愛いって!?」
好き勝手言ってくれたエリスはといえば、微笑ましそうに笑みを浮かべ、お湯が入った桶に浸された布に手をかける。絞ろうとしているようだが、力が入らないのか布はびちゃびちゃなままだ。
「ああもう、貸してっ」
そんなわけで代わりに絞ってやることに。きちんと絞ってから、布片手にリーダーははたと気付く。
(あれ? これもしかして私がふいてやる流れ???)
何やらエリスはそれじゃあ頼もうかなとも言いたげな様子であった。具体的には背中を見せている。白く鍛え上げられた傷だらけの背中。真っ当に生きていればこんなものを背負うこともなかったというのに、エリスは冒険者になってしまった。しかも彼女には実力があり、真っ直ぐな正義感まで兼ね備えていた。
だから、だろう。
誘拐犯から公爵令嬢を助け出す、首都で暴れる魔導兵器を止める、そんな荒事に首を突っ込み、傷ついてきたのだ。
(ばかみたい)
大切なものだけを守れればいい。
そのためなら他人を食い物にしたって構わない。
『格好悪い』という最低限のラインを持っているリーダーではあるが、そのラインは本当に最低限のものだろう。生かして返すからいいじゃんと誘拐に手を出したことからも、そのラインの位置は分かるものだ。
だから、理解できなかった。
赤の他人のために傷つき、命をかけて、果たしてエリスは何を得てきたのだろう? 決して多くのものを得てはいないはずだ。守られた連中は感謝の言葉を口にしてそれまで、が大半に決まっている。何か目に見えるお礼を貰ったことなんてほとんどないだろうし、命をかけるに足るお礼なんてほとんどない。
だから。
だから。
だから。
「もっと自分を大事にしなさいよ、ばか」
言ったリーダーの頬を引き攣る。なんだそれは、どの口が言っているのだ、そもそも目の前にいるのは復讐相手だ、必ずや叩き潰す恨みの表徴なのだ。
だというのに、
「ふふ、はははっ。うん、うん。ありがと」
「ふん。やめる気はないってわけね」
「そう、だね……その言葉はとっても、嬉しいけど……でも、やっぱりあたしは同じことを繰り返す、かな」
「力があるから? だから見ず知らずの弱者を守る必要があるって??? 騎士ならそれで金儲けしてるわけだから当然だけど、給料出ないエリスが力があるからって戦う必要ないって」
「でも、格好悪いじゃん? 力が、あるのに……目の前の命を、見殺しにする、なんて……」
「格好……ふんっ。分からず屋っ」
「うん、うん。ごめんね、ありがとう」
「もういいから、さっさとふいて着替えて寝てなさいっ」
そこまで言ってから、忘れていた難題に直面する。これからエリスの白い肌をふくのか? 誰が??? 決まっている、リーダーがだ。
「ぬう……っ!!」
わなわなと手が震える。なんで復讐相手の背中を拭く流れになっているのだと思わないでもないが、全ては正体がバレないようにするためだと己に言い聞かせて、その白い肌に布を当てる。
引き締まったその肌を拭っていく。布越しに熱いくらいの体温が伝わる。こんな細い身体を酷使して彼女は戦ったのだ。リーダーなんかでは見つけることもできなかった『敵』へと立ち向かったのだ。
そこに何ら思わないわけでもなかったのだが、それどころではなかった。
「ふふっ、くすぐった……っ!」
「…………、」
「ふふ、くふふっ」
「…………、」
古傷は刺激に弱くなるだの真偽不明な噂をきいたことがあるが、全身傷だらけなエリスはその分だけくすぐったいのだろうか? それとも単にくすぐりに弱い体質であるのか?
何はともあれくすぐったいのか声を押し殺すために人差し指を噛んだりされては──復讐心が湧き上がるではないか。
(これ、チャンスじゃない?)
今ならばエリスを苦しめることができる。この手の中に宿敵の命運を握ることができている。
さあ、復讐の時間だ。
踏みにじって、叩き潰して、蹂躙して、高らかと笑うがいい。
「おりゃっ」
「っ!!」
ずりっ!! と背中を斜めに裂くように刻まれた大きな古傷へと斬りつけるように布を走らせる。ついでにツンツンと脇腹なんかを突いてみたり。
「ふふ、ははは!!」
「……ははっ」
ああ、これだ。
こうじゃなければならない。
主導権はこちらが握る。振り回されるのはエリスであるべきだ。これは復讐。やられたらやり返す、そんな当たり前を通す通過儀礼である。
「ふふ、だめ、ひひひっ」
背中だけでは足りない。汗を拭わなければ気持ち悪いだろうという建前を盾に布を振りかざす。
「ひひ、ひははははっ!!」
容赦なんてしない。全てを撃ち抜け。この手の中に収まったエリスという人格を余すことなくぶち壊してやれ。
これは復讐。
やられたらやり返す、そんな当たり前を通しているだけに過ぎない。
「はは、はははははは!! だめ、もう、やめ、ひひ、ははは! ごほがはっ、まっ、ぐく、はははっ! あは、あはははははははっ!!」
望み通りに汗を拭ってやったのだ。その際に少々くすぐったい思いをしたかもしれないが、そんなのは偶然だ。ああそうだ決して狙ったわけではない、という建前を武器と変えろ。
だから、
「やめ、まっ、やめてぇ……!」
「ふふ、ははは! どうしよっかなー?」
リーダーの気が済むまでエリスはくすぐったさに身をよじらせることとなった。
ーーー☆ーーー
「はぁ、はぅ、ふう。……ねえ」
「はい」
「あたし、一応、熱あるんだけど?」
「ごめんね、ふふ」
「天使ちゃーん?」
「ああごめん、ふふ、ごめんって」
謝りはしていたが、今のリーダーには何を言っても無駄だろう。心の底からやり返してやったという満足に満ち溢れていたために。
「まったく見た目に似合わずいたずらっ子だったのね。まぁいいわ。それより……着替えさせてくれない? 汗を拭ったはいいけど……ちょっと肌寒くてさ」
「あ、ああ、着替えね着替え。ええやってやりますよ。今なら何だってやっちゃうぞー!」
ウキウキ気分なリーダーは紙袋を手に取る。おしゃれさんが用意したその中身を取り出す。
それは一見ただの黒のワンピースに見えるものであった。だから何も考えずにエリスに着せてしまった。
そうして着替えさせてから、リーダーはようやく気付く。普段ならもっと早く気づけたのだろうが、どうにも直前のアレソレで有頂天だったのが原因だろう。
それはワンピースだった。
ただし足を出すように大胆な切れ込みが入っているのだが。
「……すぅ、すぅ……」
やはりまだ本調子ではないのだろう。すぐに眠ったエリスの白い足がそのスリットから覗く。
「あ、あんのくそったれがあ!!」
嘆いても遅い。
あれだけ触れ合った後だというのに、強烈な印象を与えてくる『ちらり』を前にリーダーは奥歯を噛み締めるしかなかった。
……先のウキウキ気分が吹き散らされるくらいに『ちらり』に目を奪われていた。
(こんなのは前哨戦)
だから。
(妹を誘拐、人質にして、ボッコボコにしてやるからな、『炎上暴風のエリス』う!!)
それは何かを誤魔化すような思考の流れであった。




