第十六話 よし、起動しよう
「う、ううう。ミリファが遠くにいっちゃうよ〜。やだやだ、やだよ〜」
「…………、」
でれんでれんであった。
とにかくあの場からエリスを引き離したかったリーダーは酒場まで引っ張っていったのだ。普通の女の子がどうかは知らないが、スラムで生きてきた彼女にとって酒場とはホームみたいなものだったりする。
そこまではよかった。
フォローするためか、からかうためか、仲間たちまでぞろぞろとついてきたのもまだ許容範囲だ。
だけど。
なんだってミルクを飲んで泥酔しているのだろうか? おまけに腕に抱きついていたりもする。
「……は、はは、は」
同じくミルクを口にしていたリーダーの頬がひくついていたが、べろんべろんなエリスに気付いた様子はない。もちろん気付いている仲間たちの酒の肴にされていたが。おしゃれさんなんかは腹を抱えて笑い転げていたりする。
(あいつら本当覚えてろよ……)
「もう嫌なのに……失いたくないのに。離れたくないよお!!」
酒場に漂う酒気にあてられたのかミルクで酔っているエリスが腕を抱く力を強くする。肌にぴっちりはりつくバトルスーツは生地自体は薄いので体温や感触が生々しく伝わってくる。
「ぐ、むむ」
「エンジェルミラージュたーん!!」
「むおわーっ!!」
そんな状態でついには腕と言わず全身に抱きついてくるのだから、堪ったものではなかった。
ーーー☆ーーー
魔石。
魔力を充填できる鉱石として一般に多く出回っている。店頭に並ぶのは事前に魔法使いにより魔力が充填されたものだ。用途としては魔導兵器のコアが劣化した場合などの交換用が主なものだろう。
その程度のもののはずだった。
だというのに、
「ぎ、あ、……ああああああ!? 痛い痛い痛い、あう、あが、がああああああ!!」
「ジュリっ」
まさしく取り込むというしかなかった。女の子が両手で持っていた魔石が光ったかと思えば、その華奢な手が魔石に溶解されるように取り込まれていったのだ。
すでに指の形は失われていた。ぐちゅべぢゅ、と肉も骨も関係なく吸い寄せられていき、その度に骨が砕け肉がひしゃげていく。
「ちえ。めんどうっすねー」
瞬間。
銀の軌跡が女の子の両肩を通り抜け──スパンッと斬り落とされた。
「……あ、ぁ」
あまりの激痛に精神が耐えられなかったのか、それとも己の腕が落ちたことが衝撃だったのか、肩口から鮮血を噴き出したまま地面に倒れる女の子。
相も変わらず嘲笑にも似た無邪気な笑みを浮かべる騎士の少女。その右手にだらんと下げた長剣で女の子の両腕を斬り落とした後というのに、何も変わらない様子で魔法陣を展開、土を操り肩口を覆うことで簡易的な止血を行っていた。
「ジュリっ。ああ、なんてことを!」
「奥さーん。なんてことってそりゃ人命救助っすよー。あのままじゃ腕どころか全身呑み込まれていたっすよー」
「っ! だ、だけど!!」
「ついでにいえば」
だらりと右手に下げた長剣を持ち上げ、その切っ先で指し示すは、
「ここからが本番みたいっすから、さっさと逃げたほうがいいっすよー?」
ごぶどぶどぶぶっ!! と地面に落ちた魔石が女の子の人肉や骨を取り込んでいたように周囲の土を取り込み、形を整え、仕上げなのか瞬間的に魔法陣を展開、二メートルクラスの巨像へと変貌していた。
頭部にあたる部分には淡く光る魔石が一つ目のごとく存在を強調している。ズボッ! と両手が変質、人間では扱えないほどに長大な土くれの槍が飛び出す。その強度は先程展開された魔法陣によって補強されており──
「魔法の再現っすか。こいつはまさかまさかの魔導兵器っすかね。うっわーめんどうそうっすねー」
魔導兵器。
魔力源たる魔石をコアに魔法を具現化する外装回路を備えた人工物による奇跡の再現。魔石から供給されるエネルギーを外装回路で変換、魔法陣を展開し放出するのだが、問題はそこではない。
基本は三ヶ月、天才だろうとも数週間はかかるはずの魔導兵器構築作業をものの数秒で成し遂げたという事実が問題であった。
人為的な魔法の再現。才能に依存した魔法の安定供給。まさに既存のパワーバランスを崩しかねない猛威であった。
