第十五話 よし、合体しよう
第七の塔、その一階では第七王女が椅子に腰掛け読書に勤しんでいた。王女と使用人の身分を超えた愛の物語を記した書物、つまりは『いちゃらぶ☆フォトンウェーブ セカンド』であった。
コンコン、とノックした瞬間に入ってくるはガジル。ノックはするが、相手の反応は聞きもしないのは問題児らしいとも言えるのか。
「よー姫さん。メシだぞー」
「いつもありがとうございます、ガジル」
「べっつにいいってー。それよりも──今日はまだ嬢ちゃん来てねーぜ?」
「……そうですか。そのままわたくしのことなど忘れてくれればいいのですが」
「はっはっ。どうだろうなー。あの嬢ちゃん周りを巻き込むの得意そうだからなー。気がつけばえらいことになっていたりしてなー」
「何があろうともわたくしの意思は変わりません。ミリファさまと関わらなければ、『運命』さえ繋がらなければ、わたくしはミリファさまを地獄に突き落とすことはないのですから」
「そーかい。その割には嬢ちゃんのこと気にしてるみてーだけどなー?」
「わたくしが? まさか。興味を持たないためにここに立ち入ることを禁止したのですよ」
「最初は立ち入りを禁止してなかったのにか? まぁ姫さんのことだ。己の無能加減やら取り巻く環境やらを見せつけて、自主的に避けるように仕向けるつもりだったはずなんだけどなー? あれれ、なんだって予定を変更したんだろうなー???」
「ガジル」
その声に苛立ちが含まれているのを察したガジルは軽く肩をすくめる。その口元には軽薄な笑みが張り付いていたが。
「へいへい黙りますよーっと。まぁ『運命』から逃れられるわけねーだろーがなー」
「ガジルっ!」
「悪い悪い、本当に黙りますよっと」
だから。
本当に素直じゃないな、と。
その言葉だけは飲み込んでやった。
ーーー☆ーーー
記憶が混濁していた。
気がつけばファルナは宿泊施設の一室に立っていた。
「ふへー結構お金かかるんだね。やっぱり首都は違うなー」
「あ、の」
「ほらほらファルナちゃんっ。せっかく高いお金を払ったんだし、早速寝ようよっ」
ぐいっと絡み合う手に引かれる。よろよろと熱に浮かされたファルナはそれについていくことしかできない。
気がつけば、目の前には大きなベッドが一つ。中々の大きさであった。二人で寝ても十分だろう。
決して綺麗とはいえず、どこか薄汚れたベッドではあるが、そんな些事に意識は向かない。
頭がクラクラする。
現実味がない。
思考が鈍化する。
なのに、心臓だけが暴れていた。狂おしいほどに、待ち遠しいと舌なめずりでもするようにだ。
それこそずるりと脳髄に走る欲望が侵食するように、染み込ませるように、変質を促すように、ファルナという存在を犯すかのように、たった一つの衝動が溢れ出す。
「ミリファ、さん」
これは気の迷いなのだろう。場の空気に流されているだけで、冷静になってしまえば失われる幻想でしかないのだ。
だけど。
この手を振り払うだけで場の空気から甘美な熱は失われ、雰囲気が白けて、冷静になれるはずなのに。
ぎゅっと。
絡み合った指と指とがより強く繋がっていた。
「あの、その、……よろしく、です」
「ですってファルナちゃんってば何を固くなってるんだか。ちょっと『休憩』するだけじゃん」
「そう、だね。うん、そうだよ」
そして二人の少女は艶めかしい欲望に身を浸す。場の空気に流されて、熱に浮かされて、甘美な過ちに魂を震わせるのだ。
ーーー☆ーーー
エンジェルミラージュ。
天空より舞い降りし守護天使にして、純白を司る使者。壮大な背景が匂わされているが、本編においては一目惚れした主人公に熱烈アタックを仕掛けるヒロインとしての面しか拾われていない。
そんなことなど知ったことではないリーダーはといえば、それはもう目が死んでいた。胸元と局部を覆う薄い布だけなのもそうだが、純白の翼やら頭上の輪っかやらが与える印象が強すぎる。それだけでも注目を集めるには十分すぎた。
「よっ、リーダー! 似合ってますぜっ」
「ひゅーひゅー天使ちゃーん!」
「ずっきゅーんいっちゃえ!」
「こんのくそったれどもがあ! 他人事だと思って随分と楽しそうね!!」
