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クルイアイ  作者: くらうでぃーれん
2・無関心と殺意
26/37

7-2


 椅子を蹴倒す勢いで立ち上がり、真正面から陸瀬を睨みつけた。


「あなた頭おかしいんじゃないの? 私はユイくん以外が近くにいるだけで不愉快なの。ユイくんだってあなたなんかと食べたいわけないでしょ。鬱陶しいから今すぐ消えて」


 取りつく島もない、という言い方すら及ばないほどのマナの圧倒的な拒絶。陸瀬はさすがに一瞬呆気に取られ、しかしすぐに同じように強い視線でマナを睨み返した。


「‥‥何言ってんのよ。あんたこそ頭おかしいのよ。別にわたしはあんたにも水波くんにも、何したわけでもないでしょ。なんでそんなに睨まれなきゃいけないのよ。別に水波くんはあんた1人だけのもんじゃないでしょ。なによ、毎日毎日ユイくんユイくんって、バカみたいに連呼しちゃってさ」

「お前がユイくんって呼ぶな!」

「何よそれ、何が気に入らないってのよ! ユイくんユイくんユイくん!」

「黙れ! ユイくんは私だけのものだ! 全部全部、何もかも、私だけのもの! 他の誰もいらない! 私だけが居ればいいの!」

「意味分かんない! んなワケないでしょ! 水波くんが迷惑してんの気づきなさいよ!」

「してない! ユイくんは私を必要としてるもの! 私だけを必要としてるの!」

「バカじゃないの!? 何よその独占欲! そんなんじゃ水波くんだって、実はあんたのこと嫌ってるかもね!」


 その言葉を聞いた瞬間、マナの瞳の色が変わった。

 それ以上の言い合いを止めて、マナの手が陸瀬の首を思い切り掴む。ぎりぎりと歯を食いしばり、持ちうる限りの全ての憎悪を宿らせたような瞳で、陸瀬の首を締めあげる。怒りのせいか、力を込めすぎているせいか、マナの腕は小刻みにぶるぶると震えている。


「う、‥‥ぇ、‥‥げ‥‥ぅ」


 陸瀬はマナの手を掴んで抵抗するが、解放することは適わないようだった。苦しげな呻きが陸瀬の口から漏れる。


「ユイくんが私を嫌うわけないでしょ。死ね」


 ユイはそのやり取りを見て、小さく息を吐いた。面倒なことになりそうだとは思っていたが、思った以上に面倒なことになってしまった。


 ケンカは必定、手をあげることもあるかもと思ったが、まさかここまでしてしまうとは。陸瀬の友人もあまりの出来事におろおろとしていて、しかし何か行動を起こすことはできないようだ。


「マナ」


 仕方なくユイが声をかけると、マナは穏やかな瞳をユイに向けてにっこりと微笑む。


「待ってて、すぐ終わるから」


 が、マナはその手を離すことはなかった。終わってもらっては困るのだが。

 穏やかな笑顔とはまるで似つかわしくなく、その華奢な腕は力の限り陸瀬の首を締めあげ、首が赤黒く染まるほどに爪を食いこませていた。陸瀬は恐怖や怒りすらあわや消えそうなほどに瞳を混濁させている。口の端からは潰れた呻き声と共に泡の混じった唾液が漏れ始め、ぴくぴくと明らかに危険な痙攣を始めていた。


 冗談ではなく、このままでは終わる。色々なものが。

 その時、陸瀬がゆっくりと震える右手を振り上げた。拳を硬く握り、必死に意識を保ちつつも憎悪を滾らせた瞳でマナを睨みつけ、そして――


 ゴ、と鈍い音が響いた。


「‥‥‥‥!」


 マナが大きく目を見開いた。そして、目の前に立つユイを見つめる。

 ユイの頬はほのかに赤く染まり、陸瀬の打撃をマナの代わりにその身で受けていた。


 思わずマナの腕の力が緩み、その隙をついて陸瀬が手を振りほどき、直後に膝をついてげほげほと痛々しい咳を漏らした。ぬるりと流れ落ちた唾液には、赤いものが混じっていた。


