第二十二話 よし、看病しよう その一
首都を襲った魔導兵器がもたらした被害は決して軽くはなかった。騎士はおろか民間人にも被害が出ているほどだ。
それでも生き残れたとベッドの上でミリファは安堵の息を吐く。あの騒動から三日経ち、ようやく恐怖に震える心を落ち着かせることができた。
場所は医療ギルドが運営する医療機関の一室。病室の数が足りないということで選べる余裕はなかったが、病人用の簡素な薄青の病衣姿のミリファは運良く個室に入ることができた。こうして入院する必要があったということは、三階からのダイブによる負傷は思った以上のダメージだったのだろうか。
ともあれ、結果が全てだ。
ファルナと二人生き残ることができた。最低限、それだけでも成し遂げることができたのだ。それ以上までは手を伸ばすことはできなかったが……こうして安堵しているところに良くも悪くも普通の女の子の色が出ていた。
「ふひー……死ぬかと思ったー」
真っ白な天井を見上げ、額に手をやるミリファ。あの時は流石に死を覚悟したものだが、よもや目くらましに使った魔石が魔導兵器の弱点と機能するとは予想外であった。
もっと言えばあの後に『魔石内部の魔力を、その、異なる魔力を混ぜることによる、あの、拒絶反応で崩壊させたんだ。魔導兵器をやっつけたんだ! やっぱりミリファさんは最高にすっごいよっ!!』とファルナに抱きしめられた。今日も誤解はすくすく元気に育っている。
コンコン、とノックの音が響く。
入っていいよーと声をかけると、ドアが開き、ミリファと違いメイド服姿のファルナが入っていた。まだまだ包帯は外れず、本調子ではないミリファと違い、比較的軽傷なファルナはこうして出歩くこともできた。というか、つい先程退院の許可を貰ったから急いで着替えていの一番にミリファを訪ねたのだが。
「ミリファさんっ」
「おーファルナちゃん。今日退院だっけ。先越されちゃったなー」
「全ては、その、ミリファさんのおかげだよ」
「いや、そこは医療術師のおかげじゃないかな?」
ファルナはとてとてとミリファに近づき、そっと包帯が巻かれた腕を撫でる。そうして触れ合っているだけで胸が高鳴るが、その中には暗い感情も混ざっていた。
つまりは、
「飛び降りた時、その、私を庇ったからだよね。だから、あの、私よりも怪我してるんだよね」
「そんな余裕はなかったよ。うん、そこまで格好つけられるものでもないし、そこまで出来るほど強いわけじゃないって」
そう、そんな自己犠牲の精神に満ちてはいない。あの時だってファルナを守るのだと軸を持つことで恐怖を誤魔化していた節はある。完全に友達のために動いていたと胸を張ることはできない。
だけど、
「だとしても……ミリファさんは私の命の恩人で、憧れで、尊敬できるメイドだよ」
「……そっか」
しばし無言で見つめ合い。
ほんのりと顔を赤くしたファルナが視線を横に外す。耐えられないと言いたげに『はう』と息を吐き、誤魔化すように首を横に振る。
「みっ、ミリファさんっ。果物買ってきたから、その、食べる?」
「ありがと。いただこうかな」
ずいっと色とりどりな果物が入った籠を目の前に差し出したファルナはそのまま固まっていた。恥ずかしさを誤魔化すための行動であったために、次に移行するのを忘れているのか。
「丸齧りかー。まぁたまにはそれもありかな?」
「え、あ、違っ、剥くからっ。ちゃんと、その、剥いてあげるからっ」
「あははっ。なに焦ってるんだよー。なになに緊張してる?」
「う、ううう」
「冗談だって。お願いね、ファルナちゃん」
あながち冗談でもなかったのだが、下手に突かれる前にファルナは果物の皮むきに移る。赤くなった顔の『理由』を隠すように。
ーーー☆ーーー
首都近郊にある丘を囲むように広がる小さな森の奥には質素な小屋が存在した。魔獣なんて物騒なものは生息していないが、獣は存在するため狩人あたりが用意したものなのだろうか。ともあれ今は使われていないためにスラムから飛び出してきた黒ずくめたちはありがたく使わせて貰っていた。数十人が同時に寝るには狭すぎるので、近くの洞窟と分かれてという形にはなっているが。