『ガ、ガガッ……』
ブォッ!! と空気を引き裂き突き出されるは土くれの槍。土系統の魔法により鋼鉄を凌駕する強度を付加された必殺の一撃はそばで見ていた母親が視認できないほど。それほどの速度で鋭利で膨大な質量が放たれれば、人肉など容易く貫き砕くことだろう。
「やべっす!」
ガギンッ!! と下方より振り上げられた長剣と槍とが激突、あまりの衝撃にビリビリと手首に鈍い痛みと痺れが走る。一撃受け止めただけで少女騎士の右腕が痺れに硬直する。
そして。
目の前の魔導兵器にはもう一本の槍がある。
「っ!!」
魔導兵器に慈悲はない。道具は敵を排除する最適の方法を機械的に選択する。
ゴァッ!! と無防備な側頭部を横から叩き潰す勢いで振り抜かれる土くれの槍。長剣を持つ右手は動かず、左手で受け止めたところで少女騎士の頭蓋ごと粉砕されるだけだ。
「ふむ」
そこに差し込まれたのは団長の腕だった。少女騎士の頭蓋を守るための動きなのだろうが、前述の通り腕の一つや二つ間に挟まったところで纏めて粉砕されるだけだ。
そのはずだった。
激突の瞬間、団長の腕を一瞬魔法陣が覆ったかと思えば──ガッギィィィンッッッ!!!! と金属質な轟音が炸裂したのだ。
「『水の書』第四章第五節──水流硬化」
水系統の中級魔法、水流硬化。
操りし水に硬度を付加し威力を上げたり盾にしたりするための魔法だが、団長は己の肉体内部の水分を硬質化することで少女騎士を守る盾としたのだ。
『ガッ、ギガッ……ギギギッ!』
「ガラクタごときが守るべき民を傷つけ、我が部下に手を出そうとは笑止千万。潰えるがいい!!」
何が起きたのか、母親はおろか騎士たる少女すらも認識できなかった。視認できたのは結果だけ。魔導兵器の上半身が魔石ごと消し飛んでおり、極太の金属メイスが振り抜かれた後だということだけだ。
「ノワーズ卿、無垢なる幼子を医療機関に連れて行くがいい」
「別にいいっすけど」
こんな時でも嘲笑は消えないのか、周囲を見渡して少女騎士はこう続けた。
「落とし物の魔石があんな風に変貌したってことは、今にもそこらじゅうで同じこと起きそうっすよ。それこそ落とし物を預かっている騎士の詰所なんて乱戦不可避っすねー。戦力、無駄にしていい場面っすか?」
「民を救うために騎士を割り振るのが無駄なわけなかろう」
「そうっすか。それじゃあ頑張ってっす」
言って、少女騎士は女の子を肩に担ぎ、走り出す。母親が青ざめた表情で追いかけてくるのも構わずにだ。
「ノワーズ卿っ。『そちら』はお主の担当である。しくじるでないぞ?」
「そいつはこっちの台詞っすよ、団長。大変なのはそっちなんすから」
それだけだった。
騎士たちは己が戦場へと足を踏み入れる。
ーーー☆ーーー
ズズン……ッッッ!!!! と。
首都全域を揺るがす轟音が開戦の合図であった。
ーーー☆ーーー
その時。
黒ずくめのリーダーは一滴も酒を飲んでいないくせにぐでんぐでんに酔っ払ったエリスに抱き締められ、それはもう辟易とした顔をしていた。
もう何も考えない、無の境地に到達してやると、どこか自暴自棄に脱力していた時だった。
ズズン……ッッッ!!!! という地を揺るがす震動が走り抜けたと共に酒場の扉が外側からの衝撃に吹き飛ばされ、渦巻く『風』が一直線に突っ込んできたのだ。
「っ!?」
リーダーたち黒ずくめの集団の得意技は高速戦闘、もっといえば魔法も技術も使わず、スラムで鍛え上げた持ち前の身軽さで戦場を駆け回りながら、同時に超常特有の『癖』や『予兆』を匂わせることで見当違いの対応を誘発し、生まれた無防備な場所を狙い打つことを得意とする。
つまり、何の対策もなく真正面から身体能力を遥かに超えた速度の一撃を叩き込まれると、対処のしようがないのだ。
「おっと」
だから、迫る横殴りの竜巻に対応したのはリーダーではなかった。ぐいっとリーダーを抱き寄せたエリスが逆の手のひらをかざし──。
ゴッアア!! と人間の一人や二人軽々と薙ぎ払うだろう横殴りの竜巻を上回る暴風が放たれたのだ。