ぶふっ! と噴き出すはおしゃれさん。先ほどまであれだけ怯えていたというのに、エリスを騙せると分かって余裕が出てきたのか、ニヤニヤと意地の悪い笑みを広げている。
「リーダーぁ。これも誘拐計画を成功させて、『炎上暴風のエリス』を倒すためだってぇ。ほらほら、がんばっ☆」
「こ、この……ッ! 後で覚悟しておけよ、こんちくしょーっ!!」
叫び、駆け出すリーダー。その目はもうヤケクソに染まっていた。そのままの勢いで今にもいかがわしい宿屋を吹き飛ばさんと闘志むき出しなエリスへと迫る。
「やあ、さっきぶりだね!! 元気してたーっ!!」
「っ、あ、貴女はエンジェルミラージュたん!?」
「やあやあ、奇遇にもまた出会えたことだし、お茶しようよ、ね!!」
「あ、でも、泥棒猫焼き殺さないと……」
「いいから、ほらほらっ!!」
ヤケクソにもほどがあった。
バシンッ! とぶっ叩く勢いでエリスの手を握ったリーダーは『あっ、手を握って』だの『強引なエンジェルミラージュたんもアリだよね』だの悪寒がする戯言を無視して前に進む。無理矢理でも力づくでもいい、宿敵と手を繋ぐという屈辱だって呑み込む。最後に笑うのは私だと己に言い聞かせて、リーダーはただただ前に進むのだ。
……振り返らなければ、頰を染めて歓喜に表情を崩す宿敵を目にしなくて済むのだから。
ーーー☆ーーー
「ぐー」
「…………、」
一時の気の迷いにして場の空気に流されていた。ゆえにきっかけさえあれば、それ以上進むことはない。理性を蕩かす雰囲気さえ排除すれば、真っ当な考えで常識的な判断が下さるのだから。
ベッドインの直後だった。
おやすみ、と。そう告げられた瞬間、熱は弾けたと言っていい。
そこからは早かった。やっぱりぐーたらネムネムするのが一番だよねだの『普通』友達同士の遊びにぐーたらネムネムは含まれないんだろうけど、私はこーゆーのが好きなんだよねだの今日は慣れないことして疲れたから一緒に寝ようだの言い終わった時にはもう眠りに落ちていた。
「……あ、あはは。うん、あの、そうだよね、出会って間もないし、その、友達なんだし、えっと、女の子同士でもあるし、あは、あはは」
ぼぶっ!! と枕に顔を埋めるファルナ。顔どころか全身が熱を発するが、その種類は先ほどのものとは違うことだけは確かだ。
「は、はずっ、恥ずかしい……っ! あの、えっと、うわあ!! なに勘違いして、そんな、うっわーっ!!」
ばたんどたんと両足をばたつかせ、両腕で頭を抱える。ぐりぐりと枕に頭をこすりつけるが、羞恥の熱は一向に収まってくれない。
「うわ、うわわっ。本当なにを考えてたんだろう……あり得ないって分かるはずなのに。こんな、えっと、ノコノコついてきて、期待して、その、恥ずかしい……っ!!」
と。
そこで隣で寝ていたミリファが『うるひゃい』と呟き、寝返りをうつ……どころか、そのままファルナを抱きしめたのだ。
「ふっはうっ!!」
「むにゃ……ぐーすぴかー」
勘違いだった。
場の空気に流されただけだった。
きっかけさえあれば正常な判断能力を取り戻すことができる。
だというのに、どうしてこうも心臓が高鳴るのだろう? もう理性を狂わせていた空気は霧散したというのに、鼓動が聞こえるほどに肌と肌を触れ合わせてミリファの温もりを感じるだけで羞恥の熱が別の熱に焼き尽くされてしまう。
「う、うう」
至近で見つめるミリファの幼さが残る顔、意外と長い睫毛、柔らかいのだと触れずとも伝わる頬、吐息に合わせて開閉する艶めかしい唇。視線が釘づけになる、外せない。見つめる分だけ熱は燃え上がり、脳は痺れ、理性が狂っていくのが分かっているのに、それでも──この空気に呑まれてしまいたいと、そう思ってしまうのだ。
「ミリファさん……」
ああ、これは。
この感情は友情なんかじゃなくて──
ーーー☆ーーー
「ごめんくーださいっ」
六歳程度の女の子は母親と共に五階建ての建築物を訪ねていた。剣と槍が交差する旗印を高らかに掲げていることからも分かる通り、そこは騎士の詰所であった。王家守護やら対外専門やら特殊な役職でない限りは町の詰所に騎士は滞在している。町の警備や犯罪者の捕縛など仕事は様々だが、落とし物の対応なんかも請け負っていた。
そんなわけで扉をノックすることしばし、ガチャっと扉が開かれ、どこか無邪気な嘲笑を浮かべる少女が出迎えた。