さて、そんな小屋ではベッド代わりに枯れ草が敷き詰められており、そこにぴっちりと肌にはりつくバトルスーツを着た女が寝かせられていた。
つまりは『炎上暴風のエリス』。
外傷はほとんどないが、焼けるように肌が熱く、荒い呼吸を繰り返しており、時折うなされていたりもする。本人は肉体ではなく魂の磨耗がフィードバックしている影響だのこればっかりは薬草なんかでは治せないだの時間さえあれば何とでもなるだの言ってはいた。それらのことを伝えるだけでえらく時間をかけるくらいに辛いくせに変に強がっていた。
そんなエリスのそばにちょこんと座っているリーダーはといえば、なんでこうなったと頭を抱えていた。
思えば初手から間違っていた気もする。何やら物騒な燃え盛る風の龍をぶっ放した後に見事にぶっ倒れたエリスを見つけて、どうして駆けつけたのか。いいや彼女は復讐の象徴だ、リーダーが手を下す前にくたばってもらっては困るのだが、だからといってわざわざ駆け寄って背負う必要はあったのか。即座に命に関わる怪我をしていたわけでもなければ、あれだけ目立つ戦闘をしていたのだから放っておいても誰かがやってきて助けてくれていたはずだ。
そう、確かにあの場でくたばっては台無しなのだが、わざわざ積極的に助けてやる義理もないはずなのに……。
ともあれリーダーはエリスを医療ギルドにでも任せるつもりだった。スラム出身の素行最悪な自分たちならともかく、エリスであれば向こうもきちんと治療してくれるはずだからだ。その後だ、余計な横槍が入りはしたが、きちんと疲労を癒して万全のエリスへと復讐すればいい。
だというのに。
彼女は血反吐でも吐きそうなほど荒い息でこう言ったのだ。
『首都、には……戻っちゃ、だめ』
『はぁ? 何言ってるのよ、エリス。ちゃんと治療受けないと』
『ミリファに、妹に……ハァ、ハァ。心配、かけちゃう』
『心配って、ばかっ。そんな理由で……っ!!』
『それに、どうせ……かわら、ない。だから、お願い……そこらへんに、置いていって。時間、さえあれば……治るもの、だから』
『……っ。ああもう! どうなっても知らないからねっ』
『うん、ふふ。ありがと……エンジェル、みらー、じゅ、たん……』
『うぐっ』
どうやら声でそう判断したのだろう、安心した様子で呟いたエリスはそのまま意識を失った。見つけた時も気絶していたというのに、無理して目を覚まして言うだけ言って眠りこけやがったものだから、リーダーはギリギリと奥歯を噛みしめる。
『だから! 私のことちっとも覚えてないのかよ、くそったれ!!』
こんな舐め腐った状況に陥った経緯を思い出し、リーダーはどんよりとした目で虚空を見つめる。
「なにやってるんだろ……」
そんなリーダーの格好は天使スタイルだったりする。つまりはエンジェルミラージュのコスプレである。この格好は(正体バレたら大変だと尤もらしい理由をつけてはいたが、完全に面白がっている)仲間たちから無理矢理着せられたものだったりする。もっと言えば一番エリスの信頼を得ているリーダーがそばにいるのが確実におもしろ、ごほん、正体バレる危険性が低いからと小屋で二人きりエリスの看病を任されていたりもする。
「エンジェル、ミラージュ……たん」
「はいはい、なによエリス」
「私の名前……知ってるんだね」
ぎぐり、と突然の指摘に心臓が不気味に脈動する。とろんとした目をしているくせに、どこか真っ直ぐとこちらを見つめてくる『炎上暴風のエリス』を前にして、内心ではパニック状態が止まらなかった。
(ま、まずいーっ! そうだよ自己紹介なんてしてないっていうかそもそも名前を呼び合う仲でもないっていうか違う今はそこじゃないどうするこれやばいってばれちゃうこんな妙ちくりんな格好してまでやったってのにしょうもない理由で正体バレるなんて最悪よどうしようどうすればいい熱に浮かされていた時に聞いていたってするそれとも寝言で言ってたとかってすればいいのどうしようどうしようどうしよう!?)
