第二十三話 よし、看病しよう その二
「ん〜美味しいっ。ここの食事って味が薄いもんだから余計に美味しく感じるよねっ」
「よかった」
どこぞのぐーたら娘と違い流石は本職のメイドというべきか、ファルナが華麗なナイフ捌きで赤く甘酸っぱい球体型の定番果実『クンリンネ』の皮を剥くどころか兎の形に整えるなんてテクニックを見せたものだから、しばらくは感嘆と眺めていたほどだった。
当の本人といえば『ミリファさんに、その、お見せするのは恥ずかしいんだけど』などと言ってはいたが、もちろんミリファにこんな芸当は不可能だ。そもそも皮剥きなんてやったこともないため、確実に指を切る自信がある。
シャクシャクと赤い皮の下の薄く黄色がかった果肉を口にしながら、ミリファはどことなく緊張した面持ちでこちらを見ているファルナへと視線をうつし、
「ファルナちゃんも食べなよ。美味しいよ、これ」
「あ、でも、お見舞いの品だし、その……」
「いいから、いいから、ほらっ」
皿に並べられた皮で耳を表現するばかりか切り込みを入れて顔まで表現したウサ果肉を掴み、ずいっとファルナへと差し出す。
もっと言えばその口元へ。
つまりは、
「はい、あーん」
「あ、あーんって、ええ!?」
「うん、あーん」
いきなりのことにファルナはわなわなと唇を震わせていた。まさか果肉を食べさせようとしてくるとは予想外だった。彼女は先の闘争に何とか整理をつけて、それでも燻る言語化不能な『感情』が原因で調子がおかしいというのに。
友達は容赦なく距離を詰めてくる。
その一挙手一投足がファルナの心をこうも揺さぶっていることなんて気づくことなく。
それでも拒否はしたくなかった。
恥ずかしさもあるにはあるが、それ以上に身体がミリファとの触れ合いを求めているがために。
「あ、あーん」
ぎゅっと目を瞑って、口を開ける。覗く白い歯と赤い舌。果肉を差し込む。閉じる。シャリ、シャリ、と咀嚼音が響く。
「ね、美味しいでしょ?」
「ん、うん……」
味なんて分かるわけがなかった。
ただミリファに食べさせてもらったという事実が甘美な痺れをもたらす。
あーんだけでも身体の奥から言いようのない火照りが滲み出ていた。幸福だった。くらくらと頭が熱に浸る。意識が混濁しているくせにミリファの存在だけが強烈に刻み込まれる。
「もっと……」
「そう? じゃあ、はい」
ああ、こんなの病みつきになるに決まっていた。
ーーー☆ーーー
首都近郊、森の奥にある小屋ではリーダーのエリスが二人っきりであった。仲間たちは今頃洞窟でこの状況を楽しんでいることだろう。
(あんのくそったれどもめ……っ!!)