エリスが放った暴風は横殴りの竜巻を巻き込み、押し流し、竜巻を利用して更なる勢いをつけて駆け抜ける。その先に待ち受ける『何か』を噛み砕く嫌な音を響かせて。
「大丈夫?」
「……え、あ、うん」
頷き、そしてぶんぶんと首を横に振るリーダー。
宿敵に助けられて何を素直に返事しているのだと奥歯を噛み締める。
リーダーを抱き寄せる手を今にも跳ね除けてしまいたいが、せっかく敵が油断しているのに余計なことをするべきではないと己を戒める。
だから、そう、だから。
心臓がいつもよりも暴れているのは、突然のことに驚いたからに決まっている。
「エンジェルミラージュたんはここにいて。さっきのだけなら良かったんだけど……どうやら、そこらじゅうで同じようなことが起こってるみたいだし」
「ばっ、まさか首を突っ込む気!?」
「ええ、まあ」
気軽なものだった。
扉を砕くような竜巻を放つ『何か』が暴れていると分かっていて、彼女はわざわざその中心に首を突っ込む気なのだ。
件の『何か』は運良く破壊できた。が、次も上手くいくとは限らない。そもそも敵は単体ではないのだ、いかに『炎上暴風のエリス』といえども生き残れる確率は低いだろう。
それでも。
彼女は止まらない。
「やれる奴が対応しないとね」
「ばかっ。力があるからって戦わないといけない理由にはならないじゃん! くだらない正義感で金にもならない殺し合いに身を投じる必要ないって!!」
「まあそうなんだけど、ね」
くすりと微笑を浮かべ、エリスは募るようにこちらを見るリーダーの頬を軽く撫でてから、柔らかくこう告げた。
「さっき出会ったばかりのあたしを心配してくれる優しい貴女を守れる力があるんだもの。それだけで戦う理由になるってものよ」
言い終わった時にはすでに飛び出していた。『炎上暴風のエリス』、高速戦闘を得意とする黒ずくめたちを叩き潰してみせた怪物だ。敗者たるリーダーたちがとやかく言う必要はないのだろうが……。
「ああもう! あんの炎上女めっ。あんたは私がぶっ倒すってのに、つまらない騒動に首を突っ込んで寿命を安売りするんじゃないわよ、ばーか!!」
「リーダーぁ。これってチャンスだってぇ。正体不明の『何か』と潰し合って弱ったところを狙おうよぉ」
「そんな恥知らずなことできるわけないじゃん! クソ憎たらしいけど、私は助けられたのよ? それを、ああもう! 恩を仇で返せるわけないじゃん!! ほら、私たちも行くわよ!!」
「もぉリーダーったらぁ」
「(いつもの悪癖だけど、やっぱりリーダーはこうじゃないと)」
ばさっ! と邪魔なコスプレ衣装を脱ぎ捨て、身軽な白の飾り気のない下着姿になったリーダーが飛び出そうとしたところで、思わずといった風におしゃれさんは叫んでいた。
「なん、おバカぁっ! それはおしゃれ以前の問題だよぉ!!」
「別にさっきのとそう変わらないと思うけど」
「もぉ! 『普通』の女の子は下着とコスプレは別と考えるんだってぇ!!」
「へえ。『普通』って難儀なものね」
ーーー☆ーーー
その震動はある宿泊施設の一室にまで届いていた。
「きゃっ。な、なに……?」
最初、地震でも起こったのかとも思ったが、一瞬のものであったし、何より──『むう』と呻き声をあげ、眉根を寄せ、より強く抱きしめてくるミリファの体温に犯されて、ファルナはそれ以上は何も考えられなかった。
「あ、あの、ミリファさん……なにかあったのかもで、その、あの、うう。もう、ちょっとだけ……」
暖かな微睡みが、全身を浸す熱が、ちらりとはだけたメイド服から覗く肌の輝きが、頬に寄せられた唇から漏れる甘い吐息が、まるで麻薬のように正常な思考能力を奪っていた。
致命的であった。
バゴッ!! という破砕音と共に数メートルクラスの『矢』が壁を突き抜けてきたのだ。
ーーー☆ーーー
首都の至る所に落とされた魔石は順次起動し、その機能を発揮しつつあった。そんな光景を眺める影が一つ。
『──、』
生命の鼓動を感じさせない異形。その顔にあたる部分に組み込まれた無機質な二つの魔石が闘争渦巻く首都を眺めていた。




