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クルイアイ  作者: くらうでぃーれん
1・愛と憎悪
6/37

2-2


 飲み会の席から大量のグラスを持ってキッチンへと引き返す。ちょうどその時新たな客が入店して来た。千客万来とはこのことを言うのだろうか。


 落ち着いてはいるが、ユイには千尋ほどの手際の良さは持ち合わせていない。というより、千尋の手際が異常なだけだが。

 他のキッチンスタッフの倍近い料理を作りながら、さらに指示まで飛ばしている。これで場合によってはホールの仕事もやってしまうのだから、彼女の能力は計り知れない。まあ学校での成績は、真逆の意味で計り知れないようだけれど。


 ユイは入ってきた客にすぐには対応できず、グラスを下げながら「少々お待ち下さい」と声をかける。他のスタッフも忙しさと苛立ちで手が空いていないようだ。


 とりあえず出来上がっている料理を運んでから周囲を確認すると、ちょうど1卓空きができたようで、散らかっていた卓上を手早く片付けてからその場所に客を通す。

 会社員らしき数人の男性客だったが、一番偉そうな態度の中年は、なぜかユイを見てわずかに顔をしかめていた。


「お決まりでしたらご注文をお伺いします」


 表面だけは丁寧なユイの言葉に、偉そうな中年の男が発したのはたった一言。


「いつものやつ」

「‥‥‥‥」


 そしてその後に続く言葉ない。


「メニュー名でお願いします」


 淡々と返すユイに、男は「ハァ!?」となぜか声を荒げた。


「もう何回も来とんやから、ええ加減覚えるやろ!」

「と、言われましても」


 ケンカを売っているわけでも、わざとらしく煽っているわけでもない。分からないことを分からないと言っているだけだ。そもそもこんな見覚えのない‥‥いや、このやり取りはどこか記憶に引っ掛かるものがあった。以前も来たことがあるのかもしれない。やはり興味が無いので、またすぐに忘れてしまうだろうが。


「何やお前、態度悪いなぁ」


 そうやって絡んでくる男のほうがよほど態度が悪い。鬱陶しいな、殺してやろうか、とユイは静かに考えていた。

 例えば今、手元にあるボールペンだけでも上手くやれば殺すことは出来る。ノドに突き刺してやってもいいし、目玉を抉ってやるだけでも社会復帰という点で殺せるかもしれない。生ビールのジョッキで思い切り頭を殴ってもかなりの致命傷だろうし、道具を使わず手で絞め殺すことも可能かもしれない。今から引き返してキッチンから包丁を取ってくればさらに成功率は上がるだろう。


 ――まあもちろん、実行に移す気はないけれど。


 そんなことをしてしまえば、面倒などという言葉では済まないほどの拘束を受けることになってしまうのは目に見えている。少々腹が立つからといって、堂々と公衆の面前で殺すリスクはあまりにも高い。だからそんなバカなことをやろうとは思わないし、もしやるなら、バレないようにやろうと思った。


 ‥‥‥‥バレないように、か。


 などと無言で思考を巡らせていると、ユイが腹を立てていると思ったのか、部下らしき男たちがまあまあと言いながら上司の代わりに注文を言い始めた。部下の対応が手馴れている様子から察するに、この男の面倒な態度はいつものことなのだろう。そう思うと、やっぱり前も対応したことがある気がしてきた。多分。


 注文を取り終えると「失礼します」と立ち去ってキッチンに注文票を渡し、ちょうどそこにいた同級生の陸瀬(りくせ)に声をかけた。


「陸瀬さん、悪いんだけどさっき来た13番の卓、料理運んだりするの俺の代わりに行ってもらってもいい?」


 陸瀬は苛立たしげな表情をわずかに滲ませながらも、大きな眼をきょとんと見開き、首を傾げてショートの髪をさらりと揺らす。


「なんか、俺が行ったら揉めそう。オッサン3人組」


 簡潔に伝えると、陸瀬は理解したらしくこくこくと頷いてから、不機嫌を消してにかっと明るい笑顔を浮かべた。


「おっけーおっけー。なんとなく予想ついたかも。いつもの、とか言ってくるオヤジじゃないの?」

「うん、それ」

「やっぱり。わたしも何回か対応したけど、あいつマジうっとーしいよね」

「なんか、入口で対応するなり嫌な顔されたから、変な客だとは思ったけど」

「あー、はいはい。あいつ男の人には必要以上に態度悪いからね。バッカみたいってか、もはや気持ち悪い。特に水波くんとは相性悪そうかも。ま、あーいうクズは逆に女には甘いから、任しといて」


 割と過激な発言を残して、陸瀬はすぐにグラスを両手にホールへと向かっていった。まだ忙しい時間は続いている。

 ユイとて憤怒こそしていないものの、ああいう客に当たると少なからず士気は下がる。


 ただユイは、あまりにも感情の起伏に乏しかった。喜んだり怒ったり悲しんだり、とにかく全ての感情の変化が薄い。だから普通は様々な感情を巡らせるべき場面でさえ、ほとんど何も思わないというのはよくあることだった。


 そんなユイが意識している数少ないことの一つが、〝面倒事は避けたい〟ということ。

 ほとんど感情が動かない。しかし当然ながら、完全なる無感情ではない。先程のようにわずかながらも苛立つこともあるし、そういったことに疲れを感じもする。出来ることならそういったことを回避したいとも考えている。


 だからユイが心掛けている普段の態度は、当たらず障らずの〝無難〟である。可能な限り最低限の労力で面倒事を上手くかわしてゆく。だからこそ先程のように向こうから突っ込んでくる面倒は大嫌いだった。もっとも、そんなものが好きな人などいないだろうけれど。


 そしてそんなユイとは真逆なのがマナであり、あの誰彼構わず敵意をむき出しにするのはどうにかならないものかといつも手を焼かされている。まあ最近はずいぶん諫め方も分かってきたので、以前に比べれば少しは楽になっている。とはいえ依然手のかかる彼女であることには変わりない。


「しゃー、みなみーん! 唐揚げが大量生産産地直送だよー! ちゃきちゃき働いちゃいな!」


 が、そんな思考は千尋の謎の言葉に遮られてしまった。


 ユイは先程の客のことなどすでに記憶の片隅に押しやり、早くも気持ちを切り替えて再び淡々と料理を運ぶ仕事に従事することにしたのだった。


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