ちょこんとエリスのそばに座り込み、ギリギリと奥歯を噛みしめるリーダー。エリスはといえば寝苦しそうに呻き声をあげたりしていた。その額は汗でびっしょりであり、おそらくバトルスーツの中も蒸れているのだろう。
「あの……」
「……なによ」
黒ずくめたちを千切っては投げ千切っては投げしてくれた怪物女のくせに妙にしおらしい態度だと、反応に困る。ともすればリーダーの正体がバレて戦闘に発展したほうがまだやりやすいほどだ。
「汗を、ふきたくて……何か、ふくものある?」
「あ、ああふくものね、用意しようか。っていうか着替えたほうが良くない? どうせ汗でぐっしょりだろうし」
「うん……ありがと」
「はいはい」
言って、リーダーはしまったと固まる。
彼女たちは決して裕福ではない。小金稼ぎに男と『そういうこと』するのはリーダーが格好悪いと禁じているため短期的な仕事や冒険者ギルドを介したくない依頼の中でも格好悪くないものを探したりして生活している。
そんなものだから服なんて黒ずくめの着回しだった。おしゃれさん以外は全く同じものを揃えて共通使用としているほどだ。
そう、服と言えばほとんどが黒ずくめのあれなのだ。あんなの着せてはすぐに正体がバレる。
「ちょ、ちょろっと待っててねっ」
そんなわけで洞窟まで駆け出すリーダー。
作戦会議開始である。
「服、黒ずくめ以外の服はあ!!」
「どうしたのよぉリーダーぁ?」
「ちょうどいい貴女ならおしゃれな服いくつか持ってるよねっ。エリスの着替えを用意することになっちゃって、とにかくあいつに見られてない服をちょうだいっ」
「でもぉ背丈が違うからぁ『炎上暴風のエリス』には合わないよぉ」
「な……っ。じゃあどうするのよ!?」
「んっふぅ。そこまで考えていないとでも? きちんと用意してるよぉ。あんな蒸れ蒸れなバトルスーツ姿じゃ可哀想だしぃ」
「可哀想って……エリスは復讐相手よ、ばか」
「……へぇ?」
「な、なによ、その目はっ」
じとーっと呆れたような眼差しで見つめるおしゃれさんだが、面白いしこのままでいいかと用意しておいた紙袋を差し出す。
「これでも着せればいいよぉ。サイズは大体合ってるはずだしぃ」
「よし、じゃあ行ってくるっ」
受け取り、駆け出すリーダーを仲間たちはどこか生暖かい目で見ていたが、幸か不幸かとっくに背を向けているリーダーは気づかなかった。
ーーー☆ーーー
お世話するよ、とはファルナの言葉だった。
赤い果実を食べ終わり、メイド服姿のファルナはやる気満々なのかどこか興奮した様子であった。
「お世話?」
「そう。あの、その、怪我してるし、色々不自由してるだろうから……っ!!」
「うーん、別にお世話してもらうほどじゃないんだけど」
と。
ミリファはキラキラとした目でファルナが見ていることに気づいた。役に立ちたいと、何かしてあげたいと、そう訴えかけてくる目をだ。
わざわざメイド服に着替えてきたほどだ、最初からそのつもりだったのだろう。せっかくの好意を断ることもないか、と思い、ミリファは一つ頷く。
「せっかくだしお願いしよっかな」
「うんっ。私、頑張るからっ」
輝くような笑顔を見れただけでも受け入れた甲斐があった。というわけでお世話開始なわけだ。
とはいったものの、
「で、何かして欲しいこと、その、あるかなっ」
「あー……」
そう、特にして欲しいことなんてなかったりする。話し相手になってくれれば暇が潰せるといったくらいか。
というわけでファルナの手を掴み、ベッドに引きずり込んだ。
「わひゃっ。ま、待ってミリファさん、えっと、それはちょっと早くて、その……っ!!」
「ぐーたらするのに早いも遅いもないって。ほら、この前は邪魔が入ったし、今日は最後までぐーたら過ごそうよっ」
「う、うう……そういえば、その、そうだったね」
「?」
どこか落胆しているような気もするが、ミリファは知っている。腕を胴体に回し、ぎゅっと抱きしめてやれば喜んでくれることを。
「み、ミリファさんっ」