青のレザーアーマーは確かに騎士の証なのだが、名誉ある装いを着崩しているわ胸につけるべき剣と槍が交差する騎士の紋様は掠れて消えかけているわ腰に差した長剣はずり落ちそうだわ首都に配属されているにしては不真面目そうな騎士であった。
「どうかしたっすか? ここは子供の遊び場じゃないっすけど」
「落とし物を届けに来ましたっ」
万が一にも落とさないためか、両手で大事そうに持っていた魔石を差し出す女の子。対して騎士の少女といえば、どこか面倒そうに息を吐く。
「落とし物って、また魔石っすか。今日で何個目っすよそれー。至る所に落としまくっている誰かさんがいるっぽいけど、そんだけばら撒くってことはそれだけどうでもいいってことっすよね。もー別に放置でいいっすよそんなの」
「だめだよっ。落とした人困ってるはずだもん!!」
「困るくらいなら落とさないっすよ。ってなわけで持って帰ってくださいよ、それ。保管するにも場所とるんすよー。つーか石ころばら撒く馬鹿を探すなんて面倒な仕事増やすなって話っすよー」
あんまりといえばあんまりな対応に、思わずといった風に母親が口を挟もうとした時だった。
ドゴンッ!! と。
それは騎士の少女の頭上に極太の金属メイスが振り下ろされた轟音だった。
「また貴様かノワーズ卿! 民の善意を踏みにじろうとするとは、何たる所業!! その腐った性根、叩き直してくれるわ!!」
「ぐ、ぬおわああああ……っ!! おまっ団長何してるんすかっ。鈍器っすよ金属の塊っすよ!! そんなの人の頭に振り下ろすなんて殺す気っすか!!」
「心配するでないノワーズ卿。貴様はこの程度で死ぬような軟弱者ではない」
「死ななければ何してもいいと思ってんすか脳筋団長! みんながみんな団長のように筋肉で頭の先から爪先まで覆い尽くしているわけじゃないんすよーっ!!」
「元はと言えば幼子の無垢なる善意を踏みにじろうとした貴様が悪いのだろうが」
まさしく巨躯と呼ぶに相応しい女であった。
鳳凰騎士団団長ナルミア=キングソルジャー。表向きの序列であれば騎士のトップに君臨する者であった。というか、ほとんどの騎士は鳳凰騎士団の団員であり、王族直属や対外専門のような序列から外れているため命令系統が別となっている騎士のほうが珍しいのだが。
数多の騎士を束ねる長はといえば騎士の少女を押し退け、女の子と視線を合わせるように膝を曲げる……が、そもそもの身長が高すぎるし、鍛え上げられた塊がごとき筋肉による威圧感が強烈だったのだろう。ひゃっと悲鳴と共に母親の背中に隠れてしまった。
「…………、」
「ぷ、ぷぷぷうっ。団長ーそりゃそうなるっすよ。筋肉ダルマが近寄ってきたら幼子どころか成人男性だって逃げるっす……ぶほは!? だから鈍器やめるっすよー!!」
まさに八つ当たりに相応しい金属メイスの横薙ぎに吹き飛ばされる騎士。何やらズドバァンッ!! と凄まじい轟音が炸裂していたが、どうやら彼女は無駄に頑丈なようだ。
「う、うむ。怖くないのであるぞ。我が貴公の善意を引き継ごう。その落とし物は我が責任を持って届けてみせようぞ!」
「やっ」
ぷいっとそっぽを向く女の子の反応にどんな強敵の攻撃を受けても進軍を止めなかった団長が崩れ落ちた。
「なぜだ……なぜ我は怖がられるのだ!?」
「いやだから筋肉ダルマは怖いっすよー」
「ノワーズ卿お!!」
「おわっ。団長図星突かれたからってメイス振り回すのやめるっすよー!!」
ーーー☆ーーー
ヂリッ、と。
女の子の手の中にある魔石が不気味な光を放つ。
ーーー☆ーーー
その異変に気付いたのは本人ではなく、外野であった。つまりは母親。
まさか団長が出てくるとは思わなかったし、娘が団長を拒絶するのも予想外であった。流石にフォローしないといけないと思っていた時だった。
ヂリッという小さな音と光。
そう、娘が両手で持っている魔石が白とも黒とも見える光を発していたのだ。
理由は分からない。
何が起きているのかも分かるわけがない。
それでも。
良くないことが進行していることだけは分かった。
「ジュリっ。それ捨てなさいっ!」
「え……?」
瞬間。
ぐじゅり、と女の子の両手が魔石に取り込まれた。