果たして出た答えと言えば、
「ま、前から知ってた、からね、うん、そう! ほらエリスって有名人じゃん。確か『炎上暴風のエリス』だっけ? そんな二つ名あるくらいだしさ! 向こうのほうの冒険者ギルドでは偉業乱立させてちょー有名で個人指定の依頼殺到とか! はは、ははははは!!」
「そう、なんだ。知って、て……どう思った?」
「どう? どうって、別に? 確かにエリスは凄いんだろうけど、そんなの関係ないって」
そう、そんなものは関係ない。
『炎上暴風のエリス』がどれだけ強かろうが、やられたらやり返すだけだ。敵の強さは復讐を諦める理由には絶対にならない。壁の高さに逃げていては、いつまで経っても泥沼の底を這いずる惨めな人生が続くだけだ。
だから。
リーダーは理解出来なかった。
「そっか……ふふ、そっかぁ……」
どこか嬉しそうに表情を綻ばせた、その理由を。
ーーー☆ーーー
『炎上暴風のエリス』といえば地元では尊敬と畏怖を集める冒険者ギルドのエースであった。
数多の偉業を成し遂げてきたその結果、彼女は『炎上暴風のエリス』というガワでしか見られなかった。
ある冒険者は尊敬を露わにした。それだけの力を持つ彼女には近づくことさえ恐れ多いと思うようになった。
ある村人は恐怖した。恐ろしい魔獣も危険な犯罪者も軽々と蹴散らすほどの力を持つ怪物を同じ人間とは思えなかった。
理由に差異はあれど、彼女が『炎上暴風のエリス』としか見られていないことに変わりはない。エリスという本質を見つめ、姉を信頼しそばにいてくれる妹や両親、そしてあの『変態』以外には。
だから、嬉しかったのだ。
『炎上暴風のエリス』というガワを知っていて、その上でそんなものは関係ないと言ってくれたことがだ。
熱に浮かされ、ぼんやりとした意識の中、しかし確かにそばにいてくれる天使の存在がエリスの中で大きくなっていく。
やっぱり可愛いなと表情が綻ぶのを止められなかった。
ーーー☆ーーー
ガジルはどこか呆れたように目の前の主を見つめていた。無能の第七王女セルフィーはといえば、意味もなく本棚と椅子とを行き来したり、ペラペラと本をめくるだけめくっているくせに視線はあらぬ方向に向かっていたり、何度も重たいため息を吐いたりしていた。
オマケに、
「ガジル……その、ミリファさまは無事でしょうか?」
またか、とガジルは眉根を寄せる。
そう、この問いかけはもう何度も何度もされてきた。だから彼も同じように何度も何度も返す。
「言ったろ、無事だって。ちっとばっか怪我したみてーだが、それもあと数日もあれば退院できるってよ」
「そう、ですか。そうでしたね……」
そうしてまたもや意味もなくペラペラと本をめくり出したものだから、ガジルは単刀直入にこう言った。
「そんなに心配ならお見舞いにでも行けばいいじゃねーか」
「そんなお見舞いだなんて……ミリファさまがわざわざ訪ねてくださっていたのに拒絶してきたのはわたくしです。そんなわたくしがどんな顔をしてお見舞いに行けばいいというのです。そもそもわたくしの『罪悪感』を軽くしたいだけの身勝手な行いが許されるわけがありません」
「知らねーようじうじうじうじめんどくせーな。『運命』だとかなんだとかつまんねーもん抱えるからそうなるんだ。ほら行くぞさっさと行くぞっ」
「きゃっ、が、ガジル、何を……っ!!」
第七王女の肉体が己の意思と反して椅子から立ち上がる。そのまま外へ、ミリファの元へと歩を進める。
「何をだと? 知ってるはずだぞ、ガジルって騎士は不真面目で命令違反なんざ日常茶飯事の不良騎士だってな。そんな不良騎士が王女様を連れ出すなんて問題行動してるからっていちいち驚くなよ」
「待って、待ってくださいっ。心の準備がまだでしてっ!!」
「今の『らしく』ない姫さんに任せていたらぐだぐだ時間を消費するだけだ。ほらさっさと向き合うぞー」
「あ、ああ……っ!!」