「大丈夫、もうあんな怖い目にあうことはないんだよ。だから、うん、大丈夫」
確かにそれも完全に振り払えているとは言えない。未だに悪夢に見るほどではあったが、少なくとも今ファルナの心を占めている感情は恐怖や絶望といった負の感情ではなく、どこまでも光り輝く暖かな『何か』であるのだが──どこか自分に言い聞かせている響きであったために、ファルナは黙って抱きしめ返した。
今日のファルナはご主人様のお世話係だ。ならば主の望みに応えるべきだろう。
ーーー☆ーーー
医療ギルトが運営する医療機関に第七王女がやってきたとなれば騒動となるのは分かりきっていたため、ガジルは人目を誤魔化し、誰にも見られることなくミリファが入院している病室まで到着した。
操り人形状態を解除すれば、ぷくうと頰を膨らませた第七王女が睨みつけてくる……が、戦場の経験もなく貴族の社交場からも離れている小娘の眼光なんて可愛らしいものだ。少なくとも幾多もの戦場を渡り歩いてきたガジルが浴びて怯えるものでもない。
……主の睨みを一蹴してしまうのも彼が不良騎士たるゆえんだろう。
「ほら到着だ。何か言いたいことあるんだろ?」
「そんなことありません」
「嘘つけ。つーか鬱陶しいから、さっさとケリつけてくれねーか?」
「一応わたくしの護衛ですわよね?」
もうっ、と拗ねたように吐き捨て、胸に手をやる第七王女。すう、はあ、と呼吸を整え、ノブに手をやり、そして──
「やっぱりわたくしは……」
「はいどーん!!」
瞬間、隣に控えていたガジルが無造作に放った蹴りが木製の扉に叩きつけられ、そのまま粉砕する。粉々に砕け散った木屑が舞う中、破砕音に驚きベッドから跳ね起きたミリファと第七王女の視線がぶつかる。
「がっ、ガジル! 何をやって……っ!!」
「わっ、セルフィー様だっ。え、え、どうしたの!? まさかお見舞いに来てくれたとかっ。ひゃっほーっ! 脈ありだあんまり素っ気ないから心配だったけどまだまだいけるじゃん!! このまま友達一直線だぜっ!!」
よっしゃあ! とガッツポーズなどして、ベッドの上をポンポン跳ねるミリファ。ファルナはといえば、そんな彼女の影に恥ずかしそうに隠れていたが、幸か不幸か第七王女はミリファしか見ていなかった。
決して無傷ではない。身体の至る所に包帯は巻かれているし、報告によれば魔導兵器に襲われたばかりか人が取り込まれる様子を目にしたのだとか。肉体的にはもちろん、精神的なショックも大きかったはずだ。
全ては首都に来なければ味わうことがなかった恐怖である。そう、彼女が傷ついた原因の一つには間違いなく王命で第七王女の側仕えに任命されたことがあり、その根本には『運命』が横たわっている。
無能の第七王女と半端に『繋がり』があるがために、ミリファは傷ついた。もちろん首都の民や騎士か傷ついたことも憂いてはいるが、根本的に巻き込む必要すらなかったはずの命を犠牲にしかけたともなれば『罪悪感』もひとしおである。
そう、『罪悪感』。
何もできず、状況に流されてばかりの自分が招いた罪を前にして、第七王女セルフィーはぎゅっとドレスを掴んでいた。
「どうして……ですか」
「ん?」
「わたくしのせいではありませんか。王命でわたくしの側仕えとなったせいで巻き込まれたんですよ!? それなのに、どうして恨まないんですか? 未だに友達だなんてそんなことを言えるんですかっ? 分かっているのですか、ミリファさまは殺されかけたのですよ!? それなのに、なのに、どうして!!」
「いや、だって悪いのは魔導兵器だっけ? そんなの使って暴れた奴じゃん」
キョトンとしていた。
不思議でたまらなかった。
『運命』だのなんだの裏に潜む何かを知っているわけではないが、そんなアレソレを加えたとしてもミリファはそう答えていただろう。
そう、悪いのは襲ってきた奴だ。
確かに王命がなければミリファはここにはいなかった。あんなことに巻き込まれることはなかった。だからといってなぜ第七王女を恨む必要があるのだろうか? そんなの八つ当たりでしかない。
