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ピークが過ぎると、徐々に店員たちも落ち着きを取り戻してくる。ガシャリとジョッキを厨房に渡してようやく一旦手の空いた陸瀬は、ふいーっと疲れた息を吐きだした。
「いやー、今日も忙しかったですね。やっぱ週末はキツイですよ。なんで普段と時給一緒なんだろ。倍くらいに上げてほしいー」
「なはは、この程度で音を上げてるようじゃ、あきにゃーもまだまだ修行が足んねーな」
厨房も落ち着いたらしく、千尋も手を休めて陸瀬と雑談に興じていた。
「いやいや、ちーせんぱいが動きすぎなだけですから。その能力を少しは勉強に活かしたらどうですか?」
「いやいや、人には向き不向きがあってね、あたしは勉強には向いてないのよ」
「なんでもいいからちゃんと卒業してくださいね。タイムリミットはわたしが卒業するまでですからね」
「あー、あきにゃ4年であたしが8年になるのかー。除籍はさすがにヤだよね」
「ていうか、いっそここに就職しちゃえばいいじゃないですか。店長だってかなりちーせんぱいのこと重宝してますよね」
「あ、うん。実はすでに誘われているのだよ。とりあえず卒業決まるまでは保留だけどね」
「うん、わたしはここに決めたほうがいいと思いますよ。だってちーせんぱい、学歴と初見じゃただのアホだもん」
「うっわ、お前容赦ねえな!」
楽しげに盛り上がる2人の横に、空いた卓を片付け終えたユイが戻ってくる。ガシャリと食器を置くと、陸瀬が「とりあえずお疲れー」と声をかけてくる。ユイもさして表情を動かさないまま「お疲れ」と返しておいた。
「いやー、今日もあんなに忙しかったのに、水波くんは相変わらず落ち着いてるよね」
「まあ、苛立つ理由もないし」
「あー、そんな言い方されたらわたしバカみたいじゃーん」
「でも確かにみなみんはクールだね。さすがはあたしの弟子というべきか。もうちょい早く動けるようになったら、あたしの男にしてやろう」
「あはは、やったじゃんみなみくん」
ユイはぱちぱちと瞬きをして一拍置いてから、千尋の頭に手を置いた。
「俺、ロリコンじゃないですから」
「うおー、みなみんもけっこうヒドイな!」
けらけらと笑う陸瀬と千尋とは対照的に、ユイは限りなく無表情のままだった。
「ていうか、みなみんは彼女いるんだったっけ」
「はい」
ユイの肯定に、陸瀬が何とも言えない表情を浮かべている。嫉妬などではなく、それは明らかに嫌悪を孕んだ表情だった。まあ、毎度あからさまに睨みつけられていたのでは、そうなるのも仕方ないだろう。ユイとて、マナが自分以外をどう思っているかくらいは知っている。
「へえー、いいッスな青春。あたしは今フリーだしなー。いっちょあたしと浮気してみるかい? 浮気したら怒られる?」
「それはもう、鬼のように」
冗談めかして言ってみたが、事実である。そして恐らくは、その怒りは全て千尋に向けられるであろうことも分かっている。
陸瀬は茶化す気にもなれないのか、ひどく妙な表情で黙っていた。
「そっかー。けどあれだね、みなみんが恋に燃えてる姿はあんま想像できないね」
「あ、それはわたしも思うかも」
「普段はクールだけど、彼女の前ではデレデレしちゃってんの? 途端に性格変わっちゃったりとか。『おい、俺のために、ご奉仕してみろよ‥‥』みたいなこと言っちゃったりさー」
「別に、いつも通りですけど」
「そうですよ。水波くんは常に澄まし顔。彼女の方はベッタベタですけどねー」
けたけたと楽しそうな千尋に、陸瀬はやや憮然と付け加えた。
「あ、そっか。あきにゃは知ってんだったね。仲良いの?」
「いーえ、全然」
その言葉にはありありと皮肉が込められているようだが、ユイがいる手前はっきりと非難することもできないのだろう。
「ていうか、あきにゃは彼氏いねーの?」
「いませんけどー。大学入ってまだゼロですけどー。文句あるんですかー」
「拗ねんなってばよー。分かった分かった、しょーがないからあたしが付き合ったげるよ。好きなだけ養い放題だぜ?」
「うわ、ちーせんぱいと付き合うとか絶対無理。一緒に住んだら超うっとーしそう」
「‥‥あきにゃー、マジ容赦ねーな」
「でも、そんなちーせんぱいがわたしは好きですよー。可愛い、かわいー」
「クソ、バカにすんなよ。あたしだって彼氏いたことあるんだからな!」
「はいはい。変態ロリコン野郎の餌食にされただけですよねー」
「ちげーし! だってそいつ、あたしの後に長身スレンダーと付き合ってたもん!」
「じゃあアホの子が好きな人だったんですよ」
「お、おう。確かに若干アホそうだった。脳の栄養がほぼ乳に吸われてる感じの」
「ほほう。じゃあ脳にも乳にも身長にも行かず、全部排出されてるちーせんぱいよりはマシじゃないですか」
「てんちょー! あきにゃーが時給半分にしてほしいってさー!」
やいやいと姦しい2人を眺めながら、淡々とした調子を崩すことなく時々相槌を打ったり話に巻き込まれたり。
ユイの態度は決して友好的とは言い難いものだったが、明確な拒絶はなく自然と会話を合わせているおかげで、邪険に扱われるようなことはなかった。
何事も無難に終わらせることが、ユイの基本的なスタンス。生き方と置き換えてもいい。
必要以上に荒立てず、踏み込まず、関わらない。
元々物事に対して興味関心が薄いユイには、それほど難しいことではなかった。最低限相手を苛立たせないようにだけ振舞って、あとは自然にしていればいいのだから。
ふと千尋が「ちょっと2人でラブラブしてな」と厨房に引っ込み、しばらくするとお盆を2つ持った千尋が「40秒で食事しな!」と厨房の隅にそれを置いた。飲食店で働く大きなメリット、まかないの時間のようだ。