「ゆ、ゆい、ユイくんっ! だ、だい、だ、あ、だっ、だいじょうぶ? 大丈夫っ!?」


 マナが震える声でユイの頬に触れる。決死の力で殴りつけられた頬がじわりと痛んだが、ユイは得意の無表情でそれをマナには悟らせない。


「大丈夫だから、落ち着いて」


 ユイは頬の痛みを無視して、マナを諌める。しかしマナは焦点すらも失ったように瞳を揺らしてユイを見上げ、しかし直後にその瞳を再び憎悪に染め上げて陸瀬を睨んだ。


「‥‥殺してやるっ!」


 が、陸瀬に殴りかかろうとするマナをユイは正面から抱き締める。


「マナ、落ち着けって」

「でもっ!」

「落ち着いて」


 そのままぎゅっと力を込めると、マナはようやくユイの腕の中で体の力を抜いた。

 しばらくそうして、気持ちを落ち着かせる。そっと頭を撫でると、マナは胸に頬を擦り寄せた。


「‥‥陸瀬さん、とりあえず、離れたほうがいいよ」


 背後から悲痛な呻き声と唾棄の音を聞きながら、そちらには視線を送ることなくマナを抱き締めて陸瀬を促す。いまだ喉を押さえて苦しげな陸瀬だったが、顔を上げてマナを睨みあげると、友人の手を借りてどうにか立ち上がる。


「‥‥やっぱ、あんた頭おかしいよ。水波くん、ごめん」


 ざらざらと掠れた声でそう言い捨て、陸瀬とその友人は姿を消した。その姿を見送ってから、マナは再びユイに縋る。


「ゆいっ、くん、それ、ほんとに、だいじょうぶ!?」


 途端にマナは平静を失い、震える声でユイを気遣った。


「別に平気だから」


 腕の中のマナの頭を撫でてやると、少しずつ落ち着きを取り戻していった。


「ごめんね、ユイくん。でも、私ユイくんの為って思って言ったんだよ。うん、そうだよ。だから全部、あいつが悪いんだよ。そう、やっぱり、あいつ、死ねばいいんだよ。私が、今すぐ殺してくるからっ‥‥!」

「マナ」


 ぎゅっとユイの服を握って怒りを再燃させるマナの背をあやすように叩いて、不安定すぎるマナを落ち着けさせる。今まで以上にマナの発する「殺す」という単語に実体が伴っているような感覚に思うところはあったが、今はそこには触れずにおく。


「‥‥ユイくん、なんであんな奴庇うの?」

「庇ってないよ」

「だって、せっかく殺そうとしてるのに、止めるもん」

「そりゃ止めるって。じゃあマナ、前に話したことだけど、陸瀬さん殺して、ちゃんとそれに見合った見返りがあるか?」

「‥‥‥‥すっきりする」

「それだけ? そしたら、俺と会えなくなるかもしれないけど」

「絶対イヤ。頭おかしくなっちゃう」

「な、だから止めたんだよ」


 そう言うと、マナはそれ以上は何も言えないようだった。


「衝動に駆られて動いても、いいことなんか無いよ。ちゃんとよく考えて。本当に殺したい相手ほど、そう簡単には殺せないって言っただろ。落ち着いて考えて、メリットの少ないことはやめろ」


 ユイはマナを叱る。その行動に、ではなく、行動理由に。


「ごめんなさい」


 マナはユイに謝る。その行動に、ではなく、浅慮さを自覚して。


「‥‥ユイくんは、私のこと好きだよね? 私のこと、大切だよね?」

「うん。マナのこと好きだし、大切」


 そう答えるのに、迷いなどあるはずが無かった。マナには、ユイの傍に居て欲しい。その思いに偽りはない。


「私もユイくんのこと好きだよ」

「知ってるよ」


 ユイはそう答えて、しばらく無言で2人は互いを抱き締め合っていた。


「‥‥気持ち悪い」


 やがて、マナは小さくそう呟いた。


「指先、すっごく気持ち悪い。まだあいつの肉の中に沈んでる感じがする。最悪。ねえユイくん、私ヘンになってない? 汚くない? 手、ぞわぞわする。早く帰って、お風呂入りたいよ」

「大丈夫。いつも通りのマナだよ。じゃあ今日はもう、午後の授業サボって帰ろうか」


 ユイの言葉にマナは嬉しそうに頷いて、机の上の半端に食べ残された弁当を片付けた。


 それにしても、危ないところだった。あのままだと、恐らくマナは本当に陸瀬を殺していただろう。マナに躊躇いなどあるはずもなく、喉が潰れて首が折れるまで絞め続けていただろう。

 そしてなにより、危うくユイの計画が全て潰えてしまうところだったのだ。長い時間をかけて練ってきているというのに、こんなところであっさりと破綻させてしまうのは、あまりにも馬鹿らしい。


 いくらなんでも、こんな白昼堂々と手を下しそうになるなんてありえない。陸瀬だけでなく、すぐ側にその友人もいたというのに。どうもユイが思っている以上に、理性的ではないのかもしれない。


 マナはユイの腕にさばりつく。何事もなかったような笑顔で。

 ユイはマナを腕にさばらせる。怒りも焦りも、感情を滲ませない表情で。


 キャンパスの片隅から出てきたそんな2人が、つい先ほど絞殺未遂に立ち会っていたなどということに気づける者は、誰もいなかった。



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