それに得たのは不幸ばかりでもない。ファルナという友達が出来た。アーノルドら食堂の人たちも仲良くなれたし、ガジルとも知り合えた。何より第七王女の友達になるという目標ができた。
それもまた王命でここに来たことが理由で得ることができたものだ。不幸も幸福もひっくるめて今があるのだ。
だから、
「セルフィー様、気にしすぎだって。何か不幸なことがあったら全部セルフィー様のせいだとでも? そいつはちょっとばかり自意識過剰じゃないかなー?」
「でも、わたくしのせいで……『繋がり』さえなければ、こんな足掻きは……そうです、誇りのために失うだけの戦いに身を投じる必要なんて──」
「えいっ」
いつの間に目の前に移動したのか、兎の形をした果実を手にしたミリファが第七王女の口にそれを押し込んだ。
『むぐっ』と目をパチパチさせながらも条件反射的に咀嚼を始めるお姫様へ不敬だなんだ全く気にしない恐れ知らずな村娘は屈託のない笑みを広げ、
「美味しい、セルフィー様?」
「え、あ……はい」
「そう、それはよかった」
「あ、あの……ミリファ、さま? 今のはいったい……」
「お腹空いているからグダグダつまんないこと考えるんだって。私は気にしてないというかそもそも気にすること自体がありえないんだけど、とにかく! 私がいいって言ってるんだから、この話はもう終わり!!」
「でも……っ!」
「ここまで言っても気が済まないっていうなら」
そこまで言ってからファルナに聞かれていることを思い出したミリファは第七王女の耳元に顔を近づけ、囁く。万が一にも『メイドとして』自分のことを信頼している友達に現状を聞かれないように。
「(第七の塔への立ち入りを許可してよ)」
「それは……」
「聞いてくれるなら、許してあげますっ」
「う……」
セルフィーは無能と蔑まれていようとも王族だ。村娘の頼みなど一蹴したって何の問題もない。というか、そもそもたかがメイドに気を使う必要なんてどこにもない。
だけど。
それができないから彼女は『無能』であり、それができないからミリファは友達になって笑顔にしてやりたいと望んだのだろう。
「わかり、ました……。それがミリファさまの望みならば、受け入れましょう」
「ひゅーっ! さっすがお姫様話がわかるう!! 愛してるぜべいべーっ!!」
「愛しっ、からかわないでくださいっ!!」
バッと飛び退き、第七王女はそのまま踵を返す。こんな木っ端の雇われメイドの安否さえも気にするお人好しが帰っていったのを確認したミリファは満足げに頷き、『ガジルさん突破せずに済んだぜやっほーっ!』などと小躍りしながらベッドまで戻った。
と、そこには枕に顔を埋めるファルナの姿があった。
「ん? ファルナちゃん、どうかした???」
「いいえ。主が直々にお見舞いにくるなんて流石は側仕えだね」
どこかトゲがある声音だった。
何がなんだか分からないミリファはとりあえずベッドに飛び込み、ファルナを抱きしめてみることに。
「ねーねーどうしたのー? お腹すいた???」
「なんでもないから」
「うーむ。ファルナちゃーん、ぎゅーっ!」
「わうっ。そ、そんなんじゃ誤魔化されないんだからっ。愛しているってそんなの冗談だろうけど、あの、言っていいことと悪いことが──」
「ふーっ」
「ひゃあ! み、耳に息を吹きかけ……っ!!」
「よし、こっち向いたなファルナちゃーん! せっかくのぐーたら日和に何を拗ねてるんだよーっ!!」
「拗ねてなんか……っ!!」
「心配しなくてもファルナちゃんのことも愛してるってっ。だから拗ねないでよー」
「わ、うわあっ!! えっと、あの、その、わわ、だから、えへ、冗談でも言っていいことと悪いことがあるんだって!! えへ、えへへっ」
不思議なものだった。
第七王女とミリファとが会話しているだけで胃の奥に溜まっていた泥のような重い不快感がこうして抱き合ってじゃれ合うだけで消えていくのだから。
ファルナはまだこの『感情』の名前を知らない。
だけど、決して悪いものではないことだけは確かだ。




